第56話 初陣の終わり
相馬家の陰に潜んでいた佐竹家の出現に戸惑う政宗達を後目に義重は愛用の得物である長光の太刀を携えゆっくりと陣頭に立つ。
坂東太郎、鬼義重の異名を持つ義重は自ら陣頭に立って戦いながら、采配を振るうという恐るべき戦い方で知られる猛将。
此度の戦でも佐竹家の存在を明かした以上、それを隠す必要はない。
苦戦している相馬家を助け、存分に力を示す時が来た今、義重が出てくるのは当然の事であった。
義重は周囲の鉄砲隊に射撃の態勢を整えた状態での待機を命じ、義宣に後から続くように言伝した後、馬を走らせた。
「佐竹常陸介義重、参る!」
政宗の率いる軍勢に飛び込んだ義重は瞬く間に数名の足軽を斬り伏せる。
誰よりも真っ先に敵陣に突入した後のこの光景は義重の異名の由来を象徴するもの。
今は亡き、上杉謙信より賜わった長光の太刀を片手に戦うその姿はまるで鬼を連想させるかのように凄まじく、果敢に向かっていた者は次々と倒れていく。
軍神の後継者と言われる義重の太刀筋は唯単に自らの武勇を自負している者のものではない。
隙のない身のこなしと如何なる得物が相手であっても的確な間合いで圧倒し、相手の仕懸に対して転じる戦い方は”剣聖”と呼ばれた上泉信綱にも似ている。
何故、義重が今は亡き、信綱にも通じる戦い方をしているのかと言うと――――彼が信綱と同門の身であるからだ。
陰流と呼ばれる流派の奥義を極めた剣豪。
それが義重のもう一つの顔であり、戦場で鬼神の如く敵を討ち果たしていく鬼と呼ばれる由縁である。
盟友である氏幹とは全く異なる太刀筋でありながらも、立ち塞がる者達の首を次々と取っていく姿は正に異名通りのものだ。
「藤五! やるぞ!」
予期せぬ敵である佐竹家の出現と義重自らの出陣に動揺する軍勢を見ながら政宗は成実に促す。
義重のような一個人で戦場そのものを支配するような相手に尻込みするだけでは何にもならない。
敵として立ち塞がってきた以上は戦うしかないからだ。
「解った、藤次!」
政宗の言いたい事を察し、成実はそれに同意する。
相手が義重である以上、卑怯と言われようとも二人がかりで戦うしかない。
軍勢の総数で劣っており、足軽、騎馬、鉄砲も義重の前に無力化されているとなれば軍勢を率いている者が前に立つ以外に手はないのだ。
初陣でそのような真似をするのは輝宗に咎められる事になるだろうが……。
義重と直接戦う事は成実の武勇が何処まで通用するのかを見極める指針にもなる。
成実に嫌という言葉は全く存在しなかった。
寧ろ、彼の坂東太郎と戦える事は光栄な事だ。
「鬼叔父! この伊達藤次郎政宗が相手だ!」
「坂東太郎! その首、貰うぞ!」
政宗と成実は太刀を振るい、次々と屍の山を築き上げていく義重に向かっていく。
これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。
「待て、政宗殿! 貴殿の相手は佐竹次郎義宣が務める!」
しかし、政宗の前に義宣が立ち塞がる。
父、義重の後に続いて斬り込んでいた義宣もまた、政宗の姿を捉えていたのだ。
「従兄弟殿かっ! 面白い!」
僅かに歳下である従兄弟である義宣の登場に政宗は馬首を向け、相対する。
本来ならば成実と共に義重と戦うところだが、名差しで挑んできたとなれば応じない訳にはいかない。
それに佐竹家の跡取りでありながら、伊達家の一門衆である義宣は政宗からすれば輝宗の後を継承する立場としての大きな障害の一つ。
此処で義宣に打ち勝てば、義重を前にして退いたとしても自らの名にそれほどの傷は付かない。
佐竹家はあくまで坂東太郎あってのものである事の証明にもなるからだ。
政宗は義重の相手を成実に任せ、自身は義宣との戦いに専念する事にするのであった。
「如何した、政宗殿! 伊達家の跡取りがその程度の太刀筋で務まるのか!」
義重と共に陣頭に立ち、政宗と刃を交える義宣。
自ら名乗りを上げて挑んだ義宣は父やその師である愛洲宗道に学んだ剣術を以って政宗を圧倒していた。
修行中の身であるとはいえ、仕懸に対して転じる戦い方の基礎を抑えている義宣はその奥義を極めている義重には及ばない身ではあるが、政宗の太刀筋を的確に躱す。
時には自ら仕懸て相手の呼吸を崩す事で流れを一定とせず、立ち回る義宣に政宗は苦戦を強いられる。
「ぬかすなっ!」
だが、圧されているとはいえ義宣を相手に最後の一歩を踏み込ませない政宗も弱くはない。
単に義宣とは戦い方の相性が悪いだけだ。
政宗はどちらかと言えば多数の軍勢を率いる事の方に素養があり、この事は輝宗を始めとした家中の多くの者から指摘されている。
無論、武芸にも熱心であり、自ら陣頭に立って戦えるだけの武勇も持ち合わせているが――――。
此方に関しては義重や氏幹や宗道といった関東随一とも言うべき剣豪達に直接の手解きを受けている義宣に軍配が上がる。
そのため、武将同士で戦うとなれば義宣が有利であったし、成実に比べてこのような戦いは政宗にとって如何しても不利であった。
未熟な義宣が相手であるからこそ、討ち取られていないと言うべきだろうか。
しかし、義宣を相手にしている政宗はまだ良い。
問題なのは義重と直接、相対している成実の方である。
「ほう……中々の槍捌きだ。伊達家中に若くしてこれだけの腕前を持つ者が居ようとはな」
「……息も切らさずに余裕の表情で言われても全く嬉しくはないけどなっ!」
若くして伊達家中でも随一の武勇の持ち主であると言われている成実ですら義重を前にして歯が立たたない。
寧ろ、的確に成実の繰り出す槍の動きを見極めた上で切り返す義重に弄ばれているくらいだ。
しかし、これも無理はない。
一個人としての武勇に長ける武辺者として成実は発展途上にあるのに対し、義重は既に一人の武士として完成されており、後は老練さを増していくのみ。
未完成である槍術で挑む成実に対して、奥義を極めた剣術で戦う義重では戦いにならないのも当然である。
「ならば、此処は退け。先が楽しみな武士の首を取るのは俺としては望まぬ」
故に義重は成実に退く事を薦める。
力の差は明らかであり、初陣であろう戦場で無為に命を捨てる事はない。
義重が本気で相手になれば成長途上である今の成実の首を取る事など造作もないのだ。
「俺の何処を見てそう言っているつもりだ!」
だが、成実は毛虫の前立てに誓った心意気に偽り無しとして退く様子はない。
元より勇猛果敢な気質である成実からすれば、情けをかけられるのは侮辱されるのと同義だ。
相手が如何に義重であってもそれは変わらない。
勝ち目があろうが、なかろうが成実にはそれだけの覚悟があった。
「藤五、退くぞ! これ以上は戦う必要はない!」
「藤次!? くそっ……!」
しかし、政宗に此処で退くと言われては従わない訳にはいかない。
後の伊達家の頭領たる政宗の命令は一門衆として拒否する事は不可能だ。
苦々しく思いながらも、成実は政宗の命に従う。
飛来するのは如何しようもないほどの敗北感。
初陣であるだけに華々しい功績を立てようと誓っていただけにそれは尚更である。
逆に今の政宗、成実では義重には到底、歯が立たない事を実感させられた。
それに歳下である義宣が想像以上に鍛えられていたのにも驚愕を覚える。
義重の教育の賜物ではあるのだろうが、それにしては異常だ。
坂東太郎と呼ばれる父を目標としているだけではない。
他にも決して負けられない何者かがすぐ傍に存在しているかのような気迫を感じた。
だが、義宣がこれだけの武勇をものにした背後に一人の女性が居る事には気付かない。
若き2人の武士は悔しさを滲ませつつも唯々、退くしかなかったのである。
「政宗様、成実様!」
「……小十郎、綱元! 来たか!」
義重、義宣の攻めに対し、一度退いた政宗達に後を追ってきた景綱と綱元の2人が合流する。
政宗からすれば待ち侘びた到着だが、残念ながら全ては遅い。
景綱と綱元を以ってしても坂東太郎の異名を持つ義重と戦う事は容易ではない上、既に政宗が率いていた軍勢は殆ど壊滅している。
先程まで戦っていた戦場では死屍累々とも言うべき光景が広がっている。
それはまるで地獄としか呼べない光景で――――最早、相馬家と戦を続けるだけの余力すら残っていないのだ。
「はい。嫌な予感が拭えないため、後を追わせて頂きましたが……遅過ぎたみたいですね」
扇に月丸の旗印を見ながら景綱は想定外の相手が出てきた事と余りの強さに戦慄を覚えつつ、その先の義重、義宣の姿を認める。
此度の相馬家との戦ではあくまで静観する可能性が高いと見られていた佐竹家の参戦は輝宗の予測の範疇外。
盛氏死後の蘆名家の情勢を踏まえた輝宗の見立ては決して甘くはなかっただけに義重の恐ろしさが垣間見える。
正直、景綱の思っていた以上のものだ。
「……ああ、俺も藤五も鬼叔父と義宣に不覚を取ったところだ。父上から預かった軍勢も多くが討ち取られている」
遅れてきた事を悔やむ景綱を労いつつも政宗は表情を暗くする。
義宣との一騎討ちでは討たれなかったものの敗北し、成実も義重に敗れている。
大将が揃って佐竹親子に敗れた事により士気は低下し、更には坂東太郎の名に怯える者までも現れている状況にある。
恐るべき義重の武名の前に逃げ惑う者や立ち向かって行っては首を取られる者が多発しており、退いた事で漸く落ち着いてきたところだ。
「そう、ですか……。しかしながら、軍神の軍配を継ぐ者と言われる佐竹殿を相手にして政宗様が御無事である事を見ると、あくまで相馬殿の手助けをするのが目的の様子。
このまま戦えば皆が討たれる事も覚悟せねばなりませんでしたが――――退く機会は充分にありましょう」
義重と戦いながらも無事である政宗、成実の身と一度退いたと思われる今の状況の陣容を見ると佐竹家には伊達家を駆逐するつもりはない。
どちらかと言えば、佐竹の武名を南奥州で轟かせる事にあり、後継者である義宣の御披露目が目的に思える。
此度の戦があくまで伊達家と相馬家の戦いである事を弁えているようだ。
景綱は短い時間ながらも義重の意図を理解していた。
「なれど、佐竹殿が見逃してくれても相馬殿が見逃してくれるとは思えませぬ。政宗様、それだけは御覚悟を」
だが、本来の敵である義胤がこのまま黙っている訳がない。
佐竹家の助力で戦況が覆った今、反攻を企てるのは当然の事だ。
義重、義宣の戦力による影響が大きいとはいえ義胤はそれを見逃すような人物ではない。
今こそ、伊達家に引導を渡す時だと士気を上げている事だろう。
「……解っている。鬼叔父と義宣に情けをかけられた事は残念だが、此処で命を落とす訳にもいかぬ」
景綱の言わんとしている事を理解し、苦々しい表情で政宗は頷く。
圧倒的なまでの力で蹂躙し、本腰を入れて攻めれば容易に政宗と成実の首が取れたにも関わらず、義重が動かなかったのは見逃してくれたからに過ぎない。
その証拠に佐竹家の軍勢と戦っている最中は多数の鉄砲隊による射撃が殆ど見られなかった。
寧ろ、見せ付けられたのは坂東太郎、鬼義重が一個人で戦場を支配する光景と後に続く義宣の奮戦ぶり。
それはまるで鬼の親子が三途の川へ至る道を案内しようとでもしているかのようにも思えた。
直接目にしたその光景を思い出すと背筋がぞっとする感覚が過ぎる。
政宗は鬼と呼ばれる存在が如何なる者であるかを初陣となる戦場で思い知る事になった。
「さすれば、この小十郎めに殿を御命じ下され。必ずや政宗様、成実様を無事に退かせてみせまする」
義重の恐ろしさを目の当たりにし、震えている政宗に景綱は殿を務める事を具申する。
最も危険な役目である事は承知しているが、身を以って若き主君を守るにはそれしかない。
幸いにして、景綱と綱元の率いてきた軍勢を生き残った政宗の軍勢と合わせれば何とか形にはなる。
決して景綱に義胤を凌げないという訳ではない。
それに後ろには鉄砲隊を伏せている元時の軍勢も健在だ。
一矢報いる事は可能なのである。
「……すまぬ。小十郎、任せたぞ」
勝算がある事を示唆しながら殿を申し出てくれた事に感謝しつつ、政宗は景綱に後を任せる。
今の政宗、成実では如何にも出来ない現状では景綱に委ねるしかない。
義重があくまで助勢に徹する事を期待するのは甚だ不本意ではあるが、退くにはその可能性を信じるしかないのだ。
景綱の判断もそれを見越しての事なのだから。
「御任せを。必ずや殿の役目を果たしまする」
苦渋の表情を見せる政宗に頭を下げ、景綱は殿の役を果たすべくこの場を去る。
綱元に連れられて退いてく政宗と成実の姿を目に収めながら。
若き主君の初陣を無駄な物とはしないために景綱は兵を伏せる指示を出す。
向かってくるであろう、義胤と一戦交えるために。
そして、義重が動いてきた可能性を考慮し、僅かでも抑えが利くように――――と。
こうして、佐竹家の介入により史実とは大きく崩れた金山、丸森を巡る戦いは輝宗が敗走し、政宗が退く際に勃発した景綱と義胤の戦いを以って終結を迎える。
退く政宗の下には一歩も進ませないと奮戦する景綱と伊達家に引導を渡すために向かってくる義胤。
両者の率いた軍勢の数は共に数を減らしてはいたが、ほぼ互角。
景綱の予測通り、義重、義宣はこれ以上の介入はしなかった。
理由を上げるとするならば、佐竹家ばかりが手柄を上げると角が立ち過ぎてしまう事を懸念したのだろう。
あくまで伊達家と相馬家の戦に助勢を頼まれた形であったからだ。
故に采配を執る者の力量と武勇が問われる戦となったのだが――――この戦は見事なまでの采配を見せた景綱とそれを後ろから援護する元時が凌ぎきり、撤退に成功。
結果として伊達家は相馬家との戦に敗れたが、この際の景綱と元時の活躍によって最低限の面目は守った。
特に景綱の奮戦ぶりは目覚しく、義胤の弟である隆胤と家臣である胤重の両名を乱戦の最中で負傷させている。
この事は後に伊達の鬼とも称される武将の通り名、片倉小十郎と言う名を奥州に轟かせる結果となったのである。
・金山の戦い結果
伊達家(残り兵力 合計2200)
足軽1600、騎馬500、鉄砲100
主な人物
伊達輝宗、伊達政宗、伊達成実、片倉景綱、鬼庭綱元、原田宗政、佐藤為信、萱場元時、亘理元宗
相馬家(残り兵力 合計900)
足軽550、騎馬230、鉄砲20
主な人物
相馬義胤、相馬盛胤、相馬隆胤、泉田胤雪、泉田胤清、水谷胤重
佐竹家(残り兵力 合計6800)
足軽3900、騎馬900、鉄砲2000
主な人物
佐竹義重、佐竹義宣、佐竹義久、成田甲斐、真壁氏幹、小野崎義政
損害
・伊達家 2800(死傷者、撤退者含む)
・相馬家 400
・佐竹家 200
負傷 相馬隆胤(重傷)、水谷胤重
討死 原田宗政、佐藤為信、亘理元宗