不安
しばらく光の中で漂う感覚がして、ふいに瞼が軽くなった。
うっすらと瞳を開く橙の灯がゆらめいている天井が映った。
体を起こすと頭に激痛が走り、思わず頭を押さえて呻く。頭も寝癖でパサパサしていてどことなく気持ち悪い。
全身もどことなくだるくて、重い。寝起きはいつも良い方だ。長居すると私に負担がかかるなんて言ってたけれどあれはこの事だったのね・・・。
「うー・・・あいつら覚えてろ・・・。」
重い頭を負って頭痛を取っ払っていると隣で人の気配がした。
そちらを振り向くと椅子にもたれてこくりこくりとうたたねをしているクォーツがいた。俯いて影をさしている顔は少し顔色が悪くて目元にうっすらとくまが見える。枕元にあった携帯を確認すると今の時刻は午前七時。眠った日から二日もたってる・・って・・・マジかい・・・。
げんなりとして携帯を膝の上に転がした。二日も放ってあったのに充電は無くなったりしないみたい。異世界様様だわ、全く。
皮肉交じりのため息をついて白いワンピースの裾を払ってから、ベットの端に足を下ろすとクォーツが微かに身動ぎした。
うう、と小さな声を上げてしょぼくれた黒い目をしぱしぱと瞬かせた。
「おっはよ。クォーツ。」
クォーツの目の前でひらひらと手を振ると、ぼーっとしていた顔がふにゃっと崩れるように笑顔になった。
あら、無防備で随分と可愛らしい顔。
「あ・・・おはよー・・・。」
随分と眠そうな顔をしているクォーツの髪を撫でて、そっと耳元に唇を寄せた。
ほろりと一つの旋律を紡いで、願いをこめる。クォーツが安らかに眠ることができますように。
・・・ついでだから自分でベットに行ってね。
クォーツが夢うつつでこくりと頷くと、緩慢な動きで椅子を立ってころんと私のベットに寝転がった。
手足を丸めて子供のように眠る姿に思わず口元がほころんだ。
ふふ、ありがとうね。ゆっくりお休みなさい。
その柔らかな白銀の髪を撫でてそろりと足音を立てずにリビングの扉を開けた。
揺らめく明かりの中でおじいちゃんが机に座って本を読んでいる。
今日はシックに黒のローブできめている。そうやって礼服みたいに綺麗な服を着ていると人のよさそうなおじいちゃんが偉い人に見えてくるから不思議だ。
音をたてないようにドアをゆっくりと閉めておじいちゃんの正面の椅子に腰をかけた。
「おはよう。」
「おや、レイ。おはようございます、体調はいかがですか?」
いつもと変わらない笑顔で穏やかに挨拶してくれるおじいちゃん。よく見るとクォーツと同じように目のしたにくまができていて、やっぱり少し顔色が悪い。
みんな疲れているみたいだった。
「おじいちゃん、顔色悪いけれど大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ。貴方が起きないのでみんな心配していました」
本を閉じて、微笑んでくれるおじいちゃん。
その少し疲れたような笑顔にひどく申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい・・・。変な話だけど聞いてくれる?夢の中で元神様って言う二人と話をしたの。」
おじいちゃんの細い目が驚きに見開かれる。
なにやらせっついた様子で詳しく話してくれと促されたけれど、あんな変人たちの話のどこがいいのかな。
興味津々といったように、私の顔をじっと見つめている。
「男の人と女の人がいたの。名前はテキトー?とラスティ。二人とも結構マイペースだけど、テキトーの方がのんびり天然さんでラスティの方がかなり毒舌で気が強そう。」
「どうやらとても人間味溢れる方のようですね。」
驚いたようにおじいちゃんが声をあげる。
どうやらおじいちゃんは厳かで静かな神様を想像していたらしい。うん、よくわかるよ、そのびっくり具合。
「ええと、確か緑峰に日記があるからそれを読めって言われた。」
「日記!それは初耳です。それが見つかれば神話期を紐解く重要な手がかりとなるでしょう。」
「うーん・・・なんかろくでもないこと書き殴ってそうだけどね。」
日記にラサティが関わっているとしたら、見る人によって随分反応が変わってくると思う。
最初のほうはどうか知らないけれど後半あたりから毒を撒き散らす人間批判が詰まっているに違いない。
だとしたら緑峰にあるのは本当にまずい。
「早く取り戻してきたほうがいいかもね。」
「そうですね、今の緑峰は文化的なものを一切排除して国民統一を図っています。戦略性と歴史を重要視する声があるため蔵書を保護していますが、これから先どうなるか・・・。」
ため息をついて悲しそうな顔をするおじいちゃんに、私も一緒になってため息をつく。
そっちの意味じゃないんだけど、本当のことも言えないなあ。
ラサティが人間嫌いで私に人間を滅さないかなんて勧誘していること。
「まあ、その件は緑峰を攻略しなければ埒があきません。それで今回の件についてラサ神様はなんと仰っておいででしたか。」
「邪気そのものではなく、邪気の欠片・・・陰のようなものが出現しているのではないかって。それからもう世界に影響が出始めているから早く手を打たなければいけないとも言ってた。」
「欠片・・・ですか。」
「そうみたい。あまり肝心なこと言わないし、私も聞かなかったからそれくらいしかわからないけれど・・・。」
いえ、助かりましたよとおじいちゃんが頷いた。
おじいちゃんはそういってくれたけれどよく考えたら雑談しかしていないような気がする。貴重な異世界での二日間を井戸端会議みたいな無駄話に費やしてしまった。
もちろん沢山の話も聞けたし収穫はあったけれど、すっごく不毛だ。
疲労感に見合わない徒労にくらくらと眩暈がして、机にもたれかかった。
「あー二日間もったいなーい・・・。今度は聞きたいことをメモしてから呼び出すことにする。」
「それは良い心がけですね。そのときは私も呼んで下さい、お聞きしたいことがあります。」
そうしてくれると私もあっちもこっちもうまく円滑にいくと思う。私ってあまりお話上手じゃないからなあ。
昔からいらない事はよく喋るのに大事なことを聞き忘れていたり、一言多かったり。
「ちなみに聞きたいことって何?」
「・・・その時が来たらお教えしましょう。私も考えている最中なのです。」
含みのある言葉と笑顔が少し気になるけれど、考えている最中なら答えを待とう。
うん、と頷いておじいちゃんを見つめ返した。
「さあ、ルーミィに朝ごはんをもらっておいでなさい。」
「・・・クォーツ無理矢理眠らせちゃったから今日はそっとしておいてあげて。」
「そうですねえ。今日はみんなでゆっくりしましょうか。」
おー今日はゆっくりしてってね!日和ってこと。
そうだ、とりあえずルーミィに二日分のご飯をもらってこなくちゃいけない・・・はずなんだけれど。
お腹が空いていない・・・全然お腹が空いていないみたい。寝ていたからカロリーを消費していないという話になるのかな。
本当なら朝ごはんが終わっている時間だし、ルーミィの手を煩わすのも申し訳ないからキッチンには寄らずに、自分の部屋に帰った。
今日はゆっくり日和だから二度寝したってかまわないよね。
さっきと同じようにクォーツが私のベットを占領していたけれど、その丸まって眠っている傍らに腰をかけた。
あの二人。
うまく動くには先手必勝がベストだって言っていたけれど、相手の意思も聞かないまま動くことは正しいことなんだろうか。
話し合いのない一方的な攻撃なんて虐殺と変わらないんじゃないか。いや、殺す気はないから虐殺よりもいじめっていうんだろうけど。
それとも戦争ってそういうものなの?
戦争を止めるために戦争を仕掛けるのって少し矛盾しているような気がする。
でも、それを明確に説明する方法は持っていないし、ましてや私は二人が言うように博愛主義者ではないからやられたらやり返す。
試してみて分かったことだけれど私の魔法はかなり広域に及ぶらしいから、軍隊を相手にする点では心配することは無いに等しい。
今日のように不意打ちをつけば血を流さずに勝つことはできそうだけれど、それもいつまで通用するだろう。
戦略のせの字も知らない小娘がこんなこと真剣に考えて答えが出ると思っているのはちょっと滑稽だけどね。
はあ、とため息をついてクォーツの隣に一緒になって転がった。
今、もし向こうの世界に帰れるとしてたら私はどんな風に答えるだろう。
笑って喜んでと答えるのか。それとも声を上げて全力で抗うのか。
明確には答えられないけれど、でもきっと・・・。
目の前で暖色の灯に照らされて煌いている白銀の髪を撫でて目を閉じた。