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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第5章 夢幻の如く
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第75話 徳川家康という男






 ――――徳川家康






 戦国時代を知る上でこの名を聞いた事が無いと言う人は殆ど居ないのでは無いだろうか。

 三河を根拠地とし、現在は遠江の浜松城に本拠を構える有力大名。

 若き日は今川家の人質と過ごし、名僧と名高い太原雪斎に師事した軍略家にして、野戦の鬼とまで言われた戦国時代屈指の名将の一人。

 そして、史実においては江戸幕府を開いた天下人――――。

 謂わずと知れた英傑であり、日本という国の中ではこの人物を無くして歴史を語る事は出来ないであろう。

 1582年(天正10年)時では未だに織田信長の傘下に近い形での同盟者でしかないが……。

 ”武士の世”を目指す家康が”民”の生活を第一とし、”乱世の業を打ち砕く”事を目的とする信長とは何れ、決別する可能性があるのは明白である。

 あくまで鎌倉幕府のような武士が武士であるための世を築く事を目指し、今はまだ雌伏の時を過ごす英傑――――それが徳川家康という人物であった。







 ――――1582年3月4日







「……しかし、信長殿が甲斐にまで来る手前、公には動けぬぞ。精々、密かに向かわせた数百程度の者らので限界だ。これ以上は手勢を送り込めぬ」


「はい、遺憾ながらこのままでは逃げられましょう」



 勝頼が上州に落ち延びようとしている事を知った家康は兵站を維持する事が難しくなる事を嫌い、何としても勝頼を甲斐へ止める事を望んでいた。

 父、信玄に耐え難い屈辱を味合わされ、勝頼自身には遠江を長年脅かされた恨みがある。

 そのため、家康は武田家を降す事で漸く、自らが溜め込んできた今までの鬱憤を晴らす事が出来るのだと考えていた。

 しかし、私怨だけで武田家を滅ぼそうとは考えていない。

 甲斐を手中に収めるためには独力だけでは不可能だ。

 それ故に家康は駿河に侵攻した際、穴山信君を降伏させる形を取ったのである。

 武田家の一門衆である信君の助力を借りられれば、甲斐を取る名分も成り立つからだ。

 しかし、家康の参謀を務める本多正信は首を横に振る。

 織田信忠が率いる軍勢が武田領内へと侵入しており、織田信長がいよいよ信濃へと入る情報も得ている今、駿河から甲斐へと関わる事は難しい。

 また、信長の目的はあくまで甲斐と信濃の平定にあり、上州は目的ではない。

 故に勝頼が上州に落ち延びた場合は徳川家か北条家に討伐を命じてくる事は明白だ。



「では、如何するのだ? 弥八郎の事だろうから既に次善の策は打っておろうが」



 吝い側面を持つ家康としては出来る事ならば甲斐国内で終わらせたいと考えていた。

 今現在の徳川家の勢力で関東にまで手を伸ばすとなると、約10年程前の姉川の戦いの時の遠征の比ではない。

 ましてや、岩櫃城は三方ヶ原の戦いの策を考えたという怨敵、真田昌幸が縄張りを施した堅城。

 下手をすれば一両年以上も出陣し続けなくてはならない可能性すら存在する。

 家康が面倒だと言ったのはこのような事情もあっての事であった。



「はい。既に梅雪殿を通じて、小山田信茂めに軍勢を動かすように差し向けてございます。彼の者は女々しい側面があります故、必ずや応じましょう」


「……ふむ」



 正信の意見は尤もである。

 信茂は武辺で鳴らした小山田家の者ではあるが、根が小心な部分がある。

 此度の武田家の有様を見て見限る事は間違い無い。

 それに小山田家は半独立の国人であり、武田家の家臣という訳では無いためにその進退は自由だ。

 信茂が勝頼に従わなかったと言うのも道理があってのものとなるだろう。



「しかし、それでも逃げられた場合は如何する?」


「其処は既に殿も手を打っているではありませぬか。……武田を追い落とした後に北条に疑いが向くように仕向けたのは他ならぬ殿です。

 それに……勝頼の命を取るのはあくまで建前でありましょう? 殿の目的はあくまで別にあるのですから」


「ふっ……弥八郎の眼は欺けられぬか。万が一、勝頼が逃げ延びたとしても儂としては一向に構わぬ。寧ろ、信長殿が自ら関東へと向かう理由さえ出来ればな」


「そうですか……。やはり殿の目的はあくまで彼の人物にありまするか」


「……これ以上は言うな、弥八郎」



 あくまで勝頼を逃がさないという腹積もりの家康には本来の別の目的があるという。

 信長が自ら関東へと出兵する名分を立てる事――――それが家康の真の目的。

 もし、織田家が関東に軍勢を出陣させる事になれば、道中に立ち寄るのは徳川家の領地。

 制圧したばかりの甲斐を通るような真似を信長がする可能性は皆無に等しい。

 それ故、関東に信長の目を向けさせる事が出来れば――――。



「今はまだ、耐え忍ぶ時だ。信長殿が表舞台に居られる間までは、な」



 その時こそ天下を取る機会が巡ってくる絶好の頃合いだと踏んでいる。

 そう――――信長が徳川家の領地を通るその時こそが亡き息子、徳川信康や三方ヶ原や長篠で散っていった者達に報いる時なのだ。

 信長の理不尽とも言うべき命令により、逝った者達が家康の背中を後押しする。

 このまま信長に従っていれば何れは目指す天下の相違から戦う事になるのは明白だ。

 それに織田家が関東を平定するにあたり、徳川家はいよいよ邪魔な存在となってくる。

 後々、誅殺される可能性があるのならば計画を練り上げ、信長を排除した方が良い。

 家康は間近にまで迫り来ているその時を実感し、ほくそ笑むのであった。










 ――――3月11日





 ――――秩父






 新府城を焼き払い、岩櫃城を目指す勝頼一行はある時は山道に踏み入り、ある時は土民に見つからないように隠れつつ上州へと急いだ。

 この際の道中にて、勝頼は越後から直江兼続、斎藤朝信の率いる軍勢が援軍として信濃に入った事を知った。

 上杉家には再三に渡って援軍要請をしてきたが、此処にきて遂に動いてくれたのである。

 特に斎藤朝信は北陸を進む柴田勝家に備えていたにも関わらず、信濃の地理に通じていると言う理由で参陣してくれた。

 これには勝頼も感謝の念しか無かったが……時は既に遅過ぎた。

 兼続らが信濃に入った時には勝頼は甲斐へと退いており、孤立した高遠城が残されているのみであったからだ。

 もし、援軍が来るまで勝頼が信濃の諸城を維持出来ていれば存分に戦えていた可能性は高かっただけに尚更、悔やまれる。

 自らの不甲斐なさが景勝の厚意を無にしてしまった。

 恐らく、盛信の亡骸が見つからなかったのも兼続が手を回し、密かに救援したからであろう。

 勝頼は懐刀である兼続を動かしてまで手を貸してくれた景勝には唯々、感謝するしかない。

 信じられない事だが、兼続は勝頼が甲斐から落ち延びようとしている今も信忠の軍勢の主力である森長可、団忠正の手勢を引き受けているというのだから尚更である。

 高遠から越後寄りに陣を下げ、織田勢を牽制している上杉勢は当面に渡って目の上のたんこぶとなるであろう。

 信忠も兼続らを警戒し、抑えの軍勢を残した上で甲斐に進軍するしか無かったという報告からもそれは明らかだ。

 上杉家は確かに盟友としての役割を果たしていると言えた。






「御屋形様!」



 上杉家が介入した間に上州を目指して移動する勝頼らだが、真っ先に岩櫃へと退く事を選択したためかまだ織田家の息がかかった者は道中に配置されてはいない。

 警戒していた土民の襲撃も無く、このままであれば、そう遠くない間に上州へと逃げ延びる事が出来るであろう。

 勝頼を含めた誰もがそう思っていた。



「……解っている」



 しかしながら、遂に追手と遭遇してしまう。

 流石に手を拱いて逃がすつもりは無いようだ。

 甲斐国内での勝頼の道中を先読みし、兵を向かわせるような真似が出来る人物はそう多くはない。

 少なくとも寝返った者達の中で信濃の国衆は除外される。

 となれば、自ずと候補になる人物は限られてくるのだが……。



「……梅雪の手引きか」



 勝頼は徳川家が動いた事を察する。

 後を追いかける織田家が先回りする事が困難である以上は徳川家か北条家しか考えられない。

 だが、北条家は親武田派である氏政と氏照が一定の抑えを利かせているため、積極的に勝頼を討つ可能性は考えにくかった。

 それにより、後は徳川家に絞られるのだが……信君が既に家康に降っている事が明らかになっているだけに敵が何者であるかは容易に見て取れた。



「おのれ、出羽め!」



 背後から迫り来る軍勢は新府城で別れたはずの小山田信茂の軍勢。

 始めにそれを目にした時は信茂も共に岩櫃へと退く事を決断したのだと思ったのだが……如何も様子が可笑しい。

 長年に渡って武田家に味方してきた小山田の者であるだけに勝頼は杞憂だと判断し、信茂を迎え入れようと判断した。

 しかし――――信茂の手勢は勝頼らの姿を見るやいなや、鉄砲を撃ちかけてきた。

 明らかな返り忠に勝頼は怒りを隠せない。



「御屋形様……!」


「……いよいよ我らも覚悟を決めねばならぬ時がきたようだ」


「はい……」



 最早、此処までだと口にする勝頼。

 背後から迫ってくる信茂の軍勢だが、前方にも不義の者達が陣取っている。

 上州に向かおうとしている一行が勝頼である事を知った上で道を塞いでいるのだ。

 柵を構え、道を封鎖する形で陣取っている者の先頭に立っている者の顔を勝頼は知っている。

 辻弥兵衛と渡辺囚獄佑の両名だ。

 嘗ては武田家の家臣として仕えていた弥兵衛と穴山信君に仕えていた囚獄佑。

 共に勝頼が通るであろう道筋を先読みし、布陣する事が出来る人物である。

 それ故に両名が岩櫃の道中にて待ち伏せをする可能性がある事は充分に考えられた。

 特に弥兵衛は勝頼の手によって武田家を追放されたという経緯がある。

 徳川家に寝返り、如何なる手段を以ってしても勝頼を討ち果たそうとするのは無理もない事であった。

 織田家の侵攻に始まり、徳川家、北条家といった諸大名と敵対し、嘗ての家臣に首を狙われる――――。

 自らが蒔いた種が今の状況を生み出したのだ。

 上州へと落ち延びる選択肢を選ぶしか無かったのもそれによるものであり、尽く選択肢を誤ったが故のもの。

 その報いが今、此処で降りかかるかのように勝頼達一行は上州を目前にしたところで逃げ場を失ってしまったのである。











「我が方で戦える者は僅かに50人足らず、対する敵は前後合わせて、1000程と言ったところか……」


「父上。最早、詮無き事です。……戦いましょう」


「……うむ。此処が我らの死に場所やもしれぬ」



 20倍以上もの軍勢に挟み討ちにされ、逃げ場が無いと判断した勝頼は信勝の進言を受けて戦う決意をする。

 鉄砲を射掛けて来たのは信茂の軍勢の先鋒で数は大した事無いが、このままでは何れ追い付かれてしまう。

 それに道の先には弥兵衛と囚獄佑が陣取っているのだ。

 強行突破は決して不可能ではないが、此方には桂を始めとした女衆が居るために強行する事は叶わない。

 時間を掛ければ結局は信茂の軍勢が追い付き、10倍もの数の軍勢を相手にして戦う事になる。

 進むも退くも無意味であるならば、甲斐源氏の名にかけて討ち死にする方が余程良い。

 しかし、それでも女衆だけは逃がさなくてはならない。

 勝頼は敵を弥兵衛らに絞る事にし、一か八か道を切り開く事を決断する。



「御屋形様! 先に参ります、冥府にて御会い致しましょうぞ!」


「解った、昌恒。……御主の忠道に感謝する」


「ははっ!」



 真っ先に先鋒として名乗りを上げたのは側近である土屋昌恒。

 勝頼の側近として長年に渡って昌恒はこれが最後の奉公として自ら斬り込む事を告げ、勝頼の下を後にする。

 成すべき事は勝頼らが先に進めるように時間を稼ぐ事。

 昌恒は殿を務めるため、信茂の率いる軍勢に立ち向かってゆく。

 そして、昌恒が最後まで勝頼の下へと戻ってくる事は終ぞ無かったのである――――。






「父上!」


「……うむ」



 信勝と共に自ら槍を取り、幾人かを討ち取る勝頼。

 自らの武勇を自負するだけあり、土民を中心とした戦力である弥兵衛らの軍勢は忽ちに蹴散らされていく。

 しかし、柵の向こう側に陣を構え弓、鉄砲を射掛けてくる者達に阻まれ勝頼は先に進めずにいた。

 女衆を守りながらという条件に加え、敵方に地の利がある以上は思うように戦えないのも無理はない。



「……良くぞ、此処まで堪えてくれた」


「昌恒の忠道……この武田信勝、決して忘れぬ」



 背後から信茂の軍勢がいよいよ目視で捉えられる段階にまで近付いて来た事を見て、勝頼は殿を務めていた昌恒が戦死した事を察する。

 僅か10数名だけを率いて斬り込んだにしては良く戦ってくれた。

 昌恒が少しでも時間を稼いでくれた事でこうして、勝頼と信勝は地の利が無いにも関わらず戦う事が出来た。

 だが、それもこれまでだ。

 前方の弥兵衛らを突破出来なかった現状で信茂の率いる軍勢とそのまま戦う事は無謀でしかない。



「……桂」


「御屋形様……何も仰らないで下さい。桂は貴方様と連れ添えて幸せでした」


「本当に然様に思ってくれるか」


「はい。最期の時まで共に居られる事は女人としてこの上ない幸せです」


「……儂も其方と連れ添えて良かった。短い時間ではあったが……結ばれた縁は永劫に続くものだ。冥土でもまた連れ添おう」


「四郎様……」



 勝頼と桂は笑顔で視線を交わす。

 この先に見えるのは冥土しか無いが、共に逝けるのならば何も恐るものは無い。

 後は甲斐源氏の頭領として恥じない最期を迎えるだけだ。



「信勝よ、御旗と楯無の鎧をこれに」


「はい、父上」



 武田家に伝わる御旗と楯無の鎧。

 勝頼と信勝は最後の誓いを立てる。



「甲斐武田家20代目当主、武田四郎勝頼がこれより、押し寄せるであろう不義なる者共を迎え討つ! 御旗、楯無、御照覧あれ!」


「御旗、楯無、御照覧あれ!」



 勝頼と信勝と残った僅かな家臣達の連呼が響き渡る。

 いよいよ、最後の出陣の時だ。 

 敵が間近にまで迫ってきている今、この誓いが最後となる。

 時折、啜り泣く家臣達の姿を見るとそれが皆も解っているからであろう。

 武運も拙く力が及ばなかった以上、残されたのは華々しく戦って散る事のみ。

 勝頼は楯無の鎧を身に付け、甲斐源氏の頭領として出陣の準備を済ませた。

 後は陣頭に立って斬り込み、出来る限り多くの者を道連れにするだけだ。



(……安房、許せよ)



 勝頼は岩櫃で防備を整えて待っているであろう昌幸に謝罪する。

 上州はもう目の前であると言うのに辿り着く事が出来なかった。

 智謀の限りを尽くして、手段を打ってくれた忠臣に報いる事が出来ない事だけが申し訳ない。

 信玄の眼が見ていたものを最後まで見る事が出来なかった自分への罰なのかもしれない。

 最早、武運も尽き果てた今となってはそれを考えるのも無駄な事であるのだろうが――――勝頼には何の術も残されてはいない。

 勝頼は心の内で昌幸に謝罪し、信勝と共に最後の戦いに挑まんとゆっくりと前に進み出る。

 そして、最後の号令を発しようとしたその時――――











 上州方面から多数の騎馬武者が迫って来る。

 軍勢の数にして約500前後と言ったところであろうか。

 騎馬武者達は上州への道を塞いでいた弥兵衛らを瞬く間に蹴散らしたかと思うと躊躇う事なく、信茂の軍勢へと突撃して行く。

 その光景はまるで突風がいきなり吹き荒れるかのように見える。

 駆け抜けていった騎馬武者の後には多数の土民が倒れており、塞がれていた上州への道も綺麗に開かれていた。

 一体、何が起こったのか解らないと言った様子の勝頼達一行に騎馬武者の大将と思われる一人の武将が歩み寄る。



「……遅くなりまして申し訳ございませぬ。父、真田昌幸の命により御屋形様を御迎えにあがりました」



 歳の頃は10代半ばを過ぎたくらいだろうか。

 16歳の信勝と同年代ではあるが、落ち着き払った風貌は些か大人びて見える。

 だが、昌幸を父と言ったこの若き武将は勝頼の良く知る人物であった。



「……源三郎かっ!」



 思わぬ味方の来援に勝頼が名を口にするよりも早く歓喜の声を上げたのは信勝だ。

 それほど長い時間では無かったが、共に武芸、軍学といった嗜みを学んだ盟友が窮地に駆け付けてくれた事が嬉しくない訳がない。

 信勝が源三郎といったこの若き武将はそれほどまでに縁のある人物であったのだ。

 真田昌幸の息子――――通称、源三郎。

 勝頼らを救わんがために昌幸が手を打った切り札とも言うべき手勢を率いて現れたこの若き武将。

 遠い先の時代では信濃の獅子の異名で呼ばれる事で知られる人物であり、此度の武田家滅亡における仔細の結末を変える事になった人物――――。

 名を真田源三郎信幸と言った。
















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