一日目
【私は望まれていた】
【唯一神として皆に崇められていた】
【あの時、意識を手放すのではなかった】
【私が望んでいたのは平穏であって、戦乱ではない】
【あの時確かに人の心を鎮め、抑えたというのに】
【祓う邪気などいないのに】
【争いが絶えない】
【そんなに戦乱が好きなのか】
【いや、全ては私が招いたこと】
【すまない】
【あなたに全てを任せてしまって】
【ラサとして、神として】
【この世界をお願・・・】
「されてたまるかーーーーーーーーーーっ!!」
頭の中でガンガンガンガンと、拡声器かあんたらは!
まったく、貴重な朝の睡眠を邪魔しやがって、来週から試験が始まるんだから今のうちに寝ておかないともう寝る時間なんてほとんど取れないの!邪魔するな。
怒りに任せて目を見開くと、そこには見知った白い壁・・・ではなく黒い土色をした天井だった。
は?なんじゃいこれは。
びっくりして起き上がると頭に鈍い痛みが走る。ついでになんだか目もはれぼったい。
黒い土壁に、オレンジ色の明かりがランプに揺らめいて部屋を暖めている。机には白磁の水差しが一つのっているだけで、使われた形跡のない綺麗なものだ。
あーと、えーと確かここは・・・。
「レ、レイ!?大丈夫!?」
ばたーんと騒々しい音がして白銀の青年が焦った顔で駆け込んできた。
あー!思い出した!ここは異世界!そんでもってあの子はドラゴン!
「どうした!なんかいた!?」
「や、なんでもない。ちょっと夢の中でいろいろあってね」
ぽかんとした顔が、気が抜けてふにゃっと崩れた。
うわぁお、面白い苦笑いだ。
そのまま肩を落として出て行こうとするクォーツの後ろ姿を呼び止める。
「クォーツ、おはよう。」
きょとん、とした青年の顔。
もう一度おはようと声をかけると、優しい笑顔と共におはようと声が返ってきた。
扉をあけて退室する彼の背中に、挨拶を交わすことの温かさに感動を覚える。
こんな些細なことでも、以外と大事なんだななんて小学生の作文みたいなことを思いながらとりあえず制服に着替えようと椅子にかけてあった制服に手を伸ばした。
とりあえず漫画みたいにベタなことは起きないだろうと思うけれど、念のため開けたドアの死角になるところで着替える。
学校行くわけじゃないのに制服着るって変な感じがするけれど、着たきりすずめで来ちゃったからいまのところはこれしか服がない。
ブラウス、スカート、ブレザー・・・ネクタイは迷った末に、机の上に置いた。今は別にきっちり着なくてもいいよね。
またクォーツが飛び込んできたらどうしようかと思っていたけれど、そこらへんは考えてくれているようで着替え終わるまで誰も入ってこなかった。・・・って当たり前か。
適当に長い髪を後ろに流して、準備完了!幸い寝癖もないし、痛んでるところもない。空気が綺麗だと体調もいいのかな。
よし!いくぞ!今日は帰る方法を聞かなくちゃ!
勢い込んでドアを開けると、ふわんとおいしそうな香りが漂ってきた。
かちゃかちゃと可愛らしい音をたてる陶器の音と、こぽこぽと何かが沸いている音、それにせわしなく動くスリッパの音。
だけどそこには二人の姿がなく、貴族が着るような裾長の服を着た一人の女の子が走り回っていた。
ど、どちらさまですか?
話しかけようかどうか迷っているとくるりと女の子がこちらを振り向いた。
「ご主人様、おはようございます!もうすぐ朝ごはんができますです!」
やわらかくてかわいい声。金髪をお団子にくくり上げ、ひらひらとスカートを翻して機敏に働いている。
昨日は出てこなかったから、通いのお手伝いさんかな。
忙しそうなところ、話しかけるのも悪いのでリビングの椅子を引きずって隅っこに移動した。
ここは窓がないから時間の感覚がよく分からない。
時間・・・携帯・・・。
ああっ!もしかしたら携帯つながるかもしれない!
慌てて自室に取って返し、鞄をひっくり返す。化粧ポーチ、教科書、筆箱、ノート、それから目当ての携帯。
ディスプレイを見ると時間は午前七時をさしていた。いつも起きる時間だから多分時計は合ってると思う・・・こっちの時間があっちの時間と一緒だということが前提だけど。
メニュー画面や電波は問題なさそう。アドレス帳を呼び出して、取り合えず橘にかけてみる。
おそるおそる耳を当ててみたが、少しも音がしない。呼び出し音も橘が設定しているはずの待ちうたも聞こえてこない。
電話はだめ。メニュー画面から新規メールを立ち上げて、橘のメールアドレスにおはようと入れて送った・・・つもりだったけど、何故かメールの送信画面にならない。指は確かに送信を押しているのに、メール作成画面になったまま携帯は凍り付いている。インターネットも同じようにサイトには繋がらない。
外部との通信はできないみたいだった。よく考えたらホストコンピューターがこの世界にないのに、メールやら電話やらできるわけがない。・・・けど、それだと電波がたってる意味が分からない。
つまり電波塔だけは立ってるってこと?なんのこっちゃ。
ためしにゲームを立ち上げてみたけれど、問題はなかった。こんな機能だけ残っても困るんだけどな・・・。
とりあえず携帯の持つ限り時計代わりに使おうと制服のポケットに突っ込んで、部屋を後にする。
扉を開けた先には、すっかり出来上がった朝ごはんと隅っこに置いた椅子に腰掛けたメイドさんの姿があった。
「あ、ご主人様!朝ごはんができましたです。お二人を待ちますか?それともここでがっつり食べちゃいますですか!?」
「待ちます待ちます!・・・ところで、貴方どちらさまですか?」
大きな青い目が驚きで見開かれる。ただでさえまんまるの目がさらに大きくなった。
椅子の近くに寄ると、ルーミィが座ったままで深く頭を下げた。
どうやら椅子を譲ってくれる気はないらしい、まあいいけれど。
「ご主人様!初めて会うご主人様!初めまして、ルーミィといいますです!」
「初めて会うご主人様って・・・うん、そうなんだけどね。あの、敬語じゃなくってもいいよ?」
「いいえいいえ!ご主人様には丁寧に挨拶をしなきゃです。メイドたるもの敬語ぐらい使えなくてはいけませんです。」
「そ、そうなんですか。大変・・・ですね。」
「ご主人様!ルーミィに敬語はいけませんです!ご主人様の敬語メーターが減ってしまいますです!」
「どんなメーターなのよ、敬語メーターって。敬語使われるのは嫌い?」
「そう!ルーミィはお話して下さるだけで幸せなのです。敬語なんて勿体無い話でございますです。」
「そっか。ルーミィ、お喋り好きそうだもんね。」
「ええ!ええ!ルーミィはお喋り大好きなのですよー。ご主人様とお喋りなのですよー!」
「あ、あはは。かわったメイドさんだね。」
「ルーミィ変わってますですか!?ご主人様ルーミィは変ですかっ!?」
「変っていうより面白いよ。ルーミィと話してると楽しいね」
「ご主人様、楽しいですか!ルーミィも楽しいです!」
上機嫌で腕を絡めてくるルーミィに若干胸のときめきを覚えつつ、ふわふわの金髪をそっと撫でてみる。
メイドキャラっていろいろいるけど、妹っぽいのも可愛くていいかもしれないなー。メイド喫茶なんて行ったこともないからメイドさんに詳しいわけじゃないけど。
ああ、お喋りしたらお腹すいたなー・・・目の前にできたての朝ごはんがあるのに食べられないってかなり拷問に近いかも。
「そういえばさ、二人ともどこに行ったの?」
「お二人ですか?お二人はばひゅーんって行っちゃいました」
一瞬脳裏に二人がスーパーマンのごとく空を飛んでいく様子が思い浮かんだが、んなわけあるかい。
いくら異世界でもそれはない、多分。ないとは言い切れないけれど。
クォーツはドラゴンだから、多分クォーツに乗ってどこかに出かけたんだろうと思う。
それにしてもこんな朝早くから用事に出かけるなんて、勤勉な人たちだなあ・・・。
ため息をついて、暇つぶしにルーミィのふにふにしたほっぺたをつついてみたり伸ばしてみたりして遊んだ。
ルーミィもつつかれいるときはくすぐったそうにしていたけれど、ほっぺたを伸ばされるのはあまり好きじゃないみたいで仕返しとばかりにこちらのほっぺたを同じようにひっぱってきた。
ああ、なんか妹っていうより年下の友達かもしれない。無邪気で全然気兼ねのいらない後輩みたいな存在。
とどめにルーミィのほっぺたを両手でふにふにしていると、ふいに入り口の土壁が滲むように揺らいだ。
ぎょっとしてそちらに向くと、疲れた様子のクォーツのすこし難しい顔をしたおじいちゃんが入ってきた。
「お帰りなさいませです!二人のご主人様!」
「ただいまぁ~もーお腹すいた~疲れたよ~」
「ただいま、ルーミィ。レイを困らせたりしていませんでしたか?」
おじいちゃんの言葉に思わず二人顔を見合わせて、笑いあった。
その様子におじいちゃんが微笑み、クォーツが不思議そうに首をかしげる。
「おじいちゃん、おはよう。二人ともどこへ行ってたの?」
「おはようございます。今朝はクォーツの移動魔法の訓練に、滝の近くまで行ってきましたよ。待たせたようですみませんね、朝ごはんにしましょう。」
「誘ってくれたら良かったのに・・・」
一人のけ者扱いなんてひどいなあ。
クォーツとおじいちゃんと二人を見つめると、クォーツが何故かげんなりとした顔をした。
おじいちゃんは相変わらず微笑んだまま、長身のクォーツを見上げる。
「昨日の今日なので今日はゆっくり休んでもらおうと思いましたが、どうやら大丈夫そうですね。ではクォーツ、今日は三人で滝まで行きましょうか。」
「ほらきた・・・嫌な予感がしたんだ。三人はキツイよー・・・僕の魔力枯渇しちゃうよー・・・」
「魔力が枯渇するなど、ありえません。泣き言はあとで聞きましょう。」
「あー・・・ごめん。クォーツがきついんだったら私は遠慮しようか?」
辛い思いさせてまでついていくのは申し訳ないし。
焦ったように手を振るクォーツに、おじいちゃんがちらりと咎めるように視線を送った。
「いいえ、気を使ってはいけません、クォーツの修行になりませんからね。この手の泣き言は日常茶飯事ですから、気にかけるとレイが損をしますよ。」
「うん、そうだよ、気にしないで。ちょっと時間かかるかもしれないけど・・・。」
ルーミィが自分が座っていた椅子をクォーツの隣に置くと、私の右隣の部屋へ入って冷えたガラスの水差しを持ってきた。
二人がそれぞれ席に着き、私は最後に余ったクォーツの右隣の席に腰掛ける。
そういえば椅子は三つしかない。この椅子もしかしてルーミィの椅子だったりして。
「ルーミィ、ごめん!これルーミィの椅子だよね!?」
勢いよく立ち上がろうとする私の背中を、ルーミィがそっと押さえた。
「いいえ、いいえ。それはご主人様のための椅子です。それはご主人様が座るために置かれていた椅子なのでございますですよ!」
「でも、ルーミィの席がないんだけど」
「いつもルーミィは立っていますです。お給仕ですから!」
「それは・・・仕事だから?」
「そうです!さあ、ご主人様!ルーミィの作ったご飯をがっつりいただいちゃってくださいです!」
私の両手にナイフとフォークを持たせて、上機嫌で離れていくルーミィに申し訳ない気持ちになる。
けれど、やっぱり空腹は誤魔化せない。ジャガイモ(仮)の煮転がしに手をつけると、あとはもう欲望のままに朝食にむさぼりついた。
よく考えたら昨日の晩御飯食べそびれていたのを忘れていた。どうりでいつもよりお腹がすいてると思ったら。
煮物とサラダとロールパンの質素な組み合わせだけれど、一つ一つが丁寧に作られていて、味覚と視覚をほどよく刺激する。
これはかなり美味しいかも。味付けも盛り付けの鮮やかさもプロ級だわ、さすがメイド暦30年のルーミィさん。
「ご主人様、ご主人様!おかわりはいかがです?」
フォークをかじったまま、後味の余韻に浸っているとルーミィが水差しを持ってコップに水を注いでくれた。
あああ、黙って座ってるだけなのにおかわりのことまで気を使ってくれるだなんて!
じゃ、遠慮なく!と煮物の皿を差し出すと、ルーミィが嬉々として私の右隣の部屋へ去っていく。
あの部屋、もしかしなくてもキッチンなのか。
「レイ、フォークは美味しいですか?」
ん?とおじいちゃんの方を振り向くと、口元をさしてにっこりと微笑んでいた。
そういえば、さっきからフォークを銜えたままだった。いかんいかん、行儀悪い。
「んー、変わった金属の味がしてて美味しいよ。けど、ごめんなさい。」
「味?」
コップを持って、一息ついているクォーツがなにやら楽しそうに尋ねてくる。
おじいちゃんもちょっと驚いたような顔をしてこちらを見ている。
「なんていうか、プラスチックに似ているんだけど冷たい味がするわね。」
「ぷらすちくっていうのがよくわかんないけど、僕はフォークの味は好きじゃないなあ」
「そりゃ私だってフォークよりはルーミィの煮物の方が美味しいわよ」
「まあ!ご主人様そんな嬉しいことを行ってくださいますですかっ!ルーミィは感激です!」
ルーミィが勢い込んで煮物の皿を机の上に置く。
まだおかわりありますからねーと上機嫌な様子で、クォーツとおじいちゃんの食器を両手に持ってキッチンへ運んでいく。
早く食ってしまわねばと、ジャガイモ(仮)を急いで口に運ぶ。
やっぱりこの煮物は本当に日本料理みたいな味がして食べやすい。
他のは日本の料理と全く同じというわけにはいかなくて、少し食べるのにも躊躇があったけれどこれは本当の煮物みたいで食べやすかった。
後でルーミィに料理の名前と食材くらい聞いておこう。
「それでは、レイ。食べ終わったら外に出てきてくださいね。」
フォークを銜えたままで頷くと、ぽんぽんと二回軽く頭を撫でられた。
おじいちゃんが立ち上がるのに合わせてクォーツも一緒に立ち上がる。
もう行くのと視線で問いかけると、置いていったりしないからとクォーツに笑われた。そりゃ置いていくとは思わないけどさ。
味わいつつも一生懸命に食べている私を眺めていた、ルーミィが何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。
わー、そのリアクションなんか懐かしいよ、こっちでもそんなのするんだ。
「ご主人様は術の発動に時間がかかると思いますです!軽食を用意しましたです。」
最後の一個を口に含んで、キッチンへと去っていくルーミィの後ろ姿を見送った。
ちょっとー・・・今食べ終わったんですけどー・・・なんというタイミングの悪さなんだろうか。
そのまま置いていくわけにもいかないよね。まあ、いっかと自分の食べ終わった分をもって右隣の部屋に食器を運んだ。
中に入ると涼しげな水の香りが広がった。少し暗いけれど、整理された綺麗なキッチンで日本のものより少し幅広くて大きいみたい。
「ああ!ご主人様!そのまま置いていただければルーミィがお運びしましたです!申し訳ありませんです!」
「気にしない気にしない!洗ってくれるだけでもありがたいんだから、運ぶくらいしないと罰が当たっちゃうよ。」
ルーミィの手に食器を手渡して、扉から出て行こうとすると右腕を引かれる。
振り向くとルーミィに右手に蔓で編んだバスケットを手渡された。
なんだかものすごく、手作り感溢れるバスケットだ。網目ばらばらだけどしっかり編みこんで丈夫に作ってある。
「いってらっしゃいませ、ご主人様。」
「いってきます。」
笑顔で手を振るルーミィにこちらも手を振りかえした。
そういえば日本じゃいってらっしゃいって言ってくれる人もいなかったなあ。
水の香りがする扉を閉めて、少しだけ憂鬱な気分になる。
こっちで沢山のことを経験して、沢山嬉しいことを経験していざ日本に帰ったとき寂しくなったりしないかな。
あっちではこんなに温かいこと望んでも叶わないのに。
朝おはようといってくれる人、ご飯を作ってくれる人、いってらっしゃいと手を振ってくれる人。
いままではいなくて当たり前だった。
でも、その温かさを知ることによって日本で辛い思いをするんだったら、こっちでも知らないでいたほうが良かったのかもしれない。
ああもうなんでこんなマイナス思考なんだろう・・・悪い癖だ。こんな勝手のわかんない世界に飛ばされて、クォーツに会えなかったらどうなっていたか想像もできない。
下手すれば餓死してたかもしれない。
今ここで、助けてくれる人がいてご飯も食べさせてもらえてこれ以上いいことなんて望めない。
帰ってからのことは帰ってから考えよう。
背中に流していた髪を高く結い上げて、大きく深呼吸。よし、元気に行こう。
黒い土壁に手を伸ばし、思い切ってその中へ飛び込んだ。
今度はかばってくれる手も、あと少しだよとナビゲートしてくれる声もないけれど大丈夫。この壁の向こうに二人ともいる、そして怖くなったら後ろにルーミィもいる。
大丈夫、しっかり歩いていける。