第9話 繋がる道、確かめる鼓動
朝の光が、乾いた大地をじわじわと照らしていく。
ふたり並んで歩く足取りは軽く、けれど、どこか慎重でもあった。
それまでの砂利混じりの起伏がちな地面から、急に“何か”が変わった気がして、私は足を止める。
「……あ。ここです。たぶん、タルザ街道に入りました」
指さしたのは、かつての馬車の車輪が刻んだような、平坦な二筋の轍跡。
周囲の土は他よりもわずかに締まっていて、踏み固められた名残がある。
すぐそばには、地面からわずかに突き出した石杭がぽつぽつと並んでいて──それが“道”の境界を示していた。
「へぇ……これが砂漠に道か」
修平さんが、感心したように呟きながら、しゃがんで杭を触っていた。
「昔はもっと人が通ってたんです。この辺り、いくつかの村を結ぶ交易ルートで……」
私は少し目を細めて、進行方向を見つめた。
「でも今は……この通り、荒れ放題で」
道の端には、朽ちた荷車の残骸が転がっていた。
木材はすでに干からびて、ところどころ焼け焦げている。
近くには乾いた動物の骨も転がっていて──
旅の無事を祈るには、少し心細い光景だった。
「……人の通りが減ったのは、やっぱり魔物のせいか?」
「はい。最近は、魔物のせいで馬車が通れないって話もあって……。あちこち、道に穴があいてるんです」
「……それって、あのデカいトカゲと違うのか?」
「えっと……たぶん別の種だと思います。でも、地面を掘るのが得意らしくて。穴があちこちにあって、うっかり踏み抜くと落ちちゃうとか……」
「ふーん……そいつはまた、職人泣かせな地形だな……」
修平さんは立ち上がりながら、パイプの端をカツン、と杭に軽く当てた。
音は澄んでいて、妙に遠くまで響いた気がした。
「でも、村と村の間を行き来するには、やっぱりこの道が一番なんですよ。タルザ街道は、古いけど──ちゃんと繋がってますから」
「……そうだな」
その言葉には、どこか“実感”がこもっていた。
きっと、“繋ぐ”ってことが、修平さんにとって特別な意味を持ってるんだろう。
修平さんはぼやきながらも、どこか楽しそうだった。
初めての道を歩くことが、彼にとって“冒険”なんだと思うと──
私も少し、胸が高鳴った。
「でも、がんばって踏みしめれば、ちゃんと進めますよ。道は、まだ残ってますから」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
それは修平さんに向けてでもあり、私自身に向けた言葉でもあったのかもしれない。
「おう。なら……この道、今日もつなぎにいくか」
笑って、修平さんが前を向く。
私はその背中を見て、小さく頷いた。
──きっと、どんなに道が荒れていても。
この人となら、きっと辿り着ける。
そんな気がしていた。
昼の日差しがじりじりと背中を照らしてくる。
タルザ街道を歩き続けて数時間。
景色は単調だけど、道の端には時おり背の低い灌木や、小さな岩が散らばっていて、単なる砂漠とはまた違った趣があった。
「……あ、あれ。たぶん、休憩ポイントです」
レナが指さした先に、小さな石囲いと、使い古された焚き火跡が見えた。
半分崩れかけた石積みの風除け。地面はやや平らに均されていて、明らかに“人の手が入った跡”が残っている。
「ふむ……野営地跡か。だいぶ昔のだな」
修平は手に持ったパイプの先で、地面をコツンと軽く突いてから腰を下ろした。
「ちょっと休憩していきましょう。今日は日差しも強いですし……」
そう言ってレナも、石のそばに腰を下ろす。
しばらくの沈黙。
乾いた風が、ふたりの髪をふわりと揺らしていた。
「よし、腹ごしらえだな……っと」
修平が腰袋に手を突っ込む。取り出されたのは、お馴染みのトカゲ肉、そして──
「……あ?」
ごそごそと手を動かしていた修平が、ふいに固まった。
「ど、どうかしました?」
「……いや、ちょっと待てよ……これ……」
彼がゆっくりと引き抜いたのは──
カップラーメンだった。
「……なんですか、これ?」
思わず呟くレナ。
丸いプラスチック容器に、カラフルな印刷。
異世界には絶対にないはずの、“見たことないデザインの何か”だった。
「お、おれ、これ……毎日食ってたけど……でも、なんで……?」
修平の顔が素で驚いている。
まるで、ありえないことが起きたかのように。
「修平さん……もしかして、腰袋って……」
「いや、これはマジで心当たりがねぇ……あ、でも……ひとつだけ。毎日食ってた……って記憶がある。それが、条件だったのか……?」
「条件……?」
「いや、わかんねぇ。でも、“無限腰袋”って、あくまでおれ専用の“道具入れ”だからな。仕事道具だけじゃなくて、ルーティンで使ってたもんも、染み付いてたのかも……」
修平がぼそりと呟きながら、カップを指で弾く。
ポン、と軽い音。
「ただ……これ、たぶん“一日一個”とかだな」
「え?」
「直感だけどな。たぶん、“今日のおれ”に必要なぶんしか出ない。今試しても、二個目は絶対出ねぇ気がする」
「ふふ……じゃあ、貴重ですね」
レナがくすりと笑う。
「せっかくなので、半分こしましょう? わたしも、ちょっと興味ありますし」
「……まあ、そりゃそうなるわな」
修平が少し苦笑して、湯を沸かす準備にとりかかる。
腰袋から取り出した銀色のポットに水を注ぎ、小型の簡易ガスバーナーに火をつける。
見慣れない手順に、レナは目を輝かせて見入っていた。
「わぁ……それ、火も出るんですね」
「アウトドア用のミニバーナーってやつだ。まあ、うちの現場でも弁当の味噌汁用に使ってたな」
「すごい……なんか、本当に“便利な道具”って感じです」
しばらくして、湯気が立ちのぼる。
修平がカップの蓋を丁寧に開け、お湯を注ぐ。
それを石の上にそっと置いて、三分間。
風が、ほんのりスープの香りを運んでくる。
見慣れないはずの香りなのに、なぜかレナの心がくすぐられるように落ち着いた。
「──できたぞ」
修平が割り箸を取り出し、かき混ぜる。
カップをふたつの器に分け、レナに一方を差し出す。
「いただきます……!」
レナがそっと、湯気越しにすする。
「……ふあっ!? な、なにこれ! しょっぱいのに、甘い……! スープが複雑すぎて……お、おいしい……っ!」
「だろ? 昼飯に食うこれが、五臓六腑に染みるんだよなぁ……」
修平も満足そうに啜る。
トカゲ肉の燻製と一緒に交互に食べると、不思議と相性もよかった。
どこかチキンっぽい味に近づいて、想像以上に“食事らしく”なる。
「……こういうの、旅の途中で食べられるのって、幸せですね」
レナがぽつりと呟いた。
その横顔は、ちょっと赤くなっていて、たぶん、スープのせいじゃなかった。
「よし、ちょっと昼寝すっか。……ほら、日陰になってるとこ、空いてるぞ」
「え?……あ、はいっ!」
少し慌てながらも、レナは修平の隣にごろんと寝転がった。
ふたりの距離は、手を伸ばせば届くくらい。
空には薄く雲がかかっていて、ほんの少しだけ風が涼しかった。
──静寂。
どくん、どくん、と自分の心音だけが、やけに大きく聞こえる。
(落ち着け、わたし……別になにも、特別な意味は……っ)
ちら、と横目で見た修平は、もう目を閉じていた。
穏やかな寝顔。
……でも、やっぱりちょっとカッコいい。
(ん……もう……)
レナは胸元にそっと手をあてて、目を閉じた。
こうして過ごす昼下がりが、いつまでも続けばいいな──なんて、思ってしまった。
風が、少し冷たくなってきた。
午前から歩き続けて、太陽はようやく傾き始めていた。
空は赤く焼けはじめていて、乾いた大地の色まで、ほんのりと橙に染めていく。
「……夕暮れ、早いですね」
「もうそんな時間か。意外と歩いたな」
私は、荷物の紐を締め直しながら、修平さんの背中を見つめた。
彼の歩調はいつも一定で、だけど疲れを感じさせない。
工具を詰め込んだ腰袋を抱えてるのに、まるでそれも身体の一部みたいに、自然な歩き方だった。
やっぱり、どこか――頼りになる。
「──見えました。あそこです」
私は足を止めて、指を差した。
遠く、丘の下に、かすかに見える畑。
枯れかけた作物の列が、夕日に照らされて揺れていた。
その奥に、影のような小さな建物群が寄り添っている。ベルキア村だ。
「おお……お前、よくこんな距離で気づいたな」
「えへへ、昔、一度だけ来たことがあるので。あの畑の並び方、覚えてるんです」
「そうだったな」
そのとき――
「……ん?」
修平さんの声が、ふっと低くなった。
彼の視線は、村ではなく、もっと手前の……畑の端にある、小さな丘の斜面に向いていた。
私もつられて目を凝らす。
……なにか、動いてる?
オレンジに染まった風景のなか、そこだけ黒ずんだ“影”が揺れている。
人のようにも見えたし、動物のようにも見えた。
「……修平さん、あれ……」
「見えてる。……わかんねぇけど、なんかいるな」
風が吹いた。
その瞬間、黒い影がゆらりと揺れて、砂ぼこりがふわりと舞う。
「……まさか、また……?」
「いや、まだ確定じゃねぇ。でも──」
修平さんはパイプの柄を持ち直し、その端を、そっと地面に──
カツンッ。
金属の音が、静かに響いた。
「……ただの夕暮れじゃ、なさそうだな」
その声に、私の背筋がふるえた。
夕暮れの静けさが、むしろ緊張を煽っていく。
胸の奥が、じわりと熱くなった。
──これは、気のせいじゃない。
何かが……近づいてる。
そう、確信できてしまう“気配”があった。
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