第8話 その剣に、誓ったから
昼下がりの砂漠──
ベルキア村までは、あの岩丘を越えた先。
その前に一息つこうと、ふたりは小さな砂丘の上で足を止めていた。
ふと、足元に目をやると、小さな虫の足跡が、砂の表面に続いていた。
ひと筋の線が、ジグザグと這うように伸びている。
けれど風が一度吹くと、それはあっけなく、砂と一緒にさらわれてしまった。
「……あ、消えちゃった」
レナがぽつりと呟く。
一瞬の存在と、何も残らない現実。
その儚さが、妙に胸に残った。
陽射しはまだ高いが、風は穏やかに吹いていた。
けれどその風は乾いていて、撫でられるたびに、肌の水分が奪われていくようだった。
レナは腰の鞭剣をそっと手に取り、何気なく振ってみる。
「ふふっ……風はあるけど、乾燥しててお肌に悪いですねぇ」
しゅっ、と空気を裂く音が、空に伸びる。
剣身は細くしなり、陽を受けてきらりと光った。
「……なあ、それ、ちょっと貸してくれないか?」
唐突にそんな声がして、レナはくるりと振り返った。
「え? 修平さんが?」
「ああ。……ずっと思ってたんだ。見た目よりずっと扱いが難しそうで……ちょっと、触らせてくれ」
「いいですけど……ほんとに? クセありますよ?」
「配管も刃物も似たようなもんさ。道具は、使ってみねぇとわからねぇ」
そう言って手を伸ばす修平の顔は、どこか少年みたいだった。
レナは微笑んで鞭剣の柄を渡す。
「じゃあ……どうなっても、知りませんからね?」
「おうよ。いくぞ……っと」
修平は慎重に柄を握り、剣身を展開してみせた。
だが──
「……うおっ!? あっぶなっ!?」
びゅんっ!
剣身が思いのほか強くしなり、地面を跳ねるように戻ってきた。
反動でバランスを崩した修平を、レナは慌てて支える。
「きゃっ……だ、大丈夫ですか!?」
「……いや、なめてた。こいつ、完全に生き物だな……」
「あははっ。言ったじゃないですか~、難しいって」
支えたままの距離。
思いのほか近くて、レナの頬が自然に赤くなる。
「……ほら。もう少し、手をこう。こう持って……」
後ろからそっと手を添える。
剣の重さと、修平の体温と、風の匂いが一緒に混ざって、妙にドキドキする。
「こらレナ、そんな密着してくるなって……!」
「えへへー。サポートは近いほうが効果的なんです♪」
「完全に反則じゃねーか……」
ふたりで笑う。
風が砂地をなでていく。
ただの道具ひとつで、こんなふうに笑い合えるなんて、少し前なら想像もできなかった。
──だから、思った。
(ちゃんと、話そう。あの剣のことも、あの村のことも)
剣は、ただの武器じゃない。
それはわたしがわたしである証。
あの鐘の音が、今も胸の中で鳴ってることも──もう、隠したくないから。
「……修平さん」
「ん?」
「夜になったら、少しだけ時間もらえますか?
ちょっと……話したいことが、あるんです」
「……ああ。わかった。楽しみにしてるよ」
そう答えてくれる、その声が好きだった。
わたしの言葉をちゃんと待ってくれる、その姿勢が、あたたかかった。
草の上でそっと剣を畳みながら、レナはふわりと微笑んだ。
火が灯ると、夜の静けさが一層際立った。
焚き火の音だけが、ぱち……ぱち……と時折、優しく耳を打つ。
岩陰のくぼ地に腰を下ろしたレナは、肩掛けをひとつ羽織りながら、炎の明かりに手をかざしていた。
──やがて、足音。
岩の影を回り込んで、修平が戻ってくる。
「これで薪の代わりになるか?」
修平は腰袋から桟木を束で取り出し、二、三本を焚き火の端へ差し込む。乾いた木口が火を噛んで、ぱち、と小さく爆ぜた。ほのかな樹脂の匂いが立ちのぼる。
「ありがとうございます。……あの、さっき言ってた話、してもいいですか?」
修平は、黙って頷いて腰を下ろす。
レナはそっと、手を膝に重ねた。
「……わたし、リュエル村っていう場所で育ったんです。今はもう、滅んでしまった村ですけど」
さらりとした口ぶりだった。けれど、声は少しだけ震えていた。
「山に囲まれた、静かな村でした。みんな、道具を作る職人で……父さんも母さんも鍛冶屋でした。
──“誰かのための道具”を作る。それが、村の誇りであり、生き方だったんです」
焚き火の炎が、レナの瞳に反射して、ゆらりと揺れた。
その視線は、過去のどこか遠くを見つめている。
「わたしも小さいころから、父さんや母さんの仕事を手伝っていて……金槌の持ち方も、ヤットコの握り方も、自然と覚えました。
毎日、音がしてたんです。カン、カン……って、道具が生まれる音。あれがね、好きだった」
隣で聞いていた修平は、静かに頷いていた。
「ある時……旅人のひとりが、うちに長く滞在していたことがあって。
その人が、わたしに鞭剣って武器を見せてくれたんです。
最初はびっくりしました。でも、惹かれました。……柔らかくて、強くて、守るために振るう剣だって。そう言ってた」
「そっか……その時に、使い方を?」
「うん。少しだけ、教えてもらいました。
“これは、選ぶための武器なんだ”って──その人がそう言ってたの。
……使う人によって姿を変えて、その人にしか振れない形になるんだって」
レナはそっと、鞭剣の柄に視線を落とす。
「その人が去ったあと、決めたんです。わたしの“剣”を作るって。
父さんたちが作ってきた“道具”と同じように、誰かを守れる、誇れる形にしたいって。
……その時から、これが“私の道具”になったんです」
そう語る声は、穏やかで、どこか誇らしげだった。
だけど──その先の言葉は、少しだけ遠くを見つめながら、絞り出すように続いた。
「……けど、それから少しして、村が──なくなったんです。
火災だったのか、何かの魔獣だったのか……はっきりとは、わからなくて。
わたし、ちょうど外に出ていて……戻ったら、村はもう、跡形もなかった。人の気配も、誰の声も、何も……」
手元の火が、かすかに揺れる。
その火に照らされたレナの指が、小さく震えていた。
「それからずっと……、わたしは“何を作ればいいのか”を探してた気がします。
剣の技術は残ったけど、それで誰を守ればいいのかも、わからなかった。
それでも剣を手放せなかったのは……」
ふ、と視線が修平に向けられる。
「この剣を、誰かの隣に立つために使いたいって……そう、思ったから。
できるなら、修平さんの隣で──」
言葉が途切れた。
修平はレナの両手をそっと包み込んだ。
「……ありがとう。話してくれて」
「……うん。ずっと、話したかったんです」
ふたりの手のあいだに、静かに火が灯る。
レナは、肩にかけていた布をすこしだけきゅっと握った。
ふたりの手は、焚き火の灯りの中で静かに重なっていた。
何も言わずに握り返してくれたそのぬくもりが、言葉以上にレナの胸に沁みていく。
「……修平さん?」
そっと問いかけると、修平はわずかに目線を上げてレナの目を見た。
その瞳は、真っ直ぐで、少しだけ照れくさそうで──
「おれさ、たぶん……レナのこと、ぜんぜん知らなかったんだなって」
ぽつりと、そう呟く。
焚き火の光が揺れて、修平の横顔を柔らかく照らしていた。
「おれが今まで作ってきた道具って、“水を流すため”だった。
配管して、水を通して、誰かの生活を支えるための道具……」
修平は、レナの手をそっと握り直す。
「でもレナの剣は、“誰かの隣に立つため”の道具なんだな。
それって……すげぇって思った。
戦うためじゃなくて、守るために手に取ったって……すごく、いいなって」
その言葉に、レナの胸が熱くなる。
誰かに“いいね”って、まっすぐ言ってもらえたのは、どれくらいぶりだろう。
ずっと孤独の中で抱えてきた剣が、今、やっと肯定されたような気がした。
「……でも、おれもな。最近、ちょっとずつ変わってきてて」
「変わってきた……?」
「道具が“戦う”ために役立つことなんて、こっち来るまで考えたことなかった。
けど、今は“水”も“道具”も、誰かを護れるって、そう思える。
……おれも、レナと同じになってきてるのかもな」
ふっと笑うその表情に、レナもつられて笑った。
「えへへ……じゃあ、わたしたち、似た者同士ですね?」
「かもな。道具バカ同士、ってことで」
「うふふっ、それ、ちょっと嬉しいかも……」
焚き火の灯りが、静かに揺れる。
夜風が頬を撫でていくなか、レナはそっと、修平の肩に身を預けた。
その瞬間、胸の奥で、カシャンと何かが噛み合う音がした気がした。
長い間、ずれていた“心のギア”が、ぴたりとひとつ噛み合ったような──
──道具は、誰かの手の中で“生きる”もの。
レナの剣も、修平の配管も。
それは、ふたりを繋ぎ、誰かを護る“理由”になる。
この夜、ふたりの物語は、ただの旅路から──未来を選ぶ“道”になった。
その剣に、誓ったから。
もう、ひとりでは振らない。
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