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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第5章 夢幻の如く
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第64話 晴政の死






 ――――1582年(天正10年)元旦






 昨年末に高水寺を政実が落としたという報告を聞き、久方振りに勢力を拡大した南部家が沸き立つ最中。

 高齢のために体調を崩していた晴政は床に臥せっていた。

 政実に高水寺を攻め落とさせる事が最後の命令になるだろうと予感していた事が現実のものとなってしまっていたのである。



「お館様、九戸実親と南部信直……御召しにより参上致しました」


「……うむ」



 だが、晴政は僅かにでも自分の身体が動くのであればともう一手の布石を打とうと決死の覚悟を決めていた。

 この場に実親と信直の両名を揃って呼び付けたのもその現れである。 



「晴継以外にも御主達を呼んだのは他でもない。……儂が逝った後の事を決めるためじゃ」



 特に息子である晴継の政敵でもある信直を呼んだのは正に最後の一手に相応しい。

 最早、幾許の命も残されていない晴政からすれば遺言を直接、信直に伝える事に大きな意味がある。

 自分の死後に晴継を邪魔に思うのは信直に属する者達だからだ。

 信直自身は南部家の継承には僅かながら諦めの感じているが、北信愛を始めとした家臣達はそうではない。

 先程から傍に控えている晴継もそれを察しているらしく、普段は実親に物事を相談する事が多いようだ。

 下手に信直に相談する事で信愛らの暗躍を許す事に繋がりかねないのを自覚しているのだろう。

 未だ10代前半という若さではあるが、晴継は後継者としての器の片鱗を見せつつある。



「……お館様」



 晴政の顔色が優れない事にその言葉が偽りのないものである事を察し、実親は表情を暗くする。

 老齢に至っても覇気に満ち溢れていた猛将の面影は瞳に宿る意志の光を除けば全く感じられない。

 だが、最後の力を振り絞って遺言を伝えようとしているのは容易に見て取れた。



「……」



 実親が晴政の容態を気遣う素振りを見せつつ覚悟を決めているのに対し、信直は複雑な思いで晴政の姿を見つめる。

 父、石川高信が津軽為信に討ち取られ、晴継が生まれて以来、疎遠にあった晴政の姿は最早、見る影もなかった。

 武勇名高く、常に前線に立って采配を振るった猛将の面影は遠い昔の事にすら感じられる。

 信直の見てきた晴政とはかけ離れていると言うべきだろうか。

 家督継承に関する問題であれだけ争ってきたのに態々、呼び付けてきた事を考えると余程の思いがあるのだろう。

 


「信直よ。……あれだけ争ってきた儂が憎いのは解る。だが、今後を踏まえれば……耐えてはくれぬか」



 晴政は信直の心境を察しているのか諭すように言い聞かせる。

 家中が晴継派と信直派で見事なまでに分断されているのは解っているのだ。

 しかし、現状はそれを許してはくれない。

 今では出羽北部で最大の勢力を築き上げた戸沢家の脅威が現実のものとなりつつあるからだ。

 角館を根拠地に酒田、大湊といった要所を抑えている事がそれに更なる拍車をかける。

 特に肥沃な土地である庄内を領地に組み入れた事で唯一の欠点であった石高の問題も解決した事が南部家から見ても大きな痛手である。

 嘗ての戸沢家は多数の鉱山を抱え、資金源はあるものの4万石にも満たない程度の大名でしかなかった。

 晴政もその程度であれば放置していても問題はないと判断し、雫石から戸沢家を放逐した後は特に目立った対応してはいない。

 だが、出羽北部随一の勢力になったとあれば話は大きく変わってくる。

 戸沢家は旧領を奪い取った南部家を目の敵にしており、現当主である盛安も南部家とは最終的には雌雄を決しようとしている構えだ。

 その姿勢は為信との同盟が明確にそれを象徴している。



「現在、義光めが盛安と一戦交えようとしておる。斯様な時期に儂が此処で倒れる事は許されぬが……叶いそうもない。

 無念ではあるが、御主らに後を任せるしかないのだ。実親と共に晴継を支え、戸沢の増長を許すな。……それが南部のためとなる」



 南部家の力を以ってすれば戸沢家、津軽家の双方を相手にする事は不可能ではない。

 あくまでも現状の勢力のままであればの話だが。

 晴政が戸沢家の増長を許すなと言っているのは更に勢力を拡大した場合、南部家が単独で相手をする事が敵わなくなるからだ。

 自らが指揮を執り、政実らを主軸として戦えば如何なる相手でも遅れを取る事はないが……病床にあるこの身では不可能でしかない。

 後継者である晴継は未だに若いし、信直や実親には晴政ほどの戦の才覚は無いため大将としては大いに不安が残る。

 無論、政実を始めとした頼りになる者は南部家中にも多数居るのだが、多くは晴継派と信直派に分かれてしまっているという問題があった。

 信直をこの場に呼んだのは派閥の旗頭を遺言という形で抑えてしまえば少なくとも信直派に属する者達も過激な行動は起こすまいとの判断しての事である。

 後は言質を取る事で信直を縛るという意味も含まれている。

 遺言ともなればそれに逆らう事が義に反すると追求される事になるからだ。

 何かしらの形で縛ってしまえば信直とて迂闊な真似は出来ない。



「……承りました」



 信直は晴政の思惑を知りつつも従う旨を伝える。

 此処で従わなければ待つのは死のみだ。

 晴政の懐に居るのだから信直には選択肢が存在しない。

 それが解っているからこそ、晴政も敢えて信直を呼び付けたのだろうが。

 不承了承ではあるが信直は思惑にのる事にする。

 事実、戸沢家が南部家にとって脅威の存在となりつつあるのは実感しているからだ――――。











「儂が逝った事は1年間でも良いから決して他国に漏らすな。義光に同調する事に決めた今、その動きを儂の死だけで変えるわけにはいかぬ。

 戸沢と最上の戦は戦力としては互角であるが故に南部の動きが戦局にも大きく影響する。政実を動かしたのもその一手よ。

 だが、儂が逝った事を知れば政実は途中で戻ってくる事になる。そうなれば最上との盟約は無意味となり、戸沢を助ける事に繋がってしまう。

 故に政実には儂の死を伝えず、暫くは自由に動かさせるのだ。……戸沢の増長を止めるのならばそのくらいはせねばなるまい」



 信直からの言質を取った晴政は自らの死を伏せるように伝える。

 陸奥の重鎮であり、奥州における大物と言うべき晴政の死が広まればどのような事態になるかがはっきりしているからだ。

 ましてや、戸沢家と最上家の戦が始まろうとしているという時に晴政が没した事が広まれば戸沢家の勢いが増すだけにしかならない。

 怨敵であった晴政が死ねば雫石の奪還も容易になるからである。

 先々代の当主である道盛が宿願に掲げていた旧領の奪還は戸沢家の悲願であり、盛安もそれは計画の一部には入れているだろう。

 出羽と陸奥の両方に影響を持つ鎮守府将軍に就任しているのもそれを踏まえての事なのは間違いない。

 敵として相対するには厄介な事この上ない相手である。



「また、戸沢と最上の戦が終わった後は動向に注意せよ。恐らく戸沢が動くとすれば檜山を落とし、出羽北部の完全統一を図ろうとするだろうが……。

 万が一の事がないとは言い切れぬ。新たに攻め取った高水寺を含め足場を固め、戸沢、津軽、安東、伊達、大崎、葛西、阿曽沼に備えよ。

 儂の死を切欠として南部に介入する輩も出るだろうからな。外敵には常々、注意するように」



 晴政は更に遺言を続ける。

 戸沢家と最上家の戦は開始される前後からも気を付けなくてはならない。

 政実を動かしているのは事前を察しての事である。

 晴政には大方ではあるが戦の全容が見えており、その後の備えも含めて南部家が如何に動くべきかがはっきりと見えている。

 何時でも出羽国に介入出来るように高水寺を含む岩手方面を完全に抑える事は戦略上必須と言っても良い。

 出羽と陸奥の国境に近い花巻を経由する事で角館、横手に侵入する事も可能となるからである。

 だが、岩手方面を抑える事は大崎、葛西、阿曽沼といった大名家と領地を接する事に繋がってしまう。

 特に葛西家は高水寺の斯波家を落とした事で完全に南部家を警戒している。

 晴政が没したとなれば如何なる動きを見せるか知れたものではない。 

 この点に関しては政実が居る限り些細な問題にしかならないかもしれないが、万一の備えをする事は当然の事である。



「……長く語ってしまったな。唯一の心残りは晴継の事であるが……御主らに任せる。くれぐれも盛り立ててやってくれ」


「……ははっ」



 戦略面に関して伝えられる事の全てを語り尽くした晴政は疲労した様子で2人に晴継の事を託す。

 不安材料である信直も流石にこうした形でならば裏切る可能性はない。

 何しろ晴継と実親の両名もこの場に立ち会っているのだ。

 信直には晴政の遺言に逆らう術はない。

 例え、逆らったとしても晴継と実親に追求されれば如何にも出来ないのだ。

 晴政は一先ず打てる手は打ったとし、安心した様子でもう一度眠りにつこうと2人に場を後にするように促す。

 多くの戦場を駆け巡ってきた晴政も流石に老齢である上に病の身では体力が持たない。

 そのような身体でよく南部家の次代の人物達に遺言を伝えられたとでも言うべきだろうか。

 このまま何も伝えずに居れば確実に家中が分裂していただけに尚更である。

 晴政は南部家の行く末を案じつつ、ゆっくりと目を閉じるのであった。











「……くそっ!」



 独りになったところで信直は忌々しげな表情で舌打ちする。

 晴政がまさか、こういった手段に走るとは思わなかったからだ。

 死期が近い事については予測がついていたが、敵対しているにも関わらず呼び付けたのは死ぬ覚悟を決めての事だろう。

 それだけに晴政を見誤っていた事が大いに悔やまれた。

 家督継承に関しては僅かに諦めの気持ちもあったが、晴政が死ねばそれも変わる可能性が高いと信直は見ていたのだ。

 しかし、晴政は信直の目算を察していたかのように言質を取った。

 これでは思い描いていた通りに動く事は難しい。



「なれど……戸沢家の脅威があるのは事実。……お館様は間違っておらぬ」



 だが、晴政の言葉は正しい。

 急速に拡大した戸沢家の勢力は南部家にとっては脅威でしかないからだ。

 しかも、旧領である雫石の件からすれば敵対する事になるのは避けられない。

 晴政が遺言として戸沢家に備えるための動きを指示したのは先を見据えての事である。



「だが、それはあくまでお館様に縁の深い者が当主である場合の話だ。私ならば雫石を条件に道を探る可能性が残されているが……」



 しかし、信直が当主となれば戸沢家との因縁は大きく薄れる。

 戸沢家の敵はあくまで晴政であり、それに連なる男子は晴継のみだ。

 晴政の娘を娶ったとはいえ、敵対した経緯を持つ信直の立場ならば戸沢家とは交渉の余地がある。

 唯一の問題があるとするならば、戸沢家が津軽家と同盟を結んでいるという事のみ。

 これは信直が我慢すれば良い事なのかもしれないが……高信の敵である為信との確執が最大の問題と言うべきかもしれない。

 信愛を始めとした信直を支持する者達の全員が為信と並び立つ事を良しとはしていないからだ。

 それに盛安という人物の話を聞く限りでは一度結んだ盟約を違えるような真似をする人物ではない。

 自身の立場と津軽家との関係を含めた上で南部家とは敵対の道以外を選ぶ事はないだろう。



「……為信と同盟を結んでいる戸沢家が応じるとも思えぬ。やはり、此処はお館様の言う通りに備えるしかないか」



 故に信直には最終的には戸沢家と戦うしか道がない。

 不倶戴天の敵の盟友であるのも理由の一つだが、戸沢家と南部家にある因縁もそれを後押しする。

 そのため、不本意ながらも晴政の遺言通りに動く選択肢しか信直は思い付く事が出来ない。



「政実が居らぬ今こそが絶好の機会ではあるのだが……」



 だが、晴政の余命が幾ばくもない上に九戸党を率いる政実が出陣している今こそが信直にとって絶好の機会。

 晴継を始末し、南部家当主の座につくには今を置いて他にない。

 にも関わらず、侭ならない現状に信直は忌々しげに舌打ちをする。 

 戸沢家の事さえ無ければ思う通りに動けたであろうに。



「ふむ……確かに信直様の仰れる通りですな。お館様の御遺言があるとは言えども好機であるのは間違いありません」



 悪態を吐く信直の前に南部家の重臣である北信愛が意見に同意しつつ現れる。

 信愛は信直が晴政に対して反旗を翻した時に最後まで味方してくれた人物で南部家随一の知恵者として知られる人物。

 此度の晴政からの召集には彼の死期を読み取り、信直に是が非でも参加するように進言した。



「政実殿さえ居なければ、実親殿を抑える事も難しい事ではありませぬ故」


「では、如何するつもりだ?」


「……そうですな。現状では静観するしか無いでしょう。しかし……信直様に御覚悟があるならば手を打って御覧にいれましょう」


「覚悟、か……」



 いまいち煮え切らない様子の信直に動くならば一計を案じると言う信愛。

 1523年(大永3年)生まれで齢、60歳を迎えようとしている深謀に長ける信愛の進言は信直の心を揺らす。

 戸沢家の脅威があるとは言えども、晴継が当主となってしまえば信直の立場は非常に危うくなるからだ。

 晴継の後見人の立場にある実親は南部家中における最大勢力の一角である九戸党を束ねる政実の弟であり、信直とは常に反対の派閥に身を置いている人物。

 特に北の鬼の異名を持つ政実が背後に居ると言う事が非常に大きな要素を占めており、これだけでも信直にとっては恐ろしい存在である。

 しかも、晴継も実親を頼りにしているため信直を排除しようと思えば行動に移す事が可能だ。

 唯一の救いは眼前に敵が迫りつつあるという状況ではあるが、この状況が改善されれば信直の身の安全の保証はない。

 晴政の娘婿という立場にありながら一度でも反旗を翻した以上、進む以外には道は開けないのである。



「……解った。信愛に委ねる故、存分にやってくれ。私の方も一先ず、晴継様の家督継承に反対しておられる奥方様を尋ねる事にする」


「ははっ! 畏まりました」



 覚悟を決めた信直の返事に恭しく頭を下げる信愛。

 南部家の後を継ぐに相応しいのは若い晴継ではなく、数々の実績を持つ信直だ。

 ましてや、晴継の背後に居る実親を始めとした九戸党の存在を考えれば南部家は何れ食われてしまう事になる。

 それを食い止めるには信直が当主の座につき、信愛を始めとした信直の側に近しい人物で周囲を固めてしまう事が上策であり、最善となる手段。

 信愛は既に信直の預かり知らぬところで動き始めており、現状の段階でも東政勝や南慶儀といった者達に働きかけていた。

 後は信直が腹を据えるのを待つばかりであり、遂に本人が結論を出してくれたとあれば後を行動に移すのみ。

 切れ者としての名を欲しいままにする信愛の本領発揮といったところである。 

 政実が不在の間に足場を固め――――戻ってきた段階では既に大勢が決まってしまっている状況に持ち込む。

 戸沢家の脅威がある段階を踏まえ、晴政の死を隠しつつ動くにはそれしかない。

 急ぎ過ぎれば晴継や実親も此方の動きに不自然な部分を見い出すのは間違いないからだ。

 こうして、信直を始めとする反対派の者達はゆっくりと裏で準備を開始するのであった。











 ――――1582年(天正10年)1月4日






 三日月も丸くなるまで南部領とまで謳われた広大な版図を築き上げた南部晴政は静かに息を引き取った。

 戦国大名としての南部家の中興の祖であり、奥州でも最大の勢力圏を築き上げた一代の英傑の死は何を齎すのだろうか。

 南部家中では水面下で動きが始まっており、出羽国では最上義光が行動を開始している。

 晴政の死を皮区切りとして、目まぐるしく状況が変わっていく様相を見せようとする兆しはまるで――――











 1582年(天正10年)という年が波乱に満ちた年となる事を示唆しているかのようであった。
















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