それぞれの思惑と水面下での蠢き
閲兵式の後、王都は静かな混乱に包まれていた。
貴族派に与する貴族達は、王の強権発動を示唆する発言と、白山達の部隊練度とその戦力に、大きな衝撃と動揺が広がっていた。
本来であれば式典の常として、その夜に開かれるべき夜会や晩餐会は行われず、代わって複数の貴族が内密に集まり声を潜めて会合を開く。
それと同時に、いち早く領地へこの情報を伝える必要があると考えている者は、早馬を飛ばし王都の街道は騒がしくなっていた。
白山は親衛騎士団の長であるブレイズと打ち合わせて、王周辺の警護を強化した。
同時に一個分隊を交代で王宮周辺に展開させ、不測の事態に備えるよう指示し忙しく動きまわる。
王の発言は、国王派や王国の首脳部にも驚きをもたらしたが、概ね好意的に受け止められていた……
その夜はサラトナそしてドリーと共に、緊急で会合を開き今後の対応を話し合う。
いつものように宰相の執務室で顔を合わせたサラトナも、困ったような…… それでいて、どこか楽しそうな表情を浮かべている。
これまでは内憂を何とか諌め、国を纏める方向に意識が向いていた王の変節を、この老宰相は好意的に受け止めていた。
王の名代として、陰で非情な決断を下して来た老宰相は、白山から王が帰りの車の中で終始上機嫌だった事を聞かされると、納得したように口を開く。
「成程…… 殿下はホワイト公が、あれだけの軍を作り上げたのを、その目で見られた。
それを見た王は、有力貴族家の顔色を伺いながらの政治から、決別する意思を固めたのだろう」
これまで領地持ちの有力な貴族や諸侯は、貴族派として多大なる影響力と発言力を有してきた。
領地を持つ貴族は域内の守護と治安を守るために、独自の諸行軍を持つことが許されており、領地では多大な影響力を持っていた。
先の公国軍との戦役で消耗した王国軍と、貴族派が持つ諸侯軍の兵力差は拮抗している。
それ故に自分達の意を通そうと、貴族諸派が力を背景に影響力を行使する。
逆に王家を支持する貴族や軍人は、その多くが新興の家柄であり、周辺が友好国に囲まれた立地では侵略による領地拡大も望めない。
その為に、貴族派の権力は時間とともに強大となり、逆に国王派の影響力は低下する。
そこに突然現れたのが白山であり、瞬く間に国内での実績を上げ、爵位を賜りそして軍を作り上げた。
そしてその軍はこれまでの常識を覆す程に強力であり、僅か五十名弱ではある……
だがこれを倒すには、一個軍団が全力を持ってしても難しいだろうと言う事は、誰の目にも明らかだった。
そして、王の目にもそう映ったに違いない……
王家の紋章にあるように、貴族派の意向という見えない鎖に繋がれていた獅子が、鉄の勇者によってその縛めから解放されたのだ。
サラトナは、そこまで話すと大きく息を吐くと、やおら立ち上がり戸棚からワインとグラスを手にして戻ってくる。
慣れた手つきで抜栓したサラトナは、銘々のグラスにワインを注ぐとそれを勧めた。
本来であれば、すぐにでも王にお伺いを立て、真意を問いただすべきなのだろうが王との付き合いが長いこの宰相は、敢えてそれをしなかった。
一晩時間を置き、それから事の次第を尋ねるほうが王の真意を引き出しやすいと判っている。
その為、まずは王の真意を聞きそれに対応するための材料や引き出しを揃えるのが得策だと判断し、こうして白山との会合を開いているのだ。
「何騎もの早馬が、王都から出発しているとの報告が届いておる。
それらが、各地に届きその内容を見た上で何かしらの事が起こるには、概ね十日は掛かるだろう」
情報伝達手段の乏しいこの世界では、リアルタイムの情報伝達など望むべくもない。
それならば矢継ぎ早に手を打ち、相手の対応策が固まる前に相手側の手を封じる策に出るべきだろう。
すでに、王からの方針は打ち出されているのだ……
宰相であるサラトナは、今後の取りうる選択肢を絞り込み、事前に手を打つ事を優先する。
まるで幹部過程における上級部隊の意図を汲み取るプロセスのようだなと、白山は考えつつ、その意見に賛同する。
「まずは、陛下の発言にあった通り、我々が動く根拠となる法なり文章が必要ですね……」
何が起こるかわからない為、僅かに唇を湿らせる程度にワインを控えた白山がサラトナにそう告げると、深く頷いた当人はグラスに注がれているワインを一息に飲み干す。
「その点については、明日にでも布告文書を作成させるつもりだ……」
その言葉にドリーが意見を述べる。
「それでしたら、この場で作成してしまいましょう。 その為に大荷物を持って、ここまで来たんだから……」
そう言いながらニッコリと笑い、カバンを開けたドリーは、その中からラップトップPCと携帯型のプリンターを取り出すと、ワインを飲みながらセッティングを始める。
グラスを持ったまま、心底可笑しそうに笑ったサラトナは、その場で根拠となる書類を作成すべく草案を語りだす。
それを聞き取りながら、流れるようなタイピングで文章を打ち込むと、再び三人でその文章について意見を出し文章を修正する。
これまでは、何枚もの羊皮紙を消費していきた作業がノートPCの画面上で完結する。
一時間も経たないうちに草案が出来上がり、後は王の決裁を仰ぐだけとなる。
そして、三名は今後の対応や部隊の動きについて、夜遅くまで討議を続けていった……
************
軍務卿であるバルザムは、本来であればその夜は城に詰めているべきだったが、内密にある場所へと赴く。
普段の移動用とは異なる質素な馬車で、王都の郊外にある別荘に入ると、そこには幾人かの先客が居た。
昼のうちに挨拶を交わしたその面々は、王都に滞在する貴族派の主だった面々であり、軍に多大な影響力を持つバルザムにつなぎをつけていた。
ここ暫く、目立った発言や行動が少なくなってきているバルザムだったが、それでも貴族派の重鎮として、王国の中枢に位置する重要人物であることに変わりはない。
そうした事情のため、中堅の貴族派の者達から、こうして会談を持ちかけられている。
軍務卿として白山達の動きを間近で報告を受け、そして彼と直接意見を交わしているバルザムとしては、気が重い会談であった。
白山はすでに、バルザムが仕掛けた暗殺未遂事件を切り口として、彼の弱みを握っており何度も王宮内で討議を重ねていたのだった……
白山とバルザムの会談は、部隊に関する報告との形を取り、軍務卿執務室に訪れる形式で秘密裏に取り交わされている。
そこで白山とバルザムは幾つかの条件を出し合い、数度の討議の後合意に至っていた。
この合意に至る過程で白山は、弱みを握りそしてそれをチラつかせず、逆にバルザムに便宜をはかる形で合意を取りまとめている。
その手法は地元の部族との調整や、武装勢力の内部情報を得る目的で、白山が培ってきた交渉のテクニックが、遺憾なく発揮されたのだ。
バルザムに白山が提示した条件は、現在の軍務卿の地位保全、そして一定の武器や軍事技術の王国軍への供与。
更には、その功績をバルザムの功績とする事だった……
その見返りとして、白山は貴族派の情報を提供する事と、急進派と距離を置き穏健派を切り崩す工作を、バルザムに求めていた。
無論その裏には、この条件を断るならば暗殺容疑での投獄や処刑、家名断絶が待っている。
それが判っているからこそ、バルザムは白山に協力しつつ、軍の中での貴族急進派の情報提供や、部隊設立にかかる反対派の説得などに協力していた。
貴族派の中では、バルザムは中心人物として次期国王候補として推す動きもあったのだが、本人の変節により次第にそうした声は小さくなっていった。
その代わりにこの一年で台頭してきたのは、南の名家であるザトレフ家だったが先日の現当主の弟である、元第三軍団長が失脚してしまう。
これにより貴族派は旗頭を失い、穏健派の貴族などには動揺が広がっていた。
そこに本日の衝撃的な演習が行われ、王の宣誓が発せられたのだ。
事実上、この国の貴族派に向けた最後通牒に等しい事態だった。
ゆっくりとサロンに足を踏み入れたバルザムは、居並ぶ諸侯を見て少し眉をひそめる。
いずれの面々も家柄はそこそこの貴族であり、ほんの一年前まではこうした会合の席では、声高に王家の弱腰を非難していたが今は見る影もない。
長年の無理が祟ったのか白山の暗殺指示以降、バルザムは胃の腑が弱り酒を控えていたが、この所すっかり回復しある程度は酒も楽しめるようになってきていた。
そこにはバルザムの体調を気遣った白山が、医療チームに往診を依頼し、胃薬を処方されていた所為でもある。
『揃いも揃って、胃薬が必要な表情をしておる……』
そう考えながら、バルザムはゆっくりとソファに腰を下ろし、ワインを一口飲むとゆっくりと口を開いた。
「家名を残したいのならば、今が身の振り方を考える良い機会だと、私は思うがな……」
これまで貴族派の急進勢力として、知られていたバルザムの思いがけない言葉に、一同が仰天する。
重厚なコーヒーテーブルにコトリと音を鳴らし、グラスを置いたバルザムは、周囲の人間に視線を向けると、再び口を開く。
「すでに趨勢は決していると思わぬか……?」
その言葉に、誰も言葉を発する事は出来ず、ただ無言を貫いている……
「もし、取りなしを望むのであれば、儂が間に立とう。
それよりも名誉を望むというのであれば…… 儂は、留めはせん……」
それだけを言い残すと、バルザムは残ったワインを飲み干し、席を立った。
帰りの馬車で、バルザムはじっと腕を組み馬車の振動を感じながら、物思いに耽っていた。
果たして時勢を読み、あの中の何人、いや幾つの家が生き残るのか。
選択肢が無かったとは言え、若干の心苦しさはある。紛れも無く、貴族の連帯を裏切ったのは自分だった。
白山に対する苛立ちや恨みは、未だ心の奥底でくすぶっている。
しかし権力闘争に敗れ、外敵の脅威が差し迫った昨今、国を割り他国につけ込まれるのと、王国……ひいては自家が存続するのでは、比べるべくもない。
この恨みや怒りは、炭壺に入れた消し炭のように、徐々にその熱を失うのだろう……
それでも時代の奔流のような勢いと、無情な盛者必衰の理が、よもや自分に降りかかるとは思いもしなかった。
自代でバルザム家を潰す訳にはいかない。
宛もない思考が、いつまでも揺れていた……
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捉え所のない凡庸な表情をした男は、与えられた自室の中でまんじりともせず、じっと机に向かっていた。
脅し賺し、巧みに貴族家に入り込み下働きとして入り込んだ男は、御者として今日の演習をじっと見物していた。
それを思い出すだけで、ズキリと肩が痛む。
王都での治安紊乱を引き起こした後、評価に値しないと思われていた鉄の勇者の軍隊が、皇国にとって脅威になる旨を急遽、皇都へ報せた。
そしてそれに対する新たな指令は、鉄の軍団に対するさらなる調査と、彼等の膝元である王都を避け、地方での治安撹乱だった。
そこで野盗まがいの仕事を、部下に命じ危険度は高いが、自分は王都に残り鉄の軍団を調べる任に就く。
ある程度傷が癒えた男は、この貴族の屋敷に潜り込み、そこから聞こえてくる噂や情報に耳をそばだてた。
一度は、間近で軍団を見ようと、その本拠地に忍び込もうと試みた。
だが、誰にも気取られた気配や罠の類は見当たらなかった筈が、的確に侵入経路と潜伏場所を辿ってくる兵士に遭遇する。
男の与り知らぬ事ではあるが、基地の周囲には、赤外線センサーと動体センサーが張り巡らされており、招かれざる客を常に監視している。
それによって潜入を諦めた男は、行商を装い周囲の住民に噂を聞く。
ある住人曰く『幽霊』 また、ある住人は『緑の精霊』などと呼び、畏怖の対象になっている事が分かる。
しかし、それ以上に用水路の補修や、病人や怪我人の診療や手当てなどで、悪く言う者は誰も居なかった。
そして、王都中の貴族に布告が出され、閲兵式が執り行われるという。
それを聞きつけた男は、普段の馬丁に小遣いを渡し、御者の代わりを受け持った。
それによって堂々と式典会場に潜り込んだ男は、間近でその衝撃的な光景を目に焼き付けた。
男は、以前に一度だけ皇都で魔装具連隊の訓練を見ていたが、その演習がまるで子供の遊びに見えてしまう。
鉄の塊が馬にも曳かれずに動きまわり、遥か遠くの標的の眉間を正確に撃ちぬく。
目を凝らさなければ分からないほど、精巧に偽装した隠匿兵など。
そして圧倒的な破壊……
無意識に彼等に撃たれた肩をさすりながら、黙ってその様子を眺めた男は、背中に冷たい汗を感じ、喉が乾く。
その日の夕暮れに屋敷に戻った仮初の主である貴族などは、顔面を蒼白にして何事かを話し合っている。
屋敷に戻った男は、小さな紙片に今日の出来事について詳細に記して、つなぎ役の男にそれを託す。
彼はここから様々な伝達手段を用いて、最速でこの情報を皇都まで伝えるだろう。
部屋に戻った男は、今後の行動について思いを巡らせ、そして今に至っていた……
このままでは間違いなく、あの鉄の軍団が野盗討伐に動き出すだろう。
そうなれば部下の中からも少なからず犠牲が出て、皇国の関与が明るみに出てしまう。
鉄の勇者たった一人で、国境の小競り合いにおいて騎馬隊を壊滅せしめたのだ。
それが小勢とは言え、軍団となったのだ。
これは皇国にとって、大きな脅威となる……
皇国に戻り報告し、対応について話し合う事柄だった。
現地の耳目である男が判断できる問題ではなくなっている。
それには、南部で行っている諸々の工作についても、そろそろ切り上げるべきだろう。
この国で育てた『草』は根伐りし、部下は帰投させる。
それには、もう一仕掛け必要だろう。
男はこの国に来る前に頭に叩き込んだ地図を思い浮かべながら、静かに算段を練った。
それが、この男が部屋で微動だにせず、机に向かっている理由だった
ほんの少しだけ風が吹き込み、燭台の炎が揺れる……
ゆっくりと一人で案を咀嚼した男は、やがてニヤリと笑うと、もう一度小さな紙片に何かを書き込み始めた。
その顔は、普段の凡庸な捉え所のない男の貌<かお>ではなく、狡猾な間者の顔に変貌していた…………
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