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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第5章 夢幻の如く
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第63話 進撃の鬼





 ――――1581年12月下旬






 ――――高水寺






「準備は整ったか。政則、正常」


「うむ。兄者の申す通りに手配は終わっている」


「後は斯波に居る康実に密かに繋ぎを取るだけにござります」



 晴政からの命を受け、斯波家の高水寺方面へと出陣した政実。

 弟らを始めとした九戸党を率い、瞬く間と言うべき速さで戦場へと到着していた。



「……良し。後は軍勢を分けて誘き寄せるのみだ。手筈通りにせよ」


「解った。しかし……まさか、為信と同じ手段を使うとはな。これならば、詮直も兄者の策とは思うまい」



 政実の手際の良さに政則は苦笑しつつ、肩をすくめる。

 元より九戸党が何時でも動けるようにと準備をしていた政実の抜け目のなさは勿論だが……。

 それ以上に手段を選ばない政実の考え方には毎度のように驚かされる。

 まさか、斯波攻めに為信が石川高信を討ち取った時に用いたと言われる方法で動くとは思わなかった。



「あれの高信を落とした手腕は俺も見習わねばならぬ。武器を積荷に偽装させ、城まで運び込むとは大したものだ」


「……その件は兄者の入れ知恵では無かったのか?」


「俺は軽く助言を与えただけだ。それを発展させ、実行したのは為信の実力よ」


「ううむ……俺が思う以上に為信も優れた将になっていたと言う事か」



 政実の返答に政則は更に驚く。

 為信が石川城を落とした戦の手際の良さはまるで政実が指揮を執ったかのようであったからだ。

 敵には容赦なく謀略の限りを尽くし、戦い方に拘りを持たない戦いぶりは恐ろしくもあり、為信が政実の愛弟子とも言うべき人物である事をまざまざと見せ付ける。

 それを踏まえると為信に政実も見習わなくてはならない部分があるというのにも納得出来た。

 政実が為信を高く評価しているのも無理もない事である。 



「だが、為信があのような戦いをする人物である事を証明した御陰でこうして動き易くなっている。武勇で知られる九戸党が津軽と同じ手を使うとは思わぬだろうしな」


「確かに兄者の言う通りだ。我ら九戸党ならば正攻法で挑んでくるという先入観がある者も多い」



 それに為信の城攻めの方法が搦手を使う事を主としているがために武勇で知られる政実が率いる九戸党がそのような手段を用いるとは思われない。

 今までの政実の戦は芸術的とも言える巧みな采配で勝利してきたのだから。

 政実の存在があってこその九戸党と言っても過言では無いだけにそれは尚更だ。



「故に詮直めを欺けるというものだ。政則、正常――――一両日中には斯波を落とすぞ」



 無論、政実もそれを強く自覚している。

 九戸党はこの九戸政実があってこそのものである事を。

 だが、周囲にはそう思われているが故に搦手で攻める事は容易い。

 敵となる相手は想定していなかった事態に対処するのには必ず、僅かばかりでも隙が生じるからだ。

 しかも、斯波家は未だに晴政が九戸党を動かした事に気付いていない。

 表向きは離反した津軽家との緊迫した関係や家中での派閥の対処に追われているように見えるからだ。

 戸沢家や伊達家のように優れた忍を抱えていない大名や義光、愛季といった傑出した人物で無ければでは深いところまで探る事は不可能だろう。

 それ故に政実は一両日中には高水寺城を陥落させると言ったのである。

 一見すれば無茶とも言える事だが、数日間で城を落とすような芸当は既に為信という前例もある。

 政実ほどの武将ならば警戒すらしていない敵を落とす事など造作もないのだ。

 晴政の指定してきた雪解け前どころか12月中に目標を完遂する事も決して不可能ではない。

 実際に最上家からの要求に応じるのならば、早ければ早いほど後々で有利になるのだから迅速に動くのみである。

 政実は既に斯波家中に入り込んでいる実弟の中野康実からの合図を待って、攻め入るための準備を着々と進めていくのであった。











「皆の者、もう年が明けるまでもう残りも少なくなった。新たな年の訪れを前に此度は存分に飲み明かそうぞ!」



 政実が近付いて来ている事を知らずに酒宴の場を設けているのは斯波家当主である斯波詮直。

 遊興好きである詮直は年明け間近である事を幸いとし、盛大に飲み耽っている。



「詮直様、程々になされた方が良いのでは?」



 何処か頼りない主君を諌めようと呆れつつも苦言を呈するのは中野康実。

 康実は政実の弟でありながらも斯波家に身を置いているという変わり種とも言うべき人物で、これは明確に南部家と斯波家の力関係を明確に表している。

 先代当主である斯波詮真の代より斯波家は南部家の従属の下に置かれており、この時に斯波家と戦ったのが政実である。

 しかし、斯波家は足利家と同格の家格を持つ由緒正しい家柄の大名。

 それが敗北したとあっては斯波の名声は地に墜ちたも同然である。

 当時、南部家と争っていた詮真は政実と盟約を交わし、康実を斯波家の重臣の一人として手元に置く事を条件に家を保つ約定を得たのだ。

 康実が九戸党の一員でありながらも斯波家に身を置いているのはこのような経緯によるものであった。



「何を言うておる。普段は御主らが諌める故、こうした機会に飲んでおるのであろうが」



 詮直は諌めようと苦言を口にする康実をやんわりと拒絶する。

 今は雪も多く、合戦を挑もうとするような大名は少ない季節。

 勢力を拡大した戸沢家や南奥州で勢力圏を伸ばし始めた佐竹家の事は気になるものの斯波家と領地は接しておらず、警戒する必要性は感じられない。

 南部家に対しては表向きだけではあるが、従属の姿勢を崩していないため、詮直の心の内に秘める野心も気付かれてはいないはずだ。

 寧ろ、こうして遊興に耽る事で九戸党との繋がりの深い康実の目を欺く事だって出来る。

 機を見極めて岩手方面を南部家から奪還しようと目論んでいる詮直は外面としては無能な人物を装っていた。



「それは否定はしませぬが……康実殿の申す通りでございます。御控えなさるべきかと」



 しかし、家中の者の殆どは詮直の内面を理解していない者が多い。

 康実に続き、諫言の言葉を口にする岩清水義長もその一人である。

 詮直が南部家から離反する機会を窺うために外面を装っている事に気付いていない。

 


「義長までも斯様に申すのか……全く面白うない。……興が覚めたわ、両名とも下がるが良い」


「……失礼致しました」


「……ははっ」



 主君の内心すら察せずに何が家臣か。

 諦めを覚えながらも詮直は康実と義長に場を去るように命じる。

 詮真が南部家に破れて以来、如何も斯波家を見くびるものが多過ぎる。

 嘗ては名門としてその名を馳せた斯波家の家格は其処らの大名とは違うのだ。

 その気になれば古くからの名門を慕う豪族や民衆から大兵力を掻き集める事だって出来る。

 本来ならば、領土を南下して拡大しようと考える南部家にとっては邪魔な斯波家が潰されないのはそのような背景にある。

 名門を潰したとなれば家名も傷が付くし、家臣によっては反対もする。

 詮直は斯波家であるが故の立場を上手く利用して、岩手方面の領地を南部家から奪取する機会を探しているのだ。

 そういった意味では詮直も決して無能とは断言出来ない人物なのではあるが――――。

 今、この時に場を退出した康実と義長には詮直の秘める野心など解りはしない事でしかなかった。











「……やはり、詮直めでは駄目だ。此処はやはり、兄者の手引きをするべきか」



 詮直の下から退出した康実はほとほと呆れ果てた様子で溜息を吐く。

 義長と共に苦言を呈してまで、換言を試みていたのはある意味では最後通告だった。

 戸沢家、最上家といった大名が大きく動きを見せようとしているのは明らかであるにも関わらず、それに対する行動を起こそうとしない詮直。

 斯波家とは関わる可能性に関しては殆ど無いため、詮直が気にも止めないのは無理もない事ではあるが、手遅れとなってしまっては遅過ぎる。

 兄、政実よりの書状で現在の南部家が最上家からの要請で動こうとしている事を知った康実はそれを気に病んでいたのである。



「仕方がありませぬな。我が弟、義教も含め家中の多くの者達は詮直様を見限っている。康実殿の申す事は実行するしかありますまい」



 康実が政実の手引きをするという事に反対するどころか寧ろ、賛同を示す義長。

 既に義長も詮直を諫言する事を諦めていた。

 九戸党の一員でありながらも斯波家に従い、度々進言をくり返す康実と共に腕を振るってきた義長だが、我慢も限界に達しつつある。

 詮直の態度は政を顧みない事も多く、南部家にも反しようとしている。

 今現在の斯波家は南部家の力がなくては名ばかりのものでしかない事を知っている義長としては家中では外様である康実に同情的であった。

 そんな兄の事情を知ってか、義長の弟である義教もまた詮直へ反感を持っており、裏では詮直には従えないと頻りに口にしている。



「相、分かった。今すぐにでも動くように伝えるとしよう。……兄者の事だ、既にこの高水寺に入り込んでいるに違いない」



 義長が反対せずに賛同した事を認めた康実はこれ幸いと行動に移す。

 最早、詮直が当主を務める限り、斯波家に未来はない。

 時勢も読めず、遊興に耽るような主君などに忠節を誓う事は不可能だ。

 しかも、斯波家の家格の高さを自負し過ぎている部分もある。

 力を持たない名族など、今の戦乱の世では必要とはしないにも関わらずだ。

 如何に詮直に野望があろうとも、思惑があろうとも家中の多くがそれに従おうとは思っていない今、斯波家は終焉を迎えるべきである。

 政実が晴政の命令で動いてきたのも天啓とも言うべきではないだろうか。

 今こそ詮直を放逐し、不要となった名門を滅ぼすその時である。

 康実が兄の命に従って斯波家へと入った自分の身が在るのは全てこの時のためだったのかもしれない。

 最上義光が動いたのもそれを後押ししているように感じられる。

 時流が確実に此方へと吹いている事を実感しつつ、康実は政実へと伝令を送るのであった。












 ――――1581年12月下旬。

 遂に嘗ては奥州の名族としてその名を馳せた斯波家は滅亡した。

 北の鬼と称される政実は康実からの手引きを口火とし、一気呵成に高水寺城を攻め立てる。

 嘗て、為信が石川城、浪岡城を陥落させた際に用いた軍備を積荷に紛れさせて敵の懐に飛び込む術は大いに効果を奏し、3日と経たずに戦の勝敗を決した。

 これは政実の巧みな采配によるものが大きい事に疑いようはないが、為信の神算鬼謀を証明するものでもあった。

 しかも、敵側が酒宴などを催している隙を狙っての侵入、侵攻という過程までも良く似ている。

 ある意味で師弟同士であるからこその戦の内容となったと言うべきだろうか。

 夜襲によって短い期間で城を陥落させたその手腕は奥州でも比類無きものであり、政実の異名と九戸党の強さを轟かせる。

 進撃を始めた鬼の前に行く手を阻む者無し、と。

 政実は晴政の命であった斯波家陥落を1ヶ月と経たずに果たしたのである。

 本来の命では雪解けが終わるまでにというものであっただけに政実の凄まじさがより一層際立っていると言えるだろう。

 そして、肝心の詮直の身が如何なったかだが――――。

 詮直は皮肉にも逃亡に成功し、おめおめと逃げ延びた名族として生き恥を晒す事になる。

 何しろ、録に戦を交えずに逃亡したのだ。

 如何に政実が夜襲を仕掛けてきたとは言えども、これでは武士としては恥ずべき事でしかない。

 更には酒宴を催していた最中であった事が詮直の名声を失墜させる。

 謂わば、酒宴の最中に奇襲を受けてそのまま逃亡したと言う事だったのだから。

 一人の武士としても名族である斯波家の当主としても自らの立場を失った詮直のその後の行方は何処として知れない。

 少なくとも、在野の身で野垂れ死にするような事は無いだろうが――――最早、大名として表に返り咲く事はないだろう。

 惜しむらくは野心を秘めながらもそれを家中の誰もがそれを知る事が無かった事であろうか。

 岩手方面を南部家から奪還するという悲願。

 斯波家の者としては正に相応しい本懐を秘めていただけに惜しまれる部分ではある。

 何れにせよ、詮直は室町幕府初期の頃から奥州に身を置いた名族である斯波家の最後の当主となったのだ。

 1578年に為信が滅ぼした浪岡北畠家に続き、また一つ奥州が誇る大名が歴史上からその名を消す。

 それぞれが師弟とも言うべき政実と為信の手によって滅ぼされるに至ったのは運命めいたものすら感じられる。

 両名が共に奥州でもその名を轟かせる名将同士であるだけに尚更だ。

 斯波家、浪岡北畠家の両家の末路も二人の英傑の糧とされてしまったと言うべきかもしれない。





 こうして、唐松野の戦いを発端にして始まった1581年(天正9年)は終わりを迎える。

 奥州でも大きく勢力関係の変化があり、正に激動の年であったと言っても良いこの年は最初から最後まで目が離す暇が無かった。

 戸沢盛安が安東愛季との戦に勝利し、相馬義胤が伊達輝宗との戦に勝利する。

 本来ならば違う結果とも成り得たであろう結果が齎すのは果たして、如何なものとなるのだろうか。

 それは先を知る盛安ですら完全には先を見通せてはいない。

 唯、明らかになっている事があるとするならば、運命の時となる1582年(天正10年)の訪れまで残り数日ほどの時しか残されていない事だけであった。

 そして、この新たな年を迎えて僅か数日後――――奥州に大きな影響を及ぼす事となる大事件が発生する。

 この大事件は盛安にも為信にも義光にも政実にも後々に大きな影響を与える事になる大事件である。

 正に歴史の悪戯が招いたとでも思える大事件――――。











 ――――それは南部晴政の死であった。
















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