背中とクラブと魔法陣
第一軍団の軍団長であるアトレアは、モルガーナの街で苛立たしく報告書を眺めていた。
諸侯軍に対しての北上を警戒する意味から、モルガーナに移動をした第一軍団だったが、何も手をこまねいていた訳ではなかった。
次の命令が届くまでの間に、副官を派遣して諸侯軍との交渉の席に赴かせて、解散ないし同行を求めたのだ。
しかし、今届いた副官からの報告書には、その交渉も不調に終わったとの報せが記載されていた。
諸侯軍側の言い分としては、神出鬼没の野盗を狩るには人海戦術により、主要な街道の『掃除』が必要だと強く主張しているそうだ。
それが出来ているならばとっくに実行していると、鼻を鳴らしながら続きに目を向けたアトレアの表情が曇る。
ならば、別々に動いたのでは漏れや抜けが生じる恐れがある。
親衛騎士団か我々第一軍団と行動を共にして、諸侯軍と王国軍の合同部隊で討伐にあたってはどうかと副官が提案すると、諸行軍は一斉に反発。
領主から預かりし兵を王家に差し出し、士気を委ねろと言うのかと激昂する諸侯が居たとのことだ……
アトレアは、報告書をそこまで読み進めると少し長くなった髪をかき上げながら、深くため息をついた。
王都でもこの事態は予想しているだろうが、現場で対処しなければならないアトレアとしては、もどかしさが募るばかりだ。
いっそ諸行軍を殲滅せよとの命令が下れば、どれだけ楽かという考えが脳裏をよぎるが、机の傍らに立てかけてあるAKMを見てそれを戒める。
白山がアトレアを信じて託してくれたそれは、黒色の冷ややかな肌を静かに横たえており、木製のグリップがそれとは相反する艶を放っていた。
白山は、アトレアとブレイズに銃を託す時、こう述べていた。
『この銃は、俺がこの世界において信じられる武人である2人に託す。
この銃を使う時は、自分の背中を思い出して欲しい……』
皇国の侵攻に赴く前、白山がアトレアとブレイズに語ったのは、そんな語り口から始まる言葉だった……
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この先ずっと、あなたは逃げてくる人々に直面する事だろう。
人々は犯罪や災害、暴力、そしてあらゆる男女の心に潜む恐怖から逃げてくる。
そしてあなたには任務があり、権威があり、責任がある。
すっくと立ち上がり、人々に声をかけなくてはならない。
「みなさん……避難場所を探しているのですか?」と……
すると人々は「そうです」と答える。
そうしたらあなたは言うのだ。
「では私の後ろに隠れなさい。私は兵士です。敵をこの先に通しはしない」
このとおり、戦士の仕事は殺すことでも、死ぬことでもない。
私たちは殺す為に必要なのでも、死ぬために必要なのでもない。
この暗い時代、わが国の文明を守るために必要とされているのだ。
私たちの仕事は維持すること、守ることだ。
奉仕することとわが身を犠牲にすることだ。
来る日も来る日も、汚く感謝される事の少ない仕事を、力の限り遂行する事だ。
なぜなら、だれかがやらねば文明が滅びると解っているから。
というわけで、あなたはそれを引き受けている。
あなたの生涯にわたり、あなたに、あなたのご家族に、あなたのすべてのわざに神のご加護がありますように。
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あの時、白山が語った言葉は鮮烈な印象と衝撃を、アトレアにもたらしていた。
思えば男勝りの性格から軍に入隊して、そこから王家には忠誠を誓ったが、その下で暮らす民には、それほど意識を向けた事はなかったのだ。
国の礎は、紛れも無く民である。
捉え方によっては、王家の威信を揺るがす言葉にも聞こえるが、そう捉える者は、何かを履き違えているか目を背けているのだろう。
例え王が無人の荒野で「私は王だ!」と叫んでも、民が居なければ国として成り立たない。
その言葉を聞き銃を受け取った瞬間、その重さが何故か何倍にも感じられたのは、アトレアにとっては驚きだった。
それ故にこの『銃』がもたらす破壊力には、厳しい戒めが必要なのだ。
そんなつい数ヶ月前の事を思い返して、安易に暴力に頼ろうとした自分を戒めたアトレアは、ふと天井を見上げる。
そういえば、白山に会ったのは国境の関所……いや、砦が最後だった。
皇国の侵攻からそれほど時間が経っていないにも関わらず、何か無性に懐かしさを覚え顔が見たいと考えてしまう。
そして、ため息をこぼすと小さく一人呟く。
「こんな事では、合わせる顔がないな…… 頑張らなくては」
そう言うと、新しい羊皮紙を取りペンを走らせると王都に報告する内容について、簡潔にまとめ始めた。
早くこの件を終わらせれば、会えるのだ……
そう考えたアトレアは、気持ちを入れ替えて仕事に集中していった……
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白山と教官達は、基地の作戦室で、今後の訓練や運用に関する会議を行っていた。
主な議題は基地の機能や兵站、新隊員の募集など多岐にわたる。
最初に話し合われたのは、基地機能の強化や隊員の福利厚生だった。
先日認定演習を終えた隊員達は、久しぶりの休暇で街に繰り出しており、基地の中は閑散としている。
それでも実戦認定を終えた事により、基地警備の人員や遠方の街出身者などは居残っており、彼等に声をかけた時、はたと思い起こした。
自分が休日に駐屯地で過ごしている時は、どんな事をしていたかと……
食堂については、万一の食料備蓄施設も含めて建設が決まっていたが、それ以外には広場と風呂と兵舎と本部。
それから、簡単な体育施設や射撃場しかないのだ。
王都までは徒歩で2時間も歩けばたどり着くが、それでも基地内に何かしらの娯楽は必要だと思われた。
「PXとか隊員クラブって、やっぱりあった方がいいよな?」
白山のその一言で昔を思い出したのか、皆が自分の所属していた基地や駐屯地のPX事情や、クラブの話題に脱線しかける。
まじめな議論はほぼ終わっていたため、白山はその脱線を咎めず黙ってその議論を聞いていた。
結局、部隊の規模が大きくなって行けば、利に聡い商人などは、この近くに店を構えるだろうという事になった。
そこで小規模でもいいので、雑貨や簡単な菓子などを扱うPXと、それに併設する形で隊員クラブを設置しようとの結論に達する。
そこからやや真面目な議論に発展して、用地の選定や賃料、それに伴う契約についても煮詰めていった。
会議が終わって、教官達も今日明日は久しぶりのオフと言う事で、これからバディを組んで王都に繰り出すそうだ。
皇国の間者の件もあり、一応携帯無線とハンドガンを持つ事と、白山の屋敷に宿泊する事を条件にしたが、それでも皆楽しみな様子だった。
そんな面々を送り出し、室内にはドリーと白山そしてリオンが残る。
皆の足音が遠ざかった所で、ドリーが徐ろに口を開いた。
「ねえ、ホワイト…… 私も休暇欲しいんだけど?」
その言葉に頷いた白山は、苦笑しつつそれに返答する。
「ああ、今夜と明日はリオンと一緒に王都に行って来い。ただし、無茶はするなよ」
それを聞いたドリーはガッツポーズをして椅子から立ち上がると、壁際に立っていたリオンの手を掴んでブンブンと振り回す。
「やったー! リオンちゃん、今夜はお姉さんが奢ってあげる♪ どこ遊びに行こうか!」
リオンは、そんなドリーのハイテンションに呆れて、されるがままになっていた。
そんな様子に白山は小さく咳払いをして、ドリーを諌めると、はたと我に返ったように居住まいを正し席に戻る。
それでも会議の延長をさっさと終わらせて街に繰り出そうという視線が、爛々と目からほとばしっていた……
「それで、魔法陣の解析について進捗状況はどんな所だ?」
白山の問に、ドリーは一枚の紙を取り出し白山の前に差し出した。
それを見た白山は、少し驚いてドリーに視線を向ける。
「それほど警戒しなくていいわ。 この魔法陣には非活性化処理をしてあるから」
そう言って、紙に描かれた魔法陣を斜めに走る白い空白を指でなぞり、得意気に笑いかける。
それを聞いた白山は、小さく息を吐き改めてその魔法陣を手にとってしげしげと眺めはじめた……
A4のコピー用紙に印刷されたそれは、高精細のプリンターで印刷されていて見慣れない文字で周囲が象られ、幾何学模様が描かれていた。
「ちなみに、その魔法陣で実験した所だと、ガスコンロより強い火力を二時間も維持できたわ」
ニッコリと微笑みながら、得意気に語ったドリーに白山は、改めて聞き直す。
「つまり、この魔法陣だけで湯を沸かせるって事か?」
呆気にとられながら、聞き返した白山にドリーは黙って頷いた。
「ええ、この魔法陣は先日の放火騒ぎで出た証拠品を、再現する過程で作った物になるわ。
この部分で、火力の大きさと燃焼時間をコントロールしてあるみたい」
指でその場所をなぞったドリーの説明を聞いても、白山は信じられないという表情を崩さなかった。
それを見たドリーが、もう一枚はがきサイズの紙を取り出すと、暖炉に向けて歩き出す。
そこには白山がいつも使っているドリップ用の薬缶が置いてあり、その下に紙を差し込んだ。
何かを祈るように円形の外周をなぞるように指を動かしたドリーの動作で、淡く魔法陣が発光する。
すると、魔法陣から召喚に使用される時と同じように、魔素が集まり出して紙の上で炎を作り出す。
その光景はどこか幻想的で、不思議な光景だった……
「どう? これで、分かったかしら……?」
得意気に腕を組むドリーに、白山は炎と彼女を交互に見やり、ただ頷くしかなかった。
椅子に座ったドリーは、まだ夢でも見ているような白山に構わず説明を続ける。
「とりあえず、再現実験と火力の調整については成功しているの。
問題はこの先なのよね。
例えば、水や電気といった魔法に関連する要素なんだけど、まだどんな魔法陣の形態なのかが判らない。
それにそうした新しい属性の魔法陣も、一から基礎研究をしなきゃいけないわ……
まだ道程は遠いけど、とりあえず一歩前進ね」
そう言って微笑んだドリーが、どこか複雑な表情を浮かべているリオンに、コーヒーをお願いしている。
見れば熾き火で沸かすよりもずっと早く湯が沸き、蓋がカタカタと鳴っていた。
我に返ったようにリオンが、白山に視線を向けてくる。
何時ものコーヒーは必要ですか?というリオンの仕草だ。
その仕草にわずかに微笑んで、頷いた白山にリオンが同じように頷いてくれる。
メディカルチームの湿潤療法で、リオンの火傷の痕はほとんど目立たない程度になっていて、白山は安堵していた。
やがて室内に仄かなコーヒーの香りが漂い始める。
ドリーの説明によれば、魔法陣の起動は慣れれば、誰でも行う事が出来るそうだ。
少し指先に意識を集中して、外周の……ドリーはサーキットと呼んでいる円の部分を擦れば起動できるらしい。
白山は、この技術がグラフィックソフトとプリンターがあれば量産可能だということを知り、驚愕する。
この技術は日常生活にも多大な利便性をもたらすだろうが、それと同時に軍事的にも、大きな脅威になり得ると考えていた。
その点をドリーに伝えると、どうやら彼女もその点は危惧しているらしく、宮廷魔術師のフロンツにもこの成功の事はまだ伝えていないそうだ。
もう少し研究が進んだ時点で、どうすべきか判断する方が良いとも考えているらしい。
そして、目下の研究対象は召喚用ラップトップに使用されている魔法陣の解析と再現だということだった。
もし、バッテリーに使われている魔法陣が作成可能になれば、部隊の電力問題が一挙に解決するという。
「わかった、とりあえずはこれからも研究を進めてくれ。
それと、危険な実験はするなよ……」
そう言った白山に、ドリーも「ええ」と短く答えると、二人は揃ってコーヒーを淹れるリオンの後ろ姿を、黙って眺めていた。
火傷で焦げた髪を切り、少し短くなったリオンの髪がドリップの具合を見ようと、首を傾げた瞬間にさらりと流れる。
カップにコーヒーを注いだリオンが振り返り、自分に視線を注いでいる事に気づき、ちょっと驚くとカップを鳴らして一瞬動きを止めた。
「どうか、しましたか……?」
リオンが怪訝そうな顔を浮かべながら、二人に視線を送り少し恥ずかしそうに口元を結ぶ。
それを見た白山は、少し苦笑するとゆっくり首を横に振る。
「なんでもないよ」
白山の答えを聞いたドリーは、チラリと白山に視線を走らせ、それからリオンに視線を向ける。
「いや~、コーヒー淹れてるリオンちゃんの後ろ姿がキュートでさ~ぁ。
おねーさん、ムラムラきちゃったよ~」
届いたコーヒーに礼を言って、口に運びかけた白山は、ドリーの思わぬセクハラ発言に、危うく吹き出しそうになってしまう。
しかし、一緒にいる機会の多いリオンとドリーはどうやら慣れたものらしくリオンが平然と切り返している。
「コーヒーを淹れてる最中だと、ドリーさんを確実に大やけどさせる自信がありますね」
そんなガールズトークを聞きながら、白山は改めてコーヒーを口に運ぶ。
魔法陣で沸かしたお湯で淹れたコーヒーは、いつもとは少し違った気がして、どこか落ち着かない白山だった…………
白山の言葉は、Dave Grossman著 『ON COMBAT』からの引用です。
有名な言葉ですのでご存じの方も多いと思います。
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