帰還と手当てと縛めと
森の中を足早に進んだ白山達は、ようやく元の潜在拠点に到達し離脱の準備を始めた。
大所帯となった部隊を撤収させるため、多くのゾディアックボートが準備されている。
重ねられたボートを水面に浮かべ、船外機を取り付けて湖面に出なければいけない。
その他に持って来た資材や荷物などもすべて持ち帰り、痕跡を残さないようにしなければならないのだ。
その間に白山は、負傷した田中二曹の傷を診ていた。
どうやら何かの破片が肩を切り裂いたらしく、三頭筋に大きな切り傷が出来ていた。
止血処置をして、包帯を巻き三角巾で腕を吊る。
今はまず傷口の被覆と固定を優先させる。後は離脱するだけであり、後方で治療する暇は幾らでもある。
それよりも今は、追手が来る前に速やかに離脱する方が先決だ。
処置を終え一息ついていると、興味深そうにその様子を見ていたカレンが口を開く。
「鉄の勇者の眷属は、医術にも長けておると聞いていたが成程、見事な手際じゃな」
「ここじゃ、応急処置が精一杯だな。感染の危険もあるし、早く治療してやりたい」
「この首の戒めを解いて貰えぬか?そうすれば、この程度の傷なら……」
メディカルパックを閉じながら、そう言った白山にカレンが不満そうに返答する。
しかし、白山は静かに首を横に振った。
「離脱が先だ。グズグズしてたら敵に見つかる。
安全な地域まで行ったら、いくつか話を聞いてから、戻りたいなら送り届ける。
まずは、一緒に来てくれ」
白山は頑なにカレンに魔法を使わせる事を拒んでいたが、それは部隊の安全を考えての事だった。
魔法による攻撃の有用性や威力については、白山自身が見て良く分かっている。
それ故に、この場でカレンを解き放つ事のリスクもまた大き過ぎるのだ。
単純に言えば敵地のど真ん中で、厄介事を抱え込みたくないと言う話だ。
突発的な事態とはいえ厄介な問題を抱え込んだなと思いつつ、白山達はボートへと乗り込み皇国から離脱していった……
**********
明け方に、皇国との国境線であるフィフティラインを超え、王国に戻った白山達は、ピックアップに来た三トン半に乗り込むと基地へと帰投する。
その顔はみな一様に疲れ切っており、隊員達は別の意味で船を漕いでいた。
しかし、帰ってからすぐに休息とは行かない。
今回の作戦で使用した装備や火器の手入れ、教官達にはこれからその監督と報告が待っている。
ウルフ准尉以下の出迎えを受け基地に入った白山達は、すぐに装備の仕分けや火器の手入れを始めた。
雑毛布の上で車座になり火器を分解清掃する者、ボートの洗浄やメンテナンス、装備の水洗いなどやる事は多かった。
手早く個人装備と火器の手入れを終わらせた白山は、まずは傷を受けた田中二曹の具合を見に診療所へと赴いた。
独特の消毒薬にも似た微かな香りを嗅ぎながら、奥へと入っていくとすでに処置を終えた二曹がベッドに腰掛けており、入ってきた白山を見て僅かに黙礼する。
「どうだ、傷の具合は?」
「かすり傷程度ですね。一週間もすれば完治するでしょう」
三角巾に吊られた腕に視線を向けながら、そう言って笑った田中二曹に白山は少しだけ安堵を覚える。
それと同時に『この程度』の任務で、負傷者を出してしまった事に対して苛立ちを感じていた。
CAS<近接航空支援>やヘリによる潜入離脱、それに支援があればもっと簡単に事は運んだだろうし、部隊の危険度も格段に低く抑えられる。
しかし、現状ではそれらは望むべくもない。
現状と望まれている任務、それに対して部隊の規模も装備も追いつけない。何とも歯がゆい状況だった。
「そういえば、エルフのお嬢さんはどうなった?だいぶ傷めつけられていたと思うが……」
白山の問いかけに、田中二曹はチラリと視線を診察室に向けた。
どうやら今は、カレンの処置を行っているようだ。
PA フィジシャンアシスタント(医師助手)の資格を持つソフィーが、今日の担当でその声が小さく処置室の外に聞こえてくる。
「それじゃ、性的な暴行は本当にないのね? これは、貴方の体の事を……」
カーテンの向こうから聞こえるソフィーの声で、どうやらデリケートな話題について問診しているとわかった。
「ソフィー、ホワイトだ。入っても大丈夫か?」
白山の声に、診察室の中から人の動く音が聞こえカーテンが開けられる。
そこにはガーゼで頬のあたりを覆ったカレンとソフィーの姿があった。
白山の指示でカレンの首に着けられている首輪は、そのままにされている。
一見して診療所の周辺は警備が薄いように感じられた。だが、万一カレンが白山達に魔法を行使する事態になったら、その被害を減ずるように警戒線が組まれていた。
入口に立哨する隊員はいるが、それ以外はその存在すら見えない。その実この診療所は、機関銃とスナイパーライフルの射界に収められている。
この措置は、カレンがこちらにいらぬ警戒感を抱かないようにという配慮と、警備の両立という観点からの措置だった。
その事はこの場では白山しか知らぬ事ではあったが、無論白山もそれをおくびにも出さない。
「ソフィー、彼女の傷の具合は?」
「ほとんどが打撲と裂傷、それ以外に酷い傷は無さそうね。最も、CTやMRIが撮れないから、もう少し経過観察が必要よ」
「少し、話をしても大丈夫か?」
「ええ、でもまだ検査が残っているから、手短にね」
手当てを通して、一定の信頼関係を築いたのか、カレンとソフィーは静かに目線を交わして頷き合った。
それを見てひとまず安心した白山は、椅子に腰掛けてカレンに向けて口を開いた。
「改めて自己紹介と行こう。俺はこの部隊を率いているホワイトだ」
「深淵の二士族がひとつ、ハヴェリネン家が長女、カレン・ダーリー・ハヴェリネンだ。窮地を救って頂き感謝する」
ようやく落ち着いてきたカレンは、真面目な表情で白山の自己紹介に応える。
「まずは現状について説明しよう。
ここはレイスラット王国の我々の基地で、安全だ。傷が治るまでは滞在して構わない。
それで、今後の事だが……」
「そなたは、鉄の勇者の眷属なのか?」
白山の言葉を遮り、カレンはまっすぐに白山を見つめそう言葉を発した。
その瞳には猜疑めいた何かが宿っているようだった。
「そう言えば、森の中でもそんな事を言っていたな……
眷属というか、この世界では鉄の勇者は、俺って事になっている」
「まあ、勇者って柄でもないがな」と、自嘲気味に笑いながら白山は頭を掻いた。
「それはおかしい…… 何故、そなたの器には霊が宿っておるのだ?」
今度は、白山が首を傾げる番だった。
そうは言っても不可抗力でこの世界に突然喚び出され、それがおかしいと言われても、白山に反論の術がない。
「何がおかしいのかは判らんが、兎に角最初にこの世界に召喚されたのは、俺だよ」
「異界の鏡は、そもそも現人を召喚するようには出来ておらん。肉体を失い輪廻する前の魂を、この世界に召喚する筈じゃ」
「っ! ちょっと待ってくれ!なんであんたが、異界の鏡の事を知ってるんだ!」
その言葉に驚いたのは白山だった。
そもそも異界の鏡ことラップトップの存在と、その使用方法を知っているのはこの国でも一部の人間に限られている。
それなのに、事も無げにカレンが言い放った一言は、衝撃に値するものだった。
しかしカレンの次の一言が、更にそれを上回る衝撃を白山にもたらした。
「知っているも何も、異界の鏡を作ったのは、先代の勇者と深淵の大魔術師と呼ばれた我が母じゃ」
「…… それなら、異界の鏡の仕組みや、それに類する魔法は詳しい……のか?」
言葉に詰まりながらも、白山はようやく質問を喉から絞り出す。
「母は筆まめでな、森へ還るまでに多くの魔法書を書いておったのじゃ。無論、異界の鏡についてもな」
それを聞いた白山は、深く息を吐くと腕組みをして黙考する。
当初の目論見ではカレンに魔法に関する助言を貰ったならば、里に送り届ける算段だったのだ。
しかし、こちらの最大の武器でもあり、弱点でもあるラップトップについて、これほど詳しい人物を、おいそれと野に放つ訳には行かなくなってしまう。
皇国軍の戦略を阻害する目的でカレンを救出したのは、間違いではなかった。
しかし、それ以上の爆弾を抱え込む事になったとも言える。
「これも定めかもしれぬな…… いや、奇縁とも言えるじゃろう。
母の遺した召喚具で喚び出されし者に、その娘が命を救われようとはな……」
カレンは薄く笑みを浮かべ、皮肉めいた言葉を口にする。
「ああ、偶然とはいえ、不思議なめぐり合わせだな」
そう言って笑い合った二人だったが、不意にカレンが真面目な顔で、白山に訴えかける。
「さて、本来ならばこのまま里に戻るのが筋なのだが、掟に背いて魔法を使ってしまい戻るに戻れん。
もし、迷惑でなければ、暫く厄介になっても良いだろうか?
今後の身の処し方について、少し考えたいのじゃ……」
カレンは、少しさみしそうに自身の身に起きた事を、語り始める。
塩の買い付けから始まり懇意にしていた商人一家に怒った惨劇、そして商人達を救うために禁忌とされていた魔法による殺傷。
そうして捕まった経緯を白山に語り聞かせると、首に嵌められた戒めに手を当てた。
「思えば油断や驕りがあったやもしれん…… 結果がこのザマじゃ……」
「おおよその経緯は判った。
カレンさえ良ければ、俺達の魔法研究に力を貸して欲しい。これは強制ではなく、任意だ。
協力できないからと言って、身柄をどうこうするって話じゃない」
話題を変えるべきだと判断した白山は、努めて明るくカレンにそう言って、返答を待った。
少し落ち込んだ様子のカレンは、力なく笑うと少し考えた表情を浮かべてから、ゆっくりと口を開いた。
「幾つか条件がある」
「こちらで対応可能であれば、ある程度の要望は聞こう」
ここが正念場だと感じた白山は、努めて真摯にカレンの話に耳を傾けた。
カレンの出した条件は、皇国に居るある男を探し出し、その男を通じて里に塩を届けて欲しいという事だった。
聞けばエルフの里では、塩や布類などの供給は外部との細い交易で担っており、特に塩の枯渇は死活問題になりかねないらしい。
その話を聞いた白山は、カレンから提示された条件を慎重に吟味する。
「要は、里に塩が届けば良いんだな?」
その言葉に、カレンは静かに頷いた。
「よし、その件はこちらで何とかしよう」
白山の返答を聞き、カレンはひとつ肩の荷が下りた様子で、瞳に力が戻ったように見える。
「ならば憂いはない。命を助けられた恩を返すとしよう」
カレンが協力してくれると決めた事で白山も、ほっと胸を撫で下ろす。
どうやら巧く事が運びそうだ。
「それよりも、早うこの忌々しい首輪を外してもらえぬか?」
カレンは自分ではどうにもならない魔封じの首輪に手を回して、カチャカチャと揺すぶる。
白山は「失礼」と断りを入れて、首輪の構造を調べ始める。
その様子にソフィーも寄って来て、首輪を眺めはじめた。
首輪の本体は硬い木製で、外周は金属によって補強されていた。
更に丹念に調べると、内側に何か金色の別種の金属が、一部嵌めこまれているのが見て取れた。
ヒンジと言うか接合部も重厚な造りで、これは外すのに骨が折れそうだった。
「これには、魔法的な外すと着用者に害をなすような仕掛けは、無いんだよな?」
白山はそう言いながら、サバイバルキットの中からワイヤーソーを取り出すと、タオルを首と首輪の間に挟んだ。
ワイヤーソーを首輪の内側に通すと、準備が完了する。
「奴らにそれほど御大層な術式など、組めぬよ」
そう言って嘲ったカレンが笑う。
その言葉を聞いた白山は、慎重にワイヤーソーのリングを指にかけた。
切る位置は接合部分のすぐ横、ヒンジが巧く作用する位置を狙って、慎重にワイヤーソーを動かしてゆく。
細かい木屑がカレンの膝の上にこぼれ落ちるが、それよりも戒めが解かれる事を喜んでか、本人は一向に気にした様子がない。
ワイヤーソーは、本来弓状の枝に張り直線的に使うのだが、今はそうも言っていられない。
変則的な使い方をするとすぐに折れてしまうので、白山は負荷が掛からないよう、慎重にワイヤーソーを動かした。
ようやく木材の場所を切り終わるとワイヤーソーを外し、今度はマルチプライヤーのヤスリで金属を切りにかかった。
ダイヤモンドコーティングされたヤスリは、難なく金属に食い込んでゆき、程なくして切断が終了する。
「それじゃ、外すぞ……」
タオルで木屑を払い落としてから、そう告げるとカレンはニッコリと微笑み僅かに頷いた。
僅かな軋みをたてながらヒンジが動き、首輪が開放される。
その途端、金色の奔流がカレンと白山を包み込んでいった…………
更新が遅くなりまして申し訳ありません。
ようやく執筆時間が取れました。
ご意見ご感想、お待ちしておりますm(_ _)m
 




