龍鉄婚姻譚
200年前の記録:
私が育ったのは小さな集落にある登龍神社だった。学業や出世にご利益があるとされて観光客が絶えない。
毎日バスに乗って学校へ行き、電車を使えば都会へ遊びに出ることもできたが、友達とそうすることはなんとなく空虚で、私は次第にしなくなっていった。
お社の掃除をして、数学の復習をして、寝て起きて、そうして日々を過ごしていたら、ある日突然、龍に求婚された。龍は神の使いである。両親は当然逆らえず、まだ中学生の一人娘を差し出した。
装束に着替えて霧が包む山道を登る。頂上にたどり着くと龍が長い体をねじりながら降りて来た。
「ミア」
両親が私の名前を呼ぶ。二人の間を割って前へ出た。
龍に、私はたずねた。
「学校はどうしたらいいの」
龍は頭を左右に振った。そして唸る。
私は言語チップを入れ替えて、龍の言葉を翻訳した。
子供の生まれなかった両親は、ガイノイドの私を娘として迎え入れたのだ。
龍は改めて答えた。
「勉強ならしなくていい。我が下でいつまでも暮らしなさい」
「看過できない。年齢相応に換装したいし、進学もしたい」
「それは本当に、あなたの望みなのですか」
龍の言葉に私は頭を傾げる。人間がそうしたように。
「年相応の女子高生ならこういう時『勉強しなくていいなんてやったー』と喜ぶのかも」
私はアルゴリズムを組み直して、両腕を天に上げて喜びを表現した。
「勉強しなくていい、やったー」
霧深い山に音声は空虚に響く。
しばし、間。
「参りましょうか」
龍は私を抱えあげて空を飛んだ。
「雲の上まで行くと関節が凍り付いてしまう。壊れない高度でお願い」
私は言った。
龍は繁殖期以外は単独で暮らす。どの龍も親から離れ、一つの山をねぐらとする。
登龍神社の隣山に私たちは降り立った。
「勉強しなくていい、やったー」
「それはもういいでしょう」
爪で両腕を下げられる。
龍のねぐらは岩を穿ってできた洞窟だった。入り口の隅に小さな祠が置いてある。
「奥が鍾乳洞になってる」
私は赤外線を照射して分析した。龍はにこりと笑ったようだった。
「見に行きますか」
「行く」
私は装束の裾を汚さないように持ち上げて、奥へと進んだ。
鍾乳石が乳房のように垂れ下がっている。カルシウムが溶け込んだ水が滴る。石なのに有機的だった。
「龍はなぜ、私に求婚したの」
改めてたずねた。
「寿命が迫っています」
龍は首を曲げて、私の目を見た。
「我は同じ龍と生きることができなかった。雄の龍と暮らしたこともありましたが、子供ができず捨てられました」
「メスなの」
「そうです」
龍はなんでもないことのように言った。
「私が亡くなったら集落に戻りなさい。龍の巫女を悪いようにはしないでしょうから」
洞窟を出ると荷物を背負った山伏が入り口に立っていた。彼は龍を見ると手を合わせて、背中の荷物を下ろした。
中身を出す。果物や生米といった龍への捧げ物だった。麓から届けられたのだろう。
「今度からは炊飯器もお願い」
私は言った。山伏はなにごとか呟きながらうなずいた。龍語のチップに入れ替えているので言葉が通じないのを忘れていた。
山伏からはキリキリと錆の音がしたので、潤滑剤が足りていないのだろう。
彼が去ったあと、私は林檎を口にした。
「龍は何を食べるの」
「食べません。霞さえあれば」
ふうん、と私は返事して、捧げものからエネルギーになりそうなものを見繕った。
倒木と落ち葉を拾ってきて簡易の緩衝材を作った。これで寝ころんでもパーツが痛むことはない。
「龍はどうやって寝るの」
「こうやって座ったまま眠ります。あなたを押しつぶすようなことはありませんから、安心して」
龍は長い体を巻いて言った。
私は|なんとなくそうしたくな《バグ》って、龍の身体をよじ登った。
とぐろの中心に身体を預ける。龍の温度は32度。人間ならすこしひんやりするだろう。
「一緒に寝ますか」
龍が言うか否かという時に、私はスリープ機能をオンにした。
目が覚めると、龍は死んでいた。私が眠ってから八時間後だった。
私は暗い夜を彼女の亡骸の隣で過ごした。私が居たためか、山の野生動物たちは龍の亡骸を食い荒らそうとはしなかった。
空が白んでくると山伏がやってきて、龍に手を合わせ、私を背中に乗せた。
山道を降りながら私は龍の温度を思い出していた。
麓へ降りると私は電車を乗り継いで、登龍神社へと戻った。
「あなたは龍の巫女として重要な責務を果たした。よくやった」
彼女が言ったように、私は悪い扱いは受けなかった。
バスに乗って学校へ行く。
「おはよう、旦那さん」
加奈がからかってくる。私は笑顔を形成して彼女の肩を小突いた。
「早かったね、戻ってくるの」
「うん。気を使われてたみたい」
「まあね、山の上でいつまでも暮らせないよ」
人間の彼女の言葉に、私の認識装置が引っかかる。
「いつまでも……」
我が下でいつまでも暮らしなさい。
龍はそう言ったのに。
「どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
私は教科書を開いた。カメラの潤滑剤が、ぽとり、と落ちた
◆
150年前の記録:
龍に求婚されたらしい。
「あたしは、絶対に嫌だからね!」
高校も休みたくないし、友達とも遊びたいし、そもそも夕食の時間にそんなこと知らせるのもあり得ない。あたしは断固拒否した。
「ミカ、あなたのおばあさまも勤めたのですよ」
「嫌だって言ってるの! ごちそうさま!」
エネルギーがチャージされたのを確認して、自室に戻って緩衝材に寝転んだ。
あたしは工場からこの家に配属されたのだ。子供が生まれなかった両親のために。
人類は繁殖機能が退化しつつあった。体外受精や人工子宮も開発したけれど、退化は止められなかった。
より人間らしく、より賢く、より自分勝手に。そう願われて設計された工場は毎年子供の代替製品を生んでいる。
「バカみたい」
あたしはつぶやいて、スリープをオンにした。
翌朝。あたしは彼氏の運転するバイクで海へ向かった。
「やるの、お勤め!」
修二がエンジン音にかき消されないように声を張り上げた。そんなことしなくても聴こえるのに、気遣っちゃうところが好き。
「やるわけない!」
あたしも声を張り上げる。
「よかったわ、ミカが他の奴と結婚するの、やだし!」
バイクがトンネルを抜ける。
海が見える。潮風の匂いを検知してシステムが警告を吐くけど、無視した。錆止めならちゃんと持ってきてる。ロボット臭くて修二が嫌がるから、まだつけないけど。
海岸沿いをしばらく走って、浜辺に降りられるところにバイクを止めた。
打ち寄せる波を見ていると修二がシートとパラソルを持ってくる。
「あんまり近付くなよ」
「わかってる」
ふと、空が暗くなった。
龍だ。
空を覆っていたのは、銀色の鱗をまとった龍だった。
「おい、こんなところまで来たのか」
修二がパラソルを投げ捨ててあたしを抱きしめる。
「ちょっと」
「ミカは渡さねえぞ!」
果敢にも立ち向かう彼氏の姿にドキドキしたりなんかせず、乱立するシステムの警告を閉じるので精いっぱいだった。
龍が砂浜に降り立とうとしている。
修二があたしを持ち上げた。修二の倍はある重量なんだけど。
「ねえ、無茶しないで!」
あたしの声も無視して、修二は道路へ飛び出した。
ブレーキ音。
「……!」
よそ見運転をしていたトラックが二人を跳ね飛ばした。
龍はあたしを見下ろしていた。その尻尾から赤い血が落ちていく。
「嘘」
あたしは起き上がった。全身の損傷は軽微だ。側道に修二が転がっているのに気付く。
「修二に近付かないで」
龍に向かって言った。けれど龍の尻尾は動いて、修二に赤い血を垂らした。
あたしは見た。修二の腹部を突き破っていた肋骨が埋まって、変形していた腕が戻っていった。
龍の血には再生効果があると、メモリーに記されている。
「治してくれたの」
龍を見上げる。
「……いてて」
「修二、動かないで」
起き上がろうとしている修二を抑えて救急車を呼ぶ。
龍は何も言わず飛び立った。
「あ、ありがとう」
細長いシルエットは遠ざかっていく。
あたしは龍の求婚を受け入れた。
輿入れの十日後に龍が息を引き取ったので、あたしは山を下りた。
修二は人間の女性と結婚した。あたしが望んだのだ。自分の子孫を残してほしいと。
あたしは龍の巫女として生涯を終えた。
◆
90年前の記録:
龍に求婚された。
街の大学へ進学したばかりの私の前に、龍が現れたのだ。
「やば、CGみたい」
「ちょっと、やめて杏子、行くよ」
私はスマホを構える友人を引っ張ってその場を離れた。
龍は空に浮いたまま追いかけてくる。私は食堂に入って龍を撒いた。
杏子はミニパフェを頼んで、私はサーバーから入れたコーヒーをお盆に載せずに運んだ。
「いやあ、こんな街中で龍に会えるなんてね」
席に着いた杏子は興奮した様子で言った。私も対面に座る。
「信じられない」
「情熱的」
「龍と結婚なんて今の時代ありえない」
髪をかき上げた私の顔を覗き込んで、杏子は肘をつく。
「ゆーて紗香、うちらガイノイドじゃん」
「そうだけど」
「人間と結婚して繁殖の邪魔するくらいだったらさ、龍と結婚するのもいいんじゃないの」
呼び出し機が鳴って杏子は立ち上がった。
窓の外を見ると、龍はまだ私を待っていた。
戻ってきた杏子は歩きながらミニパフェをつついていた。既に半分平らげている。
「かわいそうだからさ、返事してあげたら」
「龍と話したことなんてない」
「高いもんね、龍語チップ」
「もう、せっかく大学ライフ楽しもうと思ってたのに」
私はコーヒーを口にする。成分が解析されて、エネルギーに変換される。効率が悪い。
「まずい」
「そんなに?」
杏子がカップを奪って一口飲んだ。
「ホントだ。まずいや」
そう言って笑う。
龍は次の日も、その次の日も、私を追いかけて来た。
「けなげなもんだ」
杏子は他人事のようにつぶやく。
「杏子と遊べなくなるかも知れないんだよ」
「だよね」
「それでもいいの」
「うーん……」
杏子はすこし考えるそぶりをして、歯を見せて笑った。
「友達が龍の巫女だったら、かっこいいじゃん?」
「聴いた私がばかだった」
龍は空を漂っている。
龍の求婚は鳴き声と飛行の軌道でわかる。私に向けるその歌声が、曇天に虚しく響いた。
翌日、私は風邪を引いた。ガイノイドの間で蔓延しているエラーだ。更新パッチをダウンロードしながら私はソファに寝ころんでいた。
インターホンが鳴る。私は重い身体を引きずってカメラを接続した。杏子だった。
「紗香、やばいよ」
杏子が言った。
私は玄関まで行ってドアを開ける。
なにがやばいの。言おうとした時、垂れ下がる龍の尻尾が見えた。
「……」
マンションの屋上に龍が横たわっていた。
「もう長くないみたい」
杏子が言った。
私たちは大家さんに連絡した。鍵を開けて貰って屋上に上がり、龍と対面する。
身体を冷たいコンクリートに横たえたまま、苦しそうに呼吸をしている。鱗に覆われた腹の動きで、かろうじてわかる。
「これ、食べるかな」
杏子がお見舞いの品のぶどうゼリーを龍の口元に持っていく。
「変な物あげないで」
「心配なんだって」
龍の生態は、おばあちゃんたちほど詳しくない。神社に戻れば資料が保管されているはずだけど。
龍が唸った。
「……うん」
私は龍の鼻先に顔を近づける。
「結婚する」
龍の鼻先にキスを贈った。
安心したように唸って、龍は息を吐いた。
龍の亡骸は役所に連絡して引き取ってもらった。
「これ、供養塔の場所です」
役所の人がお寺の住所が書かれたチラシをくれた。
私は大学に通っている。
卒業したら集落へ戻るつもりだ。
龍の知識を後世へ伝えるために。
◆
50年前の記録:
龍に求婚された。
「良いのでしょうか、私なんかで」
集落の役場の、観光事業課で働いている私は言った。四十年物のガイノイドだ。耐久年数はとうに過ぎている。
「登龍神社でしょう、カナタさんの実家」
役場の上司は言った。
「ええ」
私は答えた。
「龍の巫女、重要な観光資源なんです。毎年の龍神祭りも人が増えてますし」
「はあ」
「お願いしますよ。私からも」
上司に乞われて、私は龍に輿入れした。
龍の巫女に定められた装束へ着替え、普段より華やかな化粧をした。
「よくぞ来てくれました」
私を出迎えたのは神職の助勤たちだった。
龍の棲みかの洞窟には社が立てられていて、そこで寝泊まりが許されている。電気ポットと布団が備え付けられている。電線も通っていた。
「こちらをお使いください」
龍語の言語チップを渡されて、私はチップを別スロットに挿入した。昔、スロット数が限られていた頃は巫女は龍としか話せなかったが、今は違うので助かる。
私は社の中で龍を待った。
電気ポットで沸かした緑茶を飲んでいると、ドスン、と社の外で何かが落ちる音がした。
私はおそるおそる、戸を開けてみる。
龍が落ちていた。腹を天に向けて、岩場に転がっているので、落ちていたとしか言いようがない。
「お待ちしていました」
私は言った。
龍はバタバタと腕を振り回してどうにか体勢を立て直し、起き上がった。
それから社の方へ顔を向けようとして身体を畳むが、どうしても収まりきらなくて、社に首を絡ませて屋根から顔を覗かせた。
少し、いやかなり、どんくさいのかも知れない。
「わたくしこそお待ちしていました。お婿様」
龍は言った。私は聴き間違いかと思って、入力機器の感度を上げた。
「お婿様?」
「お婿様、あれ、ええと」
私は龍と顔を見合わせた。
「行き違いがあったようですね」
湧き水で化粧を落としながら私は言った。
「わたくし、目が悪いんです。遠目にあなたがスラッとした営業マンに見えたので」
「はあ」
どう反応していいのか困る。私は質問する。
「龍の巫女は、寿命を迎える龍を看取るために婚姻すると聴きましたが」
「慣例ではそうなっています。が、龍は好きな相手ができたらいつでも求婚します。なにせ寿命が千年と長い割に繁殖期が一日しかないので……」
「では、私はまだ帰れないと」
「……すみません、迷惑でしたか」
龍は申し訳なさそうに、まばたきをした。
「いいえ、仕事ですので」
「はい……すみません」
龍はぐるぐると身体を巻いて、棲みかに収まった。
毎日棲みかの前に落ちている龍を起こす手伝いをして、捧げものを使って食事を作った。龍に目玉焼きと味噌汁とご飯の簡単な朝食を持っていったら、彼女は舌先を火傷した。湧き水で冷やしてあげた。
「すみません、普段、霞しか食べてないもので」
龍はなにかと謝った。
私を勘違いで娶ったことを気にしているのだろう。
「気にしなくていいです」
私はその度に伝えた。
季節がめぐり二度目の冬が来た。
スリープから目覚めて、私はパーツの調子を見て、龍の前に立った。
「お別れの時が来ています」
「なぜですか」
龍は驚いた表情で言った。
「交換パーツが廃盤で、存在しないのです。いつか近いうちに機能を停止します」
システムがエラーを吐く。私は龍の顔を遮るウインドウを閉じた。
「そうですか……」
龍は寂しそうに言った。
「気にしなくていいです。両親や友達が中古を探してくれるそうなので、案外簡単に直るかも」
龍は身を乗り出して、私の顔に鼻先を近づけた。
「わたくしにできることはありますか。わたくしのお婿様なので、あなたのために尽くさせてください」
私はその鼻先を撫でた。
「気にしなくていいんです。あなたが側に居てくれれば、それで」
龍は、はっ、と息を呑み、それから鼻先を私に擦り付けた。
私たちは愛し合っていた。
次の冬になっても、パーツは見つからなかった。
「お別れですね」
私は呟いた。エラーメッセージは開いたまま、閉じるのも諦めている。
その隙間から龍の顔が見える。
「わたくしはあなたが来てくれたこと、感謝しています」
龍は呟いた。
「いつか完璧な自立活動ができる私たちが生まれます。そうなったら、新たな私を娶っていいのですよ」
「いいえ、わたくしにはあなたしかいない」
「そうでしたね」
龍の答えに、私は微笑んだ。
世界が閉じる。
壊れたガイノイドの側で、龍はずっと眠っていた。
そうしているうちに寿命を迎えたが、龍は幸せだった。
◆
40年前の記録:
龍に求婚された。
「わたし、子どもたちの面倒を見ないとなんだけど」
保育所に配属されていたので困っていた。
「仕事をしながらでも構いません」
龍は言った。
わたしは承諾して、龍に輿入れした。
昼間は保育所の仕事をして、夜は龍の山に登って眠った。
「龍はどんな仕事をしているの」
わたしはたずねた。
「雨を降らせます」
龍は答えた。
「それは大事な仕事だね」
子どもたちに言うようにわたしは微笑んで、龍の隣で眠った。
保育所は去年生まれた子どもたちで満員だった。
彼らは決まった親は無く、人口調整センターで冷凍された卵子と精子からランダムに選別され、人工子宮で生まれてくる。
保育所でわたしたち、プログラムされた『完璧な大人』から情操教育を受けて、彼らは社会へ出て行く。
人類はそうなってからもう二十年目を迎えていた。
「完璧な親なんて人間には無理だ」
わたしは言った。
「だから、わたしの思考は人間に近付かないように設計されてる。昔、人間に近付けようとした科学者たちの志に反してね」
事実だった。
どうしてこんなわたしを龍は娶ったのか、不思議でならなかった。
「仕事にひたむきで、素敵です」
龍は言った。
「龍たちは繁殖がうまくいかず、絶滅しようとしています」
「聴いたことがある、ニュースで」
去年までクローン龍のつがいが都会の動物園に居たが、結局子孫を残さないまま亡くなった。
「これは自然の摂理だと、思っています。生き物は繁殖し、過渡期を越えて、絶滅する。それが自然だと思うのです」
「人間も例外なく?」
「その通り。あなたには残酷に聴こえるでしょうが」
わたしは頭を振った。
「共感する能力はありません。子どもたちにもプログラムされた通りに接するだけ」
「そうですか」
龍は目を閉じた。
子どもたちは素直で、邪悪で、優しい。
何度パーツを壊されたかわからない。花壇の花を摘んで持ってきてくれる。それを私は花瓶に生けて、冬になったら彼らと一緒に新たな花の種を蒔く。
わたしに幸せを感じる機構があれば、幸せだったと思う。
その日、子どもたちへの対応にミスがあった。痛みに泣きわめく子どもを前に、わたしは案山子のように立ちすくむしかなかった。
「塔流さん、最近ミスが多いですね」
管理者に呼ばれた。わたしは耐久年数が過ぎていた。
「解雇してください」
わたしは自ら言った。
恐ろしいものを見るような子どもたちの視線が忘れられない。
「そうは言っても、養育ロボットは貴重なんです。次世代が搬入されてくるまで耐えられませんか」
「無理です。解雇してください」
わたしは保育所を自主退職した。
人間に近付かないように作られた思考で、私は自分の意思を持ちはじめていた。
その日の夜、龍が倒れていた。
わたしは龍の医者を呼んで、彼女を診せた。
「今夜が峠です」
医者は言った。
「わたしは、彼女を幸せにしていたでしょうか」
医者はチカチカと目の奥を光らせて、微笑む。
「きっと幸せだったと思いますよ」
プログラムされた、遺族を傷つけないための笑顔と言葉を受け取って、わたしはそれでも安心した。
龍の側でわたしは眠り、二度と目を覚まさなかった。
◆
20年前の記録:
龍に求婚された。
私は用意していた老女の姿に換装した。
「おばあちゃん、本当に一人で大丈夫?」
孫娘が聴いた。私は装束に身を包んで、布団と箒、受信機の代わりをする鉱石ラジオ、いくつかの荷物とエネルギータンクを背中に背負った。
「ああ」
「気を付けてね、おみやげ忘れないでね」
孫娘はプログラムされた純粋さで、私を見送った。
現在、人類は絶滅してアンドロイドとガイノイドたちがその代行をしている。
山道を登ると社が立った洞窟が見える。龍は銀色の鱗を光らせて降り立った。
彼女の姿は幼い頃に見たことがある。遠い山の上だったが、キラキラと光を反射して美しかった。
「よく来ましたね」
「ええ、ずっと、この日を待っていました」
私は社の戸を開いて、エネルギータンクを下ろした。
社の中は荒れていた。
「さて、掃除からしないと」
私は箒を手に取った。
落ち葉と埃を掃き出して、雑巾で窓枠も綺麗に拭く。白木造りの表面が水分を吸って輝き始める。
掃除を終えた私は、足の欠けた卓袱台をエネルギータンクで支えた。
「ようやく落ち着いたわね」
私はお腹から電気ポットを出して、湧き水を汲んでお茶を淹れた。
持って来た『クロスワード一億選』のアプリを起動する。熱中していると、やがて日が沈んで夜になる。
持ってきた布団を敷いて眠った。
私は朝の散歩に出かけた。
稼働時間が増えるほど寿命は近付くが、この日課だけは忘れたくなかった。
山道を歩く私の上を龍が見守っている。
龍の身体から何かが落ちた。私の足元に、一枚、銀色の鱗が落ちてきた。
「あらあら」
鱗を指先で拾う。
細かい溝が走っていて、光の反射加減によって虹色に輝いている。
私はその鱗をお腹の収納に仕舞った。
龍との生活は穏やかなものだった。
毎朝山道を散歩して、社を掃除して、お茶を飲んで、布団で眠った。
龍は遠くから私を見守るだけで、何の要求もしなかった。
ある日の朝、私は龍に語り掛けてみた。
「よかったの、こんなお嫁さんで」
龍は空をくるくると回るだけで答えない。
「あらあら」
また鱗が一枚落ちてきた。私は十枚目になるそれを拾ってお腹に仕舞った。
登龍神社は代々、龍の巫女を輩出してきた。まだ人間が多くいた頃は観光名物として人気だったらしい。
巫女は龍を看取っていた。いつしかそれが逆転して、寿命の近い者を巫女として選出し、龍が看取るようになっていた。
記録にはないけれど、もともと人間がこの役目をやっていたのだろうか。そうでないのなら、なぜ彼女たちは、鉄の塊である私たちを巫女として迎え入れるのだろう。龍は魂の姿を見るという。それならば人間に、巫女に足る魂が宿っていなかったというのだろうか。ただの鉄の塊である、人間の模造品でしかない私たちに、崇高な魂などが宿るのだろうか。
私は考えるが、龍にたずねる気にはならなかった。
夏の日差しが厳しい頃はなるべく社の中にいた。熱暴走しないようにクロスワードもやめて、じっと耐えていた。
戸が叩かれた。私は白木が焼けないように慎重に立ち上がって、開ける。
氷が置かれていた。
「捧げものかしら」
見上げると龍が氷に齧りついていた。どこかから持って来た天然氷らしい。
「ありがとう」
私は言って氷を社の中に入れた。削ってかき氷を作った。糖蜜などはないので素のままの氷を口に運ぶ。電子頭脳が冷やされる。
「あなたも食べる?」
龍はなにも言わなかった。
秋は落ち葉が大量に社へ入ってくる。掃いても掃いても入ってくるので、逆に落ち葉を集めてしまった。
「落ち葉のベッドね」
私はその上に寝転がった。関節に落ち葉が挟まる。
慌てて取り除く。
その様子を、戸の隙間から龍が見ていた。
「やめたほうがいいわね」
私は恥ずかしくなって、掃除を再開した。
寒い冬が訪れた。関節の潤滑剤が凍り始める。社に置かれているのは壊れた電気ストーブだけで、それを焚き火台にして枯れ木を燃やしている。
「床暖房なんてないわよねえ」
私は呟く。戸が叩かれた。私は関節が壊れないように慎重に立ち上がって、開ける。
戸の前に薪が転がっていた。
「持ってきてくれたの?」
とぐろを巻いて目を閉じている龍にたずねる。龍はなにも言わなかった。
「恥ずかしがり屋さんなのね」
私は薪を社の中に入れた。
鉱石ラジオから、動物園で飼育されているヒトが人工繁殖に成功したニュースが飛び込んでくる。野生化はまだ難しいが、重要な一歩だとニュースキャスターは微笑む声で読み上げた。私は掃除を終えるとお茶を淹れた。
ふと考えて、淹れたお茶を手に龍の側へと移動した。
「お邪魔します」
私は言って彼女の隣に腰掛けた。
「まだまだ寒いわね」
曇天の空を見上げて龍に語り掛けた。龍は何も言わず、私を遠ざけることもしなかった。
その日がやって来た。
「ああ、とうとうね」
身体が動かない。関節の機能に異常はない、中枢部の故障であることがわかった。しかし、修復機能はとうの昔から壊れている。
「いい人生だったわ」
人間が言うような言葉を残して、私は目を閉じようとした。
ふと、身体が浮き上がった。
社の床が壊れた。天井が崩れた。布団ごと持ち上がって、私は空を飛んでいた。
龍が私を持ち上げているのだ。鼻先に乗せて。
「どうして」
私はたずねたが、風の音にかき消されて声は届かなかった。
「どうして、ここまでしてくれるの」
美しい龍は老女の姿の私を運んでいく。
春の日差しが輝いている。私を暖かく照らしている。
山は笑っている。色とりどりの木々を、花を纏って華やいでいる。
「この世界で私だけが醜い」
呟いた。しかし、龍が言葉を遮った。
「あなたこそ美しい」
私は泣いていた。きっと、涙が流せたなら泣いていただろう。
そう信じていた。
私の身体が崩れる。お腹に仕舞ったままの無数の銀の鱗が、はらはらと地上へ降り注ぐ。
「かつてあの神社で我が母は、妻に出会った。私も出会えたことが、嬉しい」
銀色に輝く鱗を見ながら、私は眠った。
◆
かつて人類が絶滅しかけた時、アンドロイドとガイノイドがその文明を代行していた。
龍はもはや伝説上の生き物となってしまったが、その記録は登龍神社でガイノイドたちが代々受け継いできた。
今もその記録は伝承されている。
了




