予想外
ふわりと精霊たちが散っていくのを見て、ふうと大きくため息をついた。
もー最低。本当に最低。何が最低って自分が最低。
薄暗い部屋の中に落とされたみたいで、周りが良く見えない。
気配から察するにちょっと大きい部屋の中みたいで、まだ何かが動いているような気がする。
実は私にとって人間や生き物の気配を追うほうが精霊より難しかったりする。武芸や弓道をやっていればそんなスキルもついただろうけれど。
固めた空気もそのままに運ばれてきたから、多分危害を加えられることはない・・・と思う。
よし、まずは明るくしようか。
ほろりとささやくように旋律を刻んで地面から青白い光球を十数個、一気に引き出す。
一瞬の目くらましのように光が輝いて、幾つもの影を映し出す。
全部で7つ。やっぱり固まらせるしかないのかしら。
「待てッ!早まるんじゃねえ!」
早まるも何も先手必勝だ!
目がくらんで立ちすくんでいる黒い影に向かって指をさす。まずはあいつ。
勢いのあるチューン行きましょうか!
某メカ系アニメの熱血系をチョイス。熱血系だからって熱い魔法じゃないけどね。
指差した相手の足元がぱきぱきと凍りはじめる。
「さあ、私たちを早く王宮に返しなさい!でないと、そこの大事なお仲間さんが凍りつくわよ!」
「どうぞ。俺は痛くもかゆくもねえからな。」
軽薄な男の言葉に、思わず歌がとまる。
詠唱途中で破棄してしまった氷が、存在を支えきれずに音を経てて霧散した。
そんな、仲間の目の前でそんなこと言う!?
それ以上攻撃する気も起こらなくて、そっと指を下ろしてクォーツの胸の上に手を置いた。
「・・・あなたにすればよかったわね。」
「それでも同じ事を言っただろうな。お前は人を殺せないと黎明の導師から聞いているからな。」
黎明の導師・・・黎明の導師って・・・おじいちゃん?
首を傾げると影たちがすっと壁際まで下がり、一人だけが私の前に立った。
「とりあえず、光を落としてくれ。目に毒だ。」
言われるままに光を消すと、今度は乳白色の電灯が部屋を照らし出した。
一面白い高級感の溢れる壁に囲まれた、まるで一流ホテルのスィートルームの如き絢爛豪華な部屋だった。
そのまま白ラインを引くと運動会が開けそうなくらい広い。
天井も以上に高く、ガラスと乳白色の光でできたキラキラのシャンデリアが輝いている。
家具も人間サイズだけれど、どれもかなり大きめに作られていて、細工や色も鮮やかで高級感が漂っている。
そして、問題の七人だけれど。
壁際に控えている六人は真っ黒の布を全身に被っていて全身が良く分からない。
残る一人は灰色のマントを頭から被って他の人と同じように全身を隠しているけれど、何を考えているのか私たちの前に仁王立ちしてふんぞり返っている。
「とりあえず、チーム名じゃなくって名前を教えて下さる?あとおじいちゃんとどういう知り合いなのかも。」
男の人がふふと肩を震わせて少し笑うと、被っていたマントをばさりと全て取り払った。
風に煽られて、短く切った赤い髪がふわりとそよぐ。髪と同じ赤い目に、世間一般では美形といわれるであろう整った顔。それに物々しい炎を模した甲冑を身につけていた。
見た目は30代だけど、それにしては威厳があるというか大物オーラが漂っている。
うお、まっかっかな人だ。
男の人がその場にしゃがんでこちらに近寄ってきたもんだから、思わずぎょっとして体を引くと、何もしねえよと苦笑いを返された。
「乱暴な方法でこちらに呼んでのは悪かったな、色々手違いが起こっちまって。砂の鷹と言うのは昔盗賊をしていたころの名残でそう名乗っていただけだ。本当の名前はヴィルヘルムってんだ、よろしく。」
野生的というべきかワイルドと言うべきか、健康そうな笑顔を浮かべているけれど。
ちょっと待って、ヴィルヘルム?
300年生きたっていう赤い竜のウォールズの王様の名前って確かヴィルヘルムじゃなかったっけ。
まだ気を失っているクォーツの顔を見て、それからヴィルヘルムの顔を見つめる。
髪の色が竜の体色を示すなら、赤い髪をしているこの人は赤い竜になるのよね?
「と言うことは、ヴィルヘルム国王陛下・・・。」
「お前にはそう呼んでもらうのは気が引けるな。何せ誰もが待ちわびたラサ神様だ、俺の方が敬語を使わなければならないくらいだがこの200年近く敬語なんぞ使ったことが無い、許せ。」
ははははとなにやら楽しそうに笑っているがこちとら訳がわからない。
王宮から手紙が来て、是非お出で下さいって書かれていた。だからこうして王宮から迎えにきた空飛ぶ馬車にのってここまで足を運んだのだけれど。
なんでその国王とその他大勢で馬車を襲撃して・・・自分で何を言っているかわからなくなってきた。
「とりあえず、お願いがあるんですけれど。」
「なんだ、遠慮なく言え。」
「とりあえずベットを貸してもらえませんか。」
これを転がしておきたいんですとクォーツを指差すと、ヴィルヘルムさんがそれもそうだなと端に控えていた黒い二人に視線をやってベットを取りに行かせた・・・ように見えた。
鼻をつまんでもほっぺを引っ張っても起きないクォーツに、少し心配になるけれどとりあえず状況把握をしとかなきゃ。
周りを見渡して黒服とヴィルヘルムさん以外に人が居ないことを確かめてから、そっと空気の壁を取り払った。
随分長いこと密閉空間で居たからかなり熱が篭っていたみたいで、壁が消えた瞬間冷えた空気がすっと肌を撫でた。
クォーツがしっかりと握り締めている私の通学鞄を丁寧に外して自分の肩にかける。
他の荷物はどっか行っちゃったみたいだけどこれが残ってて良かった・・・、クォーツに感謝しなくちゃね。
「さて、ヴィルヘルムさん?」
「ああ、ヴィルでいいぜ。」
「今回のことを一から十まで詳しく説明して下さい。確か私たちは正式に王宮に呼ばれたはずですが、何故こんなことに?」
ぐっと視線をあげてヴィルを見上げると、彼はそうだなと呟いて右手を差し出してきた。
そばに仕えていた黒服二人がそっとクォーツの足元へと寄ってくる。
「机に移動しよう。このままでは何かと不便だろう?」
そういわれてみればそろそろ足も痺れてきた。黒服二人にクォーツを預けて、差し出された右手に摑まった。
クォーツの手とは少し違う、ごつごつとした力強い手。皮膚が硬く、幾つか細かい傷があってなかなか熟練した剣士みたいだ。
「あの、ベットを借りておいて差し出がましいことをお願いするようで申し訳ないのですけれど・・・私の目の届くところにベットを置いてもらえませんか。クォーツと離れるのは不安なので・・・。」
クォーツを抱えたままドアから出て行こうとしていた黒服二人がぴたりと動きを止める。
ほんの少しの沈黙。ヴィルは黙ったまま何かを探るような目をしてこちらを見つめている。
上目遣いで眺めても返事がもらえないようなので、少し目に力を入れて俗に言う涙目を発動。
テーマはか弱く、乙女チックに!背景にスミレかカスミソウがあればより効果的でGOOD。
ヴィルがふうとため息をついて、その赤い頭をがしがしとかき回した。
「何をそんなに警戒しているのかは知らねえけどな・・・まあ、いいか。お前ら、言われた通りにやれ。」
黒服二人が足音も立てずに机のそばへ来て、クォーツを地面に降ろした。
それを見届けた後で、ヴィルが引いてくれた椅子にお礼を言って腰かけた。テラスに面した見晴らしのいい場所で、下の様子がよく見渡せる。
外を眺めていると、ドアが開いてさっき出て行った黒服が盆に白いティーセットと果物を乗せて入ってきた。
「さて、質問の内容に答えようか。お前を迎えに行った男を覚えているか?」
白いローブを着たおどおどとした男を思い出して、小さく頷く。
あの人あれからどうなったんだろう。
顔をしかめたのがわかったのか、ヴィルが苦笑い気味にあいつは殺していないぞと呟いた。
「あれは、俺がよこしたものではない。俺たちを出し抜くために神殿が極秘に出した使いのものだ。」
「おじいちゃんは・・・じゃなくって、黎明の導師様にはあるべき場所にいくようにと仰られました。神殿がそのあるべき場所だって。」
その端麗な顔を困らせて、ヴィルが黙ったままお茶をすする。
「敬語、気にしなくて良いって言ってんだろ。爺は隠居しすぎで世間の流れが把握できてねえんだよ。ちょっと遅すぎたな」
「じゃあ、お言葉に甘えまして。ここに来る方法を二週間くらい探してたの、あのアマービレの事件が無かったらもっと時間かかってたかもしれない。」
今度は面白くなさそうな顔をして肘をついている。
なにやら子供みたいな人だけれど、竜って総じてこんな感じなのかしらね。
「はー・・・、信用されてねえのか、それとも何か理由があったか。ま、いいや。簡潔に言うとだな、今この国は王と神殿と二つの派閥に分かれている。
国内の精神を統一し、国民一丸となって緑峰の侵攻に耐えようというのがあちらの意見だ。まあ、俺の意見ばかりでは一方的だろうから、いつか会わせてやる。そのとき聞け。」
「それって良いことでは。」
「まあな、聞こえはいいぞ。ただ、やっていることはまるで逆だな。ここ最近、ウォールズ全体の市場が不安定になりつつある。国民が戦に怯えているせいもあるが、原因は神官たちの目に余る暴虐振りからだ。国民から国のためだ、精神を落ち着けさせる布施だと都合をつけ、金を巻き上げて、日に日に私腹を肥やし、あ゛ーーーー!畜生、苛々してきた!俺がどんだけあいつらにお前を渡したくないか分かるだろ!?」
額に青筋をたててぎゃーぎゃーと叫んでいるヴィル。
主人の奇行にも黒服たちは一切動かない。となると、これはいつものことなのか。
おいおい、落ち着けよ。そこの高血圧。
神殿どうのこうの言う前にまずこの人の沸点の低さが問題のような気もするけれど、残念ながら論点はそこじゃない。
「で、私がそこに入るとその業突く張りに拍車がかかると。」
「拍車どころの話か!」
赤い血走った目がこちらを睨みつけてくる。
私を睨んでもしょうがないでしょう。色んな意味で怖いな、この人。
しらっとした顔をしてその瞳を見つめ返すと、正気に返ったのか罰の悪そうな顔をして視線を逸らした。
「俺は、王としてこの国を守りたい。正直言うと資金繰りなんて今の税収だけで十分だ。土地が欲しいわけじゃない、奴隷が欲しいわけでもない、ただこのまま緑峰に侵攻されるのを黙ってみているわけにはいかねえんだよ。お前の力があれば、緑峰への牽制になる。」
確かにあれ以来緑峰の動きは鎮静化していて、何の動きも見せない。
だけど、それが逆に心配だという考えはないものか・・・いや、あるけど現状の平穏を喜んでいるということかな。
真剣な赤い目に嘘をついている気配は無いけれど、まだ言ってないことはきっとある。
その全てをここでさらけ出せというのは少し酷かもしれない。
すくなくともその言葉の奥にある、緑峰へ攻め入るという真意は隠されている。
「なるほどね、おじいちゃんが神殿へいけと行った意味がわかったかもしれない。ラサティなら喜んで力を貸しそうだけれどね。」
「ラサティ?」
こちらに来たのは未だ羽交い絞めにされているラサティの怨念か執念か。
今度はこちらがため息をついて、カップの中のお茶をすすった。
もうすっかり冷めてしまっていて、下の上を微かな苦味が走っていく。
どちらの意見も賛成しがたい。
私を要としたいのはわかるけれど、率先して金を搾り取ることにも賛成できなければ、ラサティのように嬉々として緑峰に攻め込むことにも同意できない。
ただ神殿のほうに関してはもしかしたら神官を入れ替えることで変化が訪れるかも。
「私は先代のラサ神に言わせると、随分博愛主義なのだそうよ。だから、軍を進めることには賛成しない。でも誰の味方でもないってことだけ伝えておくわ。」
「考える時間をくれと、解釈してよさそうだな。」
黙って頷くと、ヴィルが目を閉じてわかったと呟いた。その口元に微かな笑みが浮かんでいるのは何故だろう。
話をしている間に簡易ベットが届き、そこにそっと横たえられているクォーツを見つめた。
とりあえず、第一歩ってところかな。
カップに残ったお茶をすすっているとヴィルが黒服たちに向かってこちらへ来るようにと顎で示した。
うわー、ガラ悪ーい。態度悪ーい。
音もなく静かにヴィルの後ろに跪いている黒服の人達に少し同情する。
「紹介しよう。」
「俺の仲間で親衛隊をしてくれている七人の精鋭たちだ。」
全員がばさりと黒いローブを取って、一礼する。
第一印象はお道具箱に入っていた絵の具。右から順に色とりどりの頭をしていて、所々動物の耳やら尻尾やらが見える。
七人も揃うとかなり圧巻かも。それに三色だったらわかりやすかったのに。
ずれたことを考えていると右の人がすっと優雅な動作で立ち上がった。
小麦色の髪をポニーテールにして、ネズミ耳を生やした目許ぱっちりの快活そうな女の人がその場で両手を合わせて深く一礼する。
「ランティスと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ。」
こちらも微笑んで会釈すると、ランティスさんも悪戯っ子のようにぱっちんとウィンクして列へと戻っていった。同じ年頃かな、すごく可愛い人。
その右隣の紺色の髪をした人はやけに無愛想で、その場で一礼したまま目を伏せてしまった。
自己紹介してくれるのかとそのまま待っていたけれど、一向に動く気配が無いのでおそるおそるヴィルに視線を送る。
無愛想とか通り越してちょっと怖いような。
「あー、武官のアラウド・ゼムだ。ちょっと人嫌いの節があってな。気にすんなよ。」
困ったように髪をかいているヴィル。けれど、その笑顔はどこか駄々をこねている弟を見ているように優しいものだった。
ありがとうとヴィルに告げて、こちらもアラウドさんに向かって会釈を返す。伏せた目が感情を表すことはなかったけれど、人嫌いというならしょうがない。時間をかけて、付き合っていけば良い。
次の人は随分と分かりやすい。ふさふさした茶色の耳と尻尾をしていて、雰囲気がなんとなく犬っぽい。さっきからにっこにっこと笑顔を浮かべてこちらを楽しそうに見つめている。
「コランダム・ルーベンスです。お会いできて光栄です、どうぞお気軽に声をかけてください。」
右手に手をあてて、優雅に一礼する。こちらも合わせて会釈すると茶色の尻尾がぴょんと跳ねた。ますます犬っぽい。
隣はまたコランダムさんとえらく雰囲気が違う。私と同じ真っ黒な髪をしていて、背中には大きな黒い翼が生えている。
よくあの黒いローブの中に収納できたなあと思っていると、あちらの黒い瞳がぎっと強さを増した。
睨まれている・・・様な気がするけれど。
「ヤミと申します。お見知りおき下さいマセ」
かっちり45度のお辞儀に対して、会釈で返す。
初対面で何が気に入らないのよ、この人は。
うっかり顔に出てしまわないように、ぎぎぎと音がするくらい口の端を引き上げた。ここで不機嫌な顔をすると後々不都合が発生する。
そのヤミさんの行動に対して、少しうろたえた様にウサギ耳をした女の人が進み出てきた。
私に困ったような笑顔を浮かべて、深く一礼をする。それに合わせて会釈を返すとその困ったような笑顔がふわりと柔らかな笑顔に変わった。
女の人はみんな、美人ぞろいだなあ。
「サーライト・エンブリオです。どうぞ、気軽にサーラとお呼びください。困ったことがあれば、遠慮なく仰ってくださいね」
春の日差しのような笑顔に、さっきの緊迫した空気がふわりと溶けていく。
この人がお世話係してくれるんなら本当に嬉しいな。
ラサさんの顔を見つめてほわほわと笑った私の前にその隣の子がぽんと元気良く飛び出してきた。
この人は他の人に比べて歳若い。皆20~30代なのに対して、この猫耳の白い髪と褐色の肌をした人はどうみても10代前半に見える。
子供らしく元気にこちらへ歩いてきた男の子は、私の顔を見上げてぱっとひまわりのような明るい笑顔を浮かべた。
「えっと、エルって言います。ラサ神様、よろしくお願いしまーす。」
お遊戯会でちっちゃい子が一生懸命お辞儀しているみたい。
か、かわいいぞ、ちくしょう。
「エル君?よろしくね。」
触っちゃっていいのかしら?撫でちゃっていいのかしら?
さらさらとした白い髪をそっと撫でると、エル君がぽんと身軽に私の膝に飛び乗って抱きついてきた。
やーん、可愛い可愛い可愛い!
日本にいた頃から小さい子は好きだったけれど、ここまでやってくれた子はいなかった。
ああ、何か母性本能刺激されてちょっと幸せだ。
ふにふにした体を抱きしめ返していると、視界の端でちらりと黒いものが動いた。
はたと顔を上げると目の前に無表情の女の人が立っていた。
私が驚いてエル君から手を離すと、そのまま子供特有の細い首根っこを掴んでべりべりと引き剥がした。
離せー離せーと渾身の力で暴れているエル君を片手に、女の人がぺこりと頭を下げた。
怒っているのかとおそるおそる会釈を返すと、うんうんと何度が頷いて列へと戻っていく。
「ああ、情報収集などをしてもらっているルミナリエだ。なかなか面倒見がいいぞ。」
片手につまんだエル君をぼとんと床に落としている姿に、思わずヴィルを本当かそれはと不信な目つきで見返してしまった。
「何かあれば、力になってくれるだろう。みんな、俺の大事な仲間だ。」
少し照れくさそうな笑顔に、私も笑顔で答えた。
七人も気を許せる仲間がいるって、すごくステキなことだ。
ヴィルの言葉に緊張しているようだったみんなの雰囲気が総じて柔らかいものに変わったのを感じる。
「ヴィルは幸せだね。」
「ああ、そうかもしんねーな。」
照れたようにそっぽを向いたヴぃるに、ふと橘と石井のことを思い出して胸が切なくなった。
あんたは私がついてるから幸せモンなのよ!と言い切った橘。
レイちゃんはあたしが幸せにしてあげると冗談交じりに笑った石井。
二年も三年も前の話だけれど、まだ鮮明に覚えている。
ふいに湧き出した郷愁に、強く手を握り締めて目を閉じた。
大丈夫、大丈夫。これが終わったら、日本へ帰って二人に心配かけてごめんなさいって謝り倒すんだ。そして、三人で旅行にでも行って精一杯楽しもう。
「おい、どうした?」
ふわりと風を感じて、そっと目を開けるとヴィルが心配そうに覗き込んでいた。
だいじょーぶ、だいじょーぶと笑った頬に堪え切れなかった涙が一粒だけこぼれる。
その涙をぬぐってくれたヴィルにえへへと笑って見せて、椅子から立ち上がった。
寂しさは今だけさようなら。今は言わなきゃいけないことを優先しよう。
ヴィルと七人の親衛隊の人達に向かって、おじいちゃんに習ったように礼式に則って深く一礼する。
「この世界にラサ神として呼ばれてきました、神月 礼と言います。この世界に来てからまだ一ヶ月足らずですので、あれこれご迷惑をおかけするとは思いますがそこで寝転がっているクォーツと二人どうかよろしくお願いします。」
「本当の名前はカンヅキレイと言うのか。」
「そう。できればラサ神ではなく、レイと呼んで欲しいの。私は自分の名前を持っているから。」
「分かった。皆にもそう伝えておこう。今日は騒がせて悪かったな、部屋を用意してあるからゆっくり休め。」
ヴィルが右手を上げると親衛隊が部屋の隅へと下がり、ルミナリエさんが大きな扉を開けてくれた。
しかしそうはいっても、クォーツをここに転がしておくわけにもいかない。かといってまた運んでもらうのは気が引ける。
足元においていた鞄を肩に担いでクォーツの様子を見に行ったけれど、鼻をつまんでもおでこをぺしぺししても起きる気配は無い。
しょうがないなーもー。
ため息をついて、クォーツのベットに腰をかけた。
何の歌にしようかと少し考えて、ジャズ調の月に踊る女の子の歌を思い出す。
子供向けの番組で紹介されていたけれど、旋律も曲も大人っぽくて幻想的な曲だ。
その旋律と共に精霊たちに指示を出す。
二人分の体重を乗せたベットがふわりと浮き上がり、床から10センチくらいの所で停止したのを確認して、今度は前に進ませた。
おお、意外とうまく動いた。リニアモーターカーをイメージしてみたけれど、なかなか様になるもんだね。
「じゃあ、ヴィル、皆さん。また明日ね。」
ぽかんとしてこちらを眺めているヴィルに笑顔で手を振って、部屋を退室する。
赤い絨毯張りの廊下はかなり広く、ベットで進んでも問題はなさそうだ。けど、どっち行けばいいの?
扉を押さえたままのルミナリエさんを手招きすると、そろそろと警戒したようにこちらへと歩いてきた。
「案内をお願いしてもいいですか?」
少しの沈黙の後、ルミナリエさんがこくりと小さく頷いて左に歩き出した。
その後ろについてふんふんと鼻歌を歌いながら、黒い後ろ姿を追いかける。さすがにでっかい声で歌うのは響きそうで気が引ける。
廊下には良く似たドアが幾つも並んでいて、そのドアの隣に金色のプレートが掛けられていてよく分からない文字が丁寧に掘り込まれている。が、私には訳のわからない記号にしか見えない。
これもしかして入るときには一々ラサティたちに訳してもらわないといけないのかな。
ちょっと本気でここの文字を勉強しようかと思い直した時だった。ルミナリエさんが一つの部屋の前で止まった。
ドアの横に赤いバラが模されたプレートがあり、そこになにやら文字が掘ってある。ドアは他と変わらないけれど、プレートが他の部屋と比べて華やかだ。
「ここですか?」
ルミナリエさんがまた無表情にこくりと頷いて、両方の扉を開け離してくれた。
中は二人が住むにしてはかなり広い。私の部屋の五倍くらいはあるだろうか・・・、ちなみに私の部屋は1DKの六畳一間。
天井もめちゃくちゃ高くて、中央にはガラスのようなもので作られたシャンデリアがある。
ちょっと豪華すぎるようなきがするけどせっかく用意してくれたんだし、甘えてしまおう。
右奥においてある天蓋付きベットの傍に簡易ベットを置くと、後ろからぱたん扉が閉まる微かな音が聞こえた。
あらら、黙って帰っちゃった。
広い広い見知らぬ部屋の中で、意識のないクォーツと二人っきり。
今日は夜の寂しさよりも、睡魔の方が強いみたいね。
礼服のままベットにごろんと横たわって、目を閉じた。
明日はクォーツに今日のことを説明して、ついでに市内観光なんて・・・。
ふかふかの白い枕をぎゅーっと抱きしめると、ふわふわと太陽のにおいが掠める。
明日はいいことがあるといいな。
ふにゃんと枕にもたれかかると、睡魔に身を任せて静かに目を閉じた。