序章~両国に降る長雨
しとしとと降り注ぐ春の長雨は、皇国の地に止む事なく降り注いでいた。
遠くに雷鳴が鳴っているがその間隔は遠く、薄暗い草原に時折真昼のような稲光が見え隠れしていた。
そんな中を黒光りする重厚な鎧に身をまとった兵士達が、整然と整列していた。
その兵士達は雨に濡れながらも、その列を乱す事はなく天候と相まって不気味なほどの迫力を醸し出している。
よく見れば、その兵達の鎧は常人であれば、それを着て動くなど不可能な程に厚みがあり、彼らが装備している盾も、通常の倍以上の厚みがあった。
とてもではないが、その鎧を着ての行軍や戦闘行動など不可能であろうその代物を着た彼らは、時折ギシリと関節を軋ませ僅かに身動ぎをする。
大ぶりな傘を従者に掲げさせ、その下に表情を見せず佇む皇王は、手を動かすのも億劫といった風に傍に控える側近に目配せをする。
それを見た配下の者は、通常の鎧を着て雨に濡れている将軍に向けて手を振り、何事かを合図した。
「それでは、魔導鎧の性能をお確かめ下さい!」
そう言って将軍が声を上げると、魔導鎧と呼ばれたその重厚な鎧を着た一人の兵が前に進み出た。
一歩を踏み出す度にぬかるんだ地面が深く沈み込みその鎧の重量を感じさせる。
大きな斧槍を手にし、反対の手には肉厚な盾を掲げるその兵士は、まるで鎧の重さを感じさせないような動きで前に進む。
程なくして通常の鎧を着た兵士数人がその一人を半円形に取り囲むように動くと、準備は整ったようだった。
「では、弓より開始せよ!」
そう言った将軍の言葉で、半円形に包囲した兵士達は手に持った弓を引き絞り、一斉に魔導鎧の兵に矢を放つ。
雨天の空気を切り裂き、十分な威力を持った矢が、一人の兵に襲い掛かる。
しかし、魔導鎧の兵は回避動作を取るどころか、身じろぎひとつしない。
殺到した弓矢は厚く作られた鎧に阻まれ、無残に地面へと軌道を変えるか、弾かれ折れ曲がり、あらぬ方向へと向きを変えた。
次に兵達は槍や剣を持って襲いかかるが、槍は折れ剣は程なく砕かれてしまう。
「如何でございましょうか。魔導鎧の鉄壁の守りは!」
雨音に負けず、そう声を振り絞った将軍に皇王の側近が、一本の杖を放り投げると、僅かに頷いた。
それを器用にキャッチした将軍は、自ら内部の魔法陣を確認して、魔導兵に杖を向けた。
「衝撃に備えよ!」
その言葉で、前に進み出ていた魔導兵が腰を落とし盾を構えた。
半円で包囲していた一般兵達は既に退避しており、それを一瞥した将軍は、無言で杖に魔力を込めた。
まばゆい発光が杖の先端から迸り、光弾がほぼ水平に魔導兵に向けて唸りを上げて飛翔する。
そして吸い込まれるように魔導兵にぶつかった光弾は、着弾と同時に炸裂し、ドン!と大きな音を立てて煙が立ち込める。
周囲に巻き上げられた泥や草がボトボトと落下し、次第に煙が晴れてくる。
ガシャリ、ガシャリと重々しい音が鳴って、煙の中から何事もないように魔導兵が姿を現した。
その見た目には特に変化は見えず、問題がないと言わんばかりに右手の斧槍を掲げ、健在をアピールしてみせる。
その防御力の高さに周囲の観戦人達がどよめき、皇王も僅かに口角を釣り上げてみせた……
*********
皇国がもたらした騒乱から、早いもので半年の月日が経過していた。
王都に降り積もった薄い雪が溶け、木枯らしの吹きすさぶ赤茶けた大地が寒さに耐えて
「今年の春の雨は、いつもより酷い……」
そう切り出したのはレイスラット王国の宰相であるサラトナだった。
確かに春の陽気が訪れ、種蒔が終えた頃から降り始めた雨は、当初天からの恵みのようにも見えた。
しかし、断続的に降り注ぐ雨は、この世界の治水はあまり高いレベルであるとはいえない為、どうしても河川の氾濫や、田畑の浸水が多く発生している。
一部例外的に、王都周辺だけは『先代の鉄の勇者が石造りの水路や護岸整備を行っていたため、何とか持ちこたえていた。
しかし、各所で橋が流されたり、土砂崩れで街道の寸断などが発生しており、王都の首脳部が執政院に集まり、対策を協議していた。
例年通りならば、大なり小なり発生するそうした被害は、周辺住民達の自助努力によって解消されるのだが、そうした度合いを超えた被害に、王国としても何らかの手を打つ必要がある。
「これまでの慣例から言えば、王国の備蓄を放出した炊き出しと、年貢の減免が主ですね」
そう言ったのは、財務卿であるトラシェで、これまでに発生した豪雨の洗礼を記述した資料に目を落としながら、そう話し出す。
「王都周辺に通ずる街道に関しては、速やかに告知を出し工事の人足を確保せねばならんな……」
レイスラット王は、その話を聞きながら各領主からの支援要請があれば、速やかに応えるように申し伝えながらチラリと白山を見やる。
それは、分厚い資料を机に置き静かに議論を聞いている彼に、何か腹案があるのだろうという、確信にも似た期待があったからだ。
「ホワイト公は、何か意見はあるかね?」
ここ暫く繰り返されている同じやり取りに、白山は苦笑しながらも書類の束から、幾つかの資料を取り出した。
「まず、こちらが今回の豪雨で発生した主な流された橋、及び土砂崩れの発生の分布です」
そう言って二枚の偵察画像を机に広げ、災害前と災害後の写真の変化を説明する。
するとそこには、赤茶けた大地をむき出しにした災害現場が一目で判り、王国の首脳陣は、その規模の大きさに顔をしかめた。
「中部沿岸地域のバレロ領で、土砂崩れによる被害が大きく目立っています。
同時に、浸水被害で沿岸部で多くの住民が、何かしらの被害を受けている可能性があります」
そう言って拡大写真を出した白山に、王は視線でその先を促した。
「こうした被害の大きい地域は、速やかな救援の手立てが必要であると思われます」
「しかし各領主との調整や、どのような支援を行うのかなど、擦り合わせれば結局、時期を逸してしまうぞ」
そう言ったのは、この場を仕切るサラトナだった。
確かに現状で各所に人員拠出の触れを出し、救助隊を組織しても派遣に時間が掛かっては意味が無い。
それこそ復興や被害が落ち着いてから到着して、反感を買うのがオチだろう。
「私が所属していた軍では……」
それに対して白山は、現代の軍事組織がその自己完結性を持って、災害現場での救援活動に当たることを説明し、新たなどよめきが生まれる。
この世界の軍隊は、およそ災害とは無関係で、災害によって悪化した治安を回復するのが精々だった。
これは、部隊の幹部は貴族達が殆どで、平民である領民達には関心が少ない事と、その重要性を認識していない事が原因なのだ。
つまり、『平民達の為に何故自分達が、土や汚れに塗れなければならないのだ』 という特権意識が働いていた。
同時に田畑を流された農民への臨時雇用の提供という側面もあり、軍隊を動かせば彼らの職を奪ってしまう事もあり、なかなかに難しい問題だった。
「派遣準備は完了しておりますので、ご命令を頂ければ明朝にも出発は可能です」
それに驚いたのは、会議場に居た全員だった。
更に会議の場を驚かせたのは、この会議が招集されたのが昨日の夕方であり、議題が大雨による被害報告とその対策であると伝えられた時から、白山達は動き出していた。
その僅かの間に、資料や派遣の準備を含め、これだけの準備を整えた事は驚愕に値する動きだった。
実際は、白山達は六時間程度で派遣準備は完了ていたのだが……
命令なしに部隊を動かす事は出来ないので、現状では部隊は待機し続けていた。
これも常日頃からの備えと訓練の賜物であり、災害用の物資や備蓄も計画に組み込まれており、準備の大半は人員の招集と荷物の積載が主だった。
「命令ならばすぐに出そう…… しかし、どんな支援を行うのだ?」
「具体的な支援内容は、人命救助、応急的な復旧、食料・医療支援と防疫活動が主に想定されています」
王の疑問に的確に答える白山へ、向けられる視線はもはや一種の様式美のように苦笑しながら、その意見を聞いていた。
前例には大いに反するし、この世界の常識から考えればおよそ突飛なこの案も、これまでの実績と周到に準備された白山の動きが許容させていた。
そうして決定した白山達の初の災害派遣は、迅速に活動を開始した……
*********
王国で甚大な被害をもたらした長雨は、当然の事ながら皇国にも大きな被害を与えていた。
昨年の侵攻の足を遅らせたヴァラウスの東を中心として、川沿いに南のルストレームまでその爪痕を残していた。
昨年の秋に発生した豪雨は収穫前の畑を洗い流し、冬を超えられない村が幾つも出た。
それでも年貢の取り立ては、減免どころかいつもより厳しく、払いが間に合わなければ、容赦なく女子供も奴隷商に売り渡され、年貢の代わりに檻馬車に詰め込まれた。
行く先は鉱山や皇都周辺の直轄領で、農隷として使い捨てにされる始末だった。
町や村には新光教団の司祭が寂れた街に似つかわしくない立派な教会を立てて、熱心に布教に勤しんでいる。
しかし、それも異教徒と断罪されれば、ただでさえ苦しい生活が滞ってしまうのだ。
誰もが互いを監視して、何か怪しい動きがあれば即座に教会から信仰騎士団がやって来て連行される。
運が良ければ鞭打ちか奴隷として売られるだけで済むが、異教徒と判断されれば、その場で切り捨てられるか、宗教裁判で火刑に処されてしまう。
皇都周辺では物資が潤沢に流通し、その周辺の村も何とか生活が成り立っているが、西側の王国との国境近くでは、目を覆いたくなる程悲惨な情況だった。
これまで、ある程度は交易で食料品を調達できていたが、王国が国境を閉じた所為で、それも止まってしまう。
今では南部のオースランド王国を通じて流れてくる食料品や、どこかから流れてくる闇物資が頼みの綱と言う有り様だ。
街には孤児や浮浪児が溢れ、人々の心はどんどんと荒んでゆく……
まるで皇都という華を咲かせるために、養分を搾り取られる枯れた大地のごとく、皇国の西部は荒廃している。
皇国の西南に位置するアルレギの街は、南のオースランド王国との国境、西に王国との国境、そして東に小規模ながら交易を行うリバスの街があり、比較的マシな部類だった。
そんなアレルギの街で海の見える丘には、小さな別荘が立ち木に隠れるようにひっそりと建っていた。
元々はこの地を治めていた領主の別荘だったが、今ではその領主もなく、周囲は閑散としていた。
荒れた庭の木々はそのままに、外壁には蔦が這い登っている。
唯一、ここに人の存在を示すように煮炊きの煙が僅かに煙突から細い筋のように、鈍色の空へと向かって伸びている。
二階建ての簡素な別荘の広い部屋には、ポツンとベッドが置かれており、そこに上体を起こし、窓の外を眺めている人影が存在していた。
赤茶色の髪毛が、少し開かれていた窓からの風でサラリと流れる。
その細くしなやかな髪に負けず劣らず細い、白魚のような指で耳にかかった短い髪を後ろへ流した。
細い体躯はシンプルでゆったりとした寝間着に包まれており、その顔立ちもあり性別がハッキリしない。
消え入りそうな儚げな美人、そう言われればそう見えるだろうし、憂いを湛えた深窓の貴公子と紹介されたならば、それを信じられるだろう。
どちらにせよ性別の壁を超越したような中性的な美しさが、ベッドの上で佇む人物からは感じられる。
そしてその瞳には、どこか悲しみのような眼差しが浮かんでおり、視線の先にある窓の外に向けられていた。
「フレイ、寝ていなくて良いの?」
カチャリとドアが鳴って、入ってきたのは金属鎧に身を包み、同じような赤茶色の髪を、短く切り揃えた女性だった。
よく日に焼けており、少しガサツな印象を持つ彼女は、金属鎧の下に修練によって引き絞られたスマートな肢体を持っている。
その姿はよく似ているが、どちらかと言えば対照的な雰囲気を見る者に与えていた。
「えぇ、ヴァーラ姉さん。 今日は幾分体調が良いから……」
「そう……」 と、短く答えながら、ベッドの横に置かれた椅子に腰掛けたヴァーラ は、腰につけた袋の中から林檎を取り出した。
「リバスからの交易品の中にあったの。 今剥いてあげる」
そう言って器用に小刀を操るヴァーラに、儚げな笑顔を向けたフレイは姉のその姿をじっと見つめていた。
初めてその瞳に見つめられたなら、誰彼なく吸い込まれそうなその視線に取り込まれるか、それとも心苦しさから視線を逸らしてしまうだろう。
そのぐらい、その視線には何か見ると言う言葉以外の感覚が含まれていそうな視線だった。
今ではすっかりそんな視線にも慣れたヴァーラは、それに微笑みを返して外観とは似つかわしくない繊細さで、林檎を剥き上げて切り揃える。
樽に入れられて何処かから運ばれてきたのだろう…… 少し傷んでいたが、そこを器用に避けて切られた林檎は、一口大になって皿に盛られた。
「今の時期だと、高かったんじゃない?」
ただでさえ食料品が高騰している昨今、嗜好品にも見られがちな果物も、天井知らずの値段になっているはずだ。
それでもこうして目の前で切りそろえられて、かすかな甘さと酸味を感じさせる香りは久しく嗅いでいないものだった。
「フレイはそんな心配しなくていいのよ。この林檎は懇意にしていた船長からの贈り物だから」
そう言って力なく笑ったヴァーラは、フレイへしきりに皿を薦めてくる。
姉はいつもこうだ……
そう思いながら、フレイは優しく笑ってもう一本の小さなフォークを取ると、林檎を刺してベッドから身を乗り出した。
ヴァーラの顔に近づけられた林檎を見て、困ったように苦笑したヴァーラは、口を開くとフレイから差し出された林檎を口に運んだ。
フレイはいつもこうだ……
奇しくも同じ思いを抱いた二人は、笑顔で林檎を分かち合った。
その合間に街であった近況や、面白かった出来事などを姉が語り聞かせてゆく。
外に出られないフレイに代わって自分が見聞きしてきた出来事を、聞かせてやるのが、いつしか習わしのようになっていた。
楽しい時間は瞬く間に過ぎてゆき、ヴァーラはフレイをベッドへ横にさせてやる。
あまり長い時間、負担をかけるべきではないだろう……
別れの挨拶を済ませて、部屋を出たヴァーラは無理をして明るく振舞っていた表情をため息とともに消し去ると、廊下を進み出す。
そこには年老いた老夫婦が、使用人の格好で出てきたヴァーラを出迎えていた。
ヴァーラは、その二人の前まで進むと革袋を二つ腰から取り出し手渡した。
彼女が渡した革袋は、一方が金でもう一方は薬だった。
「すまぬ。何時もより少ないが、なんとか遣り繰りしてくれ…… 薬が、値上がりしていてな」
消え入りそうな暗澹たる気持ちでそう呟いたヴァーラに、男の方がゆっくりと頭を下げた。
「今夜は、お泊りになられないので?」
老婆の方がそう言って、心配そうな表情でヴァーラを見つめるが彼女はゆっくりと首を横に振る。
「私が一泊泊まれば、その分負担が増える。なに、砦に戻れば何かしら腹に収める物もある……」
そう言って玄関を出たヴァーラは、馬に跨ると「頼むぞ……」と短く言い残し、別荘を後にした。
薄暗くなってきた空は、多量に湿気をはらんでおり、そのうちにまた哭き始めるだろう。
馬を走らせながらそう思ったヴァーラは、雨が降り出す前に砦に辿り着ければ良いが…… と考えていた。
もう一息でたどり着くという所で、降りだした雨に叩かれながら、何とか門をくぐったヴァーラは、厩舎に馬を入れてから自分の執務室へと帰り着く。
「留守中に、変わった事は無かったか?」
ヴァーラは、雨に濡れたマントを従卒に預けてから、鎧を脱ぎ乾いた布で顔や腕を拭った。
「国境に変化はありません。上の連中もいつもと変わりなしです」
前半と後半の報告の言葉尻に、随分と落差がある皮肉交じりの報告だったが、ヴァーラはそれを咎めず、体の手入れを済ませた。
「腹が減った。食堂に行ってくる……」
報告を聴き終わったヴァーラはそう言って、執務室からドアに足を向ける。
食事の時間から外れた今だと、硬いパンに薄いスープが精々だろうと思いつつも、食堂を目指す。
考えれば今朝、リバスの巡察を終え隊から離れ、別行動をしてアルレギに立ち寄ったせいで、朝から林檎以外口にしていない。
空腹であのスープの不味さを誤魔化すかと、考えながらドアを閉めたヴァーラは早足で食堂に向かっていった。
バタンと閉まったドアの横には、『国境守備隊副長 執務室』と書かれた木板が揺れていた……
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