文明と挨拶と皮肉の応酬
ひとしきりドリーの洗礼を受けた白山は、これはもう仕事どころではないと思って、今日は帰宅する事に決める。
兎にも角にもドリーの召喚は成功したのだ……
明日以降の仕事の組み立てや、割り振りについても少し落ち着いてから、しっかり相談しなければならないだろう。
結局今日は、ほとんど手付かずになっている書類の山を見て、小さく息を吐いた。
その書類の山を通り過ぎた白山は、窓の下に屋敷の馬丁が馬車を曳いているのを目に留める。
訓練を開始してからというもの、訓練生の食事までは手が回らず、三食レーションという訳にもいかない。
結局、フォウルと相談の結果、屋敷から朝夕の食事を運ぶことで当面を凌ぐことが決定していた。
夕食を運んできていた彼に、声をかけて引き止めた白山は、今日は屋敷で食事を摂る旨と、もう一人分の食事それから客室を準備するように伝える。
大きな声と手振りで、白山に答えてくれた馬丁の青年は、少し急がせるように手綱を振り、馬車の速度を上げていった。
ドリーもその光景を見て、データや説明だけではない異世界の光景に、何か感慨めいた物を感じているようだった……
「本当に地球じゃないのね……」
その言葉にわずかに頷いた白山は、ドリーに声をかける。
「今日は仕事はナシだ。 王都を少し見て、それから屋敷で今後について話そう……」
そう言った白山に、ドリーは両手を広げると、何か期待するように嬉しそうな表情で目を見開いた。
その表情に、自分の時もこんな水先案内人が居ればどれだけ楽だったろうと、少し可笑しく感じた白山は、薄く笑ってしまう。
支度をするべく室内を振り向くと、そこには何か安堵するような表情を浮かべていたリオンの姿があった。
そんなリオンの視線が合った白山は、自分の視野が狭くなっている事に気づき反省していた。
「リオン…… 心配かけたな」
そう言って、リオンの肩に手を置いた白山に、リオンのささやかな反撃が加えられる。
ポスンと拳で白山の胸を叩いたリオンは、優しく微笑むとわずかに頷いてくれる……
「ほうほう…… ホワイト! 随分若い彼女捕まえたじゃな~い」
白山とリオンのやりとりを窓辺から見ていたドリーは、そう言うとニヤニヤしながら口笛を吹く。
その言葉で振り向いた白山は、咄嗟に否定しようとしたがリオンが一枚上手だった……
ヒシっと白山の腕にしがみついたリオンは、無言のままドリーにコクコクと頷いてみせる。
「なっ!」
二人の女性からの攻撃に思わず声をつまらせ、固まってしまった白山は言葉が出てこないのは、寝不足のせいだと必死に思考を正当化させていた……
******
リオンとドリーを乗せた高機動車は、王宮への最短ルートである湖畔沿いの道ではなく、南の街道を通って王都へ向けて走ってゆく。
周囲の光景を物珍しそうに見ながら、ドリーは時折白山に質問を投げかける。
それに答えるのは白山であり、時にリオンが補足しつつ、会話が進んでいった。
少し走った所で、周囲に広がる小麦畑や灌漑用の水路を見たドリーは、眉間にシワを寄せ、白山に停車を求めた。
突然の停車要請に白山は何事かと思いながらも、路肩に車両を寄せ小麦畑の側に停車すると、周囲を眺める。
見渡す限りの畑には、秋蒔きの小麦が青々とした実をつけており、間もなく収穫で農家は忙しい時期になるだろう……
車を降りて周囲の作業や水路の様子、それに遠くに見える水車を見たドリーは、小首を傾げながら車両の位置まで戻ってくる。
高機動車を再び発進させた白山は、何かを考え込むドリーに声をかけた。
「何か、気になる事でもあったのか?」
そう聞かれたドリーは、弱々しく首を振ってから車両の騒音に負けないように声を張り上げる。
「文明や工業レベルがチグハグなのよ! 気づかなかったの?」
その言葉に、今ひとつ要領を得ない白山は聞き返す。
するとドリーは簡単に先程の畑での光景を説明してくれる。
「この文明のレベルなら、乾燥農法や小規模な灌漑がせいぜいで、畑の大きさもバラバラな筈よ!
それが、石組みの灌漑水路が備えてあって、区画も大規模に整理されている。 理屈に合わないわ……」
車を走らせながら、白山はドリーがもたらしてくれた新しい視点に驚いていた。
白山にしてみれば、農業やそうした歴史は門外漢であり一般人以上の知識は持ち合わせていない。
せいぜいが一般常識や少し記憶が薄れ始めている歴史の授業の内容や、NGOのメンバーが現地で指導していた農業指導の内容を少し覚えている程度だ。
レイスラット王国は、別名『豊穣の国』と言われるほど食料生産が盛んな国で、他国への輸出も行っている。
その裏にそんな謎が含まれている事に白山は、少し驚く。
「初代の鉄の勇者が魔王を倒した後に、王と共にこの国の立て直しに尽力したとの話が、前に読んだ本にありました」
リオンが、二人に聞こえるようにそんな補足を入れてくれる。
それでドリーは合点がいったように頷く。
「外部からの知識の流入……それでか!」
そんな話をしているうちに、高機動車は外縁の城壁をくぐり王都の街に入ってゆく。
郊外には木造の建物が多いが中心部に近づくに連れて徐々に石造りの建物が多くなってくる。
ドリーは何も言わず、街並みや道行く人々を眺め、白山が鉄の勇者として宣誓を行ってから増えた、手を振ってくれる子供や町の人々に笑顔で手を振り返している。
白山もそれに応えて軽く手を上げながら、ゆっくりと街の中を走り抜ける。
まずは王宮に入り、ドリーを紹介しておく必要があると考えていた白山は、中心街を抜けると城に向けて走り続ける。
程なくして正門から入城した高機動車は、馴染みとなった駐車スペースに車を停めると、白山が先導してドリーを城の中に誘う。
向かう先は、既に馴染みとなった宰相の執務室だった。
この時間ならばサラトナは執務室に居るはずだ。
周囲の建築様式や調度品を確認しながら、歩くドリーを先導しながらそう思った白山は、迷わずにドアをノックする。
すぐに顔なじみとなった文官がドアを開けてくれ、応接室に案内される。
どうやら王への報告に出向いているらしく、サラトナは不在だそうだ……
それほど時間はかからないと言った文官の言葉を聞き、白山は待たせてもらう事を告げる。
その言葉通り、それほど待たずにサラトナが姿を現した。
相変わらず老獪な笑みを貼り付けた、宰相は見慣れぬドリーをジロリと一瞥すると白山に目を向けて口を開く。
「久しぶりだなホワイト卿よ。 今日はどんな用向きでここへ?」
普段の白山を相手にする時とは幾分違う少し固い口調で声を発する宰相は、その目線にありありと『説明しろ』という表情を、無言のうちに浮かべている。
「突然の来訪、失礼します。本日は、新しい副官の面通しにお邪魔しました」
そう言うと、白山は横に座るドリーを紹介する。
「こちらは、ドリス・アボット…… 本日異界の鏡からこちらの世界へ…… ドリー、こちらはレイスラット王国、宰相のサラトナ殿だ」
いきなりこの国の中心人物を紹介されたドリーは驚いた様子だったが、それでも持ち前の人懐っこい笑顔を宰相に向けると、挨拶を交わす。
「はじめまして。ドリス・アボットと申します。宰相様にお会い出来まして、光栄です」
手を差し出し、握手を交わしたドリーとサラトナはそれぞれが着席し、白山はそれを見計らって声をかける。
「今後、副官として宰相殿との連絡に、こちらを訪れる事も多々あると思いますので、その手配をお願いできますでしょうか?」
白山からある程度ラップトップの能力を聞いているサラトナは、温もりあるドリーの手と交わした握手に、召喚された者でも血の通った人間かと考えていた。
そして白山の言葉に頷くと、文官に何かを指示して準備をさせる。
「いや、話には聞いていたが召喚で呼び出される兵とは、どんな恐ろしい存在かと思っておったが、目麗しい女性とはな……」
白山にニヤリと笑ったサラトナは、警戒を解いた様子で、すっかりいつもの口調に戻って、白山をからかった。
その言葉に白山は頭を掻きながらも、こちらもいつもの調子で、反論を繰り出す。
「いや、どこかの宰相殿がやたらと私に仕事を回してくるので、副官を召喚せざるを得なくなりましてね」
白山の皮肉めいた言葉に、クツクツと笑ったサラトナは、出された茶を啜ると更に白山へ反撃を繰り出す。
「グレース王女が朝、周囲の反対を押し切って、お出かけになられたと聞いていたが、その日のうちにこのような女性を呼び出すとは、何とも剛気よのぅ」
その言葉に口に含みかけたお茶を、危うく吹きかけた白山は、無言の反論を視線でサラトナに伝え、それを見た宰相は、堪え切れずに大声で笑う。
白山がやれやれと思って横を見ると、何やら言いたげなドリーのニヤリとした笑みが目に入る……
それを見なかったことにして、白山は昨今の動静について宰相に尋ねる。
「それで、ザトレフの行方に関してはまだ何も?」
その言葉を聞いたサラトナは、愉快そうな笑みを消し、渋い顔で頷くと手に持っていたカップをテーブルに戻した。
「今の所、奴の動静については何も判らん。影と冒険者に探らせているがまだ掴めておらん……
皇国の動きを警戒せねばならんので、親衛騎士団を動かすにも限度がある」
その言葉に、腕を組んで深くため息を付いた白山は、ザトレフを自分が王都へ連行すべきだったかと考えていた。
王都への出頭命令が出たザトレフは、第二連隊長のロルダンと共に白山が出発した翌日に砦を出た。
しかし、王都へ向かう途中にお目付け役の兵を斬り殺し、そのまま逃走を図っていたのだ。
ラモナ・モルガーナ、そしてザトレフ達の出身であるリタの街には、既に内々で手配をかけてあるが、その行方は依然つかめていなかった……
「何か判れば連絡を……」
その言葉に頷いたサラトナは話題を変えるべく白山に話を振る。
「部隊の訓練具合はどんな具合かな?」
その言葉に、首を横に振った白山は現状について報告し始めた。
人数が増えた事により、訓練密度が低下しており、戦力化及び実戦配備には予定よりも時間がかかる事。
それなりに能力は期待できる事を伝えると、サラトナはため息を吐き済まなそうに言葉を紡ぐ。
「こちらの都合で人数を増やして済まんな…… それでも、出来れば戦力化については出来る限り急いで貰いたい。
どうも、南部でキナ臭い話が出ていてな……」
ザトレフの一件が絡んでいるのかどうかは不明だが、南部の諸侯に不穏な動きがあるとの情報がもたらされていた。
それは影による報告や商人達からの噂などで、それらを透かし見ると何やら南部にキナ臭い兆候が見られるという。
それを聞いた白山は、顎に手を当てて考え込むと、確約は出来ないが努力すると伝えた。
「万一の場合には、もう一度…… ホワイト卿に動いてもらうやもしれん。 覚えておいてくれ」
その言葉にわずかに頷くと、先程の文官が静かにサラトナの元にやって来て、何かを手渡す。
それは、王家の紋章が彫り込まれた記章だった。
「ドリス女史とリオンには、こちらを渡しておく。これがあれば王宮内の出入りが認められるだろう……」
そう言って、渡された記章を受け取った二人は頷いてから、それぞれ礼を述べる。
リオンに関しては、白山の護衛として王宮内では既に知られた存在だが、それでも身分証明がしっかり出来るに越した事はない。
執務室を後にした白山達は、屋敷へ向かおうと正門に向け歩き始めた……
その後ろから何か、慌ただしい気配がして何事かと白山が振り返ると、そこには小走りで走り寄って来るグレースの姿があり白山は固まってしまう。
左右を見ればドリーは、ニヤニヤと白山に意味ありげな視線を送り、リオンはしれっと無表情を決め込んでいる。
さてどうしたものかと、白山が固まっているうちに、グレースは少し息を切らせて、白山のもとにやって来る。
とりあえずは、笑顔を浮かべた白山はドリーを紹介しようと、口を開きかけた所でグレースに先を越された。
「ホワイト様、もしやこちらの方は異界の鏡で、召喚なされたのですか?」
白山が笑顔で頷いて「こちらは……」と言いかけた所で、再びグレースが口を開いた。
「はじめまして…… レイスラット王国王女 レイスラット・グレースと申します。
ホワイトには、婚約者候補として、とても良くして頂いておりますの……」
その言葉に、ドリーを紹介しようとしていた白山の体が硬直し、ぎこちない動作で紹介しようとした本人を見る。
するとドリーは白山から顔をそらし、何かを堪えるように肩がヒクついている。
『コイツ、ぜってー楽しんでやがる……』
ドリーの態度に少し腹を立てながらも、白山は大きく深呼吸をして気を取り直すと、表情を取り繕いグレースへと向き直る。
「ええ、グレース様に忠告された言葉をじっくりと考えまして、彼女を呼び出しました。
少々ガサツですが、仕事の腕は確かです」
その言葉に少し表情をムッとさせたドリーだったが、外交用の表情で和やかにグレースと挨拶を交わす。
「ここに居る戦闘しか取り柄のない男から呼び出されました、ドリス・アボットと申します……
王女殿下にお目にかかれまして、大変光栄です」
その言葉に、グレースは少し驚いたような表情を浮かべながらも、笑顔でドリーと挨拶を交わしている。
どうやら白山の女難の日は、まだまだ、続いているようだった…………
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