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夜叉九郎な俺(不定期更新)  作者: FIN
第3章 鬼九郎と鬼姫
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第33話 巨星墜つ






 奥州の傑物と聞いて、多くの人々は誰を思い浮かべるだろうか。


 やはり、独眼竜こと伊達政宗だろうか。


 しかし、遅れてきた傑物であった政宗は奥州においては評価するべきか否かは悩む人物でもある。


 代々の伊達家の当主が行なってきた政策の全てを否定し、婚姻により結ばれていた盟友の全てを敵に回してしまったのだ。


 天下を望んだという点からすれば決して否定されるべき行動ではないが、最上義光や佐竹義重といった人物達を同時に敵に回した事は無謀であったとも考えられる。


 しかし、政宗は時勢に恵まれ、偶然とも必然とも思える時代の流れに乗り、次々と難関を乗り越え、最後には僅か6年という期間で奥州の南に覇を唱えたのである。


 これは多くの大名が存在する中で飛び抜けて早い期間であり、伊達政宗という人物が大きく評価されているのは紛れもなく、その点であろう。


 その驚異的とも言える早さでの勢力拡大は並の器量の人物では決して出来はしない。


 だが、政宗の偉業はある人物に10年程度の余命があったら成し得なかったとも言われている。


 政宗はその人物と戦った事はないし、接点もないが、武田信玄をして、”優れた人物である”と言わしめたほどの器量を持つ人物。


 知名度こそ高いとは言えないが、奥州で最も大きな動乱であった天文の大乱の頃からその名は登場し、天正年間になった今でもその名に衰えは見られない。


 また、奥州で最も恵まれた地である会津を支配し、奥州だけではなく、越後国や関東にまでその影響力を持っている。


 名実共に戦国時代における奥州随一の人物であり、上杉謙信や佐竹義重とも堂々と渡り合った傑物。


 正に巨星といっても過言ではない、一人の人物。


 蘆名盛氏の名はそれほどまでに大きいものであった。
















「蘆名盛氏殿が、俺が奥州から離れている間に……」



 俺が奥州から離れている間に蘆名盛氏が亡くなった。


 1580年に亡くなる事は知っていたが、流石に日付までは把握していないかったため、この話は流石に驚く。


 彼の人物が亡くなったという事――――これは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。


 上杉家、佐竹家との連携を考えている今後の戦略からすれば盛氏が亡くなったというのは戸沢家としては無論、有り難い。


 盛氏が亡くなった事により、新発田重家が動き易くなるし、佐竹義重も岩代国に対する影響力が強まり、領土を切り取る事も容易になる。


 景勝も義重も盛氏に苦汁を飲まされていただけに彼の人物が倒れたという事はある意味で朗報だろう。


 俺の方も現状の段階で介入されていたら如何なっていたかは解らないだけに盛氏が亡くなった事は朗報であったといえる。


 だが、奥州でも随一の人物であった盛氏とは一度くらいは対面してみたいと思っていた。


 それだけに彼の人物の死というのは少しだけ残念に思う部分もあった。



「はい。先月の事であると聞き及んでおります」


「そう……ですか」


「しかし、盛氏殿が亡くなられた事は此方にとっては都合の良い事。盛安様が動かれるならば存分に力添えする事が出来ます」


「うむ。不識庵様も苦戦なされた盛氏殿が居られぬ蘆名など、抑える事は難しくはない」



 目の上のたんこぶと言っても良い存在であった盛氏が亡くなったが故に兼続と景勝は蘆名家を抑える事は容易な事だと言う。


 それは言い過ぎだろうとも思えなくもないが、史実とは違って重家も反乱を起こしていないため、2人の言っている事は決して間違いではない。


 今の蘆名家は大黒柱を失った状態であり、後継者である蘆名盛隆も他家からの養子でしかなく、家中を掌握しきれていない。


 そのため、重家ほどの武将であれば抑え込む事は容易である。


 蘆名家の横槍さえなければ、上杉家は出羽国へ介入する事が可能になるし、場合によっては岩代国にも介入出来る。


 また、蘆名家の動きを抑えている間に佐竹家を岩代国に介入させる事も可能なのだ。


 佐竹家が岩代国の一部を切り従えてしまえば、今後の戦略上でも戸沢家、上杉家、佐竹家の連携を成立させる事も出来るため、尚更有利となる。


 戸沢家と上杉家の状況を踏まえた上で兼続と景勝はそれを見越しているようだ。



「確かに兼続殿と景勝殿の言われる通りです。今の蘆名家ならば、付け入る隙もありますし、佐竹義重殿に要請して切り崩す事も可能でしょう」



 それならば、俺からも止める理由はない。


 上杉家が動いてくれるのならば、此処は俺も動くべき時だ。


 角館に戻り次第、軍備を整え、大宝寺家を討って庄内を平定する。


 これにより、上杉家とは領土が完全に接する事となり、伊達家、最上家と事を構える事になっても勝機を見出す事が出来る。


 後は本格的に伊達家や最上家と戦を交える前に宿敵である安東愛季を討ち、出羽北部を統一すれば奥州でも一大勢力となり、鎮守府将軍の名も活きてくる事になるだろう。


 その上で佐竹家と同盟を結び、伊達家、蘆名家を抑える。


 現状の段階を踏まえれば、戦略上はこう動くのが一番良いだろう。


 頼れる盟友の後押しがあるのなら、躊躇う必要はない。


 定めていた方針通りに進めていく意志を固めた俺は佐竹家との同盟を締結する旨を伝えた上で、兼続と景勝に頭を下げるのであった。
















「時に盛安様、貴殿はまだ正室を娶られてはおられぬようですが……考えてはいないのですか?」


「いえ、そういう訳ではないのですが……」



 戸沢家の方針を伝えた上で、佐竹家との同盟の締結が決まった後、俺達は酒と肴に舌づつみを打ちながら語らう。


 暫くの時間、他愛もない話で盛りがっていたのだが、その最中でいきなり、話に上がってきたのは俺の正室の事。


 酒も入っているためか兼続も景勝も此処ぞとばかりに聞いておきたいと思ったのか。


 何の脈路もなく、話題にしてくるとは酒の力というものは恐ろしい。



「ならば、何処からか迎えようとでも考えておられると?」


「……はい」


「ほう……中々、隅に置けぬな。差し支えなければ……御聞きしたいものだ」



 まるで誘導するかのように話題を進めていく兼続と景勝。


 2人には悪気が全くない事が解っているので、俺の方も質問を無視する事は出来ない。



「俺としては……佐竹義重殿の下に身を寄せている、成田甲斐殿を御迎えしたいと考えている所存です」



 だから、俺は迎えたいと思う唯一の名を告げる。 


 史実では正室を持たなかった俺だが、既に歴史が変わっている今ではそうはいかない。


 鎮守府将軍となったこの身は一度目の時とは違うのだ。


 それに遠い先の時代での将来の伴侶であった彼女を迎えたいと思うのは自然な事だし、彼女以外には考えられない。



「甲斐殿か。義重殿からは話に聞いているが……彼の女子に目を付けるとは流石は盛安殿」


「ええ、未だ10に満たぬ年齢であるとは聞いておりますが、既に一通りの武芸等は身に付けられている御様子だと聞いております。


 義祖父にあたる、太田資正殿が教育されているとの事らしいのですが……義重様も時が空いている際には嫡男の義宣様も交え、自ら教えられているとの事です。


 また、女子には勿体無いほどの武将としての才覚を持っているとの事で、佐竹家では巴御前の再来であるとまで言われておりますな」



 俺が甲斐姫の名を出した事には特に驚いた様子は見せず、義重から伝え聞いた話を俺に告げる2人。


 何やら、色々と凄まじい事になっているようだ。


 義祖父である太田資正ならまだしも、佐竹義重からの薫陶までも受けているとは流石に予測出来なかった。


 いったい、彼女は何をやらかしているのだろうか。


 普通ならば、女子が此処まで武将としての教育を受けられる事は考えられないが――――。


 もしかすると、俺が為信と共に語り合ったように自らの志を義重にぶつけたのかもしれない。


 いや、彼女の気質を考えれば確実に自らの思いの丈を伝えているだろう。


 その上で甲斐姫という人物像を考えると間違いない。


 為信が俺の訪ねた天下の話題に躊躇いなく答えてくれた事を踏まえれば、義重や資正ほどの人物となれば甲斐姫の心意気に応じてくれても何も可笑しくはない。


 そうでなければ、甲斐姫が義重の薫陶を受ける事など考えられないのだから。



「……はい。是非とも我が妻に迎えたいものです」



 俺は遠い先の時代の在りし日の彼女の姿を思い出しつつ、妻に迎えたい事をはっきりと口にする。



「ふむ、確かに夜叉九郎と称される盛安殿ならば御似合いであろうな」


「そうですね。義重様にもその旨を御伝えしておきましょう。夜叉九郎殿は巴御前を妻に望む、と」



 今の言葉に兼続と景勝は俺の様子に思う事があったのか、賛同した上で同盟の話と同時に話を伝えてくれると言う。


 酒が入っているためか、何かの冗談かと思えるような口振りにも感じられたが、兼続の表情は真剣そのもので今の話を何かに書き留めている。


 どうやら、本気で同盟の話と同時に甲斐姫の話を義重に伝えてくれるらしい。


 兼続は迷いのない筆使いで先程の会話の要点を要約し、書き綴っている。


 景勝も止める様子がなく、この件に関しては全て兼続に任せるつもりのようだ。



「……感謝致します」



 この心遣いには正直、感謝するしかない。


 初対面で尚且つ、語らってそれほどの時間が経過していないにも関わらず、兼続と景勝は此処までしてくれたのだ。


 俺も相応の礼儀を以って2人に報いなくてはならない。



「……兼続殿、景勝殿。御二人方に訪ねておきたい事があるのですが」



 何を以って対価とするべきか僅かに考えた後、俺は為信にしか語らなかった天下の形勢についての話題を尋ねる事を決断する。


 兼続と景勝の心遣いに応えるには俺が何故に信長に会い、鎮守府将軍の座に付いたのかを包み隠さずに伝える事くらいしか俺の志を伝える術はない。


 反感を持たれてしまう可能性もあるが、此処までの礼を尽くして貰ったのだから、腹の中を隠すのは非礼に値する。


 それに一連の流れの会話で2人が信頼出来る人物である事を確信した今、隠し事は無しにしておきたい。


 俺はそう思い、兼続と景勝に為信の時と同じく、今現在の天下の形成について考える事と、自らの宿願を語るのだった。
















 ――――1580年8月






 上杉家での会談を終え、俺達一行は漸く角館へ到着した。


 春日山を去る時に景勝達には俺の思う事と天下の形勢を語り合ったのだが、2人は敵対してきた信長との事も含めて否定する事はなかった。


 兼続が言うには俺の一連の勢力拡大の事や鎮守府将軍に目を付けた事等を見れば、俺の志が本物である事を証明していると言っていたし。


 景勝の方も俺という人物をその着眼点こそが他の人物に成し得なかったものであり、その事は誇るべきだと言っていた。


 為信と同じく、天下に対する答えを出してくれた2人には頭が下がる思いだ。


 上杉家との会談の後から暫くの後、城に戻った俺を父上が真っ先に出迎えてくれたが、この時に話された話題はやはり、蘆名盛氏が亡くなったという事。


 戸沢家は蘆名家とは大した関わりはないが、長年に渡り、奥州の動乱を生き抜いてきた父上からすれば盛氏の死は何かしら思う事があるようだ。


 頻りにその名を惜しむかのように盛氏の事を語っていた。


 やはり、奥州においては蘆名盛氏という人物の名は余程、大きかったのだと実感させられる。


 奥州でも関東でも影響力を持っていた盛氏の死は勢力のバランスを一変させかねないものなのだ。


 事実、上杉家は蘆名家の影響が弱まった事で出羽国へと介入し易くなっているし、佐竹家も岩代国を切り取る事が可能になっている。


 そして、戸沢家も盛氏の死に乗じて勢力拡大が可能となっているので、その影響力の大きさは半端ではない。


 此処にきて早くも一部の勢力図が塗り変わろうとしているのだから、一人の人物の死というものが歴史に影響する事が事実である事を俺に強く意識させる。


 武田信玄、上杉謙信といった人物達の死が歴史上のターニングポイントであったというのも決して、言い過ぎではない。


 盛氏の死もまた、それほどの影響力があったのだから。


 奥州が誇る巨星、蘆名盛氏。


 彼の人物の死は奥州の歴史が次の展開へと進もうとしている事を示唆するものとなったのであった。
















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