第5話 砂嵐と、ふたりの初陣
南東へ──。
ふたりの影が、砂の起伏を越えてゆく。
朝の陽はまだ柔らかく、乾いた風が髪と衣をなびかせた。
ラサリナ村を出てからすでに数刻。
足元の砂は、いつしか土色に変わり、ちらほらと大小の岩が顔をのぞかせている。
「……なんか、岩が増えてきたな」
修平がふとつぶやき、足元の地面を見やる。
「そうですね。こっちの方は、地形が少しずつ変わってくるんですよ〜」
レナは日傘代わりに布を頭に巻きながら、 少し得意げに笑った。
「ベルキアまでは、あと三日はかかるかな。途中で、野営は……二回か三回ってとこですかね?」
「なるほど、やっぱそうか」
修平は腰のパイプを軽く指で叩きながら、何かを考えていた。
「野営ってさ、基本、交代で見張りする感じか?」
「うん。片方が寝て、もう片方が見張り。……ちょっと不安だけど、旅の基本です」
レナはそう言って笑ったが、その目は真剣だった。
修平は曖昧に頷くと、ふぅ、とひと息つく。
「そっか……。まあ、そうなるよな」
レナが首を傾げる。
「どうかしました?」
「いや……。実は、故郷で使ってた“防犯アラーム”みたいなやつがあってさ。日が暮れたら、ちょっと試してみようかなと思ってて」
その瞬間、レナの目が一瞬だけ鋭くなった。
これまで何度か耳にしていた“故郷”という言葉──そして、“異世界”。
きっと何かがある。そう思っていた。
レナは、少しだけ無邪気を装った声で尋ねた。
「“異世界”でも使えるんですか?」
「うーん……使えたらラッキーってとこかな……って、レナ?」
軽く返しかけた修平は、そのままレナの真っ直ぐな視線に気づいて口をつぐむ。
──しまった、今の問いは……。
その目は、冗談では済ませられない真剣さを湛えていた。
レナは思い切ったように言葉を口にした。
「ねぇ、修平さん……時々、“異世界”って口にしますよね?」
「えっ……」
「別に、無理に聞きたいわけじゃないんですけど……。なんか気になっちゃって。修平さんって、やっぱり……」
その問いに、修平は立ち止まった。
乾いた風が、静かに吹き抜ける。
──話すべきか否か。
ふと、思った。
自分が異世界から来たと話すことで、レナに余計な不安や疑念を抱かせるかもしれない。
それに──この旅に巻き込んでしまった責任も、もっと重く感じることになるかもしれない。
でも。
目の前のレナは、ただ知ろうとしている。責めるでもなく、詮索するでもなく。
その目を見て、決意が固まった。
「……別に、隠してたつもりはねぇんだけどな」
修平は空を見上げ、言葉を絞り出す。
「おれはたぶん……“別の世界”の人間だ。もともと、この世界の人間じゃない。
日本っていう場所で、配管工って仕事をしてて──気づいたら、こっちにいた。たぶん……死んじまったんだと思う」
「えっ……」
「仕事中、事故に遭ってさ。でっかい鉄骨の下敷きになって……それで終わった、はずだった」
乾いた声で続ける。
「でも目を覚ましたら、もうここにいた。暑くて、眩しくて、全然知らない空。……マジで、意味がわからなかったよ」
言いながら、自分でも可笑しくなって、小さく笑った。
レナは黙って聞いていた。
そして、ぽつりとつぶやく。
「……それって、すごく辛い話ですけど……でも、私……」
一瞬、言葉を飲み込む。
(だって、修平さんが亡くなって、だから今こうして会えてるって……)
不謹慎だって分かってる。けど、心のどこかでは──素直に、そう感じてしまう。
「……だからこうして、一緒に旅ができてると思うと、なんだか不思議な気持ちです」
そして最後には、ベロを出して、小さく笑った。
「変なこと言って、ごめんなさい」
修平は驚いたようにレナを見て──ふっと優しい表情に変わる。
「……変じゃねぇよ」
その言葉が、乾いた空気の中で、そっと沁みていった。
──その時だった。
視界の端で、何かが渦を巻いた。
地平線の先、かすかに立ち上る、黄土色のもや。
「……風が強くなってきたな」
修平がつぶやく。
レナが目を凝らし、表情を引き締める。
「違う、これは……砂嵐かも。あそこ──見てください!」
遠くの空が、不自然に暗く、厚く渦巻いている。
ごうごうと低いうねりが、少しずつ、こちらへと近づいていた。
黄土色の渦が、唸り声のような風音を孕みながら、地平線を曇らせていた。
「……来るな、こりゃ」
修平がつぶやく。
砂嵐──。
それはただの強風じゃない。
無数の砂粒が混じった暴力的な自然の奔流。
目を開けていられず、肌を削り、呼吸さえ奪う脅威。
「こっち、こっちです!」
レナが、近くの岩場を指差し、駆け出した。
風がすでに唸りを上げ、乾いた砂を巻き上げている。
二人は、砂の波打つ丘を越え、ゴツゴツとした岩陰へと飛び込んだ。
風よけにちょうどいい、斜面の裏側。
そこでレナは、自分の肩掛け布をほどいて、修平と自分の体に巻きつけた。
「すぐに……来ます……っ! 目、閉じてください!」
次の瞬間──。
轟音。
身体を打ちつけるような風圧と、皮膚を刺すような砂粒の奔流。
息を吸うだけで、喉が焼けそうになる。
目を閉じ、歯を食いしばる。それでも──恐怖が、全身を揺らす。
そのときだった。
レナの背中に、温もりが重なった。
腕が、自分の身体を包み込む。
「──!」
修平が、何も言わずに、そっとレナを抱きしめていた。
ただそれだけで、世界の音が少し遠のいた気がした。
ごうごうと鳴る砂嵐の音のなか。
砂がぶつかる音に混じって、鼓動の音が聞こえる。
……いや、それは──自分の心臓の音だ。
こんなに近くで、こんなにも温かくて。
それが、少しだけくすぐったくて……そして、たまらなく、安心した。
(……わたし、なんで……こんなにドキドキしてるの)
顔は、きっと真っ赤だ。
でも、見えないし、見られない。
だから──ちょっとだけ、甘えてしまっても、許される気がした。
レナは、そっと修平の胸元に顔をうずめた。
風の音が、少しずつ弱まっていく。
気づけば、暴風は止んでいた。
巻き上げられた砂が舞い上がり、淡く空を染めているだけ。
嵐の本体は、すでに遠くへ過ぎ去っていた。
「……もう、大丈夫、ですかね……」
レナが、そっと顔を上げる。
すぐ目の前に、修平の顔があった。
お互いの息が、かすかに触れ合う距離。
「──っ!」
ふたりは、ほぼ同時に身体を離した。
「あ、あの……」
「す、すまん……!」
顔は真っ赤。
目を合わせることができない。
さっきまでの温もりが、むしろくっきりと皮膚に残っていた。
気まずい沈黙。
それを破ったのは──異変だった。
「……ん?」
レナが、何かに気づくように、眉を寄せる。
「修平さん、今……」
その言葉が終わる前に。
ガッ、と地面が裂けるような音がした。
岩場の隙間から、何かが這い出す──。
「危ないっ!!」
修平がとっさに、手にした鉄パイプを振り抜いた。
ゴンッ!
鈍く乾いた衝撃音とともに、飛びかかってきた影が弾き飛ばされる。
舞い散る砂。
岩陰にこもっていた熱気が、一瞬で冷たく引き締まる。
……ぬめりのある灰色の筋肉質。
裂けた口に、剥き出しの鋭い牙。
背中には、金属のような鈍い反射を帯びた甲殻。
そして、赤く光る瞳。
──砂トカゲ。
「……またお前らか」
かすれた声で、修平がつぶやく。
その言葉には、警戒と同時に、かすかな戦意が滲んでいた。
パイプを握る手に、自然と力がこもる。
砂の裂け目から、さらに四つの影が姿を現す。
腹を擦るように這いながら、砂を蹴り、咆哮を上げてくる──全部で五体。
レナが短剣を構えて後ずさるが、修平がそっと手で制した。
「レナ、ちょいと考えがある……そのまま警戒しててくれ」
「……わかりましたっ」
レナが頷く。
その瞳は、恐怖と、それ以上の信頼を宿していた。
修平は一歩、前に出る。
ゆっくりと、革手袋の手首部分を引き寄せ、音を立てて馴染ませた。
パチン。
その音と同時に、空気が変わる。
「……生成」
そう呟いたとたん、修平の右手のひらに、小さな金属片が三つ、きらりと輝きを放ちながら現れた。
25A鉄管用ソケット。
彼の“異世界補正”がかかった、無骨な戦闘兵器。
「……革手がどこまで補正かかってるか、試したかったんだよなぁ!!」
叫ぶと同時に、右手を振りかぶる。
ギィン!
金属が風を裂く音。
その一投は──まるで音速のような軌道で、砂トカゲのひとつへと飛翔した。
砂トカゲは、素早く跳躍しようとする。
が──一瞬、遅れた。
ズガァッ!!
ソケットが胴体を貫いた。
肉を砕き、甲殻を突き破り、砂の向こうへと抜けていく。
一拍遅れて、砂トカゲの巨体が、ズシンッと崩れ落ちた。
それを見た他の四体が、低く唸る。
──だが、ここからが本番だ。
修平は、片手でパイプをくるりと回して構える。
もう片方の手では、ソケットを革手の上でなじませるように転がした。
まるで、戦いではなく、作業を始める前のルーティンのように。
「レナ、行くぞ……!」
低く、力のこもった声。
それに、レナもすぐ応じた。
「はいっ……!」
二人の視線が交差する。
次の瞬間、砂を蹴る音とともに── 修平の“仕事”が始まった。
残る四体が、低いうなり声を上げながら散開する。
──囲む気だ。
その意図に気づいたのは、修平だけではなかった。
レナが、息を詰める。
すぐ近くの一体が突っ込んでくる。
レナの方へ──!
「来るっ……!」
短剣を構えたレナが、咄嗟に後ろへ跳ぶ。
だが、砂に足を取られ、バランスが崩れかける。
その瞬間。
「っ……!!」
レナの腰が、鋭くしなった。
抜き放たれた──鞭剣。
しなる刃が、砂を裂き、突進してきた砂トカゲの顔面を叩くように薙いだ。
ビチィッ!
鞭剣の刃が、金属を切る音を残して甲殻を裂く。そして、導かれるように──眼窩を貫いた。
グググ……ッ!
砂トカゲがのたうち、崩れ落ちる。
「や……やった……!? 私が……一体倒した……っ?」
震える声で、レナが息を呑んだ。
その頬に、一筋の砂埃と──熱。
だが、喜ぶ暇はない。
「レナ、まだだっ!!」
修平の声。
そのすぐ横で、別のトカゲが跳躍してきた──!
彼は、左拳を構え、後ろ足を蹴り出す。
バッ!
踏み込み、拳を突き出す。
革手袋に包まれた拳が、砂トカゲの腹部に叩き込まれた。
ズドンッ!
粘液が飛び散り、骨が砕けるような音。
跳ねていたトカゲが、そのまま地面にめり込む。
──革手パンチも、異世界補正、バリバリだった。
「……あと二体」
修平は、残ったソケットを両手に一つずつ持ち替える。
「逃がさねぇよ……!」
距離を取って逃げようとする二体のトカゲに向けて──
シュンッ! シュッ!
二連投。
一発目は胴体を、二発目は首元を正確に貫き──
ズブッ! ズガッ!
……その場に、倒れ伏す。
静寂。
風が、砂をさらう音だけが残った。
⸻
修平は警戒を解かないまま、後ろを振り返る。
「……大丈夫か、レナ」
「っ……はい! 怪我、ありません! けど……」
息を切らしながらも、レナは何度も鞭剣を見て、そして砂トカゲの亡骸を見つめていた。
「……わたし、本当に……やっつけられたんですね……!」
まだ現実感が追いついていないように、レナは呆然と呟く。
だがその顔は、強張りながらもどこか誇らしげで。
修平は、そんな彼女を見て、ふっと優しい目をした。
そっと、左腕の包帯に指を添える。
「……これからは“護られる側”じゃ、いられねぇってことだろ?」
カツンッ
パイプの端が、地面を小さく叩いた。
その音が、まるで合図のように──乾いた空気を切り裂いた。
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