作戦発動~前編
DAY10 1021 レイカット近郊 信仰騎士団宿営地
隊長は苛立っていた。たった一人の亜人の魔女を捕えるために、率いていた騎士団の半数に近い人員が死傷させられたのだ。
使者こそ少なかったものの、このまま宿営地でズルズルと時間を喰っては堪らない。
そう考えた隊長は、ひとまず負傷者をレイカットの教会へ預けて、隊を再編成した。
ここから先、皇都フェリシタスまでは四日の道のりになる。
そこを負傷者を率いて進んでは、余計に時間が掛かる。なにより魔女の奪還に亜人共の襲来を受けては、ひとたまりもない。
一人でもあの威力の魔法を放つ者達が集団で襲い掛かってくるのは、悪夢以外の何物でもないだろう。
そこで苦肉の策として負傷者を切り離し、ある程度傷が癒えてから動かす事とする。
無事な本隊は迅速に準備を整えて皇都を目指す。そういった方針に落ち着き、それに向けて準備が進められた。
それでも多くの物資や人足が負傷したり逃げ出しており、準備が完了するまで二日を要した。
今朝はようやく出発準備を整え、これからシリアットに向けて行軍を開始するのだ。
目的地は中間地点の野営地で、無論警戒を怠ることは出来ない。
いつ森の亜人達が襲撃を行ってくるとも限らないからだ……
戦時にも近い警戒態勢で、輜重隊を後方に下げ罪人と亜人の魔女を乗せた檻馬車を中央に挟み、その周囲を幾重にも兵が囲っている。
前方への斥候と同時に、周囲にも騎兵を配して敵襲に際しては万全の体制を敷くのだ。
万一事あらば、兵を使って襲撃を足止めし、その間に魔女だけを先に進めよと、皇都の首脳部より影を通じて直々に指示が出ている。
その意味を正しく理解した隊長は、この任に成功すれば、それなりの地位と昇進が約束されたと考え奮起する。
それ故に、失敗は許されないと採れるべき手はすべて打ち、厳重な警戒態勢を敷いていた。
『ホワイト1よりPt-HQ、目標αは巣を飛び立った……』
『HQ、了…… 観測を終了しB-1へ撤収せよ』
『ホワイト1、了……』
同時刻 地点 5620 4095
厳重な警戒態勢を敷いている信仰騎士団の出発を、白山の分隊から残置された観測要員が報告する。
その連絡はリアルタイムで、本隊である戦闘小隊に伝えられ、彼等は既に準備を整えていた。
各地に偵察に出ていた偵察分隊はB-1に集結し、そこで増強火器の受領と休息を取っていた。
安全な潜在拠点まで戻ってきた彼等は、一晩ゆっくりと休んで体を労り、それから集合点で全員が合流を果たしている。
偵察分隊は合流し戦闘小隊として再編、現在その主力は、先立って白山が下見をした野営地の近辺で潜伏、配置に着いていた。
既に襲撃に関しての準備と事前配置は終わっており、後は目標の到着を待つだけだった。
待ち時間は往々にして規律が緩みやすい。しかし、攻撃小隊の士気は高かった。
これは偵察分隊が持ち込んだ各種の偵察結果や、白山達が目にした皇国軍の非道が隊員達を奮起させていた。
白山達は部隊の教育訓練を決定する際に、部隊の方向性を検討する必要があった。
部隊のドクトリンや、どんな目的を有する部隊なのかという事だ。
今となっては懐かしい思い出だが、この会議は国内の文官も巻き込み大いに紛糾した。
曲がりなりにも王政を敷いている国の軍隊にあって、そもそも民主主義を掲げることも出来ない。
部内での検討と文言を文官達とすり合わせ、やっと決定されたのだ。
王政を冠する体制と国土、そしてそこに暮らす領民を守る事を主たる任務とし、圧政や抑圧に苦しむ人々を開放する。
これが白山達の部隊の基本方針として、紆余曲折を経て、策定されていた。
こうした基本方針に従い、隊員達は精神教育を受けそれが叩きこまれている。
その教義に合致する『圧政や抑圧』まさに今の事態こそが、それに当てはまるのだ。
訓練の成果か感情に流され怒るような隊員こそ存在しなかったが、それでも彼らの胸中には熱い何かが灯っていた。
自国の領域を度々脅かし、あまつさえ領民を抑圧する皇国の姿は、彼らの目にどう映ったかは、言わずと知れた事だった……
それ故に怒りを飲み込み、その心情を旺盛な士気に変え皆が任務に臨んでいる。
或いは隊員達にも危機感があったのだろう。
一般の市民や農民上りが多い隊員達は、自分や家族に置き換え、皇国民の姿に見知った誰かを重ねていたのかもしれない。
小隊の活動拠点として定めた森の中へ二百メートル程奥に入った場所で、出番を待ちながら隊員達は静かにその牙を研いでいた……
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カレンは水と僅かばかりの粥を、日に一度与えられ後は捨て置かれた。
もっと激しい暴行や打擲があるかと覚悟していたが、そんな仕打ちもなく、逆に孤独が彼女を苛んでいた。
この二日の間に戒めは緩められ、荒縄ではなく金属製の手足の枷がはめられた。
じゃらじゃらと鳴る重い鎖は、否が応でも自分が囚われの身になった事を実感させられる。
忌々しい首輪のせいでピクリとも魔法は反応せず、首に手を伸ばしても金属で補強された首輪は頑強でどうにもならない。
何とか抜け出す算段をと考えるが、日に何度か牢から出された商人達の誰かが、近くで暴行されるのだ。
頑丈な木柵と天幕で覆われ、視界が効かない中身知った者の悲鳴だけを聞かされ、それがカレンの気力を萎えさせた。
今自分が逃げたならばあの者達は確実に殺される。そう思わせる事で、カレンの意思を挫く皇国軍の狡猾な手口だった。
二日ほど経って、突然に入ってきた兵達が、牢の隅で蹲っていたカレンを無理やり立たせ、引っ張ってゆく。
もはや歩く気力もなくなっていたカレンは引きずられるように運ばれて、奴隷の運搬に使われる檻馬車へ、まるで物の様に載せられた。
その際も檻馬車には布が掛けられて、周囲の様子が判らないように細工がされている。
これはどちらかと言えば皇国軍が、襲撃を警戒して馬車に誰が乗っているかを、判らせないようにする措置なのだが、カレンの弱った心に追い打ちを掛けていた。
これからどうなるのかという不安、商人達を守れなかった自責の念、里に残してきた同胞の安否……
グルグルと駆けまわる不安は、答えの出ない迷宮となりカレンは檻馬車の片隅に蹲った。
気丈なエルフの魔法使いとしての気概など、既に叩き折られている。
カレンは、自身の神である精霊へ祈った。
『どうか、この苦難からお救い下さい……』
神や精霊がそれを聞き届けたのかは判らない。
しかし、カレンが祈った次の瞬間に、馬が嘶きゆっくりと馬車が進み出して行った。
ガタゴトと揺れる馬車に乗り込み、どれくらい時が経っただろう。
不意に馬車が進行方向を変え、床から伝わる音と振動が明らかに変わった。
土を固めた道路から、どこか横道に入り道を逸れているようだった。
馬にもそれが負担になっているのか、荒い鼻息と御者が馬を囃す掛け声が聞こえてくる。
やがて馬が止まり、ガチャガチャと馬車と馬を切り離しているのが音で判った。
どうやら今日の宿営地に着き、ここで野営をするのだろう……
どうでもいい……
カレンはそう思い、またうずくまると捕らえられた時に負った唇の裂傷も気にせず、下唇を噛み締めた。
布の隙間から差し入れられた水と粥にも手を付けず、馬車の隅で蹲っていたカレンは、ふと周囲を見渡した。
どのくらい時間が経ったのだろう。すっかりと周囲は暗くなり夜の帳が降りている。
饐えた異臭のする馬車の匂いに混じり、夜の澄んだ空気が僅かに感じられた。
漆黒の闇の中で、布越しに篝火の揺らめく灯りが見えた。
喉の渇きを覚えたカレンは、のそのそと起き上がり鎖を鳴らして数歩歩くと、椀に入れられた水を一口飲んだ。
その音に反応したのか、外に立っている警備の兵と思しき気配が動くのが感じられ、カレンは何度目かわからないため息を吐いていた。
どうやらこの兵隊達は、絶対に自分を逃すつもりがないらしい。それに、これだけの兵員と厳重な警備では、里の手練でも自分を助け出すのは難しいだろう。
「もう、どうでもいい……」
そうカレンはつぶやくと、再び馬車の済に戻っていった。
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小隊の主力を預かる山城一曹は、頭の中でチェックリストを反芻しながら、敵部隊の到着をじっと待ち構えていた。
今配置に就いているのは、四箇所に設置されたOPと、選抜された潜入部隊だ。
今回の作戦は、非常にシンプルだった。
四方を固めている観測要員はobj<目標>到着までの監視と周辺警戒を担い、その後は部隊の側面と後方の守りになる。
敵の正面に配置してある観測所は、そのまま小隊主力を誘導し、配置を支援するのだ。
主力が配置につき次第、夜間に潜入部隊が目標へと侵入、人質を救出する。
それが露見した場合は、主力が攻撃を開始し火力支援、合流次第、森を抜けマザーレイクへと向かい離脱するのだ。
勿論部隊の火力だけではなく、昨夜のうちにそれ相応の歓待の仕掛けが既に施されている。
『地・時・域・義・勢』と呼ばれる作戦の要素のうち、全てが揃う事は稀だが今回は自分たちに有利な状況へと、目標を誘引できる。
場所、つまり地の要素は相手国内であり敵にも分があるが、こちらも昨夜からこの場所をつぶさに観測して、地形を知り備えてきた。
つまりは五分といえるだろう。
次に時の理はこちらが任意のタイミングで仕掛けられる分、自分達に有利に働く。
域の要素は、孤立した野営地で相手にも応援を呼びに行く時間的な余裕は少なく、仮に呼んだとしてもそれまでには決着がつく。
よってある程度は自分達に分があった。
後は『義と勢』の要素になるが、勢の要素については奇襲を仕掛ける此方側に理があり、義については言うまでもない。
旺盛な団結力と士気を見せる今の隊員達は、必ず流れを引き寄せるだろう。
『目標、接近を視認……距離、約二キロ』
不意に飛び込んできた無線の音声に、意識を切り替えた山城一曹は、部下に前方に出ることを伝え、素早く森の中を進んで行った。
主力が展開している西側の森とは、街道を挟んで反対側に位置する森の中、つまり深淵の森から続く原生林の中に身を潜めている四人にも、目標視認の無線は届いていた。
ここに展開しているのは、白山とリオンそして上林・田中の両二曹だった。
本来は白山とリオンだけで、こちら側に潜入を考えていたのだが、出発した敵部隊の残存兵力と警備の現状、それに助け出す人質の数を考慮し、人数を増やす事になった。
そうした場合、敵地内への潜入をこなせるだけの技量を考えると、上林・田中の空挺レンジャー両名に白羽の矢が立ったのだ。
暗い森の中で目標の到着を待っていた白山達は、その言葉で一様に頷き合い、状況確認を図る。
程なくして、がやがやとした騒がしい音が響き始め、緊張は一気に高まってゆく。
『pt長よりsf、これよりレイブンを飛ばす……』
『カチカチ……』
より目標である敵部隊に近い白山達は、声で無線に反応は出来ずPTTスイッチの空電雑音を使い、了解の意を示す。
その頃、観測要員として周辺監視に当たっているチームが、小型無人偵察機であるレイブンを組み立てて、機能チェックを行っていた。
そしてプロペラを作動させ空に押し出されたレイブンは、一旦目標から遠ざかると徐々に高度を上げ、それから旋回軌道へと移って目標上空へ戻ってゆく。
『レイブンの画像を受信、sfチーム 画像受信確認……』
その言葉で、小型のタブレットを胸元に持ってきた白山は、敵の方向に背を向けるとその画像を注視した。
ゆっくりとした速度で旋回するレイブンは、あらゆる角度から野営地を写し出し情況をリアルタイムで報告してくれる。
何枚か静止画としてタブレットに保存した白山は、その画像も含めて四人にタブレットを渡し、情報を共有していった……
まもなく日が落ちる。
日没が作戦開始の第一の合図となる。
こうして救出作戦の初手は、的に気取られることなく静かに発動されていった…………
少し短いですが、区切りが良いので投下します。
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