人ではなく
プロローグ的な感じです。どうぞよろしくお願いします。
左足の鎖がジャラジャラと音を立てる。どれだけ息を殺そうとも、全身の神経に注意を巡らせようが関係ない。
スウロは深く息を吸い込みフッフッと小さく分けて息を吐き出す。それを数回繰り返した後、左手で持っていた剣を両手で握り直す。
闇雲に力を込めるのではなく、小指はしっかりと力の強い人差し指と親指はあえてゆとりを持たせておく。
1人対5人。自分から仕掛けるなんて事はしない。あくまでも意識は均等にして敵を絞らず、どんな場合でも対処できるように足の開きは前後に分ける。
今回の試合で多対一の試合は十度目だった。最初の三回までは満身創痍になりながらもどうにか生き延びていたが、コツを掴んでからは大きな怪我を負う事は無くなった。
相手が多人数になる前の剣闘試合でもそうだった。苦戦したのは最初の三戦だけ。魅せるような振る舞いはしない、対戦相手を痛めつけるような事もしない、スウロはただ単純に戦いに勝ち今を生きるために剣を振るい、拳を握った。
つまらない試合を続けるスウロだったが、観客達からは特に人気があった。胴元や、スウロの所有者も勝ち続けるスウロに色をつけた試合給を渡し、それなりの待遇を用意していた。
淡白な試合を続ける剣闘士だとしても、剣闘士は勝つことが全てだ。賭けた金が返ってくるのであれば客は喜ぶし、試合に勝てば所有者も喜ぶ。ただ、この現状が続くことで胴元の中にはよく思わない者が出てくるのは必然だと言えた。
勝ち負けを予想する単純な博打ではあるが、選手の強さによって賭け金に対して返ってくる倍率は変動する。この倍率は胴元が策定するものであるため、どちらの剣闘士が勝とうとも基本的に胴元が損する事は無かった。
しかし、スウロが勝ち続けた事でこの当たり前は崩れる。
いくら胴元が倍率を動かせたとしても、賭け金をそのまま返す倍率では客がいなくなる。そのためどれだけ人気で強い剣闘士だったとしても点返し(1.1倍)の倍率は用意しなければならない。
2日おきに開催される剣闘試合。賭場として機能しているのは午前中の新人、負傷兵、動物などの色物試合だけで、剣闘試合の花形である本戦は、ほとんどの客がスウロに賭けて儲け続けるという構造になっていた。
その結果用意されたのが多人数を相手にする剣闘試合。胴元に睨まれた所有者は渋々スウロを手放す覚悟を決めた。
多対一の剣闘試合は見せしめの意味合いが強い。犯罪奴隷や、戦争奴隷を使い民衆の鬱憤を晴らさせるために利用するのがほとんどだった。ただ時々、今回のように使い所に困った剣闘奴隷を処分するためにも使っていた。
しかし、胴元の思惑とは裏腹にスウロは一戦目、二戦目、三戦目と勝利はしないがギリギリで生き延びる。スウロ自身が常に掲げている不必不殺の信条により助けられた他の剣闘奴隷達が協力した事が大きな要因だった。
そして今日は対多数試合の十試合目。最初の五戦までは賭け金もそれなりに散っていたが、現在は元の木阿弥。胴元が面白くない展開になっていた。
そして、
「「「「うぉーー!!!スウロ!!よくやった!!」」」」
間合いの取り合いに焦れた一人が単独で突っ込み、崩れた陣形の隙をついて一人、また一人と伏していき今回の試合もスウロが勝ち星を上げた。
湧き上がる歓声はスウロの試合に対してというよりも、今日の贅沢を祝うためだった。
そんな歓声の裏で胴元のバッチリ、所有者のスゥーゴ、奴隷商のボボバラは契約を進めていた。
「バッチリの旦那もこれで一安心ですなぁ。」
「急に悪かったな。ボボバラ。今度処分に困ってる奴らまとめて買ってやる持ってこいよ。」
「流石旦那。カーザに見繕うように言っておきます。」
上機嫌なバッチリとボボバラの様子とは裏腹にスゥーゴは、冷たい表情を浮かべながらただただ時間が過ぎるのを待っている様子だった。
さそな
「スゥーゴ、なんだそのシケた面はよ。お前も晴れて組合員になれたんだぞ?」
剣闘試合を主催する闘技場は大きな利権が複雑に絡み合っており、胴元の仲間入りをするためにはたくさんの障壁が存在する。その中で最も厄介なのが闘技場組合という団体の名簿に入る事だった。
五つの国が帝国に対抗する形で手を取り合ったアイシュゼン連合国では、闘技場のような公共施設は各都市の首長又は、領主に管理されていた。
そのため、闘技場組合というのは事実上このスティアルドという街の官吏になる事を意味しており、なりたくても簡単になれるものではなかった。
その組合の中でもバッチリは議会や商会と強い繋がりを持つ存在であり、その分発言権も大きかった。つまり、バッチリの推薦であれば最も高い壁である組合参加というのはすぐに腰を下ろし、簡単に通過できる。
組合員になってしまえば剣闘試合の胴元になるのは秒読みとも言えた。
必ず儲けを出せる胴元という立場には多くの人間達が群がってくる。それに、剣闘試合というのは一種の神聖儀式でもあるため、良い興行を披露できれば名声だって手に入る。
闘技場を持つ都市では、誰もが羨む存在として剣闘試合の胴元の名前が挙げられていた。胴元を羨む多くの中にスゥーゴもいた。本来ならば組合員になれた事を飛んで喜ぶはずだった。
「それじゃあ、スゥーゴ、その証文に血垂らせ。」
スゥーゴはせめてもの抵抗を見せるために、頷きは返さずにナイフで指先をなぞった。滴る血液が証文に零れ落ちると魔法印が結ばれて、スウロの所有権はバッチリに移る事になった。
「よーし!!これでスウロは私の物だ!」
バッチリは声を荒げながら喜びを漏らす。バッチリの野望のためにはスウロのような強い剣闘士は必須だった。スウロとスゥーゴの事を面白く思わない胴元や他の所有者達はバッチリの行動を賞賛した。
スゥーゴは自ら金のなる木を手放したが、組合員になれるのだと自分に言い聞かせてどうにか冷静さを取り戻した。
今回の件で損をした者はいない。強いて言うならばスウロの試合が見れなくなる観客達くらいだろうが、彼らからしてもスウロという存在は時々いる強い剣奴の一人でしか無かった。
「お前がスウロか、」
バッチリとスゥーゴの契約から二日後。スウロはバッチリが所有する奴隷達の家【テンサス】にいた。スウロを出迎えたのはバッチリの部下プアパトと、奴隷長のコロリア。
プアパトは品定めするような目つきでスウロの全身を撫でるように見ている。対してコロリアは屈託のない笑顔を向けてスウロを歓迎した様子だった。
「最初のうちは慣れない事ばかりだろうけど、何かあったら僕かダーワンになんでも言ってね。」
「お前の仕事は5日後だ。それまでにこの街に慣れておけ。無駄遣いはするんじゃないぞ。」
それぞれがスウロに向けて声をかける。スウロは「あぁ、はい。」とだけ返し、案内された自室に向かった。
「なんだあのガキは。無愛想で体も小さいじゃないか、」
「プアパトさんきっと大丈夫ですよ彼は。ずっと重心が後ろにあって、僕たちの携帯刀を警戒してました。二人で切り掛かったらどっちかは即死してたかも?」
「お前から見てもあのガキは強いのか?」
「強いという表現はちょっと違うかもしれません。どちらかと言うと巧いとか、そういう感じですね。」
バッチリに所有権が移ったスウロはその瞬間から、新たな主人のために剣を握る。剣闘奴隷としてスウロはアイシュゼン連合国に渦巻く数々の思惑に翻弄されていく。
読んでいただきありがとうございます。
いいね、☆☆☆☆☆の評価頂けると励みになります。