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目を覚ましたとき、細く開いた窓からはじりじりと太陽が照り付けていた。
薄いカーテンでは、日の光も、うだるような暑さもさえぎることはできなかったらしく、青年は体中にびっしりと汗をかいていた。
密かに自慢の光の加減で青みを帯びる黒髪も、汗で額にはりついて、なんとも気持ち悪い。
同じく密かに自慢の髪と同じ色の瞳にも、たれた汗が流れ込んだのか、かゆいような痛いような感覚が襲ってくる。
「あっつ……なんなんだよ、最近の天気は……」
寝癖のついた髪を、茶色く焼けた腕でかきむしりながら、誰に言うでもなく一人つぶやく。
一年を通して四季と呼ばれる気候の変化のはっきりした、青年の住むシュタイト王国だが、最近は異常気象が続いている。
今の季節的には秋と呼ばれる時期も終わりかけで、例年であれば少し肌寒い位なはずだというのに、ここ最近とにかく暑いのだ。
青年の暮らす兵士寮の中では、流石に高価な、風を起こして涼ませてくれる冷風扇などはなく、外気に頼るほかない。
更に言えば、寮内一、風の通りにくいこの部屋では、まさに地獄のようだった。
「おーい、ユィノぉ。いー加減起きたかぁ?」
その暑さでぼーっと呆けていると、誰もいないであろう部屋に唐突に自分以外の声が響いた。
次いで、開け放たれた窓からひょこりと顔を覗かせたのは、金髪に緑の目をした男性だった。
ニヤニヤと気味が悪いと評判の笑みを顔に張り付けて、こちらを眺めている。
彼の名はルグ。青年の同室で、4年先に入隊した先輩兵士であり、今年度の兵士寮長であり、ルグの所属している隊の隊長だったりする。
ようするに、全てにおいて上官という先輩がルグであった。
呼びかけられた方の青年は、めんどくさそうな表情で「はい・・・」と小さく答える。
呼びかけられた青年、ユィノはこのシュタイト王国において、兵士団に所属する兵士だった。
この国においては、高貴なる血を引くか、もしくは圧倒的な強さを見せた者だけがなれる騎士団と、一般市民からなる兵士団がある。
基本的に自薦他薦は自由な兵士団だが、仕事柄からか、なろうと願うものは少なく、大体は誰かの他薦によってだった。
ただ、ユィノは違う。自分で願書を書き、自ら兵士となった。
父も母も最初は心配したのだが、最後は諦めたのか、とりあえず死ぬな、と言って送り出してくれた。
その父も母も未だ健在で、なおかつ、同じ街に暮らしているのだから、そこから兵舎に通う事もできた
が、ユィノはあえて兵舎寮に住むことを選んだ。
その事を気にしてたずねる人に、ユィノはこう返していた。
「だって、家から王城までとか、歩くのめんどくさいし。何かあったときかけつけるのだるいし。
兵士以外の職業で働くのだって、一々通勤するのも仕事覚えるのとかも、めんどくさいし」
これを聞くとユィノのめんどくさがりな性分を知ってる人は、大抵黙る。
本当はそれだけではなかったのだが、わざわざそれを説明するのもめんどくさいので、ユィノも言う事はない。
そんな兵舎寮は、基本的に昼は非番以外は、訓練か魔物討伐で誰もいない。
夜は、誰かの部屋に集まって騒いでる事が多い。
たまにルグをしたっている人達が集まってユィノ達の部屋で騒いだりもするが、それもたまになので、兵舎寮での暮らしは悪くなく、ユィノはかなり気に入っていた。
ただひとつ、ルグにかなり絡まれているの以外を除いたら、ではあるが。
何かにつけては、話しかけてきたり、こうして世話を焼いたりされる。
そのルグの性格は、誰に聞いてもかなり責任感が強く信頼に値する、と答えが返ってくるだろう。
しかし、ユィノ的に言わせてもらえれば、世話を焼きすぎるタイプ。
だが、そんなルグだから多少なりとも責任ある役職に抜擢されたのであろう。
ユィノはそんな世話焼きなルグが嫌いではなかったが、絡まれたりするのがしょっちゅうなので、鬱陶しいと感じることもしばしばだった。
その窓から覗かせたルグの顔は、ユィノ以上に汗まみれ。
どうもこの異常気象のせいだけではなさそうだ。
大方窓の外に広がる部屋の隣の中庭で、一人訓練でもしていたに違いない。
更に言えば、きっといつまでも起きてこないユィノを心配して、そこで訓練していたのだろう。
声のかかり方があまりにもタイミングがよすぎる。
「いくら非番だからって、そんな部屋にこもってると蒸し鶏になっちまうぞ」
「違いないかもですね。でも起きるのも、だるいんですよ」
「お前なぁ……。そんなんじゃいつかそこで熱中症で倒れちまうぞ」
「そん時はそん時。本に書かれてたんだったら、なるようになった結果です」
「でたっ、まぁたそれかよ」
ユィノが言ってるのは本。
それもただの本ではない。
世界の始まりから終わりまで記されたといわれる創世の書。
世界のどこかに存在しているというそれには、どんな些細なことでも書かれているという。
勿論、書かれていることは世界に関してだけではなく。
他には、国の生まれてから滅びるまで。人一人の誕生から死まで。
世界にあるもの全ての事柄に関して、漏らさず書かれているらしい。
中には、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う輩もいるらしいが、基本的に皆創世の書があるのは疑ってなく、むしろ信仰の対象となっていた。
ユィノはといえば、世界が本から作られているなんて馬鹿馬鹿しい、と思うこともあるが、なんでもかんでも本のせいにできるのが楽だからという理由で口癖になっている。
「まぁ、回避できることは回避しろ。とりあえずその部屋から出て、水でも飲んどけ」
「……めんどく……はい……」
ルグの言い分をまた切り捨てようとしたユィノだったのだが
(お前が倒れたら、オレの責任になるんだっての!)
と、言いたげにこちらを睨み付けるルグの目に圧倒されて、渋々布団から這い出した。
多分その無言の圧力は、読み間違いではないであろう。
ユィノが布団から出て着替えを始めると、ほっとしたようにルグがため息をついたから。
「どうする?どうせ暇だろ、オレと一緒に訓練するか?」
流石に同性だからこそ、覗き見の趣味はないルグは、部屋を覗くのをやめ窓の外に座り込んだ。
ルグとしては、いつもの煙草が欲しいところだったが、生憎今は手元にない。
なので、する事もなく空を見上げる。
「いや、それ位なら街でもいってぶらついてきます」
衣擦れの音と共に、くぐもった声で答えるユィノ。
「まぁ、非番だし行動は任せるが、最近は魔物も活発だ。訓練しとくにこしたことはないぞ」
ユィノはそれに答えなかった。
かわりに部屋から、ばたんと大きな扉の開閉音。
どうやら着替えを終えたユィノが、部屋からでていったようだった。
話をいきなり中断された事に半ばあきれてルグが部屋を覗くと、そこはもぬけのから。
「かー、あいつはほんと人の話をきかねぇ、きかねぇ」
ぶつぶつと呟きながら、壁に立てかけておいた木剣を手に取る。訓練の再開だ。
文句を言いながらも、その顔は心配していたユィノが起きたことで満足そうであった。