襲撃と射撃と騎士と王 【挿絵あり】 ※
やっと、物語が進み始めました。
これからは、王国での物語が進みます。
今回の隣国への異例とも言える訪問における主役レイスラット王は、今日の旅程において一人娘であるグレースと同じ馬車に乗り込んでいた。
本来であれば王と王女は別の豪華な馬車が用意されており、それぞれに分乗するのだが、日々政務に追われていた王は、グレースに同乗を求めたのだ。
妃に先立たれて以降、独り身を通しているレイスラット王は、過保護とも言える程グレースを大切にしており、親子仲もそれほど悪くはない。
しかし、ここ数年の忙しさで水入らずでの会話が減ったと感じていた王は、良い機会だと思い、親子の時間を取ろうと考えてたのだ。
思春期からくる男親との微妙な距離感、それにここ最近まで先延ばしにしてきたグレースの婚姻問題についても、これを機会に話しておく必要がある。
そんな思惑もあって、同じ馬車での同道となったのだが……
互いに共通の話題や興味などある筈もなく、どこかぎこちない会話を繰り返し、いつしか口数も少なくなっていった。
レイスラット王は、グレースの横顔に差す初夏の日差しに、少し懐かしい記憶を思い起こしていた。
「母に良く似て来たな……」
ポツリと呟いた一言は、偶然跳ねた馬車の振動に紛れ、グレースの耳に届く事はなかった。
亡き妃に似た儚げな美しさは、成長とともに最近ますます増してきている。
宰相からも口を酸っぱくして言われているのだが、王家の存続に関わる重大事であり、王配ないし次代の王を早急に決める必要があった。
只でさえ国内の有力貴族達は、王家の力が弱まっている事に不満を持ち、不穏な気配と蠢きがそこかしこで感じられ、その尻尾もチラチラと見え隠れしていた。
如何な建国より忠誠を誓う名門の家柄であっても、永い刻は少しずつ淀みや澱が溜まってきている。
『そろそろ大掃除と、空気の入れ替えが必要ではあるが……』
一瞬だけ覗かせた冷徹な王の顔に、グレースが気付き少し唇を尖らせた。
「お父様、今日は仕事や堅苦しい日常を忘れて、景色と親子の会話を楽しもうぞ! そう言ったのは何方でしたかしら?」
一瞬驚いた王は、今朝出発の間際に自分が行った台詞を思い出し降参とばかりに軽く手を挙げて、笑った。
「いや、スマンな。王ともなると熟慮や物思いに耽るなどとは許されぬのだ。
常に突然降り掛かってくる難題に、あまり時間をおかずに即決断を下さねばならぬ」
そう言って小さく息を吐き、肩の力を抜いた王は、ゆっくりと口を開く。
「そなたが国を継ぐまでには、王がゆっくりと物事を考えられる様に励まなければな」
そう言った王の顔は、先程までの険が取れ父親の顔になっていた。
*********
白山はM240のグリップを持ち、顔だけを上げると銃軸線と双眼鏡の視野を同調させ、双眼鏡の覗く先と照準器の視線を一体化させる。
双眼鏡だけで目標を追うとコンマ数秒だが、目標を低倍率の照準器で探す時間がロスになる。
程なく照準器でも目標を捉えた白山は、双眼鏡を傍らに置くと再度射撃目標に定めた地点を素早く確認し、肩付けを安定させる。
『射撃準備完了』
すっと、意識が照準器を通して目標に飛ぶ。ここから先は機械的な作業だ。
感情や生理的な欲求はすべて意識の外に置き、射撃に集中する。
ガラガラと馬車を引く音と、馬蹄の音が耳に飛び込んでくる。
先頭の騎士達がカーブを曲がり始める。目標の馬車がカーブを曲がりきった所で攻撃が始まるだろう。
ジリジリとゆっくり時間が流れ、馬車がカーブに差し掛かる。
黒塗りで銀の装飾を施された豪華な馬車が、少し軋みながらキルゾーンに入った。
襲撃は車列にとって突然に始まった。馬車の後端に複数の樽が転がり落とされる。
急な傾斜で勢いのついた木樽は、騎馬の足元にぶつかり隊列が乱れる。
直後、岩と火矢が同時に樽の上に降り注ぎ、飛散した油に引火し大きな火柱が立ち上った。
馬は突然の炎に驚き、前足をあげ嘶く。バックステップの様に数歩後退すると、後の騎馬とぶつかり混乱が増幅する。
馬車の御者と前衛の騎士が状況を判断する前に、馬車の前にも樽が転がる。
「襲撃だ!」騎士の誰かが叫んだが、その頃には馬車の前面にも炎が上がり騎士達と馬車は分断されていた。
白山は、その様子を照準器越しに視界に収めながら、静かにセーフティを解除する。
前方に火矢と岩が到達するのと同時に、槍や剣を持った男達が林から躍り出し、雄叫びを上げながら斜面を駆け下りようとする。
その直後だった。
崖の土砂が水面に石を投げ込んだ様に飛び跳ね、少し遅れてドラムを叩く様な重く、それでいて軽やかな連続音が鳴り響く。
『タタタタタタンッ』『タタタタタンッ』『タタタタタタタンッ』 『タタタタタタタタンッ』
ある程度の6~8発のバーストで着弾をコントロールしながら、崖を降り始めた男達に7.62mm弾が容赦なく降り注ぐ。
腕に食らった男は、ねじれるように回転して倒れ、肩から下が無くなった事に驚愕と悲鳴を上げ、パニックで崖を転がり落ちる。
血と泥に塗れながらのた打ち回る様は、林の上に居る弓を持つ男達にも動揺をもたらした。
『タタタタタタタンッ』 『タタタタタタタタンッ』『タタタタタタンッ』『タタタタタンッ』
非情なリズムは、次々に男達を屠り辺りは土煙に覆われる。
馬車に殺到しようと密集気味に崖を降っていた男達は、ものの数十秒で誰一人立っている者は居なくなった。
周辺視野でベルトリンクの端末が短くなった事を見た白山は素早くカバーを開き、ハンドルを引く。
素早く新しいベルトリンクに取り替えた白山はカバーを閉じ、装弾ハンドルを荒々しく引くと次の目標に移る。
『タタタタタタンッ』『タタタタタンッ』『タタタタタタタンッ』『タタタタタンッ』
金色の薬莢と黒色のリンクの残骸が白山の右手にこぼれ落ち、地面を埋める。
崖を下り降りようとしていた男達が全滅したのを見ていた弓隊は、訳も分からず逃げようと後を振り向いた時点で、白山の射撃によって次々に餌食となる。
林の弓隊が存在した地点の木々は、弾丸で枝を折られ幹に弾痕を残し、無残に抉られる。
『タタタタタンッ・・・・・』
最後のバーストが終わり、辺りには不思議な静寂が訪れていた。
白山は照準器で崖と林の中に、動く者は居ないかをゆっくりと確かめてからM240を肩から外した……
*********
グレースがその襲撃に気づいたのは偶然だった。
たまたま視線の先に斜面を転がる樽が目に入り、あれは何かと訝しんでいた所で、突然炎が上がったのだ。
「お父様!」
平素から公の場では『陛下』と呼ぶ事を躾けられていたグレースだったが、咄嗟に出た言葉は肉親としての呼び名だった。
王はグレースの異変と周囲の音から何かあったと判断して、馬車の後方に目を向ける。
見れば黒煙と火の手が馬車の後方でその勢いを増している。
慌てることなくグレースを傍に引き寄せると、馬車の壁に掛けられている細剣を手に取った。
王として兵学も剣術もそれなりに学んではいるが、貴族としての嗜みの域は出ていない。
それでも武器を手に取ることでもたらされれる安心感は、周囲の情況に気を配るだけの余裕につながった。
「何事であるか?」
仕切りで区切られた御者台の方へ声を発すれば、直ぐに返事が返ってきた。
「賊にございます。今しばらくご辛抱の程を」
よく訓練された御者は、緊張で上ずりながらも王へ素早く答える。
明かり取りの小窓から周囲を見れば、前後に油が落とされ兵達が分断されているようだ。
些か情況は芳しくないが、先の戦争で武勇を馳せた親衛騎士団長のブレイズならば、この状況も切り抜けてくれるだろう。
もしブレイズでもダメであれば、彼を抜擢し任命した自分の目が間違っていたと言う事だ。
王としての覚悟と威厳を保ちながら、周囲の喧騒に耳を傾ける。
その時、不意に握られた手に王としての感情が僅かに揺らぐ。
そうだ、この馬車にはグレースも同乗している。
王家の血がここで絶えるのは拙い。
親としての情と、王としての判断が王の心を惑わせる。
王としては、この場は動かず口を出さず事態が収まるのを待つのが最良の選択肢であり正答でもある。
しかし、それに逆らって感情が、『すぐにこの場を離れよ!』 と命令を出したがっていた。
「お父様!崖に!」
グレースの指差す先は、海側の斜面だったが剣を携えた男達が、急な崖を走り降りてくる。
その目は一様に血走り、王の命を狙う逆賊としての一線を乗り越え向かってくる。
前後の兵が火を消して護衛に駆けつけるまでは、寡兵 対 寡兵の互角の戦いになる。
一気に形勢が読めなくなり、押し殺していたはずの感情の天秤が再び揺れ始めた。
王に即位してからというもの、儀典や教会の行事で神を崇める事はしたが、度重なる国難に神の加護など到底信じられなくなっていた。
「神に縋るしかないのか……」
忘れかけていた信仰心が王の脳裏をかすめた瞬間、聞いた事もない音がどこからともなく響き渡った。
『タタタタタタンッ』『タタタタタンッ』『タタタタタタタンッ』 『タタタタタタタタンッ』
雷鳴のようなその音は、遠くから鳴り響き、周囲の地面には霰や雹が落ちるような土煙が、すぐ近くで見えた。
それは襲撃者達をなぎ払い、ねじり倒してゆく。
これは神の加護なのか?それとも悪魔の悪戯か?
信じられない光景を目の当たりにして、王は久しく感じていなかった緊張を覚えてゴクリと喉を鳴らした。
「鉄の杖、鳴り響く雷鳴……」
同じように賊がねじり倒される光景を見ていたグレースが、咄嗟に振り向き必死になって音の発生源を探そうと目を凝らしている。
グレースがこぼした言葉には、王も覚えがあった。
王家に伝承されている古の鉄の勇者の伝承だった。
その者の杖は、雷鳴を響かせ遥か遠くの敵を打ち倒し、その強大な魔法は大群をまとめてなぎ払うという。
グレースは、幼少の頃から妃である母に読み聞かせてもらっていた鉄の勇者の童話が、大のお気に入りだった。
それが昂じてお受けの歴史を学ぶ際に、王家の蔵書をひっくり返すほど勇者の話に夢中になっていった。
ひと頃よりは、その熱も冷めたかと思っていたが、やはり三つ子の魂は、という事だろう。
女子供であれば、悲鳴や涙を見せてもおかしくないこの状況にあって、周囲には目もくれず音の発生源を探している。
そう言えば先日、宮廷魔術師であるフロンツから、王家の秘宝である異界の鏡を使用する許可を求められた事を、王はふと思い出す。
あの場では勇者の召喚はならず、異界の鏡も微動だにしなくなったとの報告で、フロンツを近親に処したのだ。
出立前の慌ただしい時ですっかり忘れていたが、もしあの時の召喚が成功していたとすれば……
王が気づいた時には、尾を引くように最後の雷鳴が残響を残して消え去り、不思議な静寂が周囲に満ちている。
襲撃者共は地に伏し動かなくなっており、中には腕をもぎ取られて呻く者や、腹を押さえて苦しむ者も伺えた。
「見えましたわ!あの丘の上です!」
グレースの少し上気した声で我に返った王は、その白い指先が示す先に、小さな豆粒ほどの人影が揺れているのをようやく見て取った。
恐らく王国一の弓の名手であっても、あの間合いからは射掛ける事など出来はしまい。
その力の強大さに僅かに身震いした王は、直感的に敵に回してはならないと悟っていた。
ガチャガチャと、扉を開けようとするグレースを諫め、王はその小さな人影をじっと見据える。
「グレース様、いけません!あのような術を使う相手、悪鬼の類やもしれません!」
王が視線を馬車の中に転じれば、件の雷鳴の主をすっかり鉄の勇者と信じ込み外に出ようとするグレース。
そしてそれを必死に諫める騎士団の副団長であるアレックスの姿だった。
「陛下、お怪我はありませんか?
この不手際については、後ほどお叱りを受けます故、今はこの場を収める事を優先させて頂けますでしょうか」
出す出さないの応酬を繰り返しているグレースとアレックスを尻目に、沈痛な表情で王へと語りかけてきたブレイズに、王は口を開く。
「大事ない。それよりも彼の者は一体何者か、ブレイズには判るか?」
王の問いかけにゆっくりと首を横に振ったブレイズは、厳しい声で応える。
「いえ、皆目見当が突きませぬ。未だ正体がわからぬ故、警戒を緩めるべきではないでしょう。
これより私自身が接触し、王家に仇なす者であれば、この身命に賭して切り捨てます」
その言葉を聞いた王は、少し思案する様に目を細めてからブレイズを送り出す。
「なりません! あの方を切ってはなりません!」
そう鋭く声を発したのは、先程までアレックスと扉越しの押し問答をしていた筈のグレースだった。
「しかし……」
言い淀むブレイズに、先ほどまでのはしゃぎっぷりは鳴りを潜め、王族らしい威厳と深慮がその瞳から見え隠れしている。
「これだけの力を持つ方をむざむざと切ってしまっては、何の意味もありません。
むしろ強大な力であるならばこそ王国に取り込み、活用すべきでしょう。処断するのは取り込んでからでも遅くはありません」
「それに、人の口に戸は立てられません。王家の危機を救った者を切り捨てたとあっては、王家の威光にも関わりますが?」
最後の言葉は、ブレイズではなく王に向けられた言葉だった。
確かに、兵を含めて従事や侍女同道している人々の、どこから漏れるかは判らない。
これが貴族派の誰かの耳に入れば、格好の糾弾材料となってしまう可能性も捨てきれない。
それならば、いっそ懐に取り込み牽制に使う事を考えるのも悪くはない。
瞬時にそう判断した王はゆっくり頷くと、「ではそのように計らえ」と、王はブレイズに指示を出す。
一瞬の間があって、ブレイズは「承知致しました」と言葉短く王命を受ける。
それを聞いていたアレックスは、一瞬何かを言いかけるが王の前である事を思い起し、ぐっと言葉を飲み込む。
「正気ですか?この襲撃自体が茶番である事も考えられるのですよ」
王女の言葉を間近で聞いていたアレックスは、命令を受け取ったブレイズに詰め寄った。
得てして歴史ある国の騎士としての思考はどうしても独善的かつ保守的になりがちで、アレックスの思考もそうした傾向に寄っていた。
それ故に御しきれない力を持ち、得体のしれない『あの男』は、襲撃犯の一部としてこの場で消してしまう方が後々に響かないと考えている。
「お前の考えも分かるが、これは王命だ。これ以上は言わん。
それより、あの男の正体を見極めてくる。くれぐれも馬車を頼むぞ」
ブレイズは視線を遥か遠くの男に合わせたままアレックスの肩に手を置くと、近くに居た騎士に声をかけ、馬にまたがる。
緩やかな斜面を駆け登るブレイズの姿を、アレックスはじっと見据えていた……
*********
「鉄の勇者……」
ブレイズが斜面を駆け登るのを馬車の中から見つめていたグレースは、ポツリとそう呟く。
すでに馬車の周囲は多数の兵によって固められ、事後処理が進められていた。
間もなく隊列は再び進みだすだろう。
「先日の召喚の試みは、サラトナの報告では失敗であったと聞くが……?」
グレースのつぶやきは王の耳にも届いていたらしく、乾いた喉を潤していた水割りのワインを持ったまま王が問いかける。
「そもそも古代語の翻訳は、一向に進んでおりません。精々が単語や一部の固有名詞が精々です。
帰ってからでなければ詳細な報告は判りませんが、理由があって王都から離れた所に喚び出されたと考える事も、出来なくはありません」
視線を窓の外に向けたまま、グレースは王の問いかけに答え、少しだけ考えてから続きを語り出した。
「雷鳴とともに撃ち出される遠間の一撃、喚び出されし勇者は斑の服に身を包み、地の神に抱かれし者なり」
「建国記の一節か……」
グレースが城中の書物を紐解き、鉄の勇者の伝承について調べていたのは、王もよく知っていた。
実のところを言えば、フロンツによる勇者召喚の試みを上奏された時、その裁可を後押ししたのは他ならぬグレースであった。
何故グレースが、ここまで鉄の勇者の伝承にこだわり夢中になったのかは、本人しか与り知らぬ所ではあるが、王としてはその理由に思い当たる節はあった。
自分にも覚えがある。
将来の女王としての運命が決定づけられているグレースには、自由な行動も恋愛もすべて夢物語なのだ。
届かぬ思いや自由への渇望、王族としてはごく当たり前の事柄であっても、年頃の娘としてみれば苦痛であったかもしれない。
言わば代償行為に近い勇者への憧れ、そして逃避がその根底にはあったのだろう。
「お父様、一つだけ約束をして頂けませんか?」
「グレースが約束とは珍しいな。何だ?言ってみなさい」
王は真剣な表情でじっと外を眺めているグレースの横顔を見て、少しだけ表情を緩める。
ふと振り返ったグレースは、やわらかな微笑みをたたえて、王と向き合った。
「それは……」
小さな声で語られたその『約束』に、王は苦笑しながらもそれを認めていた。
*********
親衛騎士団の長ブレイズは、馬車の横で油断なく周囲を警戒していた。
往路は内陸の各領地を視察しつつ南下し、国境沿いでのオースランド王との会談は滞り無く終わった。
この前例のない両国王の会談は、緊迫する情勢において両国の絆と協力関係を確かめ合う重要な会談だった。
オースランド王家は、レイスラット王家と血縁関係があり、両王とも旧知の中だった。
10年ぶりに再開した両王は、公私に渡り問題を語り合い様々な事柄に、成果のあった実りある会談になった。
帰路についた王は、港町マリナでは、マクナスト侯爵の執拗なまでの歓迎に辟易とさせられる。
1日遅れたが、その遅れを取り戻すべく街道を急いだ。
ロムレス領を通過し、本日はクロスマン領にある王の支城フォレント城で宿泊となる予定だった。
もう2刻も進めば目的地となり、一行は煩わしい歓待を受けず、ゆっくりと休息となる筈だったのだが……
王の静養地であるフォレント城は、高原に佇む古城でありその風景は絵画にも等しいと称されている。
この山道を超えれば、その風景が見えてくると思った矢先、ブレイズの背後で何かが転がる音が響き、直後炎が上がった。
不意の襲撃ではあったが、前衛の兵を下がらせ馬車を囲めば抜け出せる。
歴戦の勇士であるブレイズはそう判断し、剣を抜き声を張り上げようとした時に前方でも炎が上がる。
チッ、と短く舌打ちをして周囲を見回すと、馬車を防護する4騎の騎士以外は、炎によって遮断されていた。
崖の上からわらわらと男達が駆け下りようとしているのが見えた。
「厳しい戦いになる」ブレイズはそう覚悟し「馬車を守れ」と部下に声をかけた所で、太鼓とも雷鳴ともつかない音が鳴り響いた。
何の音かと周囲を見るが、両側を囲まれた低くなっている地形のせいか音が反響してその発生源を特定できない。
今は音よりも襲撃者だ。
男達を迎え撃つため、視線を上げるとブレイズは驚愕の表情を浮かべてしまう。
先に飛び出していた襲撃者数名がすでに倒れており、腕がちぎれ飛んでいるのが目に入った。
まだ、交戦もしていないのに……?
「チュン」「ヒューン」と言った音が頭上で鳴り響き、何かが頭上の斜面に突き刺さる。
そして、崖の中腹で襲撃者達はバタバタと倒れ転がり落ちてくる。
訳も分からず辺りを見回すが、遅れて聞こえる音と斜面に突き刺さる『何か』が襲撃者を倒しているとしか考えられない。
不意に音が止み、周囲には土煙と油が燃える黒煙、そして鉄のような血の匂いが充満している。
「何が起こっているのだ!」
煙に目を細めながら、ブレイズはあたりを見回す。王の馬車は無事だが、警戒を緩める訳にはいかない。
土砂で火を消すように指示し、馬から降りた騎士がマントで身を包み、火中を突破し続々と馬車に駆け寄る。
ブレイズは襲撃者を捕縛する者と馬車を守る者、火を消す者を指示して的確に指示を出す。
報告では幸いにして、軽度の火傷と落馬で数名が軽症だけだったようだ。
そして、部下の様子を確認しながら周囲を見回すと、遥か遠方の山頂に一人の人間らしき影が立ち上がるのを認める。
「一人…… だと!?」
これだけの襲撃を防いだのが手練の軍勢でもなく、たった一人だった事に衝撃を覚えつつ、ブレイズは周囲を見回した。
見れば殿を務めていた副長のアレックスが、勢い良く走り込んでくる。
「すみません。不覚を取りました」
同じように苦渋に満ちた表情で、駆けつけられなかった事を悔いているアレックスの背中を、ブレイズはバンと叩く。
「陛下は無事だ。幸い死者も居ない……」
「しかし、あの雷鳴のような音は、一体何だったのですか?」
咳き込みそうになるブレイズの張り手に耐えながら、先程から響いていた音の正体について尋ねる。
「あの丘の上を見ろ……」
言葉短く告げたブレイズの言葉に、こちらに向けて歩いてくる男を認めたアレックスは怪訝そうに目を細めた。
それからハッとしたように、周囲の兵達の剣が血に濡れていない事に気づき、賊達が丘の中腹に転がっているのを認めると途端にその表情が険しくなった。
「あの男が、この襲撃を防いだと……?」
「恐らくな。俺は陛下に報告してからあの男に接触する。お前は馬車を守れ。
万一の事があれば、俺が時間を稼ぐ。その間にお前は城まで走るんだ」
目の前の馬車がレイスラット王家の馬車である事は国民であれば誰もが知っている事だ。
襲撃を防ぎ、王を守ったとは言え、あれだけの距離から賊を仕留めるだけの技量を持っているのだ。
あの男がその気になれば、王の馬車も危険になる。
しかしこの距離では弓も届かず、たとえ百名を持って突撃をしても、崖に転がる賊達と同じ運命をたどるだろう。
ブレイズの判断は冷徹に王を守り通し、被害を最小限に抑える最も合理的な選択だった。
接近して討つ。
如何に面妖な魔法を使う相手でも、剣で切られれば死なぬ道理はない。
会話が出来る距離に持ち込むのは賢明な選択と言えるだろう。
ブレイズと馬車、そして遠くの男を見てから、アレックスは馬車に接近してゆく。
見れば馬車の主であるグレース王女が馬車の扉を開こうと、何やら懸命に扉を揺すっている。
馬車の扉は万一にも中に乗る人々が落下しないように、外から留め金で止められているのだ。
まだ危機は去っていないというのに、何をしているのかと思いながらアレックスは王女を諌めるべく声をかけるのだった。
王への報告を済ませたブレイズは、副官であるアレックスに馬車の警護を任せ、2名の騎士を従え緩やかな傾斜を馬で登り始める。
ブレイズには複雑な感情が入り交じっていた。
王を守護する任を全う出来なかった事や襲撃を看破出来なかった悔しさ、そして雷鳴の様な音でたった一人で襲撃者を退けた人間への興味と警戒。
無意識に、剣を握りしめた手に力が入る。
そうしながらゆっくりと斜面に馬を進めていった……
*****
白山は射撃終了後立ち上がり、護衛の騎士達が状況を掌握し、組織的な動きを取り戻したのを双眼鏡で見つめていた。
消火や襲撃者への対応を見て、危機的状況は脱したと判断し、薬莢の回収を始める。
別段、実戦で使用される弾薬に回収義務はないが、クローシュはこの世界では薬莢は制作不可能と言っていた。
その為、出来る限り痕跡を残さないように配慮するつもりだった。
腕でおおまかにリンクと薬莢を回収して、布袋に収めると眼下の襲撃現場を見る。
3名の騎士が、こちらに向けゆっくりと馬を進めてくるのが見えた。
戦闘は終了したが、ここからが正念場だ。
双眼鏡とネットをポーチに収納し、M240を手に急峻な斜面をゆっくりと降りる。
こちらに向けて歩む騎士たちは、手に剣を持っている。
ここで対応を誤れば、今度は100名近い人間を相手に戦闘を行うハメになるだろう。
50mほどの距離まで近づいた所で白山は声を上げる。
「私はホワイトと言う旅人だ。故あって助勢したがご無事か!」
教練によって鍛えられた肚から発せられるよく通る声が、剣を持つ騎士達に届く。
そして、その声量に負けず劣らない声が帰ってくる。
「レイスラット王国 親衛騎士団長 ブレイズ ラクセリオンである。ご助勢感謝致す!」
名乗りは無事に済んだが、互いに武器を握った状態は精神衛生上良くない。動作や表情を変えず白山は思考する。
「こちらに害意はない。剣を収めて頂けるか」
ゆっくりとM240を地面に置き、両手を上げる白山はその距離をじっと測っていた。
M240は地面に置いたが、背中にはM4があり、腰にはSIGがある。
白山の声を聞いたブレイズは、暫し考え部下に少し下がるように伝え、自らは鞘に剣を収める。
「相判った。こちらもお礼を申し上げたい。ご同行願えるか!」
ここからは、腹の探り合いになる。と感じた白山は語を続ける。
「同行に異はないが荷物と馬車があるゆえ、この場で話をさせて頂けるか」
ブレイズは、背後の状況を確かめる。事態の収集にはもう暫く掛かりそうだった。
馬を降りたブレイズは、白山に向けて歩き出す。
銀色の鎧に身を包んだブレイズが馬を曳きながら、ゆっくりと白山に向けて歩き出す。
そして、白山も問題ないと判断するとブレイスに向けて歩み寄った。
互いに向き合った瞬間、時代や国立場も違うが戦いの中に身を置く者同士の雰囲気を感じ取り、どちらともなく握手を交わす。
「王にお怪我はありませんでしたか?」
白山は、強く握手を交わしながら、ブレイズに尋ねる。
「おかげで馬車には傷ひとつありません。しかし、どうやってあのような遠方から賊を倒されたのですか?」
「私の武器は少々変わっており、遠い位置から敵を撃つ事が出来ます」
左手で後に残置したM240を示し、また説明だなと思い白山は苦笑する。
「その格好といい不思議な武器と言い、まるで鉄の勇者様の様ですね」
ブレイズは、白山の姿を上から下まで眺めるとそう言った。
「先日知り合った商人の方からもそう言われました。しかし、私は勇者など大それたものではありませんが」
ブレイズは白山の商人という言葉に反応したようで、その表情を見た白山は懐からゆっくりと羊皮紙を取り出す。
それを受け取ったブレイズは、驚いた様子で目を見張る。
「なんと、クローシュ殿の知り合いでしたか!」
羊皮紙を丸めて、白山に返したブレイズは、城に出入りする商人であるクローシュの名を聞き、少しだけ肩の力を抜く。
どうやら、信頼してもらえたようだ。
白山はクローシュから貰った証書に感謝しながら、それを受け取ると街道に向けて歩きながら、クローシュとの成り行きを話し始める。
得心したように頷いたブレイズは、改めて白山に礼を述べる。
そして、こう切り出した。
「ホワイト殿は、陛下から褒賞を賜われるだろう」
白山は少し躊躇いながらも、これを断るのは失礼に当たるなと考えていた。
すると少し慌てた様子で馬を走らせた騎士がブレイズの下にやって来ると、素早く下馬し何やら耳打ちする。
報告に来たのは副官であろうか?
ブレイズに似た格好で、幾分若いがいかにも若手の有望株と言った雰囲気を持った男だった。
報告と同時に何かを具申しているらしく、小声で言葉のやりとりを交わしている。
ブレイズは少し思案すると、黙って首を横に振り報告に来た男へ戻るようにと促す。
一瞬だけその男と白山の視線が交わるが、鋭く射抜くような殺気がその眼には込められていた。
そうした視線に慣れている白山は、臆する事もなくその視線を受け止める。
そして内心では未だ警戒は解くべきではないと、気を引き締めていた。
自分に対して警戒心や敵愾心を持つ者が少なからずあの隊列に存在すると考えて行動しなければ、足元を掬われるかも知れない。
白山がそんなことを考えていると、ふとブレイズと視線が合った。
その様子に驚いた様子を浮かべたブレイズは、気を取り直して白山に言葉を発した。
「異例ではあるが、陛下がホワイト殿にお目通りなさるそうだ。こちらに……」
ブレイズの有無を言わさぬ口調からして、白山に拒否権はなさそうだ。
神妙に頷いた白山は、ブレイズに断りを入れM240を取りに戻る。
半数程度残っていたベルトを抜き、銃をクリアにした白山はブレイズにそれを手渡す。
その威力を肌で感じているブレイズは頷くと、おっかなびっくりといった様子でキャリングハンドルを握り、白山を先導する。
武器を手渡した事で、害意がない事を示した白山は、ゆっくりとブレイズの後ろに従った。
「しかし、アレックスの殺気を平気で受け流すとは、大した胆力ですな」
馬を曳きながら片手にM240を持つブレイズが、苦笑しながら横を歩く白山に声をかける。
「アレックス殿とは、先程の方ですかな?」
その質問に頷いたブレイズは、失礼な副官の態度を詫びる。
気にしていないと白山も笑ってそれを流すが、ブレイズは少し芽生えた好奇心から会話を続けた。
「それでも親衛騎士団で随一の腕を持つあいつの殺気を受ければ、常人ならば何かしらの動きや動揺が出てもおかしくはない筈ですが」
そんな疑問に白山は笑ったまま答えなかったが、あの程度の殺気は特殊作戦に関わっている白山にすれば日常茶飯事だった。
交換訓練で海外を訪問すれば相手国の隊員と衝突することは良くある。それに、実戦の場で命のやりとりを何度も経験しているのだ。
あの程度では怯むこともなければ身構える必要もない。
アレックスの身のこなしや動きを見ていたが、白山であれば殺さずに拘束する事も問題ないと考えていた。
それよりも今横を歩くブレイズのほうが、余程腕が立つだろう。
白山がそんなことを考えている隣で、ブレイズも同じ事を考えていた。
自分へ無造作に渡されたズシリと重い鉄の杖、それを差し置いてもこの男は強い。
アレックスの殺気を受け流し、一見無警戒に見えるが、その視線の置き方や身のこなしには一切の隙を見出だせなかった。
ここで自分が斬りかかっても勝てるだろうか……?
そんな互いの力量に関する探りあいを腹の中で行いながら、二人はゆっくりと馬車の方へと近づいていった。
銀の装飾と黒塗りの馬車は、凄惨な現場にあってもその威厳を保っていた。
すでに襲撃者達は見聞が進められ、幸運にも継承だった者は捕縛されそれ以外は、助からないと判断され殺害されている。
やはり先程の報告に来た男は副官であったらしく、馬車の正面を守る最重要の場所に陣取り、厳しい表情を崩していない。
白山はブレイズに囁かれ、その場で片膝をつく。
すると、控えめな合図の後一呼吸置いて馬車の扉が小さな音を立てて開く。
「レイスラット王国 レイスラット ロン クラウス陛下である!」
副官が右手を胸に当て、敬礼の様な仕草を取ると同時にそう告げる。
周囲で作業していた騎士達が一斉に金属鎧を鳴らし、直立不動となる。
その様子は、一種の儀式のように洗練されていた。
レイスラット王は、そんな周囲の様子を気に留めず真っ直ぐ白山に視線を向けている。
「そなたは、鉄の勇者か?」
開口一番そう聞いた王は、周囲の制止も聞かず土に膝をつき白山の肩に手を置くと、真剣な眼差しで白山を見つめていた…………
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