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腹決めとお茶と身の振り方と

「アトレア、久しぶりだな。 元気そうで何よりだ」



 ニッコリと笑いながら、手を差し出す白山に何故かアトレアは、感極まりそうになってしまい、少し顔を背けた。


「あっ、ああ…… おかげさまで、元気にやっている……」



 少しだけ上がった心拍数と顔に血が巡り赤くなっているのが、アトレアにも自覚できた。

それが余計に気になって、白山の顔をまともに見られない。


 大きく息を吸って、無理やり意識を切り替えたアトレアは、やっと白山に顔を向けてその手を握り返した。

いつもならば誇りに感じている手のひらの剣だこやゴツゴツとした指が、何故か今は無性に気になってしまう。



「鍛錬は怠っていないようだな…… どうだ?新しい剣は?」



 しっかりと握り返された手の感触に、白山は満足したように頷きながらアトレアの腰に下がる剣に視線を向ける。


「ああ、流石に王都の一級職人の作だ。 これまでに握った剣の中で一番だ」


 アトレアは白山の手を握り返したまま、同じように視線を自分の腰に落とすと、無骨な剣を愛おしそうに眺めた。


 その剣は、白山が王都に住まう一級鍛冶師であるドワーフのタルヴォに依頼して、打ち上げてもらった逸品だった。

白山が部隊で使用するナイフと短剣について打合せに行った時、どこで聞いたのか、白山の脇差しの話になったのだ。


 そしてタルヴォとの話し合いは、いつしか鋼の精製から鍛接に及び、白山ももとより好きな分野であった為、課業外を使い毎日のように工房を訪ねていた。

いつしか、部隊用のナイフと短剣が完成した後も工房に通い詰め、遂には少量の鋼を創り出し、それを使って二人は一振りの剣を創りあげたのだった。


その間に幾らか紆余曲折があったが、やがてその剣はアトレアに送られる事になった。



 リタの街で、白山から贈られたその剣を見たアトレアは、大層喜び寝所でその剣を抱いて寝るほど、大切に扱っていた。

毎日振る程に手に吸い付くように馴染む剣は、銀色の剣尖を閃かせ、アトレアの剣技に一層の冴えをもたらしていた。



 その記憶がアトレアに僅かだが、自信と熱い想いが蘇ってくる。


そしてまっすぐに白山に視線を向けると、ニッコリと微笑んだ……




********



 その後クリストフとも再会を果たしたアトレアは、すぐに車座になり今後の作戦について検討を始めた。



「まず、今回の作戦ではザトレフ家の家長であるリタの領主一族を確保する作戦……

それと同時にリタの諸侯軍を、速やかに殲滅しなければならない」



 白山は、そう言って地図上のリタの市街地と古城の場所を、コツコツと細く削った枝の先で交互に叩いた。



「どちらかを先に叩いた場合、両者の位置関係から、どちらかに何らかの対策を取られる恐れがある。

その為、両方を同時に叩く必要がある」



 その言葉に、アトレアと第一軍団の副官や教官達、それにクリストフが頷く。



「そして今回は、王陛下より我々が反乱軍を鎮圧せよとの命令を受けた。

どうやら陛下は、この一件を国内の貴族達に対する覆轍としたいようだ……」



 少し困ったようにそう話した白山に、アトレアが心配そうに視線を向ける。

白山は至って真剣な表情をしているが、そこから滲み出る心情は、明らかに諸侯軍の将兵を慮っており、出来れば避けたいと考えているようだった。


 そんな白山の表情を見たアトレアは、何故か胸が苦しくなりこの任務が、何故自分に言い渡されなかったのかと王の差配に苦い表情を浮かべる。

その先の言葉は、思っていても決して口にしてはいけない言葉で、それを口にした事が判れば直ちに自分の地位や立場は露と消えるだろう。


 だからこそその疑問は、アトレアの胸中でわだかまり、そしてその意図を読むように思考を巡らせる事につながった。


 王都での閲兵式の話は遠く離れたリタに駐屯していても、数日後にはアトレアの耳に届いていた。

それは、見学に出た第一軍団の団長代理の報告や、街の噂で聞こえてきていたのだった……


 その威力と衝撃は、さざ波のように遠方に行けば行くほど、その動揺は激しく、そして大きく伝播する。



『ホワイト公率いる鉄の軍団は、例え一国の大軍が攻めて来ても、簡単にこれを打ち破るほどの武威を備えている』



 そんな噂が、まことしやかに旅人の間や酒場などでは取り交わされ、それを聞いたアトレアは報告書の内容と比較して噂というものの尾びれ背びれに苦笑した。

しかし、それに合わせて有力な貴族であるザトレフ家の軍を、完膚なきまでに白山が叩いたとすれば……


 アトレアがその答えに帰結するまで、それほど多くの時間は必要なかった。

そしてこの優しげな表情と態度を自分へ見せてくれる男に負わされている、責任と信頼の重さに表情が暗くなる。


 白山はアトレアのそんな表情を見て、感じる所があったのか、彼女に向けて一瞬だけ、真剣な表情を崩すとニッコリと微笑んだ。

ふとその笑顔で、この場に欠けている存在に気づいたアトレアは、さり気なく周囲を見渡す。


 しかしそこには、いつも影のように白山へ付き従っているリオンの姿がなかった……



 それが解った瞬間、不意に鼓動が大きくなるのをアトレアは自覚していた。



『自分が…… ホワイト殿の笑顔を、独占している……?』



 そう考えると、アトレアは自身の顔が赤面するのをハッキリと自覚していた……

しかし、それに気づかない白山は沈黙を理解していると捉え、作戦の概要を進めてゆく。



 クリストフは、そんな様子を外側から眺めながら、やれやれと胸中でため息を吐いていた……



********



 午後から、先遣隊として派遣していた二個分隊が合流するという事で、朝の会議は概要を説明するだけで終わっていた。

本格的な作戦の説明は、彼らの到着を待って行われると言う事で、アトレアはほっと胸を撫で下ろす。

今日の夜からは、教官達には運転があるので会議までは、各自休息を取るといい、それぞれ簡素な塒に戻っていった。


 必然的に車座に座る面子は、白山とアトレア達第一軍団の幹部、そして軍監のクリストフだけになった。


 砦での一件の後、互いの活動や経験を和やかに語り合っていたが、そのうちに会話は先程の出迎えに移っていった……

アトレアの腹心である兵士達で構成された銃隊の面々は、かなりの訓練を積んだ一角の騎士だった。

だが、それでも偽装して監視していた隊員達の居場所を、見抜けなかった。



「何故ホワイト殿の兵は、あれほどの練度と胆力を備えているのか?

それに休息している時の気配と、あの冷徹な視線が、どうにも咬み合わない」


 アトレアが発した言葉に、副官や従卒が同調し、そしてその指揮官である眼前の柔らかな視線を向ける男に注がれた。


「腹決め、と言うんだがな……」



そうして白山は、静かに語り始めた。



「剣を握った時、雑念を振り払い鏡面の水面のように、心を落ち着けさせるだろう?

それと同じように任務に出る時は、雑念や感情は水の底に沈めておく。


考える事は任務に関する事だけだ。それ以外は苦痛や疲労も意識の外に追いやるんだ。

そのためには、訓練で限界まで苦痛や疲労を与えて、意識と切り離す術や、その状況で判断を下す事を強いる」



 そうして語られる白山の部隊に対する訓練の手法や、その奥深さにアトレアは思わず喉の乾きを覚え、カップのお茶を啜る。

アトレアも白山と出会ってからは、兵達にこれまでよりも多く訓練の時間を作り、他の王国軍と比較しても柔軟で強度の高い訓練を施していた。


だが、白山の部隊と比較すれば、井蛙であったと言わざるをえないだろう……



 それもその筈で、指揮命令系統や目的に関する考え方が、根本から異なるのだ。

一般的な王国軍では中隊長や連隊長に、多大な権限が与えられている。


 これは、独立して行動する事が多い、この当時の軍隊では当然の事で、本隊との伝令のやり取りだけで、半日を費やす事も珍しくない。


 それ故に兵は何かあればすぐに上を向くが、白山の兵達は自力対処が基本になっている。

無線で即座に報告は行うが、秒単位で変化する現場の状態に合わせて対処を行いつつ、平行して状況が作戦に及ぼす影響を判断する能力を備えている。

その為、指示待ちのロスがなく、即応部隊として事態に対応できることが求められていた。


 故に、兵達一人ひとりに、柔軟な思考と対処能力が高いレベルで求められるのだ。

アトレア達の訓練も確かに、この時代では高いレベルではあるが、下士官や隊長の負担が大きくなり、優秀な人材を必要とする。

しかし、下から優秀な兵が下士官に登用される門戸の狭い王国軍の現状では、限界がある事は確かだった……



 それを聞いたアトレアの部下達は唖然とし、そして悔しがる。

訓練の見直しの話題や登用制度の不意に話が及び、クリストフが交換訓練生の話を切り出し、銃隊の面々がそれに身を乗り出して興味を示した。

その渇望や熱意を白山は素直に喜ばしく感じ、その会話を黙って聞いている。


 ひとしきりそうした話題が出た所で、クリストフがふと白山とアトレアに視線を向け、それからおもむろに切り出した。



「ホワイト殿、アトレア殿の部下達と部隊の面々に、少し話をさせてみたらどうだろうか。

お互い、よい刺激になると思うが……」



 白山はクリストフからの提案について特に差し障りもなく、時間も開いている事から許可を出した。

そこへ、交代で起き出してコーヒーを飲みにやって来た河崎三曹へ、インスタントコーヒーを作ってやり、案内を頼む。

寝起きの頭に少し濃いコーヒーでカフェインを補給した三曹は、「うっす」と短く返事をして、彼らを警戒陣地に案内する。


 自身が一番興味があったのか、クリストフもその案内に続いて席を立った。

それを見てアトレアも一緒に動こうかと腰を浮かせかけた所で、クリストフと目が合う。


 クリストフは、無言で薄く笑うと視線をアトレアと白山に向け、何かを伝えようとしていた……


 アトレアは、一瞬怪訝そうな顔を浮かべたが、やがてその視線の意味を解したのか浮かせた腰を再び落ち着けると、何故か俯いてしまった。

クリストフは耳まで赤くなったアトレアの様子を見ながら、苦笑しつつ一行の後を追いかけていった。



『まったく、クリストフ殿は…… 余計な気を回しおって……』



 自身の感情は誰にも打ち明けていないし、話題にすること無かった筈なのだが……

クリストフにはどうやらバレていたようで、途端に赤面してしまったアトレアは、何を話すべきか思考が停止してしまう。


 話すべきことは沢山あると思うのだが、真っ白になった思考では、会話の糸口を掴めずにいた。


「皇国の侵攻からずっと出ずっぱりで、アトレアも随分とキツかったんじゃないか?」


 不意に白山から労いの言葉が向けられ、アトレアがハッと顔を上げる。

そして白山のその言葉で、何か報われたように肩の力を抜くと、ゆっくりと首を横に振った。


「いや、兵の交代や補給が滞りなく行われた所為か、それほどの疲労は無かったな。

それよりも兵達の諸行軍や野盗に対する不満や、捜索の空振りに対してなだめるほうが大変だった」


 少し笑いながらそう言ったアトレアは、ここ半年を振り返るようにそう言うと、コップのお茶を飲み干し薬缶からおかわりを継ぎ足す。

何も特別な意識をせずとも、こうして側に居るだけで満ち足りた心地にさせてくれるのだと、アトレアは先程までの緊張を可笑しく感じる。

薬缶に手をかけたまま、白山の方に視線を向けると、その意図を見抜いた白山が自分のコーヒーを飲み干し、アトレアに差し出した。


 そして差し出されたコップを受け取り、新しい茶を白山のコップに注ぐ。


コップの受け渡しで少しだけ手が触れ合う……


 それだけで何か嬉しく感じたアトレアは、自嘲気味に自分にもこうした女性らしい一面が残っていたのかと感じ、内心で苦笑する。

そしてこうした事をしたいと思うのは、相手が白山だからだと思い至り、じっとその挙動を見つめていた……



「ホワイト殿は、既に爵位を賜った訳だが婚約など、今後の身の振り方は、それなりに考えたのか?」



 アトレアから飛び出したその質問に、危うく茶をこぼしかけた白山は、深くため息を吐くとがっくりと肩を落とした。


 実の所白山の元には、かなりの数の茶会や晩餐会の誘いが届いていたが、執事であるフォウル経由で、全て断っている。

軍務の事もあるし、何より自分の結婚は自分自身の意思で決めたいと思う気持ちもあった。


 しかし、グレース王女の婚約者候補として半ば強引に決定されてしまい、それでなくとも悩んでいるのに、更にその先を求められるのだ。

つまり上記の晩餐会や夜会では、王女との婚姻の後に、側室候補として自身ないしは娘などを売り込もうとしているのだった……


 更に始末が悪いのは、行儀見習いや家人として貴族が自身の庶子やメイドを送り込んでくる。

そこで家内の状況や生活の様子を知りたいと考え、あわよくば白山の手つきとなればと目論んでいるらしい……


 幸いにしてこうした腹蔵を持つ人間は、フォウルによってシャットアウトされていた。


 期せずして国王派の台風の目になった白山は、内外の領地・法衣を問わず、貴族達から重要な人物として、見做されてしまっている。

もし白山とグレースの婚姻が正式になれば王家の血縁に家名を連ねることが出来る。

王女との婚姻が成されない場合でも、今後重要な地位に就くことが確実視されている白山に、少しでも近づきたいと貴族達は願っていた。


 どの家も将来の生き残りや、少しでも昇爵や家柄を上げようと必死にうごめいているのだ……



 これまで、そうした事をあまり口にしなかった白山も、この一件は誰かに相談したいと思っていたのだが、これまで適当な相手がいなかった。

水を向けられ、げんなりした表情で話しはじめた白山に、アトレアはライバルの多さに、危機感を覚えながらも、それを表には出さず、その話に聞き入っていた。



「はぁ…… まったく、どうしたもんかね……」



 珍しくそうぼやいた白山は、頭を掻きながらコップの中のお茶に視線を注いでいた。



「ふむ…… そんな事になっていたのか……」


 アトレアは白山に同情しつつも、内心ではそれとは別の事柄について考えていた。


「よし、それなら実家の伝手を使って、周囲の貴族達を沈められるかどうか父に相談してみよう」



 アトレアは、ニッコリと笑うと白山に向けてそう言った。

それを聞いた白山は、思わぬ所で援軍が現れたと少し安堵しつつ、「よろしく頼む」とアトレアに頭を下げた。


「ああ、確約は出来んが何とかしてみよう……」



少々後ろめたさを感じつつも、グッと後手に拳を握りしめたアトレアに気づかぬまま、白山は少しだけ安堵の表情を浮かべていた…………



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