誘拐と治療と少女と涙 ※
白山達が王女の部屋に踏み込んだ時、既に部屋の中はもぬけの殻だった。
王女の誘拐という王国始まって以来の大事件に、城の中は騒然となった。
各方面に斥候が放たれ、足取りを追うと共に城代の兵を動員して、支城の警備が強化される。
ただし城代の兵には誘拐の件は伏せられており、昼の襲撃について用心のための警備強化であると伝えられた。
誘拐を公にしては、王家のイメージに対するダメージが大きすぎるとの判断から、この事実を知る人間は信頼の置ける極小数に限られた。
無論、姫の寝室に乗り込んだ騎士達や、昏倒させられていた警備の兵にも厳重な箝口令が言い渡されている。
夜更けに急に呼び出された城代の兵達は不満気だったが、もともと周辺警備に駆り出されており、急な動員にも対応できた。
そしてピリピリと殺気立った親衛騎士団の様子に当てられ、緊張の面持ちで配置に付いている。
昼間の襲撃に続き今夜の失態を受けて、ブレイズは自らの進退と謹慎を王に願い出たが、即座に却下された。
「沙汰は王都に着いてから」と王に窘められて、厳しい表情で王の側に付き警護を行っている。
そして、作戦を指揮する為の騎士控室で向き合う二人は、ピリピリとした緊張感を持って対峙していた。
「今すぐ捕縛すべきです!奴が現れてから一連の犯行が行われているのは明白です」
アレックスはそう言って詰め寄る。
それを黙って聞いていたブレイズは、腕組みをして押し黙ったまま一向に反論を行わずに、その話を聞いている。
「最初の襲撃にしろ今回の誘拐についても、最初に駆けつけたのはあいつです!
たとえ襲撃者の仲間ではなかったとしても、王家に災厄をもたらしているのは間違いありません!」
「ならば、あの鉄の杖や馬車についてはどう説明する?
それにホワイト殿は、王命によって鉄の勇者であると認定され、今は陛下の賓客としての待遇だ。
王命に逆らって、捕縛せよと言うのか?」
「ですが、王家の危機に諫言を呑み込み、危機を見過ごす事は、騎士としての矜持に関わります」
「ならばお前が直接ホワイト殿に接してみて、その目で人となりを見極めてみろ。
お前の疑念は判ったが、それは情況証拠にすぎん。確固たる証拠が得られなければ、それはお前個人の心象にすぎん」
そう言ってブレイズは、つい今しがた白山から申請された捕虜への尋問について、アレックスに伝えた。
「お前の疑念については、意見として心に留めておこう。ただし明確な証拠がなければ騎士として公正な対応を心がけよ。
ホワイト殿から申請があった捕虜の尋問には、お前が立ち会え」
納得がいかないと言った表情のアレックスは、言葉短く「了解しました」と伝え、踵を返す。
一度居室に戻り、装備を整えた白山は高機動車の横で打てる手を一通り打つと、事件の分析を行っていた。
侵入者は城の城壁が崩れた部分を伝い城内に侵入、庭内の兵士二名を昏倒させ、一名が高機動車に接近、もう一名が屋根から城内に侵入を図ろうとしたらしい。
それらが陽動だったのかは現時点では判然としないが、少なくとも五人以上の人間がこの襲撃に関わっていると白山は考えていた。
白山の思考は、捕らえれている侵入者に向けられた。
屋根の1名は死亡。高機動車に接近した人間は殆ど無傷で捕らえられ、現在は地下牢に拘束されているとの事だった。
王女を拐かした大罪人の一味、拷問の末に情報を吐かされて首を落とされるだろう。
事態が切迫しており、この国の法や罪人の扱いに口を挟める立場ではない白山は、その行為に異論を挟むつもりはなかった。
しかし拷問で入手した情報は信憑性に欠ける。苦痛から開放されようとでまかせを言い、その後に殺害されてしまえば、裏の取り様もない。
偽情報に踊らされて明後日の方向に注力しては、人質である王女の奪還は遠くなる。
統計や経験に裏付けられた尋問の手法、そして自らが受けてきた対尋問訓練が、警護の騎士達が誤った方向へ向きかけている事に、警鐘を鳴らしていた。
特殊部隊員として虐殺の現場や残忍なテロ行為を目にしている白山は、強行な手段での入手に抵抗がある訳ではない。
世の中はキレイ事だけで出来ていない事は、重々承知している。
それでも正確な情報が得られる機会は潰すべきではないと白山は考えた。
思考がまとまり、即座にその案を実行に移す。
具体的には侵入者の尋問に立ち会えるようにブレイズへと要請を出したのだ。
そして白山は、薄暗い城の地下に足を運んでいた……
地下牢は、母屋のはずれに設置されており木戸がひっそりと存在していた。
1階の階段付近に2名、地下牢に2名の兵士が見張りを行っているとの事だ。
ブレイズの副官とともに、螺旋階段を降りると地下特有の湿った冷たい空気と、長く使われていなかったのか、若干のかび臭さが鼻につく。
そして一番奥の牢に目的の囚人は捕らえられていた。
しかし、その状況に白山は珍しく怒気を覚えた。
爪先が触れるか触れないかで縛られたまま2人の兵士に暴行を受けていたのだ。
顔はまぶたのあたりが腫れ、唇は切れている。
汗なのか水をかけられたのか、濡れた髪は顔に張り付き充血した眼はうつろに泳いでいる。
捕らえられていた侵入者は女だった。
年の頃は17歳前後だろうか?
小柄な体格と、ショートボブのような短い髪が年齢より若い印象を与える。
しかし、幸いと言うか陵辱は行われていないようだ。
厳しい目つきで暴行を行っていた兵士を睨んだ白山は、低い声で尋ねる。
「これは、何をしているんだ?」
暴行によって興奮していたのか荒い呼吸と少し血走った眼をしている兵士を交互に見ながら、ゆっくりと牢の中に入ってゆく。
「はっ、素性や根城を聞き出すための尋問です」
まるで役得であるといった風に残虐性を解き放った兵は、よく見れば親衛騎士団の鎧とは違った意匠だった。
厳しい表情を崩さず、白山はその兵士の前まで歩み寄るとその眼を見据え問い質す。
「その尋問は、誰の命令で行っているんだ?」
冷徹な眼を兵士に向けたまま静かに聞いた白山に、兵士二人は怪訝そうな顔を浮かべ、交互に顔を見合わせる。
ここまでの道すがらなるだけ感情を表に出さずじっと白山を観察するような視線を向けていたアレックスが、それに合わせるように語を継ぐ。
「騎士団では、そのような命令も報告も受け取っていませんな」
その言葉を聞いた2名の兵士は次第に青ざめてゆく。
「俺は陛下からこの者の尋問を任されて、この場に赴いたのだが、お前達は誰の命令で尋問を行っているんだ?」
白山が前半を強調しつつ、言葉を繰り返したのを聞き、慌てたように牢を出てゆく兵士達。
足音が遠ざかるのを聞きながら白山はナイフを使い、天井から吊り下げられた縄を切り、崩れ落ちる少女を受け止める。
少女の傷の具合を確かめながら白山は、見張りの兵士に水を持ってきてくれと依頼する。
縄を解かれたせいか、やや安堵したような表情を浮かべている。
うっすらと意識を取り戻したのか、眉間にしわを寄せて薄目を開けて白山の顔に視線を向けた少女は、短く呟いた。
「なぜ…… 何故、助ける……」
消え入りそうな声でそう言った少女は、息をする度に苦しそうな表情を浮かべる。
肋骨にダメージがあるかもしれない。
後ろ手に拘束されたプラスティック手錠を開放し、粗末な寝台に少女を寝かせた白山は、受け取った水をゆっくり少女に飲ませる。
切った唇に沁みるのか眉をひそめるが、体が欲していたのだろう、一息に飲み干すと大きく息を吐く。
そのせいか、また痛みに呻いた。
少女が落ち着くのを待っていた白山は、ゆっくりと問いかけた。
「まずは自己紹介だ。俺はホワイト 君の名前を教えてくれるか?」
「……リオン」
言葉少なくそう答えた少女は、黙って天井を見つめていた……
白山は、椅子に腰掛けると改めてリオンと名乗った少女に問いかける。
「そうか。まずは謝ろう。手荒な真似をして申し訳なかったな」
沈痛な面持ちで頭を下げる白山を見たリオンは、どうして頭を下げるのか分からなかった。
暗殺者や影働きを行う者は、捕獲されたならば拷問の末に殺されるのが常であり、そうなる事はリオンも覚悟していた。
白山は、そんなリオンの戸惑いを知らず言葉を続ける。
「手や足の感覚はあるか? 指先は動くか? 特に痛むところはないか?」
矢継ぎ早に出される質問にどうすべきか迷いながらも、生き残る為と割り切り、リオンは素直に質問に答えてゆく。
「少し待っていてもらえるか?」
そう言って、牢を出た白山の行動に、一体何がしたいのかとリオンは訝しんだ。
だが、程なくして小脇に抱える程度の大きさの、鞄らしき物を抱えて戻ってきた白山を見て、落胆する。
『体の状態を聞いたのは、より酷い拷問に耐えられるか聞くためだったのか?』
そう解釈したリオンは、ぎゅっと目をつむり覚悟を決めていた。
事実、鞄から出てきた得体のしれない道具は、はさみのような器具や怪しげな小瓶。
明らかに拷問に用いられる物だと思われた。
しかし、いくら待っても苦痛はリオンの体に訪れなかった。
傷口に触れる感触はあっても、ひどく痛む様な扱いをされていない。
恐る恐る痛むまぶたを開くと、そこには傷口を丹念に治療する白山の姿が映る。
「何を、しているんだ……?」
そう尋ねたリオンに、白山は至極真っ当な表情で「治療だ」と答える。
じきに、四肢や顔に出来た傷に布を当てられ、唇の裂傷は縫い合わされた。
不思議な液体を唇に塗られると、じきに痺れて痛みを感じなくなり、そこを縫われた。
間近に白山の真剣な表情があり、顔を背けようとするが「動くな」と静かに言われてしまい、何故かリオンは抗えず、ぎゅっと目を閉じた。
手法や戸惑う事は多いが、やはりこれも治療だろうとリオンは考えてた。
何故、こんな事をするのかと皆目見当はつかないが、利用価値があるうちは生かされるのだろうと、諦めにも似た感情がリオンの心を支配していた。
治療が終わると、白山は一息ついて牢に備え付けの粗末な毛布をリオンにかけてやる。
とりあえず見える範囲での治療は終わった。
「本来なら気持ちと体調が落ち着くまで、尋問は行いたくないんだが、状況が状況だからな」
ノートとペンを携え優しげな印象を浮かべる白山は、先程の肉体的な苦痛よりは抗いやすいだろうとリオンは見当をつける。
格好は不可思議だが治療を行ったと言う事は、目の前のホワイトと名乗った男は暴力をおこなうつもりはない。
それならば何も答えず、沈黙を守り続ければいい。
藁敷の寝台に寝かされたまま、リオンはじっと天井を見据えて心を固く閉ざす。
「リオン、今の状況が判るかい?」
単刀直入に仲間の居場所を聞かれると思っていたリオンは、その質問の意味を測りかねていた。
「今日の昼に王の馬車が襲撃され、今夜はこの騒ぎだ。その手並みは中々と言えるな」
リオンは『なぜ?』と言う思考が頭の中を駆け巡ったが、それを顔に出さずただ天井だけを見つめる。
白山は知る由もないが、この世界での尋問といえば拷問や暴行は当たり前で、こんな穏やかな雰囲気の取り調べなど聞いた事も体験した事もなかった。
「人間を一人さらうのは、それなりに労力がいる。それを考えれば最低でも四人、目立たぬことを考えれば、多くて十人未満といった所かな?」
白山の問いかけには言葉にトゲもなければ口調も優しげで、これならば情報を漏らす心配は少ないかと、リオンは少し油断する。
それが間違いの元だった。
「人数は、四人?五人?六人?……」
白山はリオンの手首を軽く指でつまみながら、ゆっくりと人数を訪ねてゆく。
本当の人数は自分も含めて六人なのだが、それを表情に出さないように表情を消す。
しかし、六人で数えるのを止めた白山は、リオンが見たこともない筆記具で、上質な紙を束ねたものに書き込んでゆく。
その文字も当然リオンには理解できるはずもなく、大陸共通語のアルファベットとは、似ても似つかない複雑な文字が書き込まれていた。
『心が読まれてる……』
自分に向けられている優しげな視線の裏側で、心が丸裸にされたような得体の知れない恐怖と不安がリオンに広がる。
白山としては特段難しい読心術など使用している訳ではない。あくまで心理学と尋問術の簡単な手法を用いただけだった。
それでも尋問が効果的に推移していると判断して、白山は次の手を考えていた。
「どうして、リオンはこの城に入ったのかな?」
白山は本筋からあまり外れない範囲で、会話の糸口を探るべく基本的な所を尋ねる。
「…………」
どうせ、心が読まれるなら口を開いても無駄だと思い、リオンは口を閉ざした。
その沈黙に構わず、白山は語を続けた。
「何か理由があったのか? もし、理由があっての事なら出来る限り、力になるぞ?」
リオンは心のなかで鼻を鳴らし、白山の言葉を嘲った。
貴族や王族などに自分達の境遇や生き方など判るはずがない。それに、王家への反逆は間違いなく死罪なのだ。
それを、この男が知らない筈はない。
「私は、親衛騎士団 副長のアレックスだ。 今はどんな情報でも欲しいのだ。ホワイト殿の言葉は私が保証しよう」
これまで壁際で腕を組み、口を閉ざしていたアレックスが白山とリオンのやりとりに静かに口を開く。
地下牢へ来るまでの間、白山が尋問には口を挟まずに見ていて欲しいと言われ、黙っていたが、この程度の助け舟は良いだろうと判断していた。
どうせこの女の死罪は確定している。それならば、甘言で口を開かせる事が出来るなら安いものだと、安易にアレックスは同調する。
リオンにしてみれば心を読まれている以上、この会話からも何を聞き出されるのかと迂闊な事は口にできない。
「言われたから……」
言葉短く、そう言った。
孤児として街を彷徨っている時に黒陽炎という盗賊兼間諜の男に拾われ、ここまで生きてきたのは間違いない。
あの男が生きている限り、自分はこの道から抜け出る事など出来はしないのだ。
どうせ死ぬならば、幼い頃から苦痛を与え続けられたあの男に意趣返しが出来ればと、少しだけ胸が軽くなった。
「それは、誰に言われたんだ?」
糸口が見えたと感じた白山は、努めて優しくリオンに尋ねる。
「……黒陽炎」
ポツリと口を開いたリオンの言葉を聞き、白山はアレックスに視線を向ける。
それを受けたアレックスが黙って首を振る。それは折角見い出せたと思った糸口が途切れた事を意味していた。
「あの男は死んだよ」
少し間を置いて白山はそう言った。
一緒に潜入した者の死がリオンの感情にどう影響を及ぼすかは未知数だったが、白山は正直に打ち明けた。
「本当に?」
しかし、感情の揺れはリオンには見られず、真偽を確かめるように白山の目を覗き込んでくる。
「ああ、本当だ。俺が殺した」
特殊部隊員は人殺しを楽しむような快楽殺人者ではない。
それでも必要があれば躊躇う事はないし、必要だったと割り切ることも出来る。
それでも人の命を断ったという重荷は、一生つきまとう。
もしここでリオンに仇だと言われても、それは引き金を引いた自分の責任なのだ。
「そう……」
だが、リオンは短く答えると白山から目を外して天井を見上げた。
そしてその瞳から静かに、そして枯れ果てたと思っていた涙が溢れ出てくる。
その奔流はこれまで押し殺していた感情を揺り動かし、嗚咽となって押し寄せた。
白山にはその涙の意味が判らなかったが、それでも掴んでいたリオンの手首を離し、白い年相応の手を握る。
刻としては、それほど長くはない時間でリオンの嗚咽は収まった。
そしてポツポツと語られ始めた内容は、大きな情報を白山にもたらしてくれたのだった…………
次話については、下記上がり次第投稿致します。