2年と3ヶ月前私は幸せだった
あれは私がまだ、十八歳だった頃の物語。
1. 卒業式
二年前の卒業式当日。私はいつものように、窓側一列目の一番後ろに座っていた。
視界の端で春の風がカーテンを揺らし、遠くで鳥の声がする。ここなら誰にも邪魔されず、教室全体を眺めていられる。私の、静かな特等席。
このままずっと、時間が止まればいいのに。
私はまだ知らなかった。この日の出来事がきっかけで、本当に自分の時間を止めてしまうことになるなんて。
「明日卒業式だからって、みんなはしゃぎすぎじゃない?」
浮き足立った教室の空気に馴染めず、私は心の中で毒を吐く。
「真由美、おはよー! ついに明日だね、卒業式」
不意に前を向いた親友の、吉祥沙也加に声をかけられた。彼女はクラスの中心人物で、私とは真逆の、光の中にいるような人間だ。
「……おはよ」
あえて寝起きのふりをして、低めの声で返す。
「真由美、また寝不足? 夜更かしはお肌に悪いんだよ。油断大敵なんだから」
「……沙也加。お母さんじゃないんだから、学校に来てまで説教しないでよ」
突き放すような言葉が出る。本当は、真っ先に私を見つけて話しかけてくれたことが嬉しいのに、素直になれない。私はいつものように、可愛くない「強がり」を発動させてしまう。
「だっておばさんが言ってたよ。真由美、最近帰るの遅いって。あんまり心配させちゃダメだよ?」
「……いつも通り帰ってるよ。沙也加が元気すぎるだけ」
嘘だ。私は、あの冷え切った家に帰りたくなくて、放課後はいつも一人で時間を潰している。
「私はいつだって元気だよ! 元気を分けるのが生き甲斐なんだから。ほら、アンパンマンマーチだって踊れちゃうよ?」
沙也加はそう言って、冗談めかして肩を揺らした。そんな彼女に、私は強い憧れと、それと同じくらいの泥臭い劣等感を抱いている。
「はぁ……。就職決まったのはいいけど、卒業したくない。ねえ沙也加、助けてよ」
助けてなんて、本当は思っていない。ただ、彼女に甘えて、縋るような言葉を吐き出す自分が心底嫌いだった。
「私は進学だからなぁ。でも、就職したら年上の彼氏とかできて、仕事行くの楽しくなるよ。真由美、可愛いんだから」
「……沙也加はいつも、そうやって適当なこと言うよね」
「だって私ら、親友じゃん」
沙也加は無邪気に笑う。その笑顔を見るたび、私の心はこの三年間で、より黒く、より深く沈んでいくのを感じていた。
「あ、そうだ! 前に言ってた『良い感じの人』とはどうなったの? 進展あった?」
聞かないでほしいことを、彼女はいつもピンポイントで突いてくる。
「……良い感じだよ。何回か会って、ご飯も食べたし。……このバッグも、その人に買ってもらったんだ」
机の上に置いた使い古したバッグを指して、私はまた嘘を重ねた。
ご飯を食べたのは本当だ。けれど、バッグなんて買ってもらえるはずがない。私は彼女のように、大切に扱われるような人間ではないのだから。
「えーっ、羨ましい! 私も真由美みたいな顔に生まれたら、買ってもらえたのかなぁ」
――はぁ、出た。いつもの。
無意識に、言葉が口から漏れた。
「……『いつもの』って、何?」
空気が凍りついた。沙也加の甲高い声が、静まり返った教室に響く。
「えっ、何? 急にどうしたの」
私は慌てて顔を上げる。沙也加の瞳が、これまでに見たことがない色で私を射抜いていた。
背中には、冷や汗とは違う、もっとどろりとした何かが確実に滴り落ちるのを感じていた。
第1章 終




