兵站と薬莢と砂埃と
アトレア達は、作戦の打ち合わせが終わると、そのまま農道や村落に通じている小道を巧みに伝い、リタを避けて国境近くの砦に帰還していた。
夕方近くに砦へと戻ったアトレアは、すぐに各部隊の隊長を集め、作戦の概要と要点を通達し、明日の早朝から領主館を攻撃することを伝える。
その言葉に隊長達は色めき立ち、血気盛んに気勢を上げていた。
それをなだめるように、作戦の詳細を語り始めたアトレアの言葉に、隊長達は真剣味を増しその命令をうけ、早速準備に動き出した。
この国境砦から部隊が動くとなれば、三時間程必要になる。
幾らかの危険はあるが、夜のうちに軍を進め、夜明けとともに作戦に掛かる必要があるだろう。
白山達から借り受けた地図を前にしながら、アトレアは腕を組み部隊の動きについて、もう一度頭の中で反復し見落としがないかを確認する。
片手でつまめるように棒状にねじった堅パンと、干し肉を咀嚼しつつ、茶で流し込む。
行儀が悪いが、軍場では何でも手早く片付けるのが美徳とされている。
そこに重々しいエンジン音が外から聞こえてくる。
その音に聞き覚えのあるアトレアは、地図から視線を窓に向けた。
程なくして控えめなノックがあり、支援を引き受けてくれた者達が到着した事を副官が報せてくれた。
こちらに通すようにとドア越しに副官へ伝えたアトレアは、ふと散らかった机の上を見て、慌ててパンくずやこぼしたお茶を布巾で拭った。
それから、鎧の締め具合や身なりを整えると、軽く一息ついた。
先ほどまでは白山のそばに居て、やや緊張気味だったがここでは一軍を預かる将として、気を引き締めなければならない。
それに、これからやって来る田中二曹は、白山の部下だ……
ここで恥ずかしい姿を見られては、白山のところまで報告が行くのは、間違いないだろう。
そんな思考で、やや脱線気味に意識を引き締めていたアトレアの執務室に、先ほどとは異なる力強いノックの音が響く。
「田中二曹 入ります」
そう言って入室してきたは、アトレアに正対しピシリと敬礼を行う。
「王立戦術研究隊 E分隊長 田中 俊二 二曹 到着致しました」
その礼儀正しい姿に、驚きながらもアトレアは胸に拳を当てる王国風の敬礼でそれに応え、楽にするように伝えた。
そうして敬礼を解き、室内に入った田中二曹は早速作戦についてアトレアに尋ねてくる。
「作戦の準備は順調ですか?」
そう聞いた田中二曹にアトレアは自信を持って頷くと、田中二曹に状況を説明し始めた。
その内容を静かに聞いていた田中二曹は、アトレアに断りを入れてから準備状況を窓から一瞥すると、再び机の位置に戻ってくる。
「兵の出発をズラしましょう。まず、少数の騎馬を先遣隊として送り、兵の待機場所や街道の状況を偵察させます。
その後、歩兵を出し待機場所まで前進させ、最後に本隊の騎兵隊が出発しては如何ですか?」
その意見を聞いたアトレアは、歩兵を休息させる時間が稼げるし、移動の安全も保てると考え即座にその案を採用する。
そして田中二曹と一緒に入室していた副官にその旨を伝えさせ、準備の整っている騎兵から先遣隊を出発させるよう準備を進めさせた。
兵の速度から逆算して、同時に出発することを考えていたアトレアにとってみれば、僅かな時間でも準備を整える時間を歩兵達に与えるのは、合理的に思えた。
早速、副官がその指示を伝えるべく伝令を飛ばし、自信は歩兵部隊と共に動くと言って、発破をかけに降りてゆく。
「私は、この時代の軍隊の常識に、あまり明るくありません。 兵達の準備とはどの程度のものが必要で、どういった準備が?」
そう言った田中二曹の言葉に、アトレアは知らぬことを知らぬといえる正直さと、知ろうとする心根に好感を抱き、それに答えた。
「今回は兵達の身支度が中心だが、大規模な出兵となれば輜重隊の編成から、予備の軍馬や荷馬の調達、食料や医療品に弓矢や剣槍の類と枚挙に暇がない」
顎に手を置き、その話を真剣に聞いていた田中二曹は、合間に相槌を入れながら何かを考えている風だった。
「おそらく、そうした後方支援や補給についても、我々の考え方や役に立つ物があるかと思いますので、資料提供について後程、意見具申しておきます」
そう口にした田中二曹が、部隊の即応体制についてアトレアに説明してくれる。
なんでも白山達の部隊は、恐ろしい速度で部隊を出せるのだそうだ。
具体的には、即応部隊は二時間以内に当番の分隊が出動可能、さらに小隊が全力で出るには一二時間以内に出られるという。
また、長期の作戦を実行する場合は、二個分隊を後方へ回し交代で補給と休息を行い部隊の能力を維持できるという。
それを聞いたアトレアは、精緻に組まれた対処や後方支援体制に興味を抱いたが、それを口にしかけた所でノックの音が響く。
「先遣隊の出発準備が整いました」
副官からそう告げられたアトレアは田中二曹へ視線を向け頷くと、先遣隊の面々が揃っている食堂に向けて歩き出した。
食堂の中は前線基地さながらに活気づいており、砦の調理員も叩き起こされ夜食の提供を行っていた。
出発前に食事を腹に収めようとする者や、保存食料を運び出す者、更には士官が打ち合わせを行うなどで賑わっている。
そこ入ったアトレアに気づいた誰かが全員に、軍団長の入室を告げ、姿勢を正そうと声を上げるが、アトレアはそれを手で制した。
「そのまま準備を続けろ! 先遣隊に選ばれた者はこちらに来い」
その言葉に、幾人かの鎧姿の騎士が兜を小脇に抱えこちらにやって来る。
天井近くに大きめの蝋燭が数束纏められて、吊るされた照明が風を受けて怪しくゆらめき、男達の顔に陰影を付けていた。
「集合ご苦労、これより諸君らには本隊出発前の先遣隊として、現地に赴いてもらう」
腕を組んだまま、集合した面々を見てそう言ったアトレアは、眼前の騎士たちから発せられた短い返答に満足そうに頷いた。
「それで、先遣隊と申しますのは、領主館の偵察を行えばよろしいのですか?」
そう聞いてきた年かさの騎士の言葉に、アトレアはゆっくりと首を横に振り、言葉を返す。
「いや、諸君らの後に歩兵を先に出す。その後騎兵を出し、足の早さと兵の疲れを取るつもりだ」
アトレアはそこまで話すと、チラリと田中二曹に視線を向けた。
「具体的には、街道及びリタの街に何か異常がないかを遠目に探る事、それから五百名の歩兵が待機できる、適当な場所を確保すること。
更に言えば、何か異常があった場合の伝令をお願いします」
そこまで聞いた年かさの騎士は、驚いたように少し胸を反らすとやがて頷いた。
「ある程度経験のある者にしか、これだけ複雑な任務は任せられん…… やってくれるな?」
アトレアは、その騎士を見据えそう言うと、最後にフッと表情を緩め笑いかける。
それを見た騎士は、小さく息を吐くとニヤリと笑い、「お任せください」とアトレアの問に応えた。
「もう一つお願いがあるのですが……」
田中二曹は、少々言い難そうに苦笑しながら騎士に語りかける。
その問いかけに、怪訝そうな顔をしながらも視線を向けた騎士は、田中二曹の『お願い』を聞いていった……
************
程なくして出発して行った十二騎の兵達は、忽ち闇夜に消え、蹄の音もやがて聞こえなくなる。
次に歩兵達が出発するために、百名ずつの隊を組みそれが五つ出来た所でアトレアに報告が来る。
普段から鍛えている彼らの足でも、砦からリタの街までは三時間ほど掛かるため、まずは先行して出発する旨を伝え、副官が歩兵達を率い出発してゆく。
最後に残った騎兵達約二百は、夜明け前に砦を発ち、リタに向けて前進する。
数頭の馬ならばある程度は隠蔽可能だが、やはり二百ほどの数の馬が一同に動くさまは隠しようがない。
その為どうしてもギリギリに出る必要があると、田中二曹は考えていた。
それを考えた上での分割前進だったのだが、果たしてこれが上手く機能するかは、仕込んでおいたタネと第一軍団の練度にかかっている。
食堂で軽い食事を取り、一休みしながらそんな事を考えていた田中二曹の元に、第一軍団の兵とは違う鎧を着た兵達が、おずおずと近寄ってきた……
怪訝に思いながらも、彼らに笑いかけ会釈をすると、周囲の兵達に急かされるように中心にいた兵が口を開いた。
「あ、あの…… ホワイト様はこちらにおみえには、ならないんでしょうか?」
少し、おっかなびっくりといった体で話しかけてきた兵士に、体を向けた田中二曹は笑顔は絶やさずその問に返答する。
「いえ、任務中ですので詳しい話は出来ませんが、此方には来ていません」
その答えを聞き、あからさまに肩を落とした様子の兵達に、少し興味が出てきた田中二曹は、ゆっくりとその理由を聞き出そうと、語りかける。
「ホワイト殿に何かご用件でしたら、後で私から伝えておきますが、貴方達は……?」
その問いかけに、兵達はゴソゴソと胸元をまさぐると、鈍く光る見慣れたものを取り出し田中二曹に示した。
そこには、紐で括られた薬莢が、お守りのように彼らの首から下げられていたのだ。
「私達は、第三軍団の兵で、先だっての皇国の侵攻の折、ホワイト様に助けられたのです……」
そう言って、口々に国境関所での場面や、橋での激戦の様子を語り始めた彼らの話を、田中二曹は驚きつつも聞き取り、やがて深く頷いた。
「判りました。 皆さんの謝意と熱意は、必ずホワイト殿にお伝えします」
そう言って笑顔で彼らと握手を交わした田中二曹は、場所や時代は違えど彼らも同じように先頭をくぐり抜けてきた仲間だと感じ、嬉しく思った。
それと同時に、第一軍団の面々を助ける任務の重責も、彼の心身を引き締めさせていった……
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篝火を前に、砦の前へと集まった第一軍団の精鋭騎兵隊は、出発前の訓示を行うアトレアに耳目を傾けていた。
馬の嘶きと体温、そして篝火の熱が一種独特の熱量を生み出し、彼らの戦意を高揚させる。
「諸君! これまでの不毛な任務、よく耐えてくれた!
これより我々は、王家に弓引く大罪を企てた、バルザム家の当主及びその家族を、捕縛する任に就く!
手向かう者に関しては、容赦せず切り刻め!」
アトレアの訓示に地鳴りのような鬨を挙げ、声を発した騎兵達の士気は最高潮に達している。
それを横目に見た田中二曹は、この勢いが白兵戦という苛烈な戦場に兵を駆り立てる儀式なのだと思い、黙ってその熱を感じていた。
「皆の者!続け!」
そう言って、騎兵達を率い馬を駆ったアトレアは、街道に出て進み始める。
それに続いて騎兵隊が、蹄の音を響かせながら移動を開始した。
その様子を見て、高機動車のエンジンを始動させた田中二曹は、隊列に続いて車両を走らせた。
しかし、走りだしてすぐに田中二曹は車を停車させると、黙ってゴーグルを掛けシュマグで口元を覆った。
流石に二百騎の騎馬がもたらす土埃は酷いもので、たまらず停車させると目鼻を覆う必要にかられてしまう。
これには助手席に乗っていた隊員も、思わず苦笑し少し間隔を空けて騎兵達の後を追いかける事を進言する。
それに頷いて同意した田中二曹は、ゆっくりと車両を発進させ、薄く明るくなってきた星空の下を進んでいった……
順調に進んだリタへの行程は、途中で早起きしてきた農民を驚かせることはあったが概ね予定通りに、歩兵達の待機場所まで到達した。
少し小高くなった草原の裏手で、街道からは死角になる場所に吹き溜まるようにして集まっていた。
歩兵達は、幾らか体を休められた様子で、その顔に疲労の色は見られなかった。
ここからは時間との勝負になる。
歩兵達の準備が整い次第即座に動くと、アトレアは幹部を集め事前の作戦の内容を繰り返して伝えた。
まずは百の騎兵が先行して領主館に突撃する。
門前までは馬の突進力で突破し、そこからは馬を降り領主館へと突入し、領主を電光石火の勢いで捕縛するのだ。
同時に門の周囲を固める後詰の歩兵を入れ、領主館周辺の包囲を密にする。
残りの騎兵については、二隊に分け南と東に配置する。
これは万一、領主を逃した場合の捕獲の任を追い、同時に各所で騒乱などが発生した場合、素早く鎮圧する為のものだ。
手早く内容とそれぞれの役割分担を確認したアトレアは、明るくなりつつある空を見上げ、短く「急ぐぞ」と、発した。
その声に無言で頷いた幹部達は、それぞれの持場に向けて走り、そして第一軍団は行動を開始していった。
アトレアが率いる領主館への突入組は、手早く隊列をまとめ出発準備を整える。
それに随伴する田中二曹も、グロック、そしてM4のチャージングハンドルを引き初弾を装填する。
そして、無線を操作すると短く交信を行う。
「HQ こちらE…… これより第一軍団が突入を開始する……」
『HQ、了解……』
「Eリーダーより、ES<エコーシエラ>間もなく待機地点出発、現状送れ……」
無線の切り替えスイッチを操作して、分隊用チャンネルに呟いた。
『ESより、Eリーダー…… 此方は特段の異常及び敵情に変化なし……』
田中二曹は、事前に二名の隊員を観測員として領主館周辺に先遣隊と共に送り出していたのだった。
彼らは今、領主館に程近い教会の屋根に陣取って、領主館の正面を見張っている。
それを聞いた田中二曹は、ハイドレーションから伸びたチューブを咥え水分を補給すると、再びエンジンを始動させた。
そしてアトレアに向かってリタの方角に手を倒す仕草を送る。
それを見たアトレアが同じように手を振り返してから、騎兵達に合図を繰り出した。
ここから五分も馬を走らせれば、すぐにリタの領主館だ。
田中二曹は、少し緊張した様子で大きく深呼吸をすると動き出した騎兵達の方向に車を発進させた…………
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