狐と狸と南の王国
夏の日差しを浴びながら快調に進む車両は、白山の気分とは関係なく順調に王城へと辿り着く。
昨日の見学とは違い、今日は実務での訪問であり、まっすぐに執政院に向かった白山と木崎は、いくつかのチェックポイントを抜けて、この国の中枢に足を踏み入れた。
白山が宰相執務室に足を運ぶと、そこには予定を変更して軍務卿であるバルザムも同席しており、どうやら昨夜の出来事は既に当人の耳に入っているようだ。
さて、どう弁解すべきかと頭の中で考えていた白山を制して先に木崎が口を開いた。
「宰相閣下、お初にお目にかかります。 先日ここに居る不肖の弟子、ホワイトより喚び出されました木崎と申します」
そう言って右手を差し出した木崎は、にこやかに微笑んでいた。
それとは対照的に口を真一文字に結び、値踏みするように木崎に視線を向けていたサラトナが、やや億劫そうにその手を握り返す。
「今後、頻繁に顔合わせをする事となろうと思いますので、宜しくお願い致します。
それから、こちらにいらっしゃるもう一人の紳士についても、ご紹介頂けますかな?」
木崎はガッチリとサラトナと握手を交わしながらも、隣に座るバルザムに視線を向け、宰相の言葉を誘導する。
開口一番、嫌味の一つもぶつけようと待ち構えていたサラトナは、機先を制し語り始めた木崎のペースに乗せられてしまう。
「こちらは、軍務卿であるバルザム殿だ……」
嫌味のぶつけどころを失ったサラトナは、言葉短くぶっきらぼうにそう告げる。
白山が危惧した通り、やはり両者の相性はあまり芳しくない様子だ。
「おお、こちらが先の皇国との戦役において、ご活躍されたというバルザム閣下でしたか。
昨夜は配下の方に助け船を出して頂き、感謝しております」
初対面の男から、過去の経歴について切り出されたバルザムも、少し驚いた様子で言葉を発する事なく、ただ頷いて木崎と握手を交わしてしまう。
「さて、昨夜の話が出ましたので事後報告にはなりますが、簡単に昨夜の件についてご説明させて頂きましょうか」
そう言った木崎にサラトナが手を挙げてそれを制すると、これ以上ペースを乱されては堪らないと言った風で口を開いた。
「その件は既にバルザム卿より聞き及んでいる。
しかし、そのような大事な件について、我らの感知せぬ所で暗躍するとは、如何なホワイト公の配下とは言え、看過できんな」
これまで幾多の貴族や商人を震え上がらせてきた、サラトナの凄味の聞いた声にも木崎は表情一つ変えない。
それどころか、ますます表情をゆるめて、にこやかに語り始めた。
「おや?この件については王家や国として、何か正式に布告でも出されるおつもりですかな?
ああした密約が外に漏れれば、諜報網が存在していると喧伝するも同じ、秘めるべき事柄は秘めておかなければ」
怒気を強めるサラトナに対して、一向に表情を変えない木崎を眺め、これまで築いてきた王家との信頼関係が崩壊するのではと、白山は気が気ではなかった。
しかし、そうしたやりとりはいつしか収まり、会話を重ねてゆくごとにサラトナが身を乗り出し、議論の内容が深い論点に移ってゆく。
「成程、王家は関与せずを貫けば、存在を秘匿しつつ複数の利点を一挙に吸い上げる訳だな……」
その情報に触れられる人間は、王国三役と各軍団長だけに限定して運用か……」
サラトナの顔つきが次第に真剣になって、運用についても議論が及び始めた。
「情報はただ上がってきただけでは役には立ちません。それらを的確に分析して裏付けを取らねばならず、それが出来るのは我々だけでしょう」
話が進むにつれ、サラトナは文官達を追い出し、バルザムまでも蚊帳の外に追いやり、密談の様相を呈してきた。
どうやらこの狐と狸は、化かし合いではなく共闘に向け、結束を図り始めていた……
顔を寄せ合い議論を深める二人は、どんどん悪い大人の顔になっており、気の弱い者が見たら、夢に出てうなされるかもしれない。
手持ち無沙汰になってしまった白山は、同じく会話から置いて行かれたバルザムに視線を向けると、自分の本来の要件を切り出した。
「バルザム殿、作戦許可を頂きたい案件がありまして……」
そう言うと書類を取り出し、バルザムに手渡す。
そこには皇国への長距離越境偵察作戦に関する、具体的なプランが書かれており、横の密談を尻目に真剣な表情でバルザムは目を通し始めた。
「ふむ、儂としても皇国の現状が知り得るのであれば、異論はない。
王の裁可は不可欠であろうが、おそらく問題なく許可されるであろう」
そう言ったバルザムは白山に書類を返し、未だに続く横の密談をチラリと見やると口を開く。
「して、木崎殿はこれから部隊で要職に就かれると聞いているが、その点については?」
「私の拝命している王家軍相談役を引き継いでもらい、城と部隊との連絡役をお願いしようと思っております」
そう言うと驚いた様子のバルザムは、少し考え込んでいた。
白山が本格的に部隊の設立と運用に注力しており、名目上の役職になっていた、相談役の地位を木崎に引き継ぐ。
バルザムはその案について問題や、貴族達の横槍が入らないかを、思案していた。
せっかくまとまり始めた貴族達の王家への忠誠は、まだ微妙な均衡や様子見といった状況にあり、些細なバランスの崩れから一気に悪化しかねないのだ。
その事を貴族派を取りまとめるバルザムはよく理解しており、注意深くその案について思考を巡らせていた。
軍の指揮や運用に長けた人材については、現状貴族達には多くない。それらの人間については軍で適当な名誉職に放り込めば問題がないだろう。
何より白山達の部隊の動きや作戦は独特であり、それを的確に説明できる人間は、交換訓練生が育つまでは事実上空位になってしまう。
そこまで判断したバルザムは思案を切り上げ、委譲について協力の確約をしてくれた。
これでひとまず安心出来る。
そう思い少し安堵した白山は、隣で繰り広げられている密談の様子を横目で伺った。
既にサラトナと木崎は古くからの知古の友のように膝を突き合わせて、楽しそうに語り合っている。
しかし漏れ聞こえてくる内容は、旧交を温めるような話ではなく、もっとドロドロとした内容ではあるが……
とりあえず、信頼関係の崩壊は避けられたようだ。
こちらの話は終わったのだが、狐と狸の密談は一向に終わりそうもない。
するとサラトナが、白山に突然視線を向けると口を開く。
「木崎殿を夕方までお借りしたいが問題ないかね? 屋敷へは私の馬車で送り届けよう」
どうやらかなり意気投合した様子だ。
その提案に頷いて、白山はバルザムとこれから実施される作戦の細部を詰めるため、軍務卿執務室へと移動した。
「昨夜、執事から木崎殿の提案を聞いた時は驚いたぞ」
歩きながらバルザムも、影である老執事から受けた報告の内容を聞き、横を歩く白山にそう投げかけてきた。
もっとも一番驚いたのは自分だと白山は言いたかったが、それをこらえて僅かに苦笑した。
「私も突然の事で驚きましたが、利点も多いかと思います」
そう言って執務室で茶を待つ間に、白山なりの説明をバルザムに語り始める。
「残念ながら王国には、内外の情報を広く集める組織がありません。
敵の手の内が見えなければ対策の立てようがありません。
しかし、これから新しく組織を立ち上げるには時間も費用もかかりますが、相手は待ってくれないでしょう。
そこで各貴族が持つ影達に着目したと思われます」
そこまで話した所で、従士が茶を持って応接室に入ってくる。
一旦、言葉を切った白山は、運ばれてきた茶に手をつけて、従士が去るまで待つと、再び語り始めた。
「利点の多い手法である事も確かです。
まず、足の引っ張り合いにしか活用されていない貴族の影を、国の情報収集に活用できる点
それから準備期間が短く済む点、更に主である貴族が存在しており、裏切りの危険性が少ない」
「更に言えば、報賞を餌に下位や中堅の貴族達が、こぞって情報を上げるようになり、貴族間の争いも減る……」
バルザムの切り返した言葉に、白山は黙って頷いた。
「彼らの活躍している間に、新しく諜報員を育てる暇も生まれるでしょうし、箝口令を敷き内々の評価や報賞とする事で……」
「貴族同士の牽制にもなり得る……そういう事だな」
「まあ、詳しい内容については意気投合した二人が、詳細を詰めてくれるでしょうから、我々は我々で仕事をしましょうか」
白山がそう言って笑うと、バルザムもニヤリと笑い、思い出したように白山に質問を投げかける。
「そう言えば、木崎殿はホワイト公の事を弟子であると言っていたが、どのような間柄で?」
その言葉に白山は、かいつまんで木崎との間柄について説明をする。
「我々が暮らしていた世界は、数百の国が散らばり、戦争の火種の絶えない世界でした。
いくつかの陣営に別れ、互いに軍備の拡張や論戦を繰り広げていたのです。
そして、そうした世界で生き抜くためには、国の枠を超えた情報の収集や潜入が欠かせません
それらを主導し多くの教え子を排出してきたのが木崎殿であり、私の師匠です」
「成程、それであれば納得だ。
そのような厳しい世界で、裏の世界に生きるのは並の人間では務まらないだろう。
それに、サラトナ殿もそろそろいい年だ。王国の重責を背負うには些か年嵩に過ぎる。
分かち合える人間がいるのであれば、喜ぶべき事だ」
そう言ったバルザムは、そこで話を切り上げると白山から受け取った書類に決済のサインを施し、王に上程する準備を整えてゆく。
バルザム曰く、午後からの接見で切り出せるように、割り込ませてくれるという。
一時は対立していた白山とバルザムだったが、貴族派の瓦解と同じ頃に和解していた。
白山がバルザムを極秘裏に自宅に招いて会食をしつつ、直接瓦解した貴族派の懐柔と取りまとめを依頼し、それをバルザムは受諾したのだった。
それ以降、目に見えて角がとれて丸くなったバルザムは、穏健派として白山を側面から支えてくれている。
すべての書類に目を通し、サインを済ませたバルザムは、一息つきながら、ふと思い出したように、意外な言葉を白山へと告げる。
「そう言えば内々の打診ではあるが、南のオースランド王国からホワイト公に招聘の話が来ていてな」
思いがけない言葉に、白山は不思議そうな表情を浮かべると、内情について白山に説明してくれる。
バルザムの説明によれば、白山の部隊が行った閲兵式こと総火演の真似事を、たまたま書状を携え訪れていたオースランド王国の使者が見た。
そしてその報告はすぐさまオースランド王に伝えられ、真偽を問う書状が届き、レイスラット王はそれが真実であると返答していたらしい。
同盟関係にあるオースランド王国は、精強な兵を携えている事で知られ、その兵力はレイスラット王国よりも規模が大きいという。
シープリット皇国がオースランドに手出ししていないのは、その兵力が国境を固めており、おいそれとは手出しができないらしい。
また、白山が召喚された直後に両国の国王が会談を持ち、軍事同盟関係も締結されている。
独力で対処不能な脅威が発生した場合は、互いに軍隊を派遣し支援を行うことや、糧秣や武器の融通も行われるそうだ。
幸いにして先日の皇国の侵攻はギリギリではあったが、レイスラット王国の独力で排除可能だったため、同盟の発動とは至らなかった。
そこには召喚された白山の存在、それに両国の王が旧知の仲である、シープリットの先王の国を攻める事を躊躇った経緯もあるらしい。
「ともかく、そうした訳でホワイト公の部隊の実力、それにその技術のオースランドへの移転が可能かどうかの打診が来たそうだ。
この話は、昨日使者が親書を携えて来たという事で、どう対応するかは決めておらなんだ。
どのみち近日中に貴公が登城すると聞いていたので、その際に意見を聞こうと思っていたのだ」
バルザムの話を聞き、腕を組んで考え込んだ白山は、どうしたものかと思案する。
あちらに出かけて能力を見せるのは同盟国同士の軍事交流として問題はないだろうが、技術移転については問題が山積している。
おいそれと召喚した銃器を国外に流出させては、いらぬ紛争の火種にもなりかねず論外だ。
白山は、厄介な問題が増えたなと思いつつ、判断を保留した。
「とりあえずは、こちらで対応可能な事柄について持ち帰り、早急に検討します」
なんとも日本人的と言うか、公務員的な受け答えではあったが、同盟国が敵国にも化けかねない繊細な問題だ。
真剣に検討する必要を感じ、白山は新たな課題を持ち帰る羽目になっていた…………
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