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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第5章 夢幻の如く
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第71話 武田家の女として





 ――――1582年2月19日






 ――――新府城






 上原城にて、勝頼らが紛糾している敗報は新府城にも伝えられていた。

 流石に目を当てられない状況であるためか、勝頼は新府城に報告する事を避けていたが、各地から落ち延びてくる足軽等の姿から事実は隠しようがない。

 そのため、勝頼を待ちわびる者達の耳にも良く届いていた。



「御屋形様……」



 続々と届けられる余りにも酷い内容の報告に勝頼の身を案じながら待っていた桂は落胆を隠せない。

 味方にとって不利な話以外は何もないと言う現状に成す術もない己の身が不甲斐なく思えてくる。

 勝頼の妻として、支えなくてはならないのに。



「何故……重代の恩義を忘れる事が出来るのでしょう?」



 普段は威勢の良い事ばかりを言っていても、不利となれば見限る者の多い事に桂は呆れるしかない。

 確かに先代の信玄は信濃に侵攻し、否応無く従わせてきた。

 しかし、真田家を始めとした信濃の者達の独立性を認め、厚遇している事からすれば決して無碍に扱ってきた訳ではない。

 寧ろ、対等に扱ってきたと言える。

 それにも関わらず、裏切っていく者達の思いは桂には到底、理解出来なかった。

 特に木曽義昌や小笠原信嶺は一門衆として迎えられ、信濃の国衆でも厚遇されてきた立場である。

 否応無しに従うしか選択肢はなかったとはいえ、武田家は相応の扱いをしてきたはずだ。



「普段は威勢の良い事を言っていてもその実態がこれでは……御屋形様が報われませぬ」



 しかも、勝頼自身には何一つとして咎はない。

 信玄の信濃攻めの過程で生まれる事になったその身はある意味では裏切った者達と立場は変わらない。

 だが、武田家の血筋でありながら、諏訪家の血筋であるという立場はそれを複雑にする。

 信玄の子である以上は武田家の者である事に変わりはないからだ。

 それ故に甲斐でも信濃でも勝頼の立場は難しいと言わざるを得ない。

 また、生前に信玄が自身の死後における勝頼の扱いを明確にしなかった事もそれに拍車をかけた。

 各方面から複雑な立場にあった勝頼はほとほと、振り回されているようにしか思えない。

 普段は威勢の良い事を口にする者達もいざとなれば裏切るなど、勝頼の立場を示唆しているようであった。



「……それが如何して裏切れましょう」



 だからこそ、桂は勝頼に尽くすという自らの信念を揺るがす事だけは認められない。

 勝頼の立場の苦しさは以前まで同盟関係にあったはずの北条家から嫁いできた者として誰よりも解っている。

 武田家の者として在りたいのに、あくまで北条家の者として扱われる事は正室として勝頼を支えようと思う桂にとっては辛いものでしかなかったのだから。

 その点では形こそ違えど、複雑な立場にある事は勝頼と同じであり、同士であるとも言える。

 故に桂は勝頼の事を深く理解し、愛する事が出来るのかもしれない。



「御屋形様に御加護があらん事を……」



 桂は唯々、勝頼を想い、願文を武田家縁の八幡宮へと奉納する。

 書かれた内容は次々と裏切っていった者達の悪行を論い、勝頼への加護を願ったもの。

 それに加えて、武田家の繁栄を願った一文も書かれた願文は桂の切々たる思いが綴られている。

 だが、この願いは寂しく虚空へと響くのみ。

 桂が勝頼のために祈りを捧げている今も織田家の侵攻は止まる事を知らなかったのである――――。











 次々と届けられる悲報は主に西からやって来る。

 目にも当てられない状況である事は百も承知であったが、桂は未だに一縷の望みをかけていた。

 東から届くはずの兄、北条氏照からの書状である。

 桂は北条家に残る親武田家の立場を取っている氏照に武田家援兵の軍勢を出して貰えないかと八王子まで密かに使者を遣わしていた。

 それが、今の頃合になって漸く届いたのである。

 悲報しか届かない現状では氏照からの返答が数少ない希望と成り得た。

 封を切るのももどかしく、桂は待ち望んでいた氏照の書状を食い入るように読む。

 しかし、最後まで書状を読み終えると桂は愕然とするしかない。

 書かれていた内容は望んでいたものとは程遠いものであったからである。

 





 氏照自身は武田家に味方したいと思ってはいるが、北条家はあくまで織田家と手切れをしている訳ではない。

 故にあからさまな形で対立する事は出来ないのである。

 しかしながら、勝頼が落ち延びるのであれば密かに匿う事も吝かではない。

 





 内容としては勝頼を無碍にするものではなく、可能な範囲では動いてくれるとの事である。

 だが、何方とも言えない返答は基本的に中立の立場を選びがちな北条家らしいものであった。

 親武田派と親織田派と家中が二分されている現在の北条家では援軍を出してくれというのも難しい話である。

 現当主である北条氏直は叔父である北条氏規と共に織田家を支持すべきだと主張しており、先代当主である氏政と氏照とは主義が違う。

 そのため、親武田派は救いの手を差し伸べる事が困難になっているのだ。

 氏照はそれでも勝頼を匿うと言ってくれてはいるが、北条家の当主はあくまで氏直である。

 実権が氏政にあるのだとしても、当主の命令となればそれに従うものだって出てくるのは当然だ。

 もし、北条家に逃げ込めば何れは氏直によって織田家に引き渡され、その身が如何になるかは解らない。

 桂は氏照からの書状の内容から親武田派の発言力が大きく低下している事を実感した。



「兄上でも難しいとなると……」



 此処はやはり、佐竹家を頼るしか道は無いかもしれない。

 織田家との和平交渉のために尽力してくれた佐竹義重ならば勝頼を匿った上で改めて交渉してくれる可能性も高く、北条家よりも信義と言う点では信頼出来る。

 以前に真田昌幸が甲佐同盟を締結させたこのような事態を見越しての事だろう。

 上州まで退きさえすれば、如何様にも戦う術があると昌幸が具申していたのは当然だったのかもしれない。

 それに武田家は本来、佐竹家と同じく新羅三郎義光を祖とする常陸の源氏である。

 態々、甲斐に固執しなければ道が開ける可能性は在り得ない事ではない。

 だが、桂には義重との繋がりが無かった。

 元より佐竹家の仇敵である北条家から武田家に嫁いだのだ。

 義重と接点を持つ術など存在するはずがない。



「やはり、安房守殿が頼りですか……」



 そのため、佐竹家に手を回す事が出来るのは武田家中でも直接、交渉を請け負っていた昌幸に限られてくる。

 しかし、昌幸はあくまで勝頼の家臣であり、独断で動く権利はない。

 上州に関しては全ての采配を委ねられてはいるが、現状は北条家の備えを任されているために動く事は難しい。

 それに強大な勢力と戦力を持つ佐竹家は武田家の盟友の中では最も信頼出来る相手ではあるのだが、派閥としては親織田家でもある。

 勝頼が頼る訳にはいかないと言っていたのは義重が明確にその立場を示しているからだ。

 ましてや、盟約を結んでからの間は和睦交渉のために働きかけてくれていたのである。

 佐竹家にはこれ以上の干渉を武田家からは求める事は流石に出来ない。

 勝頼もそれを承知しているのか、義重が如何に動くかは判断次第に委ねていた。



「ですが、常陸介様に働きかけなくては上州に落ち延びたとしても先行きは見えません……」



 これほど自分が女の身である事を口惜しいと思った事はない。

 勝頼の何の力にもなれない事が桂には悔しかった。

 歳上の義弟である仁科盛信や一門衆の武田信豊のように勝頼に近い場所で力になれる者達を羨む。

 しかし、桂が如何に優れた知識、教養を持つ人間であっても一人では何も出来ない。

 昌幸のように神算鬼謀と言うべき溢れんばかりの智謀と孫子兵法を始めとした多数の軍学を極め、実行出来るだけの手腕が無ければ秘策を齎す事も出来ないのである。

 力になろうと思っても今の織田家の前には桂の力は余りにも無力だ。

 それが自分でも解っているだけに尚更、口惜しく思う。

 だが、桂には何も出来ない。

 唯、それでも出来る事があるとするならば、何れは新府城に戻ってくるであろう勝頼を支える事だけ。

 戦の心得のない女人の身で出来る事はそれだけなのかもしれなかった。











 ――――1582年2月20日






 ――――春日城






 桂が願文を奉納した2月19日から翌日、2月20日にかけて信濃の情勢は更なる悪化を見せていた。

 織田信忠が率いる織田家の軍勢は伊那方面の諸城を次々と接収していき、いよいよ高遠城を孤立へと追い込む。

 だが、高遠城を守るのは若き猛将と名高い仁科盛信である。

 それに加え、信濃における最大の防衛拠点でもある高遠城は今までの諸城とは違い、相当の抵抗を見せる事は目に見えていた。

 信忠は甲斐にまで攻め寄せるにあたっては被害を大きくする事は避けたいと考え、攻め寄せる頃合いを躊躇う。

 一先ず、高遠城に程近い春日城に陣を構えた信忠は滝川一益と軍議を重ねていた。

 その中で前提としなくてはならないのは高遠城から行程にして2日の距離に勝頼の居る上原城がある点と馬場信頼の守る深志城が行程3日の距離にある事だ。

 特に上原城は勝頼の率いる15000前後の大軍が健在である。

 これで信忠が高遠城に攻め寄せようものなら勝頼と信頼の軍勢が後詰をしてくる事は兵法の定石だ。

 それを懸念した信忠は数日前に鳥居峠を陥落させた勝長に深志城攻めを任せる事を決断する。

 上原城からは諏訪湖を迂回し、塩尻峠を越えれば深志城の救援に向かう事は可能だが、高遠城の救援に向かう事は出来なくなる。

 勝頼が深志城への救援のために軍勢を動かせば信忠はすぐにでも高遠城攻めに専念する事が可能となるのだ。

 だが、未だに報告のない上杉家の軍勢の動きも気になる。

 信忠は今暫くの思案の余地があるとし、勝長への深志城攻めの命を下した後、高遠城攻めに関しては包囲するに止める事とするのであった。






 ――――2月20日同日






 ――――相模国






 ――――小田原城






 織田家が確実に信濃の侵攻を進めていく最中、遂に小田原の北条家にも武田攻めの要請が届いた。

 現当主である北条氏直はそれに従うべきだとし、先代当主である北条氏政は今すぐに従うべきではないと反論する。



(早晩、武田は滅ぶだろう)



 だが、氏政にも武田家が滅びへの道筋を突き進んでいる事は解っていた。

 録な組織抵抗も出来ずに次々と諸城を失っていく信濃の情勢を聞けばそれは明らかである。

 予想以上に織田家の動きが早いというのもあるが、それ以上に信濃における武田家の信望の無さには氏政も慌てた。

 諏訪家の人間である勝頼が当主ならば国衆も従うであろうと思っていたからだ。



(しかし、そうなった場合……戦後の不安が残る)



 武田家という障壁が失われてしまえば、北条家はいよいよ織田家と国境を接する事になるのである。

 氏政はそれを懸念し、積極的に武田家に侵攻する事を躊躇っていたのだ。

 しかしながら今の情勢からすれば悠長に構えていられる場合ではない。

 妹である桂からの要請が氏照の下に届いた事も知っていたが、此処まで来てしまっては桂の願いに明確な返答を出す事も叶わなかった。



(ならば、この段階で戦力を消耗するのは得策とは言えん。……氏邦には上州までで戦の地域を限定するように指示を出すか)



 最早、軍勢を動かす事は避けられないと判断した氏政は内心で結論付ける。

 先行きの情勢が不透明である今、兵力を無闇に損なう訳にはいかない。

 自らも河東に地域を限定し、それを確保する事に絞るべきだ。

 織田家を全面的に信用する訳にはいかないのは勿論、難敵である佐竹家に備える必要があるのだから。

 現状の佐竹家は相馬家を傘下に加え、関東北部を起点に強大な勢力を誇っている。

 戦力としても当主、佐竹義重を始め、佐竹義久、真壁氏幹、太田三楽斎資正といった曲者揃い。

 また、義重の実の甥である宇都宮国綱が当主を務める宇都宮家にも油断は出来ない。

 佐竹家を中心とした反北条勢力には幾度となく煮え湯を飲まされてきただけに警戒するに越した事はないだろう。

 唯一、救いなのは盟主である佐竹家が親織田家の立場にある事くらいだ。

 佐竹家は武田家に対しても友好的な立場を示しているが、その態度は自らが率先して和睦交渉に臨むほどに明確である。

 清々しいとも言うべき佐竹家の態度には織田家も信を置いているらしく、一目置いていた。

 それだけに織田家が北条家と国境を接した際に佐竹家が要請すれば攻め寄せてくる可能性も高い。

 氏政は父、北条氏康を相手にしても一歩も引けを取らなかった義重の恐ろしさは身に染みて理解している。

 外交の駆け引きにおいても卓越した視野を持つ義重を前にして、武田家の滅亡後の動向で優位な立場を得る事は不可能だろう。

 故に氏政は万が一の際に備えての地盤を固めるべきだと考えていた。

 武田家滅亡が現実のものとして近付いてきている今、北条家も手を拱いている訳にはいかない。

 その点では氏直が積極的に動く事にしたのは都合が良いとも言える。

 皮肉なものではあるが、親武田派の者達の発言力が弱まった事で氏直の方針が反対される事が殆ど無かったのだ。

 実権は未だに氏政にあるとはいえ、現状の当主が氏直である以上、氏政には如何する事も出来ない。

 精々、弟達に一定の指示を与えておく程度である。



(武田のために必死になっている桂には悪いが、北条を守るためだ。……出来る限りの事はするつもりではいるが、許せよ)



 氏政は桂の要請に応じる事が出来ない事を内心で謝罪する。

 最早、情勢を覆す事は不可能なのである。

 北条家の事を考えれば桂の求めには到底、応じられない。

 精々、落ち延びてきた際に密かに匿うか逃がすかするので精一杯だ。

 こうして、北条家は数日後の2月26日には遂に武田家攻めへと加わる事になるのであるが……。

 唯々諾々と従うつもりは無いとする氏政、氏照らと従うべきとする氏直、氏規らの間で権力構造が二重化した事で北条家は終始に渡って動きの一貫性を欠く事になる――――。















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