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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第3章 鬼九郎と鬼姫
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第38話 軍配を継ぐ者






 ――――1580年12月






 盛安が庄内を平定した後、盟友である上杉景勝の下には御礼の意味の財貨と書状が送り届けられていた。

 書状に書かれていた内容は本庄繁長が兵を出してくれた事により、被害少なく大宝寺家を落とせたという事。

 また、庄内を平定した事により上杉家の宿敵である最上家に対して牽制が可能になったため、領内の整備が終われば今後は共に最上家に当たれるという事。

 等々といった事が書かれていた。

 これだけの文面ならば唯の援軍に対する返礼でしかないのだが、盛安の届けた書状には新発田重家の論功の際の助言の時と同じく、幾ばくかの助言も書かれていた。

 その内容は越後の湿地帯を治水すべきとの事、佐渡島には金山があるために時を見計らって抑えるべきであるとの事。

 と書かれており、景勝にとっても兼続にとってもこの事は抑えていなかった話であっただけに有益なものであると言えた。

 中でも治水の事に関しては参考程度ではあるが、幾つかの方法が書かれており、中には河川の合流地点そのものに新しく水の流れを作る手段も記載されていた。

 特にこの手段は史実で出羽国の治水を行った人物の一人である、兼続も知らない方法であったために河川に新しい水の流れを作る手法は正に盲点であった。

 治水等といった民政に豊富な知識を持つ、兼続もこれには思わず驚いたほどである。

 このような方法があると言うのならば、保留にしていた越後の開発も多少の進展を迎える事が出来る。

 それに佐渡の金山についても、現状の段階では目星を付けていた程度でしかなかったため、後押しをしてくれるのは有り難い。

 御館の乱が集結し、漸く落ち着いてきた今の上杉家にとっては治水や金山といった開発は重要事項であるため、盛安の進言は有益なものだったといえる。











「……兼続、秀治」


「はい、盛安様からの書状の件は是非とも成すべき事であるかと存じます」


「兼続殿に同意でござる。戸沢様の御進言、これからの上杉にとっては必要な事だと心得ます」



 盛安からの書状を読み終えた後、景勝は側近であり、腹心である兼続と秀治の両名を呼び寄せて意見を問う。

 景勝の両輪とも言うべき2人の意見は共に一致しており、盛安からの進言は必要なものであるとの答えだった。

 こういった他家からの進言は本来ならば、疑ってかかるべき事ではあるが――――

 御館の乱の際の進言も含め、盛安から届いた書状は今後の上杉家が如何に動くべきかの後押しをするような形のものであり、先を見据えているものだ。

 それ故に景勝は疑う必要はないと判断した上で家中の政務の中心人物である兼続と秀治の2人に意見を訪ねたのである。



「……ふむ。ならば、織田の攻勢もなく、最上も動けぬ今の内に動くべきか」


「はい、そうすべきであるかと存じます。唯、盛安様の仰られる治水に関しては流石に直接、拝見させて頂かねば詳細までは解りませぬ。

 機会がありましたら、この兼続を是非とも角館に御遣わし下さい。盛安様の手法を詳しく、聞いて参りたく存じます」



 2人の同意を得た景勝は今の状況の間に動くべきである事を問いかける。

 今の越後国を取り巻く状況はそれほど悪くない。

 御館の乱で消耗したとはいえ、重家の恩賞の件を皮区切りに景勝が幼少時からの家臣達だけを優遇する人物ではない事が明らかになったため、素直に従う者が多い。

 その影響か今の上杉家は史実とは違って混乱や動揺が少なく、国内は順当に纏まっている。

 頃合いを見計らって改革を行う事や軍事行動を起こす事は決して不可能ではない。

 兼続が戸沢家に自ら出向くと言い出したのもこういった状況を踏まえての事である。



「……解った。そのように兼続が申すならば、盛安殿が落ち着いた頃合いを見計らって遣わすとしよう。秀治もそれで良いか?」


「構いませぬ。この件に関しては兼続殿が自ら行かれるべきであると存じます故、是非ともそのようにされるべきかと」



 兼続が戸沢家へと直接出向くという意見に景勝は頷き、秀治も後押しをする。

 盛安が当主になってからの戸沢家は目に見えて勢力を大きく伸ばしており、治水等の領内の改革が行われた事は想像に難くない。

 それに畿内へ出向いた際に雑賀衆の的場昌長と鈴木重朝、根来衆の奥重政、伊賀上忍の一門である服部康成を召抱えているのも改革の一端であるのは明らかだ。

 その証拠に庄内平定での戦にて援軍として参陣した繁長からの報告でも、盛安の率いる軍勢は騎馬と鉄砲の数が多く、火力を重視した軍勢であった事が伝えられている。

 戸沢家領内の事も含めると詳細こそ解らないが、盛安が明らかに様々な改革を行っている事は景勝にも兼続にも秀治にも解っていた。

 兼続が自らの目で戸沢家の領内を見てみたいと進言してきたのは当然の事である。

 無論、景勝に否はなかった。



「……殿の御配慮に感謝致します」



 景勝が自分の意図を理解してくれている事に感謝し、平伏する兼続。

 幼少の頃より敬愛する主君であるが、その決断の速さと理解力の深さには幾度となく助けられ、兼続の進むべき道を後押ししてくれる。

 此度の戸沢家の領地へ訪問するという話についてもそうである。

 即断であったために、考えていないようにも見受けられるが、景勝は兼続の思うところを受け止めた上で許可を出したのだ。

 その心遣いが身に染みて有り難い。

 兼続は景勝の意図を汲み取り、戸沢家で行われているであろう改革を出来る限り持ち帰る意志を強くするのであった。











「盛安殿との件は暫し先になるであろうから、此処までにするとして……義重殿への繋ぎは如何なっている?」



 兼続を戸沢家へと遣わす事を決めたところで景勝は秀治に佐竹義重への繋ぎの事を尋ねる。

 盛安からは会談を行った際に甲斐姫の事を含め、義重との繋ぎを取るとの約束をしており、景勝は兼続と秀治に戸沢家との同盟の件も含めて話を進めるように命じていた。



「はい、義重様へ書状は盛安様が庄内の平定を終えた後に送りましたので……恐らくは今頃、義重様の手元へと届いている頃合いであると存じます」


「……そうか。ならば、返答が来るのは年明けが過ぎてからとなるか」



 書状を送ったのは繁長からの報告により盛安が庄内を平定した事が明らかになった時で、会談をした時期が7月末であった事を踏まえれば些か遅い。

 だが、これは盛安の今後の動向が如何に進むのかを見据えたものであり、彼の人物の器量を義重に伝えるには大きな出来事があった方が都合が良いと踏んだからだ。

 事実、盛安は最上義光の対策を行った上で庄内の平定を成し遂げている。

 兼続の読みは見事に当たっていたとも言えるだろう。

 景勝は兼続の配慮により、義重も盛安には深く興味を覚える事になるだろうと推測する。



「……となれば、義重殿の返答を受けた後、盛安殿に繋ぎを取るのは兼続が戸沢に出向いた時になるな」


「そうですな。盛安様に御伝え出来るのはその時だと存じます。恐らくですが、盛安様は年明けには安東家に対して兵を起こすと思われますし……。

 義重様との繋ぎを取るのは如何しても、後の事になってしまいます。待たせてしまう事になるのは申し訳ない限りではありますが」


「……それは仕方あるまい。流石に盛安殿とて今の状況で動かぬ訳がないのだからな」



 だが、義重からの返答が来たとしても盛安に伝えるのは随分と先の事になってしまう。

 盛安が安東家攻めを行う事を考えると、最短でも恐らくは3、4ヶ月ほどは後になるだろうか。

 しかし、義重の気質を考えればそのくらいの事は想定しているのは確実であるため、然程大きな問題とも言い切れない。

 関東でも北条家に次ぐ70万石を超える強大な勢力を築き上げた義重は関東だけでなく奥州の動向にも気を配っており、盛安の動向も掴んでいるのは間違いないからだ。

 庄内平定後の安東家攻めの事についても予測の範囲内だろう。

 坂東太郎とも、鬼とも称される英傑の名は伊達ではない。



「まぁ……義重殿の事であるから、盛安殿からの返答が遅くなる事については想定しているだろうが……実際に盛安殿の事を如何様に見るかは楽しみなところだ」


「そうですな。義重様ならば、面白い人物だとでも評しそうではありますが」


「……かもしれぬな」



 景勝と兼続は義重が盛安の事を如何に思うかを想像し、笑みを浮かべる。

 今は亡き、謙信の軍配を継ぐ、唯一の人物だと言われる義重は質実剛健を旨とし義を重んじる人物であり、信頼のおける人物。

 その義重が家督を継承してからの盛安についての動向を如何に評価するのかは景勝と兼続にとっても興味を惹かれるものであった。

 無論、それに同意する形で頷いている狩野秀治も同様だろう。

 義重が如何なる反応を示すのかは景勝主従の誰もが気になる事だ。

 少なくとも、予測を裏切るような事はないと思うが――――如何なものであろうか。

 上杉家にとっては長年の盟友でもあり、景勝にとっては義兄とも慕う彼の人物である佐竹義重。

 彼の人物は果たして、盛安の事を如何に評価するのであろうか――――。











「ふむ、景勝殿が此処まで入れ込むとは――――これは謙信殿の御存命時以来の事、だな」



 関東の中でも奥州の近くに位置する常陸国にて、一人の人物が盟友である上杉景勝からの書状を読み耽っている。

 この書状の内容は現在の奥州の状況や、大きく変動のあった出来事を事細かに記載しているものであった。

 上杉家から届けられた書状を面白げな様子で読み進めていく人物の歳の頃は30代前半といったところだろうか。

 盛安と比べると20歳近くも歳上ではあるが、武将としては脂の乗る年代であり、働き盛りの年代である。



「戸沢九郎盛安。関東では漸く名前が出始めたといったところだが……庄内平定を15歳で成したのだから、見事なものだ」



 この人物は無精髭を擦りながら、書状にて名前の上がっている盛安についての項目に目を通しつつ、自らが調べていた奥州の動向が間違っていなかった事を実感する。

 関東に在りながら、奥州でも随一の巨星であった蘆名盛氏と長年に渡り、争ってきた身として、奥州に新たな巨星と成り得る人物が出てきた事は大いに興味が唆られた。

 それに自らの嫡男である次郎の母も伊達家から嫁いで来た身であり、この人物にとって奥州は身近なものなのである。



「また、庄内だけでなく、由利、真室を抑えたのも悪くない。宿敵である安東と戦うための準備と踏まえるならば、妥当な筋書きであろう。

 盟友として、上杉、津軽を選び、更には佐竹を選んだ点も最上、伊達を意識した政略に相違ない。若いが、武士としての資質は充分にある。

 景勝殿のからの評価もあながち、間違いとは言い切れまい。順当に経験を積んでいけば紛れもない、傑物と成り得よう」



 盛安については出羽国北部における勢力拡大の件といい、朝廷により賜わった鎮守府将軍の件といい、名を馳せるだけの出来事が非常に多い。

 家督を継承して2年の間に此処まで大きく伸びたのは一重に盛安という人物があってこそのものであろう。

 もしかすると、謙信の薫陶を受けていた若き日の自分よりも上手かもしれない。



「惜しむらくは出てくるのが遅過ぎた事か。間違いなく、奥州で鎮守府将軍の名に相応しいだけの勢力を築く事は出来るだろうが……。

 もし、10数年も早ければ状況は大きく変わっていたであろうな。……尤も、彼の人物のやり方を聞く限り、天下を望んでいないのは間違いないと思うが」



 だが、それだけの実力と資質を持ちながら、盛安は余りにも遅過ぎたと思う。

 自分とて、盛安と同じ頃の生まれであったならば、今のような強大な勢力を築き上げられたかは解らない。

 天下を望んでいない点だけは同様だが――――果たして、70万石もの所領を得る事が出来たであろうか。

 つくづく、自分が早くに生まれた事を感謝しなくてはならない。

 ある意味、恵まれていたと言えよう。



「それに甲斐姫を正室に望んでいる、か。目のつけどころは見事と言うべきだな。夜叉とも鬼とも称されている身であるならば、彼の女子ほど相応しいのも存在しない」



 また、景勝からの書状では盛安は甲斐姫を正室に望んでいるという。

 家中では巴御前の再来とまで評されている甲斐姫だが、夜叉九郎とも鬼九郎とも称される盛安ならば名前負けしていない。

 男子にも劣らぬ勇猛な女子である甲斐姫を一時は次郎の室にしたいとも考えていたが、既に那須資胤の娘を迎えているため、出来なかった。

 それ故に甲斐姫の相手に相応しい人物については保留にしていたのである。



「景勝殿から伝えられた、この申し出は渡りに船でも言うべきか」



 だが、盛安が盟約を結びたいと申し出てきた上で甲斐姫を望むと言うのは決して悪くはない。

 盛安の事は甲斐姫自身も頻りにその名を持ち出していたからだ。

 当人同士が互いに興味を持った上で尚且つ、自らが巨星の落ちた岩代国を切り取る存念でいる現状を踏まえれば戸沢家との同盟は非常に有益だ。

 しかも、長年の盟友である上杉家の助けにもなるのだから尚更である。 



「その相手が奇しくも俺と同じく”鬼”と称された人物と言うのだから面白い。これだから乱世とは解らぬものよ」



 意外でありながら、道理でもある戸沢家の申し出は此方からしても、望むところだ。

 鬼と毘の同盟に更に鬼が加わるとならば、周囲の敵は嘸かし、震え上がるであろう。

 北と西の双方に敵を抱えている今の自分の名が更に凄みを増す事にもなる。

 こうして、景勝からの書状を読み終えた一人の人物はゆっくりと立ち上がり、奥州へとその目線を向ける。

 それは何気ない一挙一動でしかなかったが、一分の隙もなく無駄もない。

 もし、この場に何者かが居たとすればその振る舞いには思わず、背筋が震えた事だろう。

 一人の人物の纏う雰囲気はまるで、戦国という時代が授けた鬼であると称しても間違いはないほどのものであったからだ。

 戦国期の関東の動乱を天正年間に至る現在まで生き、常陸国を掌握し、下野国、下総国の半ばまでも支配下に組み込み、奥州にも影響力を持つ彼の人物――――。











 その名を――――佐竹義重といった。
















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