第三話 この村を背に、あなたと行く
村の広場に、ぱちぱちと焚き火の音が響いていた。
その周囲には、素朴な木のテーブルがいくつも並べられ、皿と湯気が次々に運ばれていく。
「うお……すげぇな、こりゃ」
修平は腰袋を軽く撫でながら、肩越しに辺りを見渡した。
香ばしく焼き上げられたトカゲ肉の串焼き、地面を掘って蒸し焼きにした芋のような塊。
器に注がれるスープは、先ほどの井戸水が使われているらしく、澄んだ香りが鼻先をくすぐった。
「はい、修平さん。お疲れさまでしたっ!」
レナが、手作りの木皿を差し出す。
その笑顔には、どこか誇らしげなものがあった。
「……んまっ! なにこれ、マジでうまいんだけど」
レナは得意げに頷き、ニヤリとした。
「ふふ、砂トカゲの血は、調味料にもなるんですよ?」
「……えっ!? マジかよ!? これ……ど、どこに使ってんの!?」
「ちょっとだけ、タレに混ぜてあります。加熱すると甘みが出るんです♪」
「いや、それ知っちゃうと味わい方変わるって……!」
修平が目を丸くすると、レナはくすくすと笑った。
少し離れたところでは 子供たちがはしゃぎ、大人たちが笑い合っている。
つい昨日まで、あれほど沈んでいた村の空気が、今はどこまでも明るく、温かかった。
「ほら村長ーっ!! お酒持って来てくださいよーっ!」
レナが焚き火の向こうで、村長に向かって声を張る。
その声に応えて、村長が立ち上がり、どこからか酒瓶を手にして戻ってきた。
「修平殿。この酒は、わしらの感謝の気持ちじゃ。遠慮せず、飲んでくれい」
「マジすか。……ありがたく、いただきます!」
ぐい、と一口。
「うまっ……! なんだこの酒、すげぇ飲みやすい……」
「ふぉっふぉっふぉ。これはの、東の方にある泉の村で造られた果実酒じゃ。あちらには森もあってな、こうしてたまに分けてもらえるのじゃ」
「(こりゃまるっきりリンゴの酒だな)……でも、なんか懐かしい味だ」
修平は、村人たちによって絶妙に仕上げられたトカゲ肉を肴に、さらにぐいぐいと酒を煽った。
香ばしさと甘み、そしてほのかな酸味。思わず頬が緩む。
火の灯りの中、宴はさらに盛り上がっていく。
音楽こそないが、手拍子と笑い声が絶えず響き、誰もが安堵と喜びをかみしめていた。
そんな中、村長が改まった口調で修平に向き直った。
「修平殿。……本当に、礼を言いたい」
「いやいや。そんな大層なもんじゃ──」
「いいや。お主がいなければ、この村は今日という日を迎えられなかった。
……そこで、もう一つ、頼みがある」
その声に、周囲のざわめきが少しだけ静まった。
「この砂漠には、まだ多くの“水に苦しむ村”がある。
お主のような者が訪れれば、きっと道は開ける。
どうか、他の村々にも──この命の流れを、届けてやってはくれまいか」
その眼差しには、真剣さと希望が宿っていた。
修平はしばし黙り、そして酒の小瓶を傾けながら、口元を緩めた。
「──わかった。任せとけ。配管工の意地、見せてやるよ」
その言葉に、村長はふっと表情を和らげ、深く頷いた。
(この砂漠の中に、配管工の俺が転移したのも……やっぱり、意味があったのかもな)
そう思いながら、修平はもう一口、果実酒を煽った。
──その会話を、少し離れた場所で耳にしていたレナは、そっと視線を下げる。
その顔には、何かを“決めた”ような決意の色が宿っていた。
彼女はそっと席を立つと、宴のにぎわいを離れ──
中央広場の隅にある、小さな詰所。
見張り番たちの待機小屋へと、ひとり向かっていった。
* * *
私は、中央広場の喧騒を背にして、小さな詰所の扉をそっと開けた。
カラリ、と乾いた音がして、中からは懐かしい焚き火の匂いと、ふたりの笑い声が漏れ聞こえてくる。
部屋の中には、簡素なテーブルと椅子が三脚。
壁際には、槍が十数本、きちんと並べて立て掛けられている。
そしてその中央には、長年この村の見張りを務めるゲルドさんと、少し年下の青年、ティムがいた。
ふたりとも、トカゲ肉の串をかじりながら、薄く水で割った果実酒を飲んでいる。
「おう、レナ。どうした? お前、今日は非番だろ?」
ゲルドさんが、木のジョッキを揺らしながらこちらに目を向けた。
「はい……今日は、ちょっと、ゲルドさんにお話があって……」
声が少し震えた。けれど、下を向くわけにはいかない。
「そうか……」
ゲルドさんは、顎で「話してみな」と促してくれる。
私は静かに椅子に座ると、少し間をおいて話し始めた。
「…… 私がこの村に来てから、一年以上が経ちました。
見張り番の仕事もさせてもらって……仲間として、迎え入れてもらえて……」
言葉を選びながら、ゆっくり続ける。
「ここなら……私も“再出発”できるって……生きていけるって思ってました」
ふいに、ゲルドさんの低くて優しい声が割り込んでくる。
「──ついて行ってやれよ」
「……っえ?」
驚いて顔を上げると、ゲルドさんはもうニヤリと笑っていた。
「お前の目を見りゃ、そんなの丸わかりだ。
それこそ一年以上の付き合いだからな。隠し事なんざ、無駄だぜ」
そして、果実酒をぐいとひと口。
「俺らもラサリナの村民だ。代々ここを守ってきた誇りくらい、まだ持ってるつもりだ。
それに──あの水の旦那が与えてくれた命の流れさえありゃ、賊だろうがトカゲだろうが余裕で返り討ちだ」
そう言って、ティムに向かって木串を振る。
「それにな、こいつもあの旦那に当てられて、やる気出してきてんだぜ?」
「ちょ、ゲルドさん、からかわないでくださいよー!
……でもまあ、あながち間違いじゃないですけど」
ティムは困った顔をしながらも、まっすぐ 私に言ってくれる。
「レナさん、行ってあげてください。大丈夫ですから」
こらえていた涙が、一筋だけ頬をつたう。
「ゲルドさん……ティムさん……本当に、ありがとうございます……!」
「おうよ。それと──これ、持ってけ」
ゲルドさんは、腰の短剣をすっと抜いて、テーブルに置いた。
「お前の鞭剣じゃ接近されたとき厳しいだろ。これで、あの旦那を守る足しにしな」
「うぅ……ゲルドざん……」
「ほれほれ、そーと決まりゃ村長と旦那に言ってこい!
早くしねぇと置いてかれるぞ?」
ティムも、優しく微笑んで頷いてくれた。
「はいっ……! ありがとうございますっ!」
私はしっかり短剣を握りしめて、深くお辞儀をした。
──この村で、生き直すことを教えてもらった。
でも、 私はこれから──あの人の隣で、新しい一歩を踏み出すんだ。
( 私は──迷ってなんか、いない)
宴の喧騒が遠ざかるにつれて、胸の奥の熱が、静かに形になっていく。
仄暗い夜の中、焚き火の赤がぽうっと灯る広場の端。
修平さんは村長さんと並んで、なにやら笑い合っていた。
いつもの無骨な横顔に、今夜はほんのり赤が差していて。
それが、なんだか……愛おしかった。
(いまなら、ちゃんと伝えられる気がする)
私は静かに近づいていった。
踏み出す一歩ごとに、胸の奥がきゅっと鳴ったけど──それは、怖さじゃなかった。
「修平さん……!」
そう呼びかけると、彼はふと振り向いた。
その瞳が、まっすぐに 私を見る。
「……どうした?」
やさしい声。
その声に、思わず胸が詰まる。
「…… 私、やっぱり……ついて行きたいです。修平さんと一緒に」
焚き火の光が揺れて、彼の影が 私の足元に重なった。
「この村には、本当に感謝してるんです。 私を受け入れてくれた、居場所をくれた……だから、ずっとここにいるつもりだったけど……」
唇を噛んで、それでも目を逸らさずに言う。
「でも、修平さんの隣にいる時の 私は、もっと遠くを、もっと誰かの未来を見たいって、思えたんです」
隣の村長さんが、うんうんと頷いてくれているのが視界の隅に見えた。
でも、今の 私に見えているのは、修平さんだけだった。
「…… 私、行きます。修平さんと一緒に、次の村へ」
そう言って、そっと右手を差し出す。
少しだけ、指先が震えていた。
──でも、修平さんは何も言わずに、その手を、ぎゅっと握ってくれた。
あたたかい掌に、迷いはなかった。
それだけで、すべてが報われた気がした。
(ああ…… 私、この旅を……きっと、ずっと忘れない)
宴はまだ続いている。
夜風が甘く、砂の匂いを運んでくる。
そのなかで、 私たちは、そっと並んで歩き出した。
小さな決意を抱いて、次の朝へと──。
────
村の朝は、昨夜の宴の余韻をほんのりと残していた。
明るく賑やかだった広場も、今は少し静かになっていて、代わりに焚き火の跡や空になった器たちが、穏やかに“夜”を物語っている。
(……ふふ。楽しかったな)
私はそんな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、出発の支度を進めていた。
まだ眠っている人もいるけれど、何人かの村人が気づいて、私たちの荷造りを手伝ってくれている。
そう……今日、私たちはここを出る。
──あの人と、一緒に。
「レナ、おは……あ、レナさん、おはよう」
振り向くと、ちょっと寝癖のついた修平さんが、軽く手を上げて立っていた。
その一瞬、ふと名前を呼び捨てにしかけて、慌てて言い直した彼の声。
それが、なんだか妙に可愛くて。
「“レナ”で、いいですよ♪」
少し照れながらそう言うと、修平さんは真っ赤になって言葉を詰まらせた。
「あ、あぁ……レナ、準備はどんな感じだ? 何か手伝うから言ってくれ」
(うわ、今度は完全に呼んだ……)
ちょっとだけ心の中でにやけながら、私は言った。
「じゃあ、そこの乾燥薬草の束を、全部この箱にお願いしますっ」
「了解」
彼が軽く腰袋に薬草を入れた、その時だった。
「……あれ?」
ポロリと、何かが袋から落ちた。
「修平さん、腰袋から何か落ちましたよー?」
私がそう声をかけると、彼はそれを拾い上げて、眉をひそめる。
「ん? なんだ? 『クラスチェンジ:無限腰袋』だと?」
(えっ、クラスチェンジ!?)
思わず顔を寄せて、その木札を覗き込んだ。
昨日見せてもらった物と同じ、どこか不思議な気配を纏っていて──胸の奥が、またふわりとざわめいた。
裏を返したり、擦ったりしながら、修平さんがぼそりとつぶやいた。
「薬草を突っ込んだのが関係してんのか? よくわからん……」
その声は、どこか嬉しそうだった。
彼は試すように腰袋の口を開き、そっと薬草を押し当てた。
「じゃあ……この薬草、入ってくれ」
──すうっ。
薬草が、袋に吸い込まれていった。
「おぉ……入った……!」
「すごい……! 全部スッポリ入っちゃいましたね!」
「いや、まだ油断するなよ。問題は、出せるかだ」
そう言いながら、袋の縁に手を突っ込む修平さん。
「薬草」
──ずるっ。
袋の中から、さっき入れた薬草の束がそのままの形で、ぬるりと現れた。
「マジか……!」
「これ、ものすごく便利じゃないですか……!」
「ってことは、旅の荷物、ほとんど詰め込めるな……!」
その瞬間、修平さんの顔に浮かんだ笑顔は…… 子供みたいに嬉しそうで。
思わず、私も頬が緩んでしまった。
「これで、道中で素材が増えても安心ですね。
……ふふ、修平さんが、どこにしまったか忘れて、全部詰めっぱなしにしないようにだけ、気をつけましょう?」
「うっ……耳が痛いな」
朝の光が、部屋の隅から差し込んでいた。
まだ少しひんやりとした乾いた風が、二人の間を優しく通り抜ける。
“無限腰袋”。
それはきっと、修平さんの技術と、修平さんの故郷の知識が結びついた“新しい力”なのかな?
でも……私は、それだけじゃないような気がしてる。
この袋こそが、修平さんと、そして“ 私”の旅を支える、
第三の“仲間”になるんだろうなって。
(……行こう、修平さん。ふたりの旅、始まるんですから)
そう胸の奥でそっと呟いて、 私は背筋を伸ばした。
村の朝は、まだ昨夜の余韻をわずかに残している。宴の片付けをしている人たちの声が聞こえるたび、胸の奥が少しくすぐったくなった。
──この村は、もう大丈夫。
だから、今度は 私たちが次へ向かう番だ。
「じゃあ……こっちの包みも入れるな」
修平さんが、肩に掛けた無限腰袋の口を開き、 私の荷物をひとつずつ、手際よく詰めてくれている。
あの腰袋が“クラスチェンジ”したと知ったときの、彼の驚いた顔──そして、どこか少年みたいに嬉しそうだったあの表情──忘れられない。
「次は……っと、これは……あれ?」
修平さんの手が、ふと止まった。
「修平さん? どうかしました?」
そう言いながら振り返ると、彼の手の中には──
「ち、違うんだ!! 断じてわざとじゃない!! じっくり見てたわけじゃなくてだな!? その……!」
私のブラとショーツ。
「きゃ──っ! そ、それは自分で持ちますからっ!!!」
顔が火照るのも忘れて、慌てて彼の手から奪い取る。
修平さんの耳まで真っ赤になっていて、それがもう可笑しくて……可愛くて。
「も、もう……っ、うっかりにもほどがありますよぉ……!」
「す、すまん……ほんとに……」
思わずふたりで目を逸らして、しばし気まずい沈黙──
だけど、そのあと同時に吹き出して、笑い合った。
──そう。 私は、こんなふうに彼と笑っていられる旅がしたい。
その気持ちを胸に、家を出た。
少しずつ高くなる太陽の光が、地面を明るく照らしていく。
村の入口には、見送りに集まってくれた村の人たちがたくさんいて、胸がじんわり熱くなった。
「気をつけてなーっ!」
「レナー、たまには帰って来いよー!」
「水の旦那も、変な魔物に噛まれねぇようにな!」
そして──
「次戻ってくる時は、子供もいっしょになー!?」
「な、なっ、何言ってるんですか──っ!?!」
私も修平さんも、真っ赤な顔で同時に叫んだ。
「おいおい……! そりゃまだ早ぇだろ!?」
それでも、からかうように笑いながら手を振ってくれる村人たちの姿に、 私は笑って、涙が出そうになった。
修平さんは、パイプを片手に掲げて、いつもより堂々とした仕草で応えていた。
あの背中を、 私はこれからずっと見ていくんだ──そう思ったら、なぜだか力が湧いてきた。
村長さんは、ひと足先に 私たちの前に立ち、まっすぐな眼差しで告げてくれた。
「旅は、目的を持って進むからこそ、価値がある。……どうか、その心を見失わぬようにな」
「はいっ……!」
深く、深く頭を下げて──砂の道へと一歩、足を踏み出した。
肩に下げた荷物は、いつもより軽い。
腰には、ゲルドさんの短剣と、手入れしたばかりの鞭剣。
そして、無限の容量を誇る“第三の仲間”──腰袋が、 私たちの旅を支えてくれる。
隣に並ぶ、異邦の配管工。
私の、大切な人。
──この旅で、どんな景色に出会うのか。
どんな声を聞き、どんな命を繋ぐのか。
それを思うだけで、胸が熱くなる。
私たちは、いま歩き出す。
声なき叫びを救うために。
この砂漠に──水を届ける旅人として。
────
修平の無限腰袋の奥で、ヨンゴウが淡く光った。
まるで踏み出した一歩を肯っているように。
──仕事だ。前へ。
読んでくださりありがとうございます。楽しんでいただけたら嬉しいです。
ブクマ・★・感想が本当に励みになります。
誤字や読みにくい箇所があれば教えてください。
次回もコツコツ更新していきます。
引き続きよろしくお願いします。