事前訓練と要望と
翌日、白山は朝一番でバルザムからの有線での連絡を受け、昨日の作戦計画が正式に承認された旨を伝えられた。
それを受けて対皇国 長距離越境偵察作戦が動き始めた。
いつもより長い朝のミーティングは、発動される作戦会議へと変化し白熱した議論となる。
各員が分析した地形情報や主要な偵察目標についての確認と作戦名が改めて議題になった。
結局のところ、「オペレーション ピーピング・クロス」として正式に作戦決行が発動が裁定された。
これより選抜された作戦要員は、集中訓練に移り準備を進めることになる。
担当者と作戦要員は、これから大忙しになるだろう。
これに食いついてきたのは、空挺団出身の上林二曹だった。
普段は物静かな彼が、自分をこの作戦に加えてほしいと志願してきたのだ。
白山にしてみれば空挺レンジャーである上林の参加は、願ったり叶ったりであり、彼の教育する要員は今回の選抜隊員の中から選ばれる。
それならば彼らと一緒に作戦をこなして、自分の目で見極めてもいいだろう。
白山は彼の作戦への参加を承認し、訓練に参加するように言い渡した。
それでオペレーション ピーピング・クロス 略称 Op-PC<オプ・ピーシー> に関する打ち合わせは一区切りして、昨日言い渡された難題について切り出す。
「昨日、軍務卿と打ち合わせた際に、また難題を押し付けられた。
南部のオースランド王国から我々に対して、内々に招聘と技術移転を打診されているそうだ。
同盟関係もあり、断りづらい雰囲気らしい。どの辺までのラインが妥当か、意見を聞かせてくれ」
そう言うと、昨日バルザムから聞かされたオースランドとの同盟についての内容を説明する。
昔話の勇者伝説にある強い王の伝承通り、皇国も侵攻に二の足を踏む軍事力がある事や、同盟の概要を聞かせた白山は、皆の顔を見回し意見を募る。
「銃の提供は論外ね。同盟の実効性や将来を勘案しても、未知数過ぎるわね」
そう言ったのはドリーだった。
彼女は、今現在の王国内での交換訓練生プログラムを実質的に担っており、その言葉は重かった。
「力の誇示であれば、我々の存在と火力は間違いなく抑止力として機能する。
それを同盟において天秤を釣り合わせる分銅に使うなら、それはそれでいいだろう。
ただし、向こうが対等以上に天秤を傾ける行為に動いた場合、それを抑止する手段が必要だな」
そう言ったのは木崎だった。
少々迂遠な言い回しだった所為か、発言を汲み取ってドリーが補足を入れる。
「つまり、同盟バランスの調整で我々の力を誇示するのは問題なくて、それ以上の要求は突っぱねると……
それなら一定数の交換訓練生の受け入れを、交渉カードにすべきね。
何かあった場合、我々が中心になってオースランドへ支援に赴く事を同盟に組み込む。
それ以外、特に武器供給を要求されたら、交換訓練をカードとして妥協点に持ち出す」
「概ねそんな所だろう……
この件については、私の方からサラトナ殿に、こちらの意見として伝えておこう。
オースランドへの派遣に関しての人選は、隊長の判断といったところかな?」
まだ、部隊の人事について掌握していない木崎は、人選を白山に丸投げし、自分がこの件について王宮と調整すると言う。
いつの間にかサラトナと知古のように親密になっており、何やら二人で悪巧みをしているらしい。
今日もこれから木崎は執政院に出向き、何やら打ち合わせを行うという。
まあ、この調子であればパイプ役としての役割については、何の問題もないだろう。
そう判断して、白山は恩師のコントロールについては、半ば諦めていた。
「では、この件の報告に関しては教官にお任せします。
ただし、何かアクションを起こす時は、必ず一報をお願いしますね」
そう言って、釘を差した白山に木崎はおどけた様子で肩を竦め、それから真剣な様子で頷いた。
木崎にとってもこの部隊は運命共同体なのだ。その遅速は別にして、部隊との支援や連携の重要性は判っているだろう。
何かあれば連絡と情報の共有は生命線になる。その辺がわからない木崎ではない。
今後は、何かしらの情報に関する機密区分や共有の仕組みも考えねばならない。
そんな風に白山は考えつつ、ずいぶんと時間のかかった朝のミーティングが終了していった。
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その日から選抜隊員の訓練は、本格的に開始された。
同時にマザーレイクの沿岸にあるトニ村には、テントが立てられ部隊の一部がそこを拠点に訓練を開始する。
山城一曹とリック軍曹の二名が選抜隊員に対して、ゾディアックボートを使用した操船訓練をみっちりと叩き込んでいた。
海兵遠征部隊と水陸機動団出身である両名にとって、水辺での作戦はまさに水を得た魚のように手慣れたものだ。
その内容は湖岸での基礎的な水泳の訓練に始まり、フィンスイムによる隠密潜入と、ボートの誘導や操船・転覆時のリカバリーまで、みっちりと行われている。
隊員達は基礎訓練過程で、王都の西岸にあるバレロ近辺の砂浜において、ボート操船訓練と遠泳について訓練を受けている。
その為、塩分のないマザーレイクでの浮力に戸惑っていたが、次第にコツを掴んで水陸両用作戦の基礎を習得してゆく。
村人達は、村への部隊の貢献から隊員達を歓迎してくれており、食事の炊き出しや荷物運びに進んで協力してくれていた。
これには日頃から部隊が民生協力として行っている、用水路の補修や医療巡回、そして近隣の集落からの基地の労働力雇用が大きく寄与していた。
それと同時に田中二曹と上林二曹が中心となり、長距離機動や観測所の設置に関して、重点的な訓練が実施される。
いまだに隊員達には、機密保持の観点から作戦の詳細については知らされていなかった。
だが、普段の訓練から切り離され繰り返される濃密な訓練に、選抜された隊員達も何かを感じており、真剣に訓練をこなしていた。
普段から十分な長距離踏破能力を備えている隊員達は、重資材の運搬や厳しい環境での訓練にも、音を上げず黙々とこなしている。
白山達が立案した作戦は、王国と皇国の北部に位置するマザーレイクを利用して、ボートでの潜入を図るものだった。
当初の計画では国境周辺での偵察活動を想定していたが、偵察すべき戦略目標に乏しく、次第に偵察対象が深部に移っていった。
様々な情況を勘案した結果、皇国の主要都市について現状を確かめる事が肝要だと判断され、ルストレームとシリアットがその対象に選定される。
ルストレームは西部最大の都市であり交通の起点、シリアットは皇国と王国をつなぐ主要街道の要衝という点から、偵察目標とされた。
車両を用いた潜入は地理的に難しい事と、徒歩での潜入は距離がありすぎる事から、ゾディアックを用いた水路潜入が決定され、必要な物品がリストアップされてゆく。
それ故、操船技能と各目標までの各種地形の踏破、そして観測所の設置から偵察活動に関して、繰り返し訓練が行われていた。
訓練の初期には個別の訓練として行われていた技能が、徐々に連続した動作として訓練されてゆく。
当然のごとく徐々に難易度は上がって行き、ボート潜入からの長距離徒歩機動や、数日間に渡る観測所の設置などをこなしていった。
訓練に緊張感を持たせるため、アトレアに協力を仰ぎ、王都近郊で訓練を行っていた第一軍団の追跡や偵察を実施させる。
そして後半には実際の近距離偵察の手法を実施させる為、王都やニルダの街に隊員達を潜入させ、道路の情況や駐屯地の内部情報を探らせたりもした。
この訓練の所為で、王都では幽霊騒ぎが巻き起こったのは、ご愛嬌であった。
第一軍団の連隊長などは、平時の訓練とは言え自分が寝ていた幕舎に、『警備を厳とするように』と書かれた紙を貼られ、大層お冠だったそうだ。
着々と訓練が繰り返されて行き、練度と隊員達の作戦環境への順応が高められてゆく。
こうした訓練の進行具合から、作戦の決行は一ヶ月後と定められ訓練は、どんどんと加速していった……
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二週間が経過して、白山はそんな訓練の進捗具合を聞きながら、自身は新たな召喚や書類仕事に忙殺されていた。
部隊の規模が大きくなるにつれ、白山の責任もそれに比例して大きくなってゆく。
現場指揮官としては、自分達で立案した作戦に赴けないというのは、何か寂しい所ではあったが、今の所は諦めるしか無い。
新規で採用された隊員達への訓練や、木崎が新たに立ち上げる情報組織に関する支援など、仕事は山のように存在するのだ。
優先順位の高い書類や作戦に必要な追加資材を臨時召喚するなどして、あっという間に日々は過ぎ去ってゆく。
それでも週に二百発程の射撃訓練とランニングや格闘の訓練などはかかさずに行い、練度維持に努めている。
木崎はと言えば、週の半分は宰相より充てがわれた王城の執務室い詰め、もう半分は諜報組織の設立準備で方々に飛び回っていた。
どうも王都の商業街に、拠点を作りそこを中心として、今後の諜報網をつくり上げるらしい。
最終作戦許可に関する書類を王城に届けるため、顔を出した木崎の執務室で白山は、一枚の書類を差し出され困惑していた。
そこには膨大な物品の召喚リストと、三名の人員召喚まで記されており、それを作成した本人に、恨みがましい視線を投げかける。
ただでさえ偵察作戦の遂行で、臨時召喚が嵩んでおりこれ以上の召喚は、今後の作戦や通常の部隊運用にも支障をきたす恐れがある。
「召喚の希望については承りましたが、些か量が多過ぎませんか? これ……」
「いや、必要不可欠な物品に絞り込んで、この量だったんでな。
まあ初期投資と思って、よろしく頼む」
いつの間に見つけてきたのか、目麗しい妙齢の女性が秘書として木崎の執務室で働いており、優美な仕草で白山の前にお茶が差し出される。
木崎の活動資金については王国の裏資金から拠出されているらしく、部隊からの金銭的な支出が無いのが救いといえば救いなのだが……
ざっと見ただけで、小型のウェアラブルカメラやら望遠レンズ付きのデジタルカメラ、大型のアンテナキットに秘匿情報通信機器、大小の盗聴器にデジタル受信機。
現代で予算請求したならば、かなりの金額になるがその点については、召喚であるから金額の多寡は問題にならない。
「問題は人員召喚ですね。三名は多過ぎませんか?」
「いや、現場担当のケースオフィサーが二名と、分析官が一名、規模としては適正だ」
そう言われると返す返事もないが、略歴が書かれたその紙を見て白山は僅かに顔を曇らせる。
「分析官は問題無いとして、このケースオフィサーの項にある、ラングレーの二人は信用出来るんですか?」
そう言われた木崎は、笑ってその疑念を払拭する。
「いや、問題ない。そいつらは駐在武官時代に、俺が合気道を教えていた奴だ。人物は保証する」
相変わらずの人的ネットワークと人脈の広さだが、海外の人間と交流を持つのに日本の武道が一定の助けになる事は、白山も身を持って知っていた。
恩師にここまで言い張られては、白山としては認めざるをえない。それに情報の入手は喫緊の課題ではあるのだ。
「判りました。最優先とは行きませんが、召喚の順番を繰り上げるように指示しておきます」
木崎に論戦で勝つとしたら、余程の準備と根拠がなければ難しい。
早々に白旗を掲げた教え子に、歯ごたえのなさを感じ、少々不満気な木崎はリストを白山に押しやって、湯気の立つ茶を口元に運んだ。
「それで、組織の概要や運用についてはどのように?」
受け取ったリストを図嚢にしまい込み、話題を変えるため白山はそう切り出した。
諜報機関の立ち上げは、木崎に任せきりになっているが、部隊の責任者としては内情について適宜把握しておく義務がある。
ふむ……と、茶の香りを確かめるように頷いた木崎は、引き出しから一枚の紙を取り出した。
そこには手書きで組織図が描かれており、そこには木崎の字で殴り書きのように訂正や注釈が書き込まれている。
基本的な組織構造は、本部の下に分析班と対外情報部が置かれており、対外情報部の下にそれぞれ四つの班が置かれていた。
それぞれが担当の地域を割り振られており、それらの情報が分析部に上げられる形になっている。
それを見た白山は、流石に卒がないと言うかバランスのとれた組織図で、特に問題なさそうに見える。
「この図には描かれていないが、対外情報部の横に教育班を作り、要員を教育する。
それと現場の監督役のケースオフィサーを入れれば、二人でも少ないぐらいだ」
図面を指先でトントンと叩き、人数的に必要であることを訴える木崎の目には真剣さが浮かんでいる。
部隊創設の頃、人手不足に喘いだ経験がある白山としては、同意せざるを得ない。
何故か木崎のペースに乗せられたような気がしないでもないが、予定になかった重要なリストを携えて、白山は基地へと戻っていった……
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