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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第5章 夢幻の如く
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第69話 自落する城






 ――――1582年2月14日






 ――――岩村城






「何っ!? 長可と忠正は既に松尾城までも陥落させただと!?」



 長可と忠正の両名を先鋒として出陣させて、僅かに数日。

 まるで嵐の如く、突き進んでいく両名に信忠は驚きを隠せない。

 よもや、此処まで一気に行く事になるとは思わなかった。

 相手は武名高き、武田家であるだけに信忠は苦戦すると踏んでいただけにその予測は大きく外れたと言える。

 長可と忠正は確かに勇猛果敢で攻めに転じた場合の働き振りは目を見張るものを持っているが……。

 若い両名では流石に限界もあるだろう、と信忠は踏んでいた。



「先鋒としての力量は信じていたが……予想外であった」



 それだけに此処まで快進撃が止まらないのは予測出来なかった。

 武田家の強さは今までの戦歴が全てを物語っているのだから。



「もしや……俺や父上が考えている以上に弱体化しているのかもしれぬ。……一益!」


「ははっ!」


「今直ぐにでも出立する。長可の性格を考えれば飯田城辺りまでは進むだろうから、其処で合流する」


「畏まりました」



 しかし、信忠はこの状況が自分で考えている以上に武田家の衰退が進んでいるの事の証明であると判断する。

 最強とも名高い武門の名門が呆気無く崩れていく今の流れを逃してはならない。

 後から安土を出陣すると告げていた信長からは「儂が到着するまでは逸るな」と言われていたが、座して待つ事が良いとも限らない。

 実際に現地の状況を見てみなければ信忠も進むべきか止まるべきかの判断を下せないのだ。

 それに長可らの性格を踏まえれば、このまま進軍を止める事は無い。

 松尾城を陥落させたのならば、次の目標は予定していた飯田城となる。

 信忠が今直ぐにでも出立して飯田城で合流するとしたのはそれを見越しての事だ。

 家臣である滝川一益に告げたのも裏付けがあっての事である。



「……さて、今の武田は如何様になっているのであろうな」



 慌しく一益がこの場を後にしたところで信忠はぽつりと呟く。

 今の武田家は木曽義昌の寝返りを皮区切りに崩壊が始まっているのは疑いようがない。

 一気に突き崩すかのように快進撃を続ける長可らの進軍もそれがあっての事だろう。

 先鋒を任せた両名は感覚的に武田家の脆さに気付き、進むべきだと判断した可能性も考えられる。

 本来ならば独断専行で動いた長可と忠正を叱責せねばならないところだが――――これでは士気を落とす事にしかならない。

 戦況が順調に動いているのならば逆に褒めてやるべきだろう。

 信忠は苦笑しつつも進軍の準備を整える事にするのであった。











 ――――2月15日






 ――――飯田城






 先日に降った小笠原信嶺を先鋒とし、長可らの率いる織田家の軍勢は飯田城を取り囲んだ。

 飯田城を守っているのは槍弾正の異名を持つ猛将、保科正俊と保科正直の親子に小幡忠景らを始めとした約2000騎の軍勢。

 しかし、この地を守る正俊と援軍として飯田城に入った忠景の意見が合わず、戦う前から内輪もめを起こしていた。

 長可、忠正の率いる軍勢が攻め込んだのは正にその矢先の事。

 武田家の側とすれば隙を突かれた形であったのだが……。

 先頭で翩翻と翻る小笠原信嶺と下条氏長を前にして城内の兵が激しく動揺する。

 何しろ、織田家には在り得ないはずの人物の旗が見えたのだから。

 特に一門衆であるはずの信嶺の旗が立っている事が決定的なまでに城内の兵達の動揺を誘う。

 僅か数日の間に義昌に続いて、一門衆が寝返ったというのを目にして大将では無い者に平静を保つ事は難しい。

 城内は色めき渡り、騒ぐ声が相次いで聞こえる有様となっていた。



「……敵は動揺しておるな。いけるぞ、長可殿」


「ああ、言われるまでもない!」



 飯田城の内部が混乱している事を見抜いた長可と忠正は動き始めた。

 軍勢を飯田城の近くにある梨野峠へと上らせ、城兵がそれに気を取られている隙に城の構造を知る信嶺らが諸所に放火する。

 多数の一揆勢を相手にして戦ってきた長可はこういった判断が非常に速い。

 城に籠る者達を燻り出すための一連の流れを見極めた2人は飯田城まで追ってくるであろう信忠を迎えるために一気に陥落させるべく行動を開始した。

 援軍に来なかった武田家への怒りが溢れんばかりに激っている信嶺も本領発揮と言わんばかりに彼方此方へと放火していく。

 信嶺からすれば武田家の方から見捨ててきたのだから最早、容赦する必要性は全く無い。

 寝返ったからには存分に働き振りを示すまでである。 

 信嶺は昨日の段階で腹を括っていたのであった。






「くっ……落ち延びるしか無いとは」



 飯田城の諸所から火の手が上がった事に恐怖し、一目散に逃げ出した忠景に悪態を吐く正俊。

 勝頼の命令で援軍に来た者が命欲しさに真っ先に逃げ出すとは情けない。

 槍弾正の異名を持つ歴戦の勇士である正俊は落胆を隠せなかった。

 如何に信嶺が寝返り、織田家の軍勢に囲まれたとはいえ、戦う前の段階で何もせずに逃げ出すとは。 

 抗戦するための術で揉めていたのもあるが、忠景の行動には落胆せざるを得ない。

 しかし、火の手が上がった以上、城内に籠る事は不可能。

 幾ら猛将と名高い正俊であっても軍勢が機能しない状況で反攻に転じる事は出来ない。

 手段が存在しないのでは如何にもならなかった。



「……御屋形様、申し訳ございませぬ」



 不甲斐無い己の身を恥じながら正俊もまた飯田城を後にする。

 槍弾正とまで謳われた自分が何も出来ないとは。

 老いた身であるとは言え、所詮は先代の信玄があってこその槍弾正であったのかもしれない。

 攻め弾正こと真田幸隆、逃げ弾正こと高坂昌信の両名が亡くなり、三弾正とも言われていた人物で生き残っているのは正俊唯一人。

 信玄の頃より数多くの戦を戦い抜き、戦場を駆け回った者の多くの者亡き今こそが槍弾正の務めを果たすべき時であった。

 しかし、自洛へと突き進む飯田城の姿を前にして何も手立てを施す事が出来ない。

 常人を遥かに超越した智謀の持ち主であった幸隆や「戦は昌信にやれ」とまで信玄から全面的に采配を委ねられていた昌信ならば手を打てたのであろうが……。

 個人技に長ける正俊では単独で斬り込んで武勇を示す以外に影響を及ぼすには至らない。

 正俊一人で戦況を覆す段階は終わっているだけに撤退する以外の方法は残されてはいなかった。

 こうして、無血開城に近い形で飯田城は陥落する。

 滝之沢城、松尾城に続いて飯田城までもが僅か1日と経過せずに織田家の手に落ちたのだ。

 更には飯田城が落ちた後に迎える2月15日の夜、遂に大軍を引き連れた信忠が合流する。

 事態は最早、手に負えない段階にまで達しつつあった――――。











 ――――2月15日同日夜






 ――――大嶋城






「何じゃ、何が起こっておる!?」



 信忠が長可らと合流するよりも数時間前――――。 

 伊那谷防衛の要として戦力を集中させていた大嶋城から突如火の手が上がる。

 織田家の侵攻が予測される以前より、岩村城の兵站基地としての役割を持たされていたこの城は予てより攻められる事が予測されていた。

 そのため、一門衆の筆頭である信玄の弟、武田逍遥軒信廉を入城させ、此度の戦に備えて防備を強固にしてきたのだが……。

 突如として発生した外曲輪からの火の手に動揺を隠せない。

 大嶋城は実直な人柄で知られる歴戦の将、日向玄徳斎宗英が城代を務めており、勝頼も宗英の性格を踏まえて信頼していた。

 宗英は今は亡き、武田四名臣の一人である馬場信房の相備衆として活躍した人物。

 信房と共に数々の戦を共にした宗英は宿将の一人としてその名を連ねていた。

 それに加え、一門衆の筆頭である信廉が在城していると言う事は大いに士気を高め、大嶋城内では「織田家など何するものぞ」という気風が流れるほどであった。

 ところが突如として上がった火の手がその気風を一気に晴らしてしまう。

 松尾城や飯田城から逃げてきた兵達が動揺を拡大させ、暴走を促したのである。

 これにより、城内の兵達は統率が執れる状態では無くなり、混乱が広がっていく。

 織田家の大軍が迫ってきているのは前もって理解していたが、逃げてきた者達は全員が数日で陥落する事は在り得ない要所を守っていた者達。

 それが一目散と言わんばかりに大嶋城へと逃げてきたのだから織田家の軍勢は余程の大軍か精強な軍勢であるという憶測が兵達の間で飛び交い、大混乱を招いたのだ。



「うぬぬ……これでは籠城どころでは無い。……儂も退かせて貰おう」



 燃え上がる火の手を見ながら、信廉は抵抗する事を諦める。

 兄、信玄と瓜二つの容姿であると言われながらも雲泥の差のある軍事的才覚しか持ち合わせない信廉では事態を収拾する手段が無い。

 早々に撤退する事を決断する。



「逍遥軒様!」



 それに対し、反対の声を荒げる宗英。

 勝頼から大嶋城を任され、武田家の持つ築城技術を駆使してまで防備を強化したこの城を自落させるなど認める訳にはいかない。

 ましてや、一戦も交えていないのだ。

 兵達の中では動揺が広がっているが、あくまで様々な憶測が飛び交ったが故に起こったもの。

 宗英のように数多くの戦場を渡り歩いて来た者からすれば現実に一当てするまでは納得出来るものではなかった。



「……玄徳斎。御主が騒いだとて如何にもならぬ。亡き、兄上であれば幾らでも手を打てたのであろうがな」



 しかし、信廉は宗英の反論を一蹴する。

 恐慌状態にある軍勢を纏め、正常な状態に戻すなど絶対的な力を持つ信玄のような人物でなければ不可能だ。

 皮肉にもこの場にはそのような天性のものを持つ人物は誰一人として居ない。

 信廉とて信玄に容姿が似ているだけでしか無いのだ。

 如何に信廉が画家としての才覚に優れていようが、武将としての力量は信玄とは及びもつかない。

 それに宗英も実直な人柄こそ美徳であると言えるが、目立った功績のある人物ではない。

 良く言えば堅実で悪く言えば目立たない人物。

 宗英と言う人物は信用する事は出来ても、全てを委ねる事が出来るには至らない。

 今の武田家中で全てを委ねる事が出来るほどの力量を持つ人物は信玄が我が眼と評した真田昌幸か曽根昌世の両名のみ。

 宗英の力量では役者が不足している。

 信廉は信玄と自分を引き合いにする事でそれを示唆したのであった。



「……無念にござる」



 宗英は嘗ての主である信房を思い浮かべながら涙を流す。

 唯々、不甲斐ない身を恥じるしかない。

 鬼美濃と名高かった信房ならばこのような醜態は見せずに済んだであろうに。

 だが、信房ではない宗英には信廉の言う通り、事態を収拾する事は不可能。

 如何なる手を打とうとも挽回する事は出来ないだろう。

 非常に遺憾ではあるが……信廉の意見に従うしかない。

 一戦も交えずに自落撤退するに至ったのは城代を任された宗英自身の責任だ。

 それを恥じた宗英は大嶋城から自らの根拠地に撤退した後、自害して果てるのであった。











 ――――2月16日






 信廉らが夜の間に撤退した翌日――――大嶋城に信忠の率いる軍勢が到着した。

 だが、既に城内はもぬけの殻であり、武田家の軍勢は一切見えない。

 伊那谷を防衛する要所としては重要な城であるにも関わらず、静けさしか無いのは些か不自然だ。



「……成る程、こういう事か。一益、如何思う?」


「はっ……長可と忠正の申す通りであったと見受けます」


「うむ……」



 だが、今までの無血開城の有様を知った今となっては充分に在り得る事だと信忠は思う。

 長可と忠正からの報告では少し突っついただけで自分から崩れ去ったと事だったが、今の光景は正にその通りだ。

 一益も同じように思っているらしく、既に武田家の軍勢は大嶋城の何処にも残っていないと断言する。

 当初は長可らの進軍が性急過ぎると見ていたが、実際に目にしてみれば全てが両名の言う通りだった。

 秀隆が特に叱責もせずに居たのは後ろからそれをずっと見てきたからであろう。

 鬼武蔵と言われる長可が全く進軍を停止する選択肢を選ばなかったのも無理は無い。

 暴れ足りないと喚くのも当然の事だ。



「これならば、父上を待つ必要も無いか……。俺の率いる手勢で充分だ」



 無血開城と自落を繰り返す武田家の諸城に信忠は独力で落とす事も難しくはないと判断する。

 まだ、上杉景勝からの援軍の可能性は捨てきれないが……現状の報告が無い事を見ると北陸から進む勝家は上手くいっているのだろう。

 精強で知られる上杉家の軍勢が万全の状態で相対しているが故に苦戦を強いられている可能性もあるが……拮抗した戦運びをしているのは疑いようがない。



「俺はこのまま進むと父上に御伝えせよ」


「ははっ!」



 信忠は現状有利のまま戦を運べる事を確信し、一益に早馬を走らせるように伝える。

 機を掴んだ以上、僅かでもその手を緩めるのは下策としかならない。

 武田家を滅ぼす天の時を得た今を逃す選択肢は信忠の中には一切、存在しなかった。

 地の利を自ら捨て、人の和も崩壊しつつある武田家など敵ではない。 

 天、地、人を喪失した大名の末路は最早、決まったも同然だ。

 信忠はそれを感覚的に理解していた。

 父、信長と敵対して滅んでいった大名の全ては皆がそうであったのだから。

 天下人の後継者である信忠は破竹の勢いと言うべき今の状況を踏まえつつ、勝頼の辿るであろう末路を垣間見る。

 此処まで来れば如何なる手段を以ってしても巻き返す事は出来ない。

 最早、武田家が滅びへと進む道は隘路でしか無いのだから。

 それを証明するかのように信忠が大嶋城に入った日と同じくして、信濃の全てを決する事になる戦が勃発する。

 正に武田家の運命を決めたとも言うべき運命の戦――――。











 ――――後に『鳥居峠の戦い』と呼ばれる事になる戦の勃発である。
















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