旅立ち
アマービレの街が襲撃されてから約2週間がたった。
緑峰はあの事件以来不気味な沈黙を続けていて、全くといっていいほど動いていない。
クォーツは君の力が怖くなってもう軍事行動はやめたんだよーなんて頭にキノコが生えているような素っ頓狂なことを言っていたけれどそれは絶対にないと誓っとくわ。
二人の神様曰くこれには邪気が絡んでいる。行動が挑戦的になるかもしれないなんて夢の中でラスティがやきもきしていたけれど、私もその可能性の方が高いと思う。
嵐の前の静けさほど怖いものは無い。
その嵐に備えて、私はこの世界の常識や世界の理についての勉強。本当は文字の勉強もしなくちゃいけなかったんだけれど、頭の中でラスティとテキトーが訳を申し出てくれたのでそれに甘えることにした。
二人がいなかったら私は今頃膨大な文章を片手にうんうんとうならなければならないところだった。ありがたやありがたや。
礼儀作法には辟易したけれど、あちらとそれほど変わりはなかったからまだ良かった。
立礼、伏礼、拝礼、エトセトラエトセトラ。宗教的なこともあったけれど、おじいちゃんには貴方が対象の宗教ですからとあまり詳しいことを教えてもらえなかった。
自分を拝むわけにはいかないけれど、知識として知っておいたほうが・・・と思いつつ勉強は嫌だったからそのまま放置。
クォーツの勉強の方は順調みたい。三人の移動魔法をマスターして、今度は四人同時の移動魔法をがんばっている。
本当はそうやって少しずつグレードを上げていくのが本当らしいのだけれど、私はその辺の過程をすっ飛ばし訳も分からないまま念じるだけで移動魔法を取得してしまった。
ラスティの説明ではこれも神様特権らしい。神話で説明されている自然を構築して世界を形作っている元はラサ神だったもの・・・つまり精霊たちが、私のラサ神としての力に反応して動いているのだという。
ここで魔法の簡単な説明をすると。
魔法とは神話で書かれているラサ神の体から生まれた8の精霊の力を借りることが原則となっている。
火。
水。
風。
土。
木。
光。
闇。
月。
そして私はラサ神としてそれに大気を操るという力が備わってくる。神話で書かれていたいわば神様の仕事のようなものだけれど、今は自動的に大気が律動するようになっているため私は手を出さなくていいとテキトーがなにやら自慢げに語っていた。
彼が作ったそうだけれど、動機は至って不純。面倒くさかったから作ってみたなんて末恐ろしいことを言っていた。
唯一の仕事を放り出して思わずお前はニート予備軍かと口走りそうになったのは秘密だ。
ニート予備軍は放っておいて話を戻すけれど、魔法とは精霊たちの力を自分自身の方法を使い、理解することで使うことができるらしい。
例えば私は歌だけれど、歌うことによって精霊たちを活性化すると共に、その歌によって魔法を使うための新しい精霊たちを産むように力を使っている。
だから私が歌ったあとにはいつもその属性の精霊が増加しているらしいのだけれど、精霊は見えるものじゃないからそれはよくわからない。
もう一つ例をあげるとクォーツは数式で精霊を従わせている。
数字と式を組み上げ、精霊たちに使いたい魔法を示して力を借りているのだそうだ。
こちらのほうが話としてはずっとわかりやすいけれど、魔法を使う方はどの式がどの魔法に対応しているかどんな数字を組み合わせなければいけないかを覚えていなければならない。
そして最後に例をあげることになるけれど、おじいちゃんは杖を使って魔法を使う。
空気中に霧散している精霊たちを杖でうまく整理して、うまく魔法が働くように調整するんだとか。見えないものを動かすってちょっとわからない感覚だ。
一回だけ魔法を使うところをみせてもらったけれど、杖を振り上げるでもなくただ杖の頭をちょいちょいと傾けただけで移動魔法が完成。魔法にも年期ってあるんだなと思わず感心してしまった。
この精霊たちがいるから、神話期に魔法が使えないとされていた人間と獣も学問や自分の理解できる契約方法を学ぶことによって魔法を使うことができるようになっている。
なぜ個人個人で魔法の使い方が違うのかは色々説があるらしいけれど、精霊が魔法を使う人を識別するためという考えが一般的らしい。
何で識別するのと言う話になるとまた細かく説が分かれることになってしまうけれど。
魔法に関して分かったのはこのくらいで、まだこの世界の人たちでさえも分かっていないことが多いみたい。
ラスティやテキトーに聞いても、二人が死んだ後にできた存在のためか曖昧な反応しか帰ってこず話が二転三転する。
精霊とは謎多き物体だ。もしかしたらこちらで言う元素や分子に値するものかなと思う。
ようやくこの世界にも本当の意味で慣れてきて、夜に日本のことを思い出して泣くこともあまり無くなった。
二週間の間にあのアマービレの事件で死んでしまったランジェさんの葬儀があったけれど、私は参加しなかった。
遺族の方にどんな顔をして会いにいけばいいのかわからなくて、黒いローブを着て遠くから葬儀を見つめるだけに留まった。
死んだ肉体は神話にのっとって土に埋められて精霊となり、また来世巡り合うことを願う。
幾ら神様でもこれは干渉することのできないことだから、私には何もできないけれどランジェさんが安らかに眠れるように祈ることはできるから。
ランジェさんの葬儀からさらに一週間後の今日。
朝起きるといつも呑気でマイペースなはずのルーミィとクォーツ、そして何故かおじいちゃんまでもがばたばたと忙しそうに走り回っていた。
ルーミィに急かされて朝ごはんをかきこむように食べ、何故かクォーツに風呂に入るように追い立てられてカラスの行水なみに手早く風呂も済ませた。
脱衣所で何が始まるのかと目を白黒させている間にルーミィが例のひらひらした式服を抱えて入ってきた。
急いでいてもそこはプロ。きっちりと服を着させてもらい、何故か顔に薄い化粧と紅までさした。
髪は後ろに流したままで、金の質素な額飾りをかける。どこからどうみても七五三並みにびっちりと着飾った滑稽な姿が鏡に映った。
「ねえ、今更なんだけどさ。」
「ご主人様、お似合いです!これならどんな殿方もイチコロというものなのです!」
はあ、と生返事を返して踵を返して出て行くルーミィの後ろ姿を見送った。
確かにルーミィは人の話を聞かない節があったけれど、ここまでひどくはない。どうも忙しすぎて私の声は耳に入っていないようだった。
仕方なく汚れないように少しだけスカートの裾を絡げてリビングに出た。おじいちゃんは机に向かってカリカリカリカリとなにやら一心に筆を走らせているし、クォーツの部屋からはドタバタと走り回っている音がする。
昨日勝手に夢の中に乱入してきた元神様二人と話をしていたから今日は少し寝坊をしてしまったけれど、今の事態においていかれるほど寝過ごしてはいない・・・と思いたい。
やることもないからおじいちゃんの正面の椅子に座り、猛烈な勢いで走っている羽ペンを眺めて筆を置くのを待った。
「おじいちゃん、何してるの?」
筆がぴたりと止まったのを見計らって声をかけると、おじいちゃんがこちらを見て目を丸くした。
「・・・随分見違えました。もうどこへ出しても恥ずかしくない淑女ですね。」
「・・・今日は人の話を聞かない記念日?」
微笑んだおじいちゃんの目にうっすらと涙が滲んでいる。
もしや言い方がきつかったかなと慌てたけれど、嬉しそうに微笑んでいる姿から察するにそうではないみたい。
「ああ、すみません。ついつい見蕩れてしまいました。これからのことを簡潔に述べましょうか。貴方とクォーツにはこれからウォールズの王宮へと
向かってもらいます。アマービレの街をお救い下さった異邦人の神をお迎えしたいと王宮から招待状をいただきましたので。」
「今朝連絡が来て、今日来いって?・・・それはちょっと横暴じゃないの。」
誇らしげに語るおじいちゃんに思わず呆れた声を上げた。
王様だのなんだの関係なく礼儀がなっていないような気がしますけれど。
言葉に棘を含んだ私の言葉に、いえいえ滅相も無いと手を振った。
「王の耳に入ったのがごく最近のことだったのでしょう。人つてにしては随分と早いですよ。」
早いとは?
首をかしげた私に、おじいちゃんは傍らに置いてあった本を広げた。
そこに描かれていたのはウォールズのみを拡大した詳しい地図だった。
「貴方がアマービレの街を救ったという噂はウォールズの首都までの長い旅路で変化し、今では光を纏った神々しい女性が現れて緑峰の軍隊を皆殺しにして去っていったと伝えられています。」
「ちょっと!なんでそんな凶悪犯罪者みたいな話になってるの!?」
おいおいおい、待て待て。
人の噂に尾ひれがつくのはしょうがないことだけど、物には限度があるでしょ!?
せっかく誰も殺さないように気を使ったのに、そんな噂が流れたら意味が無いじゃない。
それに私のことよりもアマービレの街を守ったランジェさんのことを伝えるべきだわ。
苛々して腕を組むとおじいちゃんが私をみて美人が台無しですよなんて困ったように笑った。
そして感慨深く地図のアマービレの街から首都まで、人々の噂をたどるようにゆっくりと指でなぞった。
紙の上ではたった数十センチでしかない長さなのに、実際に歩くとなんて遠い道のりだろう。
「・・・これで王宮に行く手間が省けて助かりました。ようやく貴方をあるべき場所へ送ることができます。」
「あるべき場所?」
私が居たいのはここだけれど。
少し不安になっておじいちゃんの顔を見つめると、おじいちゃんは少し考えるようにうつむいてからしみじみと頷く。
「ウォールズはラサ神を唯一神として崇めています。首都にはラサ神をお奉りしている神殿がありますので、いずれそちらの方へ移っていただこうと思っていました。」
「移ってもらうって・・・もしかして、そこで住まなくちゃいけないの?」
「私の口からは断言しかねます。でも、今の貴方ならきっとうまくいくでしょう。」
優しく微笑んでいるおじいちゃんの姿がここに着たばかりの時に見たおじいちゃんの姿と重なる。
そうだ、いきなり神殿なんかに連れてこられていたら私はどうなっていたかわからない。
二人に跪かれて、びっくりしてうろたえたことを考えたら向こうでは大パニックを起こしてたかもしれない。
今なら大丈夫かな、それでも頭を下げられることはあまり好きじゃないけれど。
「・・・時々、こっちに来てもいい?」
「貴方が望み、そして周りが認めるなら・・・。」
目を閉じておじいちゃんの静かな声に耳をかたむける。
私だけの意志ではどうにもならないかもしれない。この二週間でラサ神というものがどういうものか自分なりに理解した。
私は宗教を心から信仰したことが無いからわからないけれど、この不安定なご時勢にあって生き神の存在はかなり重い。
心のよりどころとしてではなく、実際に自分自身を救ってくれる存在として認識されるのだそうだ。
創世神とラサ神は同じもの。私の中では違う存在でも彼らの中ではこの世を平穏に導き、祖を作った全てとなる存在。
精霊信仰もあるけれど、それだって元は同じ場所にたどり着く。
私は彼らが望むラサ神でいられるだろうか。
神々しく、世界を平穏に導く存在でいられるのだろうか。
「深く考えることはありません。レイはいつもどおり元気で、少し無茶をして、落ち込んで、クォーツを苛めていればそれでいいんですよ。」
「・・・うん。・・・ってクォーツは苛めるんじゃないわよ、あれはいじって遊んでいるの。」
「おや、そうでしたか。私としてもあのうろたえ具合をどうにかして欲しいものですが。」
「・・・二人とも怖いよ。」
ふふふと二人で不敵な笑顔合戦をしているところに顔を引きつらせたクォーツがやってきた。
いつもばっさばさと無造作に流してある白銀の髪にしっかりと櫛をいれて梳かし、薄い水色をした淡い色のやわらかなローブを着ている。
肩と腰にはいつもと変わらず薄絹が巻きつけてあってひらひらと視界を踊っていた。
クォーツも私とよく似た礼服だ。
二人分の鞄を担いでじっとこちらを眺めているクォーツに、椅子から立ち上がって目の前に立った。
「念のため聞いておくけどね、クォーツはここを離れて他で暮らすことになっても後悔しないの?」
「しないよ。レイと約束したからね。・・・まさか、付いてこないでなんて言わないよね?」
不安そうにこちらを眺めてくる黒い目を黙ってじーっと見返した。
何も言わない私に次第にクォーツの顔から血の気が引いていき、黒い目にうるうると涙が溜まり出した。
断られても付いていくー!って気迫はないのかしら、この人。
手を伸ばしてそのやわらかそうなほっぺたを両手でぎゅっとつまんだ。
「冗談よ。でも、先が思いやられるわね。」
「ふゃう。」
ため息をついて手を離すと、赤くなったほっぺたをそっと撫でた。
今はこうして私から嘘だよと告げることができるけれど、今度同じようなことが起きたときにクォーツは気を折らずに私についてきてくれるだろうか・・・。
きょとんとしてこちらを見返しているクォーツをみて、おじいちゃんとため息をつく。
しかも本人わかってないー・・・。
「おじいちゃん。もしもの時は連絡するからね!」
「はい、いつでも連絡をください。」
「え、ちょっと!二人とも酷いよー!僕ちゃんと役に立つから!」
ぎゃいぎゃいと叫ぶクォーツにはいはいとため息をついて今度は頭を撫でてあげる。
子供にするような仕草にさらにクォーツがうううと呻いて渋い顔をした。それなりに文句はあるけれど、頭を撫でられるのも好きみたいだから何も言えないでいる。
使命感があるのはいいけれど、私も含めてどこまで一緒にやれるかな・・・。
ちょいちょいと首筋を撫でながらため息をついたとき、キッチンからルーミィが飛び出してきた。
「ご主人様!西より未確認飛行物体が接近中なのです!ああああ、行ってしまわれるのですー!ご主人様が行ってしまわれるのですー!!」
目にハンカチをあてたルーミィがスカートを翻してこちらに飛びついてきた。
ふわふわした金の髪を撫でて、背中をさすってあげるとぼろぼろと涙をこぼしている青い瞳がこちらを見つめた。
「ご主人様!ルーミィは忘れません!ルーミィの入れたお風呂に喜んで入ってくださったことや沢山ご飯を食べてくださったこと、全部全部忘れないです!」
「そんな大げさな・・・。また戻ってくるかもしれないし、そのときはまたお風呂入れてくれる?」
「はいです!ご主人様の言われたとおりに入浴剤は控えめにですね!」
「そうそう。それでおじいちゃんに入ってもらいなさいね。」
話を振られて、おじいちゃんがぎくりとこちらを見る。
二人の風呂嫌いは相変わらずで、こうでも言っておかないとまた入らなくなるに決まっている。
今までだって私が無理矢理入れ入れと急かして叫んでやっと風呂に入るようになってたんだから。
「えー・・・、そうですね。結界を解きましょう。」
ごほんと一つ咳払いをして、おじいちゃんが手に持っていた杖を縦に振る。
その瞬間、部屋全体からふわりと何か見えないものが空に上っていくのを感じた。
名残惜しそうにひらひらと空を舞いながら、結界を作っていた沢山の精霊たちが踊りながら空へと散っていく。
部屋の中にいるから目では見えないけれど、精霊の動きは体で感じれるようになった。
私も行かなくちゃ。
胸の中で泣きじゃくっているルーミィの体をぎゅっと抱きしめて、体を離す。
「行ってきます。二人とも、元気でね。」
こぼれそうになる涙を抑えて、二人に微笑みかける。
泣くことなんて無い、寂しいけれどきっとまた会えるから。
後ろでぼろぼろともらい泣きしているクォーツの涙を薄絹で拭いてあげて、そっと右腕をクォーツの左腕に絡めた。
エスコートしてくださる?と視線で問いかけると、クォーツの背中がぴっと伸びる。
日本からずっと持ってきていた通学鞄と服を入れた少し大きめの布鞄を肩にかけて、二人に振り返った。
「また、連絡するから。今だけ、さようならね。」
「行ってらっしゃい。精霊たちの加護がありますように」
「行ってらっしゃいませですーうぅぅ・・・!」
深くお辞儀をする二人に、私も深く礼を返す。
クォーツに腕を引かれて土壁の中に入った。
この流れる砂の感覚ももう楽しめなくなるかもしれない。さらりと服を撫でる砂に触れ、その感触に心の中で別れを告げる。
初めあれだけ驚いたのが嘘のように、今ではこんなに愛おしい。
壁の終わりに手を伸ばして、そっと砂を払うとそこは光に満ち溢れた森が広がっていた。
今まで見ていたような大きく太い木々ではなく、少し間を置いて木々が密接しないように整理された明るい森だった。
見上げるほどあった岸壁も、扉の分くらいしかない小さなもので幅もそれほどない。
まるで森自体が巨大化していたようなそんな錯覚を受ける。
光の精霊と闇の精霊を使った錯視を招く高等な結界だ。
扉の前には私が魔法の訓練ついでに作ったベンチが並び、木漏れ日が差し込んできらきらと輝いている。
これが本来の森の姿だったんだ・・・。
「久しぶりに見たなー。やっぱりいつみても綺麗だ」
「そうだね・・・。自然に祝福されているって感じがするわ。」
うっかり神に祝福されている土地だねと言いそうになって、笑みがこぼれた。
ラサ神はとっくにこの地に眠っていて、体をもって祝福を与えているというのに。
太陽から零れ落ちるきらきらとした木漏れ日と若々しく揺れている若葉たちもこの土地を祝福している。
ここはきっと精霊たちにとっても、わたしにとっても聖域だ。
普段は閉ざされているけれど、一度解き放てば全てを輝かす美しいものになるんだから。