第13話 水圧と共鳴の号令──戦端、裂かれる
朝陽が差し始める頃、ベルキア村はいつになく早起きの気配に包まれていた。
家々の戸が次々と開き、村人たちが外へと出ていく。
鍬や斧、古びた剣や槍を手に、空気の張りつめた中で道具の確認をする者。
子どもたちに温かい朝食を振る舞いながら、「気をつけて」と夫の背中に声をかける者。
今日が、“村を懸けた一日”であることは、誰もが理解していた。
浮き足立ちながらも、どこか決意に満ちた眼差し。
村は、確かに一つになっていた。
⸻
そんな村の裏手、静かな砂地に、ひとりの男が立っていた。
「うわ……我ながら、ひでぇな、これ……」
スコップを片手に、修平は額に汗を浮かべながら、小さな穴をせっせと掘っていた。
穴の底には、丸めた紙くずと──布に包まれた何か。
「ま、まぁ……異世界での初夜、ってことで大目に見てくれ……」
苦笑いを浮かべながら、彼は証拠の一切を丁寧に土に埋めていく。
シャッ、シャッ……さらさらと静かな音を立てながら、砂が覆いかぶさる。
(……誰にも見られてないよな?)
周囲を一度見渡し、空を仰いで大きく伸びをひとつ。
「……よし」
───証拠隠滅、完了。
リーナの家に戻ると、台所の前で並んで話していた二人の女性が、修平の姿に気づいた。
「あっ……」
リーナとレナ──どちらともなく、ぴたりと会話が止まり、すぐに目を逸らす。
頬は赤く、耳まで真っ赤に染まっていた。
「おはよう、二人とも。何の話してたんだ?」
修平が首を傾げると、レナは慌てたようにリーナの前に立ち、深々と頭を下げる。
「ほんとに、すみませんでしたっ!」
「え、いや……そんな、謝らなくても……」
リーナは少し困ったように微笑みながら、レナの肩にそっと手を置く。
「大丈夫ですよ。気持ち……すごく、わかるから」
その言葉に、レナの顔がますます熱を帯びた。
そしてリーナは、ちらりと修平の様子を見ながら、声を潜めてレナの耳元にそっと囁いた。
「でも……声は、もう少し抑えないと。修平さん、起きちゃいますよ?」
「っ……はい……気をつけます……」
俯いたまま、レナは小さく呟くように答えた。
その横顔は、まだ夢の続きを引きずるように、火照っていた。
────
「……さて、いよいよだな」
白湯を口に含んだあと、修平がぽつりと呟いた。
その一言に、空気がぴんと張り詰める。
レナは、手にしていたスプーンをきゅっと握りしめ──そして、ぱっと顔を上げた。
「はいっ!」
思わず声が裏返る。
照れ隠しのように笑って、レナは頬をほんのり染めた。
「今日、絶対勝ちましょう! 修平さんと一緒なら、きっと大丈夫です!」
「おう」
修平は一言だけ、けれど力強く頷いた。
その表情には迷いがない。
静かで、確かな決意が宿っていた。
リーナは、そんなふたりを見ながら──ふっと微笑む。
今朝の“事件”の余韻はまだほのかに残っていたけれど……それ以上に、心の奥に温かさが広がっていた。
「……行ってらっしゃい」
ふたりに向けて、真っ直ぐに言葉を贈る。
「絶対に帰ってきてくださいね。……また夜、ご飯作って待ってますから」
それは願いであり、祈りであり──ささやかな約束だった。
修平は、どこかくすぐったそうに頭を掻きながらも、優しく笑った。
「うん。……腹減らして、戻ってくるよ」
「じゃあ、今夜はもっと米青盛りますねっ!」
リーナのその言葉に──
「っ……」
レナと修平は、思わず顔を見合わせてしまい──
次の瞬間には、同時にぷいっと目を逸らす。
レナは頬を真っ赤に染め、俯いたままスプーンをカチカチとつつき、
修平は喉を軽く咳払いしてから、立ち上がった。
「……行こうか、レナ」
「う、うんっ……!」
ぎこちない返事に、リーナがふふっと笑う。
ふたりの背中が、朝日に照らされて光っていた。
リーナはその姿を見送りながら、両手を胸の前でぎゅっと握る。
(大丈夫。きっと、帰ってくる──)
──戦う理由は、もうわかってる。
だからこそ、今日を乗り越えてほしい。
それぞれの想いを胸に。
ベルキア村の決戦の朝が、静かに──けれど力強く、幕を開けた。
村の広場に、ぽつり、ぽつりと人が集まり始めた。
その数、およそ二十名ほど。
決して多くはない──けれど、皆の目には決意が宿っていた。
腰には鍬や斧、スコップを提げ、なかには農具を自ら削って作った槍のようなものを手にしている者もいた。
寄せ集めの装備。けれど、それを握る手は震えていない。
レナがその光景を見渡して、小さく息を呑む。
「……思ったより、集まってくれましたね」
「ああ。昨日のうちに声をかけておいたけど……これだけの人が来てくれるとは思わなかった」
修平はそう言いながら、ひとりひとりの顔を確認していく。
そのなかには、リーナの義理兄の姿もあった。
彼は朝から米青の実の余韻が残っているのか、やたらと声が大きい。
「あーっはっはっはっ、今朝はなんか体が軽くてしょうがねぇっすよ! もう、筋肉が勝手に動いてるって感じっす!」
「うん……その感覚、なんかわかるわ……」
「さすが村でいちばんの力持ちですね!」
レナのフォローに、場の空気が和らぐ。
その瞬間──
「みんな、少し聞いてくれて」
修平が、パイプの端をカツンッと地面に叩きつけた。
ぴん、と張り詰めた空気に、全員の視線が修平へと向かう。
その眼差しに、修平は静かに頷いた。
「……まず、改めて言っておく。これは“戦い”だ。けど、俺たちは兵士じゃない。軍でもない。ただ……生き残るために、やるだけだ」
そう言って、背後の簡易な地図を指さす。
昨日、村人たちと協力して描いた、村と蟻の巣の位置関係を示した簡易戦略図だ。
「巣の本丸は、この井戸の真下にあると仮定してる。そこへ直接水を流し込むことで、巣全体の環境を強制的に変化させる。──俺の知る限り、蟻は基本泳げない。長い時間水に浸されると溺れるんだ。巣の構造によっては、女王や大型個体が自ら移動を始める可能性がある」
ごくり、と誰かが唾を呑んだ。
「出てきた個体は、ここ。広場周辺に逃げ出すはずだ。弱ったやつは、お前らで叩く。元気なやつは……俺とレナで仕留める」
その言葉に、ざわめきが走る。
「し、修平さん……」
「無理はするな。逃げたければ逃げてくれ。それでも、立ち向かってくれるなら──俺が絶対、前に立つ」
その声は、怒鳴ってもいないのに、よく通った。
焚き火の残り火のように、じんわりと熱を持って、皆の胸に染み込んでいく。
義理兄は腕組みしながら、じっと地面の一点を見つめていた。
そして──ぽつりと、低い声で言った。
「ここは、俺たちの暮らす場所だろ? だったら……守る理由なんて、それだけで十分だ」
静寂のなか、レナがそっと前へ出た。
「私は、修平さんの“武器”になります」
その声は、まっすぐだった。
澄んだ瞳と、揺るがない想いが、村の人々を包み込んでいく。
やがて──
「……やるか」
村の青年が、ぽつりと呟いた。
「やるしかねぇだろ。昨日助けてもらったのに、何もしねぇってのは……やっぱり、男がすたる」
「俺も……子供にはこんな村で、暮らさせたくない。戦わなきゃ」
「鍬しか持ってねぇけど、コイツは俺の魂だ。やってやるぜ、蟻ども」
ひとつ、またひとつと声が上がる。
そして、村人たちは肩を並べて立ち上がった。
誰もが誇れるような戦士じゃない。
けれど──今ここに、“誇りを持って戦える人間”たちがいた。
修平は静かに頷き、最後にこう締めくくった。
「よし。──始めよう」
その一言で、ベルキア村の“作戦決行”の火蓋が、切って落とされた。
ベルキア村の中央にある、古びた石井戸。
その前に、二十名ほどの村人たちが静かに立ち並んでいた。
誰も声を出さず、決意に満ちた眼差しを、ただ井戸へと注いでいる。
わずかな息づかいと、胸の奥を打つ鼓動だけがそこにあった。
修平が昨日のうちに設置した6インチ(200A)の配管は、石畳の地面に沿うように這い、井戸の中へと口を開いている。
巨大な金属の蛇のように、その存在はどこか異様で、けれどどこか頼もしさを感じさせた。
井戸の手前には、特大ゲートバルブがねじ込まれている。
そのハンドルの前には、リーナの義兄──
たくましい体躯の農夫──と、前日レナの言葉に心打たれた若者の姿があった。
二人とも、緊張で喉を鳴らしながらも、しっかりと足を踏ん張っている。
⸻
カツンッ……。
乾いた音が、空気を切った。
修平が杖代わりのパイプを地面に軽く叩いたのだ。
「……ここから先は、“あんたたち”の戦いだ」
低く、けれど澱みなく響く声。
修平の視線はまっすぐに、二人の“代表”へ向けられていた。
「このバルブを開けるのは、おれじゃない。おれが仕掛けた“道具”でも、最後の仕上げは──村人である、あんたたちに任せたい」
くっと唇を結び、修平は一歩下がる。
「これは村を守るための“狼煙”だ。……頼んだぞ」
⸻
二人は一度、視線を交わした。
「よし……いくぞ!」
「せーのっ!!」
ハンドルがぎぎぎ、と重たい音を立てながらゆっくりと回される。
圧力に抗うような手応えに、二人の腕が軋む。
それでも諦めず、ぐいっとさらに力を込めて──
ドゴォン……!!
地響きとともに、井戸の奥からとてつもない水音が響き出した。
ズゴォォォ……ッ!! ゴゴゴ……ッ!! ドドドドド……!!
まるで地中の獣が暴れているような、激しい音が井戸から響き渡る。
⸻
「な、なんだこの音……!」
「……すご……この音、本当に、水なの……!?」
レナが思わず声を漏らす。
その隣で、修平がゆっくりと口を開いた。
「これが……おれの仕事だ」
パイプからは、まさに異世界の常識を凌駕するほどの水量が、信じられない速度と圧力で送り込まれている。
水は空気を切り裂くような勢いで井戸の奥底へと注ぎ込み、地中に巨大な“侵入者”として突き刺さっていく。
⸻
そのとき。
修平の眉が、ぴくりと動いた。
「……なんだ、これ」
水の流れを通して、指先に“異物感”が伝わってくる。
それは、水道管の中に混じる異物とはまったく異質なもの──まるで、流れの奥に“何かの痕跡”が沈んでいるような感覚だった。
「……マナ、か? 魔石の……残穢……?」
呟きとともに、修平の目が鋭く細められる。
⸻
そのときだった。
ゴゴゴ……ッ……ゴゴゴゴ……ッ……!!
井戸の奥から、不気味な振動が地面を通して響いてくる。
「……来るぞ」
修平が低く言い放つと、村人たちは一斉に緊張を走らせた。
広場周辺に配置された村人たちは、それぞれの武器──鍬、斧、鋤、削った槍──を握りしめる。
レナはひときわ大きく前へと踏み出し、腰から鞭剣を取り出した。
鋼線が風を切り、鈍く朝日を反射する。
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「絶対に通すなッ!!」
ひとりの中年男性が、怒鳴るように叫んだ。
「ここが村の命の水源だ!! こいつをやられたら、今度こそ終わりだぞ!!」
その言葉に、皆の視線と意識が集まっていく。
そして次の瞬間──
ズガァァン!!!
井戸とは別の地点、広場の斜め前あたりで、地面が突如盛り上がり、爆裂した。
大量の土砂が吹き飛び、そこから姿を現したのは──
“砂蟻”
全長およそ三メートル。
まだ若い個体だろうが、それでも十分すぎるほどの威圧感と、強靭な顎を持った異形の存在だった。
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「来た……でもね──」
レナの目が光る。
「さようなら!」
刹那、彼女の体が砂を蹴った。
鋼線が唸り、空気が裂ける。
──その瞬間、砂蟻の運命も、ベルキア村の未来も、大きく動き出した。
広場の空気が一気に張り詰め、戦場の“幕”が切って落とされる。
水と砂と鋼が交錯する、決戦の朝が始まった。
読んでくださりありがとうございます。楽しんでいただけたら嬉しいです。
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次回もコツコツ更新していきます。
引き続きよろしくお願いします。




