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【西洋・ハイファン】無能料理人に魔王討伐は荷が重い 前編

宣伝欄


●2025年10月1日全編書き下ろし7巻&8巻発売

◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846

◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/

 私、クロエ・ノウルリーブは、どうしようもなく無能だ。


 それは、別に勉強が全くできないわけでも、運動が全くできないわけでもない。基本的に、私の全能力は平均よりちょっと下だ。「この無能が!」と罵られるほどでもない。


 しかしどうしようもなく私は無能だ。手の施しようがないくらいに。


 それは、私が生まれ育ったこの国が、魔法の国であるからに他ならない。


 私の産まれた王国ユグランティスでは、国民全員が魔力を保持し、平民だろうが貴族だろうが全員少なからず魔力を持っている。というか、さも、ユグランティスだけは国民全員魔力持ってます! みたいな言い方をしてしまったけれど、今まで出会ったどんな国の人も、大なり小なり魔力は持っていた。


 森の外れの方では、魔力を持つ獣──魔獣とかが出て、強大な魔力を持つ魔王とかもいるらしい。さらにそれを倒すため、勇者とかもいるらしい。


 全部「とか」「らしい」なのは劇とか絵本でしか見た事がないからだ。


 私は生まれつき、びっくりするくらい魔力が無い


 少ない、ちょっとしかない、わずかしかないではなく本当に無い。無である。無。


 ちなみに私の家の血筋は国有数の魔力の高さを誇る血族であり、兄弟姉妹も絶大な魔力を持ち産まれた。


 しかし私には魔力というものが体内に存在していなかったのである。


 普通ならここで魔力が無いことで虐げられたり、冷遇されるものだと思う。


 よそでも「お前本当にあの家の子供かよ」みたいな、そんな感じの扱いを受ける。「成り上がり」とか、「役立たず」とか「不遇」とか「外れスキル」と題名に入っている物語で無限に読んだ。


 でも現実では、魔力があまりに無いと、異質すぎるあまり虐げられない。腫れものとして扱われるどころか待遇は良くなる。


 魔力というものは、いわば全身を保護する鎧の様なもの。赤子でも魔力は少なからずある。


 国民全員(私以外)が魔法によって人々が生活する国で、前代未聞の魔力の無い私。


 どんなに血筋がよく高潔で血を重んじる血族でも、全裸の赤子を攻撃できない。


 というわけで私は、特に虐げられることも冷遇されることも無く、むしろかなり過保護に育てられた。自他ともに手厳しいと評判の兄も姉、弟や妹も、「ここまで魔力無いって何……? 大丈夫なの……?」と手厚く扱ってくれていた。


 しかし、私は十歳の時、自分が魔力の無さゆえ学校に通えないことを知ったのである。


 本来この国では、十二歳になると魔法の使い方を学ぶ為、全寮制の魔法学校に通う。


 でも、魔力が無く魔法が使えない私は、学校に通えない。それに危ない。そこらへんで魔法による事故が起きた時、真っ先に死ぬ。真っ先に死ぬ存在がそばにいる状態で授業を受けるのは、他の生徒に悪影響だ。


 そして就職するとき、魔法学校の卒業が必須となる場合が多い。というかほぼ全部だ。



 私はこのままいけば、一族の面汚しになる。いやもう既になっている。兄弟姉妹は屋敷に友人を連れてこないし、ずっと家にいていいと言う。ようするに私は、何処に出しても恥ずかしい存在だった。


 どうしたらいいか考え、閃いた。


 料理人になればいいのだと。




 料理。


 どんな魔力がある人間も、お腹がすく。朝昼晩毎日三食食べるし、何なら間食だってする。私と同じ。人間の身体は食事をとり栄養を取らなければ生きられないようになっている。ならばその食に関する仕事をすれば、困ることはない。


 それにどんな人間も少なからず魔力を持っているということは、少ない魔力しかない人間もいる。


 むしろ魔法を使わないで生きている人間だっているはずだ。


 街には人がいっぱいいる。街の料理屋でなら、魔力が無くても料理が出来れば働けるかもしれない。


 そう考えた私は、それから料理の勉強を始め、ついでに屋敷を出る準備も開始。十八歳の春、家を出た。


「この家の名に恥じないような存在になりたいと思います。探さないでください」


 と部屋に書置きを残して。




 それから本格的に街の料理屋で下っ端として働きはじめ、私は知ったのだ。


 街ではどんな料理人も魔法を使って料理をすると。


 火をつけるのも、皿を洗うのも何もかも魔法を使う。「私は生まれつき魔力が少なくてへへへ」と誤魔化して雇ってもらい働けたものの、「少なくてへへへ」にも限界がある、


 就労七日目に人の店で働くより自分の店を出した方がいいという結論に至った。


 しかしさすがにすぐ店を出す資金力は無く、二年間血のにじむような嘘と誤魔化しをして働き、土地代不要の移動式屋台と魔法で料理をする演技ものすごくうまいを得た。


 移動式屋台で料理屋を営めば、客引きしながら売ることが出来る。


 持ち歩いて食べられるようにすれば配膳の必要は無い。一人で出来る。色んな町を巡って、様々な料理を知りながら腕も上げられる。


 それに魔力が無いことが知られてもすぐに逃げられる。


 そう思って移動式屋台を営み三か月、私の思惑は崩壊した。忌々しき転移魔法によって。



「もう、終わりだ」


 何度計算し直しても赤字になり、収益がゼロどころかマイナスになる帳簿を前に、頭を抱える。


 お金が無い。ものすごくお金が無い。このままいけば、間違いなく破産する。


「転移魔法さえ、存在しなければ……!」


 帳簿を握りしめて、歯を食いしばる。言葉通りこの破産は、転移魔法が原因だ。


 転移魔法。


 私が最も苦手とするものである。勿論私は使えない。使う人が苦手、というか存在が苦手だ。


 けれど今はもう、嫌いになって来た。憎い。転移魔法が憎い。使ってる人間も憎いし、これを生み出した先人も憎い。故郷の村を気まぐれに焼かれたくらい憎い。


 この魔法は言わずもがな、遠方からの移動が瞬時に出来るというものである。列車や馬車は必要ない。場所を指定して、呪文を言って、飛んでくる。だから離れた恋人と一瞬にして会えるし、病人の元へ医者がすぐに駆けつけることが出来る。


 つまり移動時間を短縮どころか、消すことが出来るのだ。


 その為、「あの屋台今隣町にいるから買いに行けないなー」とか、「今から行っても店じまいして間に合わないなー」ということが存在しない。


 転移魔法により瞬時にかけつけてくるお客様。捌く私は一人であり、そして無能。使えるのは私の身体だけ。


 それにより生みだされる、大行列。


 店が繁盛することはいいのだ。本当に感謝している。


 しかし転移魔法でぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん飛んでくるせいで、どんなに下準備をしようとも、おびただしい行列が出来てしまう。


 魔法を使うには魔力を消費する。転移魔法においてその消費量は距離に比例し、本来はそう何度も転移できない。


 なのに、「チート持ち」だの「外れスキル持ち」のほか、忌々しい前世の記憶持ちや異世界からきた異世界人、お荷物だの役立たずを自称する現地人たちは、何かズルをしているらしく何処に行っても瞬時に店にやってくる。毎日毎日毎日だ。追放されてしまえばいいのに。


 特に異世界人は何でか知らないけれど王族に追われてたり、厄介ごとまで持ってくる。そして厄介なお客様を持ち帰ってくれない。最悪である。


 転移魔法により瞬時にかけつけてくるお客様。捌く私は一人であり、そして無能ということで使えるのは私の身体だけ。


 それにより生みだされる、大行列。


 店が繁盛することはいい。お客様には本当に感謝している。けれど夥しい行列により訪れた町全体に迷惑がかかり、結果的に街や近隣の店から営業妨害をしていると訴えられ、迷惑料などのお金を払ううちに赤字になるのだ。


 売っても売っても終わらない。


 しかし一向に出ない利益。


 増える赤字。


 最早店を開く行為自体が赤字を生む原因だ。食料を提供しているだけの店と同じ。それもありかもしれないが、屋台を維持するのにも食材を買うのにもお金がいる。先立つものはお金、それ以外に無い。


 深刻過ぎる人手不足。間違いなくこのまま誰か雇わなければ、終わる。


「魔力がある人を雇うしかない……」


 人の店で働くことに限界を感じた私が人を雇うなんて本末転倒だが、このままだといずれ借金をすることになり、借金地獄に陥る。


「あ、うちの娘、借金地獄に陥っているんですよね、ははは」なんて家族に言わせる訳にはいかない。


 炎の魔術が得意な人に火力系の仕事をお願いして、水の魔術が得意な人に洗浄の仕事をお願いしよう。


 あと野菜の皮の処理とか、刻んだりできるような人とか、魔法で物を運ぶのが得意な人とかも欲しいから四人くらい雇おう。


 流石に四人くらいいれば、きっと転移魔法があっても大行列にはならないはずだ。それで駄目なら、すごい魔導士の人にお願いして、屋台の周りは転移できない呪いでもかけてもらおう。


 そう考えて町を巡りながら優秀な人材を探すと、普通にさくさく見つかった。欲しかった人材はすぐ全員揃った。


 能力は完璧、性格に大問題のある四人が。







「いやぁ、いい村ですねえ!」


「そうでしょう! ほほほほほ!」


 全力で媚を売った笑顔を目の前を歩くお爺さんに向ける。すると同じようにお爺さんは、媚びへつらった笑顔を私に向けた。


 私は今、ハギという村に来ている。のんびりとした空気感の、嫌な言い方をすればよくある田舎町だ。整備の資金が足りないのか、ところどころ壊れた祠があったりだとか、札が張られた井戸がある程度で、特徴が無い。


 この村に来た理由は、まぁ人を雇うと決めて一番近いところだったから。それだけ。


 私は物語の世界のように、魔王討伐の仲間を探したり、冒険をする仲間を集めに来たわけではない。


 炎魔法が使えて、正気だったらいい。いわば誰でもいいのだ。魔力は個人差があり、他の人たちは魔物を討伐したり冒険するにあたって、「スキル」などという特殊能力を持っているだとか、良く分からない評価で仲間集めをするらしいが、私はもう、私以外の働いてくれる誰かでいい。


 このお爺さんでもいいと誘ったら「一応村長なもので」と断られた。


「旅人様は炎属性の魔法の使い手を探しているのでしょう。お探しの条件にぴったりの者がおります故、是非連れて行ってくだされ……!」


 そう言って私の隣を村長が歩く。接客業としては満点の笑みだ。しかしその笑みに反比例して、村長の足はどんどん村のはずれ、廃れた森へと向かっていく。道も土や砂で固められた道が、岩や枝が転がった獣道へと変わってきた。


 ……村ぐるみで騙されているのでは。


 これ生贄とかにされたりしない?


 不意に思い付いたことが、頭を占めていく。しかし生贄にも魔力は必要だ。というか魔力が必要だから人間を生贄にするのであって、魔力のない私は生贄にすらなれない。


「この村って、なにか古くから伝わる伝説とかってあったりするんですか」

「え」


 村長がわかりやすく冷や汗をかき始めた。


「生贄とか必要な」


 確信を持って訊ねると、村長は何故か安堵した顔をして「いえいえ、そんな物騒なことはございませんよ」と首を横に振る。


「この村に伝わっているのは、世界を作った神の右手が眠っている、という伝説にございます」


 猟奇殺人、死体遺棄では。いや猟奇殺神か。


「それは、どういう」

「神は自分の身体を犠牲にして、この世界を作りました。しかし最後の力を振り絞り、この世界の生命が危機に陥ったとき助けられるよう、自らの右手、左手、右足、左足を切り落とし眠らせたのです」


 自傷行為なのか救済なのか分からない。


「そしてその右手が眠っているとされているのですが──それらしきものもなく……」


 村長はうつむく。村の中に祠や札の貼られた井戸が多かったのは、そういう伝説があるから、かもしれない。


 一度お祭りが開かれるとその土地で便乗商法として祭りの関連商品が増えるみたいなあれだ。観光地にしようとして失敗したのでは。観光の目玉になるであろう右手が無くて。


「それどころか神の眠り後に背くような忌々しい……」

「え」


 村長は先ほどまでの態度が嘘だったかのように、恐ろしい形相に変わった。しかしすぐ、「あっあそこにいる少年は、きっと役に立ってくれますよ」と、遠くを示す。


 村長の指す方向には、いつ倒れてもおかしくない小屋があった。その傍では、煉瓦色の髪をしたやせ細った少年が薪を運んでいる。年は十三……十四歳くらいに見える。


「あそこの少年のお兄さん、とかですか」

「いえ、あの少年ですよ」


 また村長が接客満点の笑みを浮かべる。狂ってんのか。


 というか、普通、余所者に少年を差し出すだろうか? 洗礼か何か? 冗談で言ってる……?


「名をカーネスと申します。天涯孤独の身の上です故、すぐにでも連れて行けますよ」


 村長は高速で揉み手を始める。本気だ。本気で言っている。


 屋敷を出てから子供が労働をしているのを何度か見かけたが、皆親や兄弟、それか馴染みの人間の近くで、「手伝い」として働いていた。


 外へ働きに行かせたり……それこそ行商について行かせることはしなかった。


「えっと……」

「お気に召しませんか? 小さな身体ですが、魔力は、申し分ないと思いますよ」


 さっきから村長は、「はよ連れてけ」と言わんばかりに話をしてくる。


 雇われるのは少年だ。少年が拒否をすれば、もうそれで終わり。私が無理やり連れて行けば立派な「人さらい」だ。村長は一体何をそんなに急かしてくるんだ。強制的な感じを出してくるのやめろ。


「とりあえず話をしてきますね」


 さりげなく、あくまでさりげなく、別れの雰囲気を醸し出しながら村長にそう言うと、村長は渋い顔をしてその場を動こうとしない。


「ここで大丈夫です。ありがとうございます」


 今度は、直接的にそう言うと、村長は渋々と言った様子で踵を返し戻っていった。人材を紹介してくれたことはとてもありがたいけれど、やはり用心に越したことは無い。村長と少年二人がかりで襲ってきたら嫌だ。「お前を薪にしてやろう」と、よそ者の排除と火葬で一緒くたにされたらいやだ。


「こんにちは」


 カーネスという名の少年に近付き、声をかける。雇う気は全くないけど、第一印象が肝心だ。村長は何か怪しいし、少し話をして打ち解けた後、この少年に良さそうな人を紹介してもらえば良い。


「……」


 が、少年は私を見ると、少し考え込むようにして俯いた。無視とは言い難いが、限りなく無視に近い。

「えっと、私の名前は、クロエ。実は、炎の魔法が得意な人を探してて、村の人に聞いたら、君が一番得意だっ……」


「あなたは、騙されていますよ」


 騙されている? 一体それは、どういう意味だ? やっぱり村ぐるみで何かやってる? 生贄にされるんじゃないか? 魔力も無いのに? 木にだって魔力が宿るなかで魔力の無い私が⁉


「どういうこと?」


「……俺は、人間じゃない。……俺は、全てを燃やし尽くす、化け物ですから……」


 尋ねると、少年は右腕を押さえながら、気取り尽くした自嘲的な笑みを浮かべそう言った。


 いかれてら。


 少年の発言を聞いて、全身に鳥肌が走り震えていくのを何とか堪える。


「そういうの村で流行ってるのかな」

「……は?」


 少年は怪訝な目で私を見た。


 は? って何?


 私、年上……。


「私よそから来たから、村の流行りで一芸披露されてもついていけないかな」

「……っ本当です! 俺は全て燃やしてしまうんです!」


  痛い。なんていう痛さだろうか。あの村長に完全に騙された。何がぴったりだ。完全な病人じゃないか。ふざけられてる。


 全てを燃やし尽くすとか、本当に、痛々しい。もしそれが本当なら、国で隔離されるはずだ。こんな村のはずれでのうのうと木の枝を拾ったりしない。


 というか持っている木の枝だって燃えているはずだ。松明みたいになっていなければおかしい。本人だって燃えてるはずだ。


 だって前に見た炎の魔物がそんな感じだった。


 屋台が燃やされると大慌てだったけど、週に二回転移魔法でやってくる希死念慮の激しい盾おじさんが助けてくれた。


 盾おじさん──盾おじは盾しか使えないからパーティーを追放されたらしく、「支援職は生きてる価値が無い」と嘆いていたけど、うちの店にやってくるのは皆そんな感じだった。「回復を専門にしてたらギルドから外された」とか。


 生きてる価値のあるなしで考えてたら、人生は辛くなる。そもそも世界に必要な存在なんて無いんじゃないかと話をして、たいてい落ち着く。魔力が無いという最下層の私を見て元気が出ているんだと思う。


 ということで、何度か炎特化型の魔物を見たけど、目の前の少年は燃えてないしその周りにある木々も普通にある。


 本当に全部燃やす人間だったら、こんな燃えやすいものの周りで生活なんてしない。もう今頃山火事になっているだろう。右腕押さえて、「燃やし尽してしまうのです……!」とか言ってる場合じゃない。火山の奥深くで暮らしているはずだ。


 引き攣りそうになる笑みをなるべく自然に見えるよう、顔面の筋肉を全力で稼働させる。頑張れ私の筋肉。


「でさ、知り合いに……」

「俺に近付かないでください! 燃えます!」


 近付こうとすると、少年は腕を押さえ、震えるように言い放つ。


「おっと……?」


 まだ続けるの? その茶番。私としては、そろそろ本題に入りたい。けれど少年はとうとう腕を本格的に震わせ始めた。


「俺は化け物……なんです、帰ってください……!」


 訴えるような少年の声に、鳥たちが驚いたのかばさばさと周囲の木から飛び去っていく。


「本当に化け物ならあの鳥は今頃焼き鳥になってるはずだけど」

「え」

「っていうか……触っていい? 触っていいか聞くのも嫌なんだけど、証明するから」

「だ、駄目です、も、燃えますよ? 俺は触れたもの全てを燃やすんですから……!」

「燃えてないじゃん、それ」


 少年の持つ枝を指差す。痛々しい少年に現実を見せる行為だけど、そろそろ面倒になってきた。可哀想だけど、もういいや。


「それにほら、普通に触って平気じゃん。体温も普通。っていうかちょっと冷たい? ほら燃えてないし、元気元気」


 私は少年の腕に適当に触った後、その手の平を見せる。普通に燃えてない。っていうか燃える訳がない。ごっこ遊びも大概にしてほしい。ちょっとくらいなら付き合ってもいいけど、ずっと引っ張られんのはしんどい。


「俺に、触れて……あぁ、ああああああ」


 少年は余程嫌だったのか、呆然とした目をしながら、じっと私を見ている。汚いものに触れた……なんてものじゃない。完全に絶望している瞳だ。大人げなかったかもしれない。ちょっと罪悪感が出て来た。


「ごめん」

「……」

 

 少年は私が触れた腕をじっと見ている。私は申し訳なさに「なんか、お詫びしようか」と声をかけた。


「え」

「薪運びとか……あ、えーっと、夕食まだだよね? テントはった後、夕食作ろうと思うんだけど、た、食べる? 私一応料理人でね、美味しいとは思うけど」

「……俺と食べる、ですか?」


 少年が反応した。どうやら料理に興味はあるらしい。


「うんうん、普段はお金取るけど、今回はね、特別ってことで、御馳走作ってあげるよ、ははは」


 少しずつ、目を輝かせ始める少年。良かった。食事に釣られてくれて。今日は村を来る前に商人から買った野菜と魚がある。豪勢なものを作って、心に傷を与えたことを忘れてもらおう。


 むしろそれしかない。村を出てから変に色々言われたら普通に嫌だし。この少年の痛い感じだと、俯いて震えながら、「あの、女に、心の、傷を与えられた……」「一生……消えない。俺は……」「触れられて……」とか強姦魔に襲われたみたいな感じに言って村人に誤解されたらきつい。いや、間違いなくそうなる。だってこの少年の震えた感じとか、長年拷問を受けた人みたいだし。被害者感がものすごい。全身から負の雰囲気が漂っている。それに実際、一方的に触ってしまったわけだし。





------

「出来た出来た。ほら、沢山食べていいから」


 そう言って、今日突然現れた人間は、俺の家で、机に料理を並べてくる。


 女の人はクロエというらしい、俺の家のすぐ近くにテントを張った後、火を起こして、料理を手早く作り、俺の家の机にせっせと料理を運んでくれた。


「好きなだけ食べていいから」


「おかわりもあるから!」


 そう言って、俺の向かいに座り、人間は笑う。


 机に置かれた料理たちを見ると、野菜を炒めたもの、煮込んだ汁。魚を焼いたものが並んでいた。どれも手が込んでいて、美味しそうだと思う。


 こんな風に、料理を作ってもらうのは初めてだ。


 俺は生まれつき、魔力の濃度が獣に近かった。


 両親は、俺を部屋から絶対に出さず、病弱で、足も悪い子供として村には説明していたらしい。少しでも魔力の濃度が薄くなるように、身体が弱くなるようにと、食事は十日に一度で、透明な何かが浮いている汁だった。


 でも俺の魔力濃度は日々増していった。両親の俺を見る目が、蔑みから恐怖に変わった頃、とうとう俺の魔力濃度は、両親の魔法では誤魔化しきれなくなった。


 そして、そのことが村の人間に広く知れ渡るようになると、俺は早々に村のはずれに隔離された。


 両親は、俺を「化け物」と罵り去って行った。


 店へ行っても、何も売ってもらえない。買ってももらえない。だから村の外で狩りをして生活した。そこで魔物と遭遇している人を見つけ、助けたこともあったけど俺の魔法を見て「化け物」と恐れ去って行く。それに、高い魔力を持つ人間は俺を見るだけで恐怖し、逃げたり攻撃してきたりする。


 だから村の外に出ることはしなかった。ここを出てもっと酷い暮らしになるかもしれない。


 それなら今の酷さで我慢しているほうがいいから。



------

「へ、へえ……」


 目の前に座る少年……カーネスから聞いた話は、いかれてる話だった。


 ずっと並べた料理見てるだけで、食べもしないで死にそうな顔をしたと思ったら、唐突に自分語りが始まって、「いくら何でも唐突すぎないか、そんなに仲良よくなってない」と正気を疑ったけど、中々にとんでもない内容だ。何か申し訳ない。


 でも、まだ会って間もない、それこそ会って二時間くらいしか経ってない人間にするほど、追い詰められているのかもしれない。


 だって村ぐるみで子供相手にそんなことをしているのだから。衛兵が出入りする街でそんなことをすれば一発で捕まる。しかし整備が行き届いていないのと同じく、法律も行き届いていないのだろう。


「あの、良ければだけど、この村出て……一緒に働かない? 何かこの村変だよ、子供相手にさぁ……そういうのするの、異常だし?」


 村の少年への当たりは、普通にどうかしてる。教育上良くないと思う。少年の感じを見るに、変に患って取り返しつかないところに行きそうだ。少年を連れ出し働かせるのは気が引けるけど、こんな村より移動式屋台でふらふらしている方が健全だ。


 それに少年は、私と違って魔力がある。魔獣に近いとか言ってたけど、どこからが本当かなんてわからない。っていうか実際そうだったら、それとなく王都から使者が魔王討伐とかで駆り出されて色々働かせられてるだろうし。


「俺は貴女を燃やしてしまうかもしれませんよ」

「なんで? 人間燃やすの趣味なの?」

「いや……もしそうなったら……と」

「そしたら燃やされるようなこと私がしたってことじゃない? その時はその時でしょ」


 食堂で働いてる時、鉄鍋で頭かち割ったるからなと思う客がいた。「お前夜道気をつけろよ、絶対やってやっからな、客は神じゃないから頭勝ち割られたら死ぬんだぞ」と思った。心の中で七万回くらい言った。


 でも、あっちは魔法が使える。そんなことをしたら秒で反撃されるからしなかったけど、魔法が使えてたら塩ぶっかけるくらいはしてたと思う。いや、やっぱり鉄鍋で殴ってるな。


「いいんですか? あなたについていっても」

「あーいいよいいよ」

「ずっと?」

「ずっといな」


 どうせそのうち反抗期とか来て、「こんな屋台の積み荷なんて引いてらんねえよ! クソババア! 俺はでっかくなって帰ってくるんだよぉ! じゃあな!」とか言って出ていくだろう。


 食堂で働いてる時、二軒先の八百屋の息子であるトム君十七歳がそんな感じのことを言って町を出ていった。


 その一年後子供とお嫁さんを連れて家に帰って来て、八百屋の店主に張り倒されてぼっこぼこにされて向かいの魚屋に突っ込んで乱闘になった。


 あれはまさしく地獄の修羅場だった。


「いいんですか……?」


 懐かしんでいると、彼は食い入るように私を見る。


「うん、いいよ。流石にそんな話聞いて、食事終わったね! じゃあね! は出来ないし。好きなだけ付いて来ればいいよ。ほら冷めるから。はよ食べてはよ」


 カーネスを急かすと、彼は泣きそうな顔をしながら、スプーンを手に取った。一応、私が働いていた食堂は、人気の店だった。そこで学んだから、味には自信がある。従業員さえなんとかなれば、黒字化できるはずなのだ。


 それか転移魔法が違法化され、使用者全員死刑になるとか。




 結局なんやかんやで一夜明け、カーネスと共に村を出た。


 村長たちは出立を盛大に祝ってくれたけど、何故かカーネスに対しての別れの言葉は無く、「はよ行け」と言わんばかりだった。「はよ行け」が節々に現れてた。別れぐらいちゃんとしてやれよと思ったけど、カーネスは無関心だった、むしろ移動式屋台に興味を示していた。


「そういえばカーネスってさ、火力どれくらいまで強いの出せるの?」


 カーネスと一緒に屋台を引きながら、けもの道を歩いていく。本当は普通の道を進みたいけど、大通りは冒険者でごった返している。


 冒険者たちは良く分かんない剣とか弓とかを持っていて、装備もごたごたしているから道幅を占領しがちだ。それに「ダンジョン」とかいう魔物がいっぱい出てくるところから得た戦利品を運んでいたりするから、どうにもならない。


「火力」


 カーネスは私の質問に顔色を青くした。


「火力だよ火力。五か所同時に小さい火柱あげるとかって出来る?」

「それ、は……」


 しどろもどろなカーネス。この感じには覚えがある。私が食堂で頼みごとをされ、魔法が使えないのがバレないよう誤魔化す時と多分同じ顔だ。こういう顔してたんだな、私。バレバレだったんだ。店長ありがとう。こんな無能を働かせてくれて。感動して死にそう。お金溜まったらお詫びに行こう。


「じゃあとりあえず、作った料理をお客さんに渡すところとか、そういうのからぼちぼち始めようか」

「は、はい」


 カーネスがほっとした顔に戻った。


 何だろ、魔法使えるのは制限があるとか、使えない事情があるのだろうか。


 魔力が結構あったり、「鑑定」とかいう「スキル?」がある人は、「ステータス」とかいう相手の能力値を数値化されたものが見られるらしい。私は見られないから想像だけど、身長と体重が可視化されている世界、なのだろうか。


 その数値を見えないようにする魔法とか、偽装する魔法もあるらしい。強さを求められる試験の時、偽装したりして試験に合格する人もいるらしく、魔力が高いだけで数値を見ようとすると騙されやすいけど、「鑑定」とかいう「スキル?」を持った人は、騙されづらいらしい。そして「鑑定」スキルは全員が全員もってるわけではなく、生まれつきあるものだから希少で、住み分け出来てると聞いた。


「まぁ、次の街行ったらさ、カーネスのもの色々揃えていくから。その時の買い物の様子? 見て、接客の参考にしてよ」


 一緒に行くことに同意したカーネスが持ってきた荷物は、めちゃくちゃに少なかった。カーネスが「これが荷物です」と差し出して来たのは着替えくらいで、囚人のほうがもっと荷物持ってそうだった。


「寝袋もね、買うから」

「寝袋? 俺はそんなもの必要ありません。勿体ないです」

「なんで」

「地面で寝ます」

「論外でーす。議論の余地なしでーす。一番いい寝袋買ってやっからな」


 相当村で酷い扱いを受けたのだろう。


 前に店に来てた令嬢がそんな感じだった。彼女は家で虐げられ婚約破棄をされ、一時的に店に滞在していた。


 令嬢をずっと前から好きだったらしいふわっとした男が迎えに来て、新たな生活を始めていったけど、出会った当初は私が何かするたびに「勿体ないですわ……」「私なんて……」と卑下を始めるから、物量で潰した。


 そんな彼女は定期的に「何考えてるの」と思うようなローブを羽織り、ふわっとした男と一緒に三十人くらいの護衛に囲まれてやってくる。定期的に会えるのは嬉しいけど、道路規制が同時に起きる為、赤字の原因の一端だ。


 そういえば、一年後結婚式を開くらしい。なんで一年後か聞いたら、色々式典とか祝いの関係でそうなったと聞いた。魔法が使える人たちの常識は正直良く分からないし、私の家は普通じゃないからより一層、世俗のことは分からない。


「命だけは! どうか命だけはお願いします!」


 ぼんやりしていると、命乞いが聴こえてきた。


 屈強で見るからに悪そうな賊の集団が真面目そうな青年一人に跪いていた。


 なんか、反社会的な組織の内輪揉めな気がする。前にお客さんから「本当に危険な存在は危険に見えない」と聞いたことがあるし、とりあえず、関わるのはよそう。


 私はそっとその場を離れようと試みる。


 こういうのは様子を窺って、何か音を立てて、こちらが盗み見ていたのがバレて絡まれるやつだ。そういうのは何度も見た。盗み見をして絡まれている人を盗み見していたから良く知ってる。


「カーネス、そっと行くよ」

「いいんですか? ほっといて」

「うん、私たちが飛び込んでも出来ることは無いし。捕まるだけだから。それに言い忘れてたけど私魔法使えないし。人を呼ぼう。このあたり、騎士団の訓練所があるから」


 魔法士は、国に仕え魔法で人々のために働く人たちの総称でもある。たとえば土砂崩れが起きた時、それらから人々を魔法で助けたり、怪我をしたりした人を治療するのが魔法士たちだ。


 一方騎士団は、戦い特化型。魔物が出た時討伐をしたり、人々が魔法を使って争い始めた時に仲裁をする武闘派集団である。


 そしてこのあたりを管轄にしているのは、王家直属の騎士団であり、簡単に言えばめちゃくちゃ強い。以前、西の騎士団に所属している騎士たちから、「直属騎士団は化け物集団」と聞いたことがある。


 西の騎士団の団員たちは作っても作っても料理を平らげ、なおかつ転移魔法により集団でご来店なさる大荒くれ化け物集団だったため、「化け物が化け物って言ってら」と思っていたけど、人生の伏線だったのかもしれない。


 私は心の中で西の騎士団たちに感謝しながら道を変えて進む。こういう時、落ちてる木の枝で気付かれてる人もいた。入念に足元に気を付けていると、突然頭上でガサガサと音がする。


「……?」


 上を見上げると、鳥が一心不乱に木の実を取ろうとしていた。急いで賊と青年の方を見れば、皆は同じように鳥を見た後、視線をこちらに落とす。


 あの鳥後で美味しく頂いてやるからな。


「ああ、騎士団を助けに来たのですか? 随分と頼りなさそうですが」


 にたりと笑った青年が、賊から視線をこちらに移した。


「騎士団?」

「原型を留めながら苦しめたつもりですが、分かりませんか? この国の騎士団たちですよ」


 そう言って青年が賊を指す。いや嘘だろ、と即答しそうになった。騎士団は甲冑を着ているものだし、剣を装備している。目の前の賊たちは手ぶらだ。満身創痍で今にも死にそうになっている。


「そんな……」


 馬鹿な話があるか。嘘ならもっとましな嘘をつけ。


 言いたくなったけどやめた。初対面だから。


「信じられないでしょうが、しょせん人間です。弱く、脆い」


 やっぱり言ってよかったかもしれない。痛い奴だ。カーネスの反面教師になりうる存在ではないか。そう思ってカーネスを見ると、彼は眉間にしわを寄せていた。


「しかし、不思議ですねあなたがた……僕相手にステータスの偽装が出来るとは」


 青年は私に不敵に微笑んでくるけど、致命的に間違っている。


 私は。偽装なんてしてない。


 そもそもない。魔力が。それこそ信じられないかもしれないけど、私はステータスなる個人情報強制開示を受けたとしても、何も表示されないのだ。


 私の家族全員、私の魔力は全部0、スキルも無いと言っていた。


 軽くステータスを盛る、逆に減らして相手を油断させるという偽装や、「本当の姿を見せるのは身内だけ」という個人情報保護による魔力偽装がはびこる中で、私の「全部ゼロ」というステータス表示は、馬鹿の偽装だった。


 つまり私は、馬鹿の看板をぶら下げて生きている。


 それでも頑張って生きている状態だが、馬鹿に慣れてない恵まれた環境を持っていたり、鑑定やステータスを見る魔法に特化している人々から、「まさか自分の魔法が通用しない⁉」という過大評価を受け、特級大迷惑に巻き込まれやすい。


「逃げろ! 殺されるぞ! この男は阻害魔法の使い手だ! 辺り一帯魔法が使えない!」


 賊たちが叫ぶ。


 阻害魔法。


 文字通り魔法を使えなくする魔法で、役所など魔法で襲撃されたりすると困る場所にかけられていることが多い。


 私はそもそも魔法が使えないが、魔法が使える人間からしたら全裸赤子状態になることは辛いのだろう。賊が切迫した表情で私たちに訴えてくる。


 私は元々全裸赤子状態だけど、カーネスは魔力のある子供だ。この状況は怖いと思う。


 そして賊にも子供は守ったほうがいいと言う良心があるように、私も一応、子供は守りたい良心がある。魔力は持ってないけど。


 ここはカーネスだけでも逃がそう。こういう時、逃げてと言うのは悪手だ。


「カーネス、助けを呼んできて……」


 カーネスの方を向くと、彼は凪いだ瞳で右手を青年に向ける。


 すると一瞬にして、青年の周りで轟音が響き火柱が次々と燃え上がった。


 料理どころか攻撃の火力じゃない。


 これはあれだ。祭りとかで賑やかしのために披露する感じの、「そう見えてるだけで実際燃えてるわけじゃないよ」という、見てくれ魔法。本物の火柱ならば絶対に死んでいる威力の火柱に包まれ、青年は声を荒げた。


「ありえない! ありえない! ありえない! 周囲一帯魔法など扱えぬはずなのに!」


 見てくれ魔法でも、怖いらしい。そして周囲一帯、魔法が使えない阻害魔法。素晴らしい魔法だ。世界を救う魔法だ。編み出した人間には幸せになってほしいし、ぜひとも転移魔法を封じてほしい。


 でもカーネスが見てくれ魔法を使っている以上、阻害魔法の威力はそうでもないのだろう。常連客たちには通用しないはずだ。悲しい。


「この程度の魔法でどうにかなると思える人生で羨ましい」


 カーネスは死んだような目で青年を見ている。


「……っ! 来たれ不死鳥‼」


 火柱から逃れた青年は、天に手をかざした。すると晴れていた空が黒く覆われ、赤い雷が轟く。


 見てくれ魔法だ。痛い青年がカーネスに見てくれ魔法で対抗してきた。


 雷が落ちた先から、黒い瘴気と共におどろおどろしい鳥の魔物が現れた。祭りで使えない、「殺される」と子供どころか近隣住民から文句が出る外見の鳥の魔物だ。


 祭司から怒られるし、たいてい祭司はその地の地主だったりするから、こんなもの出した日には村八分にされる。


「な、なんだこの魔物は……!」


 そして賊たちは純情なのかきちんと恐怖していた。世界の終わりのような表情だ。神話とか陰謀論とか信じる性質の賊なのかもしれない。


「くだらない」


 でもカーネスは怖いものに耐性があるのか、鳥の魔物に手をかざした。すぐさま獣は爆炎に包まれ、塵に変わる。見てくれ魔法だから実体はない。本当に魔物を召喚していたら、焼き鳥になっていただろうに。


「嘘だろ……俺の魔獣が、一瞬で……? うわっ」


 青年がまた火柱に包まれた。カーネスを見ると、淡々とした表情で右手を青年にかざしていた。


「どうしますか、これ」


 そして、カーネスが私に聞いてくる。見てくれ魔法の炙り焼きとはいえ、青年は怖がっているし苦しんでいるから、可哀そうだ。


「え、あ、とりあえず、昏倒させる感じは出来る?」

「……分かりました」


 カーネスが右手を一度振ると、炎が弾け小さな爆発が起き、火柱に包まれた青年はふっと意識を失い倒れた。


「終わりました」

「お疲れ様です」


 あんなに激しい見てくれ魔法を見たのは初めてだ。炎系の魔法も相当なものだろう。もしかしたら炒め料理と煮込み料理、蒸し料理も同時に出来るかもしれない。確信していると、魔法士団が転移魔法で現れ始めた。良かった。これで賊たちは治療を受けることが出来るだろう。


「カーネス、行こう」

「いいんですか?」

「うん、あんまり魔法士団とか、会いたくないから」


 私は、魔法が使えないのに「へへへ」で誤魔化し就労していた。いわば、やましいことがある。さっきは賊たちのことがあったから騎士団を頼ろうとしたけど、誰も困ってない現在、関わりたくない。さらにいえば兄弟姉妹がいるかもしれない。転移魔法でおしまいクソ帳簿を抱えている今、合わせる顔が無い。


 私はカーネスと共に、こっそりその場を後にした。




 あれから、せっせと徒歩でその場を離れ、川辺に辿り着いた私たちは休憩することにした。


「ありがとね、カーネス」

「え」


 改めてお礼を言うと、彼は視線を落とす。


「いえ……驚かせてしまって申し訳ございません」

「なんで謝るの? 助けてくれたのに」

「助け……たうちに、入るんですかね……」


 そういって、カーネスはどんどん悲壮的な雰囲気を纏う。


 彼の変化に、嫌な予感がした。これは完全に「あれ」だ。


「もしかして、魔法使うと、体力削られたりするの? 命削ってる感じ?」

「え……?」


 魔力の量は一人一人違う。薬、料理、睡眠、魔法で回復できるらしいけど、そういったもので回復せず自分の寿命を削って使う魔法もあるらしい。


「魔法使うと死ぬとかじゃないよね? なんかこう、そうじゃなくても、ものすごく代償があるとか…?」


 カーネスは魔法を使う時、酷い表情をしていた。いわばこの世の終わりみたいな顔だ。よほどの覚悟を持って魔法を使ったように思う。絶対、命に関わる感じだ。


「いや、しませんが……」


 カーネスは私を信じられないといった顔で見てきた。


「じゃあ、なんで死にそうな顔したの? 命に関わるからじゃないの?」

「いや……全く、魔法は無尽蔵に出せますよ。ああいう、魔物を焼くことも出来ますし、村一帯、出来ます……顔は……そういう顔だから、としか」

「なんだぁ……てっきり命に関わるかと思った……やめてよ、紛らわしいなぁ……でも、ありがとう、助かりました」


 一瞬、カーネスの寿命を縮めてしまったのではと怖かった。少年の寿命を縮めるなんてあってはならない。


「あー良かった。カーネスが命削る感じじゃなくて」

「え」

「え?」


 何が「え?」なんだ。というかさっきからカーネスはどうして私を異物を見るようにするんだ。魔力が無いからか。差別だ。差別されてる。


「なに、その異物を見るような目。無意識かもしれないけど見られてるほうは滅茶苦茶わかるよ」

「あ、ご、ごめんなさい」


 カーネスはすぐに謝罪してきた。悪意はなかったらしい。


「で、なに?」


 どうして魔力が無いとか、そんな感じの質問だろうか。「元から‼」以外に返事が無いから困る。


 いっそ「小さい頃に魔力を吸われて……」とか「自分の魔力を犠牲に大業を成し遂げ……」みたいに嘘でもつきたいけれど、経歴詐称になるから言えない。さんざん料理屋で「魔法使えないのに魔法使える詐欺」で働いてきたし。


「変に思わないんですか?」

「何が?」

「あの力を……」

「あの力?」

「俺の魔法です」

「何で? 便利な力じゃん。暖も取れるし、炒め物、煮物、蒸し物、色々出来るじゃん。最高の力でしょ。変なとこないじゃん」

「……」


 聞いといて、答えているのに返事をしないカーネス。それどころか俯き始めた。望む答えじゃ無かったとしても、返事をするのは礼儀だろう。


「何か返事しなよ。人に質問しておいて返事しないのは……」

「……っ。……っ」


 とん、と小突くと、カーネスは声も上げずに泣き始める。言い方がきつすぎた。というかさっきの差別で注意したから、二重注意になって精神的負荷をかけすぎた。


「え、ご、ごめん、本当ごめん。カーネスをいじめたいわけじゃなくて、えっと、どうしようか、何か食べる? 何か美味しいもの食べる?」


 ぼろぼろと大粒の涙を流すカーネス。どうしていいか分からなくて、とりあえず私はずっと背中をさすり続けた。



 カーネスが泣いた後、彼に料理を作り許しを乞い、「気にしてないですよ」と大人な対応を受けた。


 それから二十日が経過し、カーネスがおかしくなった。


 夜、テントを張り、寝袋の中、瞳を閉じようとすると、うなじに吐息がかかる。


「何か距離近くない?」

「そうですか?」


 思い切って振り返ると、鼻先が触れ合うほどの位置にカーネスが居た。それどころじゃない。振り返る途中で、足ががっつりぶつかった。こいつ人の寝袋に入ってる。


「いや何で平気で人の寝袋に潜り込んでくんの?」

「え?」

「えじゃなくない? 寝袋買ったじゃん? 見えてない? っていうかこんな近くにいなきゃいけないほどテントも狭くないよ?」


 カーネスを泣かせたあと、大きめの街に向かいカーネスの身なりに関するものと寝袋を買った。正直赤字に赤字を重ねる結果だけど、火力係が増えたのだし、大丈夫だと思って大きめのテントも買った。


 だから別に密着しなくてもいいし、寝袋に潜り込む必要などないのに、カーネスは密着してくるし寝袋に潜り込んでくる。夜泣きしちゃうとか、寂しくてっていう歳じゃないし、普通に邪魔だ。カーネスが泣いてしばらくしてから、途端にこういうことが増えた気がする。


「でも、近くないと守れなくないですか? 分からせられません? 寝取りとか業者ものとか、店の評判がどうなってもいいのかとか、脅されたとき怖くないですか」


 悪びれもせずに、カーネスはそう言い放つ。


 分からせ、寝取り、業者もの。全部意味が分からない。彼がこうして訳の分からないことを言い出したのは、カーネスの身の回りのものを街で購入した日から始まった。


 何かを買う時、カーネスは「申し訳ない」「俺なんか」とうるさかった。


 うるさかったので、図書館で待っているよう伝えていたら、そこで変な本を読んでしまった。


 今までカーネスは村おこしで、閉鎖的な、特殊な環境の中にいた。乾燥しきった土と一緒。水でさえあれば、どんな水ですら吸収してしまう。それと同じように、読んだ本を常識として吸収してしまったのだろう。


「だから、それはそういう本の世界だけなの。ここは現実! 自分の寝袋と現実にお戻り」

「ぐぅ……」

「ねえ、起きてカーネス、人の寝袋で眠るんじゃない!」

「うるさいです、早く寝てください……」

「おおおおおまえ!」


 すうすうと寝息を立て始めるカーネス。本当に何なの? 村でごっこ遊びしてた反動か何かだろうか。思い返せば俯くことも無ければ、「モヤシテシマウンデス……」みたいなことも言わなくなった。


 カーネスが読んだ本と、カーネスの村、どちらが教育に悪いんだろう……。


 どちらも悪い。


 私はそう結論付け、寝に入る。流石にカーネスを放り投げて寝袋に入れて眠るのも面倒臭い。カーネスをそのままにして、そのまま目を閉じた。



-------


 すっかり眠りに落ちてしまったクロエをじっと見つめる。


 クロエが一緒に行こうと言ってくれた時、嬉しかった。


 でも、俺の力を見たら離れていくと思っていた。


 だって、両親も村人も、皆俺を化け物だと言って、避け、忌み嫌っていたのだから。


 でもクロエは、俺が炎を操るところを見ても気味悪がらない。俺の魔法を見て、「命を削っているのでは」と心配してくれた。


 俺なんか死んだほうがいい化け物なのに。


 最近では俺の炎を頼りにして、積極的に使おうとしてくれる。俺の隣に立ち、俺に働き方を教えて、一緒に働かせてくれる。


 俺の傍に、いてくれる。


 そんな人間は、初めてだった。俺の事を、化け物扱いしない。それどころか、一緒に食事をしようとしてくれたのも、初めてだった。


 触れられるのは、嬉しいこと。


 傍に人がいるのは、温かいこと。


 食事をともにすることで、心が満たされること。


 一緒に歩くだけで、幸せだということ。


 全部、クロエが教えてくれた。


 だから俺も何かクロエに返したくて、彼女と一緒に街へ行ったとき、図書館に行った。そこで読んだ本によると、女は放っておくと「寝取られる」らしい。


 治療と称して薬を飲ませて襲い掛かる医者。物を盗んだと言いがかりをつけ好き勝手する店員。酒場で酔わせ持ち帰り集団で襲う破落戸。


 世の中は、危険でいっぱいだ。村が世界のすべてだった俺には、知らないことが沢山ある。


 たくさん世界のことを知って、クロエに恩返しがしたい。


 あわよくば、本にあったこともしたい。


 クロエの寝顔を瞼に焼き付けるべく眺めていると、空気の揺れる感覚がした。誰かがテントに近付いてきている。


 そっと寝袋から抜け、テントから出て少し歩く。


「何か御用ですか」


 声をかけると、クロエに魔法を見せるきっかけになった集団を統率しているらしい男が、物陰から姿を現した。


「……夜分遅くに、奇襲同然のように参じたこと、お詫び申し上げる。私はユグランティス王家直属騎士団241代団長セフィム・ドラゴニール。此度の救援の感謝を伝えたく……」

「あなただけで?」


 この男は魔獣遣いの化け物にやられている集団の中で最も魔力を持っていた。だから、長だと思っていた。予想通りだ。そして周囲に人間の魔力を感じない。


「……俺が何をするか分からないから、一人で来たんですよね」


 騎士団長はずっと俺を警戒している。少しでも変な動きを見せれば、攻撃しようとしている。すぐわかる。皆そうだから。俺が少しでも手を動かそうとしたりしただけで攻撃し殺そうとしてきた。


「……君が倒したのは、魔王軍幹部の魔獣遣いだ。騎士団全員……そして私ですら、傷一つつけられなかった」

「はい」


 クロエは「賊」と言っていたが、騎士団だったらしい。ぼろぼろで賊のような見目だったから、誤解するのも無理はない。王家直属なのにあそこまでやられていたのか。騎士団なんかあてにならない。


「君は何者なんだ」

「分かりませんよ。そんなこと」


 ずっと、どうして自分がこんな状態なのか、疑問だった。誰か教えてほしかった。理由が分かったら、どうして自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか分かって、まだ、我慢できただろうから。


 でも、もう理由なんていらない。それより大切なものを見つけた。


「答えたくない……ということか?」


 黙っていると騎士団長が勝手な結論を出す。


「いえ、俺も……ずっと……知りたいと思ってるので」

「なら……一度、一緒に来てくれないか。君の魔力は……桁違いだ。人間の保有できる魔力の限度を大きく超え……」

「嫌です」


 俺は即答した。


「研究するような扱いは絶対にしない‼ 力を貸してほしいんだ‼ 今代の魔王軍は手ごわく、魔王は最も力を持つとされている。このままだと国が……世界が危ない‼」

「だから?」

「えっ……」

「国や世界が、俺に何をしてくれた?」


 騎士団長が目を丸くした。すべて面倒で、俺はその足元に火を放つ。


「早くここから立ち去れ。そうすれば命は助けてやる」

「ど、どうしてこんなことを」

「不愉快だから」


 このままだと、クロエが起きてしまう。


 男に手をかざして、その腕輪とやらを燃やしてやる。それと同時に逃げられないよう、周りに火柱を起こす。男は驚き、恐れ、叫びだした。水魔法だのなんだのを必死にかけ、炎に抗おうとするが、そんなもの、一切効かない。


「ばっ、化け物! 化け物!」

「知ってるよ」


 男に再度手をかざして、今度は燃やし尽くす。すると以前の獣のように、一瞬にして黒い塵となり消え去った。


 化け物。


 自分が化け物だなんて、痛いくらいに知ってる。無限に出せる炎がおかしいことだって、閉じた村にいても分かる。俺が、魔力が欠片も無いクロエの傍にいることが、クロエを危なくすることも。



「なにお腹痛いの? 死にそうな顔してるけど、冷えた?」

 振り返ると、半分目が閉じかかっているクロエが立っていた。

「店長……」

「お腹痛いの? 薬いる?」

「違います」

「じゃあ寝てる間に徘徊する癖?」

「いいえ」

「なら寝るよ、明日も早いんだから。こんなに身体冷えちゃってんじゃん。びっくりしたわ隣見たらいないし、寝相で蹴り飛ばしたのかと思ったわ」


 べた、と俺の腕に触れ、そのまま掴むと、ぐいぐいと引っ張っていく。そんなクロエが、おかしくて、温かくて、俺はされるがまま、腕を引かれていた。


--------




 カーネスが働き始めてから、仕事が随分楽になった。


 カーネスは物覚えが抜群に速く、計算も出来て、料理の名前を覚えるのも早かった。


 最初は「野菜の汁」「魚焼いた奴」「葉と肉の卵ぐちゃぐちゃ」などと美味しさが半減どころか抜き取る料理の呼び方をしていたのに、ちゃんと「スープ」「ソテー」「キッシュ」と今ではしっかり覚えている。


 調理の火力調整も完璧にやってのける。一瞬私いらないのでは、とも思ったけど、味付けが壊滅的に下手だった。ちょっと安心した。


 でも、転移魔法が食い止められた訳じゃない。転生者などという異界のバカ共が、「ふぇんりる」だとか「セイジュウ」とかいう訳の分からない目付きの悪い大きい犬を連れてきて、その犬に馬鹿みたいに食べさせる為、行列は出来てしまうし、それを捌くのは大変だ。


 それに、料理には洗い物がつきものだ。


 カーネスは加熱殺菌は出来るけど洗浄ができない。洗う人間がいないのはやっぱり困る。


 ここは水魔法がいい感じに使えて、意思疎通が可能で、距離感が死んでない、性格に難の無い人間を雇いたい。


「今日は仕事が終わったら街で水魔法に特化した人を探しに行きます」


 数少ない休憩時間にカーネスにそう伝えると、カーネスは静かに私を睨みつけた。店長に向かってなんとも反抗的な態度である。


「俺がいらないってことですか?」


 どんな理論?


「水魔法に特化した人だよ。カーネス火力係、炎魔法の人じゃん。一言も言ってないからねカーネスがいらないなんて。必要な人材だからねカーネスは。水場の係が欲しいって話」

「そうですかあ……へへ」


 やや嬉しそうなカーネス。距離感もだけど情緒もおかしい。今だって私の右肩をえぐるように隣に座ってくる。


「近い」

「近くはないですよ」


 哲学? それとも変な薬でもやってんの?


 言い返したくなるけどこういう時のカーネスはもう手に負えないので、私は話を進める。


「水魔法に特化した人を連れて来て、洗い物お願いしたり、食材冷やしてもらったりしたいんだよ。川の水汲みから解放されたくない?」

「それは……そうですね。川辺で水汲みしてるとき……お姉さーん俺たちが手伝おうか? みたいな展開になって、報酬もなく水汲みしてもらえるなんて都合のいいこと考えてねえよな、そんな……お金なんて……払えるものあるじゃん、ほら……水を弾きそうな眩い店長の太腿に這う骨ばった手、決して豊かとは言えないお淑やかな胸が無遠慮にまさぐられていくなか俺は街で呑気に買い物をしていて──忘れ物をした俺は店長に魔法で連絡を取るわけですが、どうも店長の声が断続的にしか聞こえず、店長大丈夫ですか、か、カーネスッ何でもないの、なんでもないわけないだろみたいな感じで……」

「おい」


 全部が最悪だ。何もかも。少年を追い詰めこんな風にしたハギの村の責任は重い。


 私は呆れながらカーネスに妥協案を提示した。


「じゃあ、カーネスもどんな人か条件出していいよ。一緒に働く訳だし」

「幼女!」

「こっわ」


 即答だった。幼児性愛者だ。殺したほうがいい奴の速度だった。


 欲望に忠実な発言だ。完全に引いていると、カーネスは心外そうな顔で見てきた。


「なにが怖いんですか。あなたと寝泊まりするんですよ! 駄目です! 俺、本で読みました! はら……」

「それ以上言ったらもう二度と口を聞かない。大きな声で言える理由にして」


「店長に何も出来ない無力な幼女が一番」


 どうしよう。すごい気持ち悪い。これを大声で言えると思ってるのも問題がある。ずっと気持ち悪さを更新し続けてくる。幼児性愛者とどっちがいいんだろう。どっちも捕まってほしい。少年をこんなにしたハギの村、罪が重いどころか滅んだほうがいい。


「いやどの口が言ってんの? 寝袋に潜り込んで距離感が死んでる火力係の誰が言ってんの?」


「俺はいいんです! いちゃらぶ派ですから! 無理矢理も女の子からじゃないと嫌なんですよ! 俺は全然勇気出なくて手が出せないけど、店長が……こんなに一緒に過ごしてるのに全然手出してこない……私のこと好きじゃないんだって誤解して無理やり身体で繋ぎ止められたい!」

「犯罪。私が捕まる」

「それか俺が寝てて、不意に目が覚めたときうっかり媚薬飲んだり催淫魔法かけられた店長が! ごめんなさいって謝りながら欲には抗えず俺は店長のなすがまま……」

「犯罪。ずっと私が有罪。それ以上言ったら解雇」

「……とにかく、男は駄目です! 変な従業員を連れてこないように、ずっと傍で監視してやりますからね!」


 カーネスはどん、と自分の胸を叩き訴えてくる。元々カーネスは私を監視してるようなものだ。いつも隣を歩いているし、お手洗い以外は四六時中一緒に居る。


 さらに、お手洗いに行ってくると言えば、普通について来ようとする。


 危険なのはカーネスだと厳重に注意すれば「でも一緒にいてくれるんでしょう?」と嬉しそうにするわで手に負えない。いまさら監視されてもどうということはない。


 何言ってんだカーネスは。





 日が暮れ始めた頃、私たちは街の求人案内所を目指し出発した。


 案内所には掲示板があり、常日頃「こういう人材探してます!」という買い手側の求人票、「私こんな魔法適性があります! お仕事募集中です」という売り手側の売り込みがひしめき合っている。


 とりあえずそこで水魔法適性のある人を探す算段だ。


 しかし、道中、というか今現在、ある大きな問題が発生していた。


「いや近いな、距離感死んでるとかじゃなくもう、なにこれ!?」


 隣を歩くカーネスは、私にぴったりとくっつくどころか、最早私の腕にめり込んでいた。普通に歩き辛い。


「監視です」

「いやもうただめり込んでいるだけだよね? 頭おかしいの?」

「でもこうしていれば変な奴は寄ってきません」

「いや、変な奴どころか人に避けられてるから。こっちが変な奴らになっちゃってるから」

「我儘言わないでくださいよ……」

「はったおすぞ」


 構えを取ると、カーネスは目に見えて膨れた。やや可愛い。けど、このままだとずっとめり込まれることは勘弁願いたい。ただでさえ私はステータスなどという個人情報強制開示魔法が使える人間から、魔力なしと馬鹿みたいな偽装をしている奴に見られている。


 つまり生きているだけで馬鹿の看板を下げている。恥を晒して歩いているのと同じだ。これ以上恥は重ねたくない。


「じゃあもう手を繋ごう。それで妥協だ。人生には譲歩と妥協が肝心だから。ほら。これ以上の譲歩と妥協はしない」

「いいですねえ! それで勘弁しましょう! へへ」


 納得したカーネスの手を掴むとそのままカーネスは自分の口に入れようとする。睨みつけると大人しく普通に手をつないだ。


 姉弟、姉妹というのは、本来こんな感じなんだろうなと思う。私は無能だったから、弟や妹から「どう接していいか分からない謎年上」としてかなり気を遣われていた。


 申し訳なかったなと思う。生まれつきだからどうしようもないけど、自分が少しでも変なことしたら死ぬかもしれない相手がそばにいるのは大きな負担だ。


 少し切ない気持ちになっていると、カーネスが呟いた。


「店長俺気付いたんですけど」

「なに」

「店長、手、繋ぎ慣れてないですか?」


 それまでヘラヘラしていたカーネスが唐突に真顔になった。


 なんだこいつ。


「なんで」

「だって普通、手繋ぐって選択肢中々出なくないですか? 手首をしめ縄とか手錠とかで」

「普通は手を繋ぐ選択肢のほうが出るよ。しめ縄とか手錠より。私は初だけど」

「どうしてです?」

「機会がなかった」

「初めてってことですか!? 俺が!? 店長の‼ 初体験を⁉」

「うるさい早く行くよ」


 カーネスに感傷を吹き飛ばされた私は彼の腕を引き、歩みを進めていった。




 カーネスと進んでいると、何やら怪しげなテントが転々とする通りに出た。


「ここおかしくない? 雰囲気……」

「宿ではないでしょうか。えっもしかして店長……」

「違う」


 人との関わりにおいて否定は良くない。でも、今は許されていいと思う。だってこれから先、カーネスは碌なことを言わない。直感で分かった。だって目つきが犯罪者と同じ。


「大変! 今日傘持ってないのに! どこか雨宿り出来るところ探さないと……」

「ずっと晴れてる」

「帰りの馬車も無くなっちゃって⁉ お部屋も一つしかない⁉ 寝台も一つ⁉」

「ここ野道」

「店長俺床で寝ます。駄目だよカーネスを床になんて寝かせられないよ。私が床で寝るよ。店長を床で寝させるわけいかないじゃないですか‼ ……じゃあ、一緒に寝る? えっ……て、店長……? 私、カーネスなら……いいよ……。て、店長……‼」

「床で寝てろ」

「カーネス、先お風呂入ってていいよ。でも……。今日カーネス疲れてるでしょ? ……え、て、店長どうしましたか? お、お風呂に……さ、寒くなっちゃったんですか? ううん、カーネスの背中、流したほうがいいかなって……怪我してるし」

「頼むからその煩悩洗い流したほうがいい」

「店長そこっだめです……‼ え、カーネスどうしたの? きゃっ」


 カーネスは幻覚を見ながら大はしゃぎしている。付き合っていられない。私は彼から視線を逸らし周囲に注意をはらう。怪しげなテントの中には鎖で繋がれた人々が俯き、そばには裕福そうな商人が揉み手をしながら笑みを浮かべていた。


「ここ奴隷市では」

「奴隷市?」

「反社会的な人間が、攫った人間を売ってるところ」


 国によって事情が違うらしいけど、この国では生物を商品のように売ることが禁じられている。


 豚、牛、鶏、魚、植物や果物など飲食可能なものは基本的に問題ないけど、飼育目的や冒険のおりに仲間とする生物は種類にかなり制限がありなおかつ許可が必要、人間を攫い奴隷扱いをして売ると監獄に入れられる。


 刑期はその種族の平均寿命に応じてだ。


 妖精? エルフ? 竜人? とかいう人間っぽい見た目の人間じゃない生き物は長生きで、人間換算の刑期だと「人身売買して儲けてちょっと牢に入って人身売買して儲けるのが最高効率ですね‼」みたいな結論に至ってしまう。


 なので各々、法を犯さないのが一番いいと思うくらいの刑期が言い渡される。でも、捕まらなければいいという思考はどんな種族にもあるらしく、こうして奴隷市が開かれる。


 でも、何で私たちは紛れ込んでしまったのだろう。普通、こうした奴隷市は、「関係者以外立ち入り禁止です」みたいな封印がされていて、一般人は入れない。


「おや、何かお探しですか?可愛い子が揃ってますよ?」


 カーネスの手を引こうとすると、ずいっと商人の男が揉み手をしながら近づいてくる。こういう時はきっぱり断った方がいい。


「何も探してません」

「幼女はいますか?」

「カーネス!?」


 断ると同時にカーネスが食い付く。


「ええ、勿論ですとも。こちらはいかがでしょうか」


 そう言って商人が、店の奥にたらしている鎖を引っ張った。


 やがて店の奥から、鎖を首に繋がれた少女がやってきた。透けるような薄い髪を垂らし、淡い青の瞳をしている。4歳くらいだろうか。がりがりにやせ細り、虚ろな瞳をしている。


 この奴隷市を出たらこの商人、絶対通報してやろ。死刑になればいい。いいんだこんな奴は死刑で。


 噂によれば監獄では力関係があるらしく、小さな子を虐待した人間が一番、悪く扱われるらしい。死刑にならずとも囚人にズタズタにされるので、司法のほうでは「わざわざ死刑で楽に死なせずとも」といった温度感と聞いた。


「まぁ、このように見栄えが少々良くないものと、幼くはないものでして、何人かの奴隷商を流れ着いてきましてねえ。どうです?」

「そうですね……ぜひともと思うのですが、なにせこちらが一軒目のお店なので、色々見て回りたくもあり……」

「ああ、だとしたら運命としてお考えいただければ! 私ども、あともう少しで店じまいをしなければなりませんので」

「え、店じまい?」

「ええ、実のところ内々に摘発があるとの情報が……なのでお客様も、早めに切り上げたほうがいいですよ」


 商人が言う。話が変わってきた。このままではこの商人は摘発を逃れる。奴隷は買いたくない。というかそもそもお金がない。


 少女、盗むか。


 自分の余罪と、人間の命。人間の命のほうが大切さだ。


 とはいえその大切さは、人によって絶対に違う。


 幼女を虐待して売るような人間の命なんて皿の油汚れと変わらない。


「カーネス」

「はい何でしょう」

「いざとなったら私に命令されたって言ってほしいんだけど……」

「えっあっ分かりました。脱ぎます」

「脱がないで。あの……賊とかをいじめてた奴にやってた見てくれ魔法さ、奴隷商人だけ狙って撃つことってできる……? 殺さない程度に……」

「はい。でも、何でですか?」

「言い忘れてたけど、人間売るのって違法でさ、全員犯罪者なんだわ。ここにいるの全員……騎士団に捕縛されて欲しいんだけど、囚われてる人は、怪我とかさせたくなくて」

「分かりました。いつしましょう」

「今」

「はいっ」 


 カーネスは勢いよく返事をした。同時に、火山でも噴火したのかと思うような爆音があたりに響く。目の前の商人が一瞬にして火炎に包まれ、昏倒した。


「待って出すの早くない⁉ そんな早いの⁉」

「早いってどっど、どどどどっちの意味ですか⁉」


 驚いているとカーネスが取り乱す。「魔法の発動速度だけど」と返せば彼は安堵した顔で「なんだ」と私を見た。


「なに? 変なこと考えてる?」

「ショタと無知おね」

「は?」

「いえ、それより全部終わりましたけどどうしますか?」

「撤退する」


 このままこの場にいても奴隷商人だと間違えられる。なにせ私はカーネスを連れている。それっぽく見える。でも、囚われの奴隷たちを置いてはいけない。私は鞄から色とりどりの石をいくつか取り出した。


「店長、それは一体」

「危ない時、来てくれるらしい」

「誰が?」


 お客さんたちが何かあったら床に叩きつけろと言い、渡してくれたものだ。いわゆる緊急通報装置らしい。とんでもない客や転移魔法で行列が出来る度、叩きつけてやろうか悩んでいたが、耐えて良かった。


「回復の人? とか治癒師とか薬師? あと、大きい盾とか持ってる人。売られてる人たちの保護をしてくれると思う」


 私はおもむろに石を叩きつけ、『奴隷市を見つけました。宜しくお願いします』と叫ぶと、カーネスの手を取りその場をあとにした。



 




 奴隷市のあった方角の夜空に、流星群のようにきらきらと魔法が降り注いでいる。転移魔法だ。何も知らなければ「綺麗」と目を輝かせる光景だが、借金という文字が頭の中を巡るため、胃が痛いし気持ちが悪い。


 でも、転移魔法が発動しているということは、救援が来ている証拠だ。今頃、奴隷とされている人々は保護されていることだろう。私は空から目を離し、おもむろにカーネスを見て絶句した。


 背中になにかおぶってる。一瞬恐怖の演出かと思ったけれど、よく見ると売られていた少女だ。


「カーネス……その子」

「丁度いいので連れてきました」


「泥棒じゃん」


 カーネスの言葉に気が遠くなる。少女をカーネスから下そうと手を伸ばせば、彼女は私の指を握ってきて、より一層どうしていいか分からなくなった。








 最終的に奴隷を泥棒した私は、ひとまず彼女を医者に診せた後、ひとまず街の外れにある川辺に野宿をすることにした。


 街で宿に泊るのもいいけれど、奴隷市があるような街は信用できない。寝ている間に身ぐるみを全てはがされていました、なんてことになればたまったものではないからだ。


「はい、好きなだけどうぞ。あ、でもお腹いっぱいになったら残してもいいよ」


 死んだような目で一点を見つめる少女に、スプーンと木皿に入れたシチューを渡す。


「スプーンの使い方、分かる?」


 一応問いかけると、少女は静かに頷く。そしてじっとシチューを見つめた後、食べはじめた。


 良かった。奴隷を買う人間には、食事に毒を混ぜたり、食べ物ではないものを混ぜたりして、奴隷が苦しむ反応を楽しむ死んだほうがいい屑がいるらしいから、食事に抵抗があるのではと疑っていたけど、大丈夫そうだ。


 安堵していれば、右肩に生ぬるい感触を覚える。

 隣を見ると、カーネスがぴったりくっつき涼しい顔でシチューを食べていた。


「近くない?」

「今日寒いですから……」

「炎を出せる」

「でも今、俺の炎を出したら、店長がここにいるって知られますよ。いいんですか? 魔力ないのに料理店で働いていた時期があったんでしょう?」

「……駄目」

「ふふふふふふ」


 カーネスがにやけながら私を見てくる。先ほどカーネスに、私が一時期、魔力が無いことを隠し料理店で働き、「へへへ」で乗り切ったことを話した。


 というのも、こうして少女を奴隷市に戻さず連れてしまっているからだ。


 カーネスが連れてきていると分かったあと、私は渋るカーネスを説得し騎士団に少女を引き渡そうと戻った。


 しかし、石を割って飛んできた客たちが私を探していて、すぐに戻ってきた。転移魔法による行列の悪夢が蘇ったからだ。


 だから人が引けてきたあたりを見計らい、難を逃れてきた奴隷としてきちんと少女を騎士団に引き渡す予定だ。カーネスを経由して。


「一応消化しやすいように潰してみたんだけど、物足り無かったらごめんね」

「ん」


 少女は、こちらを探るような目で見つつも、おそるおそる声を発した。


「あちちしないよう冷ましちゃったけどどうかな」

「ん」


 どうだろう。「ん」のみの発声だけど、言葉は通じつつ話が出来ないのか、言葉を知らずとりあえず音で返しているのか、良く分からない。


「私の名前はクロエ。貴女の名前は?」

「……シェリーシャ……」


 話も通じるし名前も言えるようだ。さっきの「ん」は、本能のままの「ん」だったのかもしれない。


「シェリーシャちゃん、よろしくね」

「ん」

「やだな、と思ったら教えてね」

「ん」


 嫌なことがあっても、初対面だし言いづらいだろう。でも、虐げられてきただろう相手には「拒否の選択肢がある」と根気よく伝え続けることが大切だ。


 敵じゃないことも主張すべく笑いかけると、シェリーシャさんは俯く。


「俺あちちしそうなんですけど」

「置いておけば冷める」

「なんでだろう、冷める気配無いな」


 カーネスの周囲は炎の球体が浮遊している。パーティー会場かここは。


「魔力無駄撃ちやめな。魔力って限りあるんでしょ」

「ないです。俺には」


 彼は真顔で答えた。相変わらず情緒がおかしい。


「具合悪くなったら絶対言って」


 私は無いから知らないけど、魔力が枯渇すると人は具合が悪くなるらしい。種族によっては大人なのに魔力が減ると子供の姿になってしまったり、普段は獣だけど人の姿になったりと、外見にも変化が及ぶようだ。


「俺は、普通じゃないんで……魔力に限りはないんですよ」


 カーネスは寂しそうな言い方をする。

「魔力だけじゃなく色んな意味で普通じゃないから。あたかも魔力だけみたいな言い方するけど」


 感傷にひたっています、というていだが幼女希望したり幻覚見てはしゃいだり、カーネスはそもそも精神面で普通じゃない。カーネスは自覚がないのだろうか。狂ってる。首をひねるとカーネスは私をじっと見てきた。怖すぎて私は彼の頬を押さえ、こちらを見せないようにする。


「なにするんですか」

「狂ってるから教育に悪いと思って」

「ひどい」

「ひどくない」

「まぁ……たしかに、こうして触ってくれますし、普通じゃないって言ってくれる」

「どういう意味?」

「なんでもないです」


 カーネスは頬を押さえられながらも笑っている。何だか最近、ずっとカーネスは笑っている。村にいたころの変な目つきより100倍マシだけど、言動が変になってきているから微妙なところだ。



 夕食を終え、シェリーシャちゃんをお風呂に入れることにした。

「温度どう」

「ん」

 川で、軽く石で円を作ったお風呂の中、シェリーシャちゃんはお湯の中に顔を沈めながら頷いた。


 カーネスが来るまでは行水だったけど、彼が来てからは、川の水を温めてもらい、こうして温かいお風呂に入れるようになった。石で囲った内側の部分だけを温め温度を維持するカーネス、本当にすごいと思う。


 今まで、気温が低い土地での入浴は死と隣り合わせだった。食べ物を取り扱う仕事だから、綺麗にしなければと念入りに洗わなきゃいけないことで、地獄でしかなかった。カーネス様様だ。本当にありがたい。入浴のたび、彼は神様かもしれないと思う。


「店長、どうして布を巻いて入浴しているんですか。ありのままでいいじゃないですか。俺をありのまま受け入れてくださっているんですから、俺も店長の、ねぇ、全てにおいて淑やかで素朴なお身体の全てを受け入れますよ」


 邪神かもしれない。


「受け入れなくていいよ。私、カーネスのこと受け入れてないから」

「受け入れてるじゃないですか。俺みたいな化け物」

「……それなんか、卑猥な隠語だったりしない?」

「え、ひどい‼ 店長、え、俺、卑猥な発想しかしないと思ってるんですか⁉」

「それ以外ないだろ」

「濡れ衣‼」


 カーネスが喚くけど絶対に濡れ衣じゃないと思う。私は彼から顔をそらし、シェリーシャちゃんがのぼせてないか確認した。


 彼女は、初めて見た時から、「酷い暮らしをしていました」とすぐ分かる状態──いわゆる薄汚れていた。皮膚はすすがこびりつき、髪は絡まり、悲惨だった。


 鍋ならまだしも人相手にごしごし洗えない。


 時間をかけ、髪は一本一本解いて汚れを拭い、今は見違えるように綺麗になった。


「シェリーシャちゃんきもちいい?」

「ん」


 どっちなんだろう。反射で返事してるのか。本当に快適なのか。今のところ「ん」と「シェリーシャ」しか聞いていないけれど……。色々、辛いことがあって喋らないのか、口が重いのか、私が信用できないのか、何かほかに理由があるとか……。




 野宿において、入浴時と就寝時の油断は禁物だ。なぜならその隙を狙い、盗賊や野生動物が襲ってくるからだ。


 湯から出て着替えをすませた後、今度はカーネスが入浴をはじめた。私は見張りの為、そばでシェリーシャちゃんの髪を乾かしながら周囲の様子を窺う。


「ありがとね、カーネス」


 シェリーシャちゃんの髪を乾かしながらカーネスに話しかけると、彼は「何がですか」と首をかしげた。


「お風呂とか」

「いえ。俺のことっずっと見て頂ければ」

「当たり前だよ。裸になってる時が一番危ないんだから。ちゃんと見てるよ」

「そうですか……えへへ、俺の身体、隅々まで見ていてくださいね……!」

「あ、待ってそっちの意味で⁉ 見るわけないでしょ⁉ 変な嵌め方やめてくんない?」

「別に嵌めてないですよ。ちゃんと許可とります。許可どりのカーネスです。許可とったうえで、やっぱり、こう、ねぇ、恥ずかしいみたいなのが一番なんでね」










 カーネスが真面目に言う。誠心誠意込めてるような言い方と表情だけど、どことなく邪悪なものを感じる。怪訝な目で見ていると、彼は「ところで」と改まった様子で咳払いをした。


「石で呼んだのは、店長のなんなんですか。どんな関係ですか」

「どんな関係って関係も何もないけど」

「それ誤魔化すやつじゃないですか‼ 裏ではあれこれされてるのに‼ 読んだことある‼ その後、奥さんって何の関係もない男とこんなことするんだ? あれは……みたいな感じで盛り上げ要素に使われちゃうやつ‼」

「カーネス本当に何を読んでそうなってるの」

「セイショですね」

「そんなわけあってたまるか」


 罰あたりにもほどがある。


「それより、結局どんな関係なんですか」

「普通に客だよ。カーネスいる時は……まだ皆来たことない気がするけど……」

「はーん」

「何だその返事は」

「だって、俺より弱いやつ頼りにするから」


 カーネスは拗ねているらしい。


「それは当然だよ。皆、追放されたとか雑魚……落ちこぼれ? 最弱とかハズレスキルとかお荷物とか言ってる人たちだし」

「じゃあ何で頼りにするんですか」

「だって皆、カーネスより年上だし、奴隷扱いされてる人の保護は出来るし、それに、絶望的な状況になったことがある人たちだから、気持ちも分かるだろうし」


 皆、魔力ある人間たちに比べ、劣っていると言い、なおかつ死のうとしていたり死にかけていた。


 こっちは魔力もスキルも無い。「自分は駄目なヤツだから死んだほうがいい」みたいに生死彷徨い顔で言ってきた。


 上には上がいるように下には下がいて、魔力やスキルの大三角形の最も下に私がいる。あいつらの自己否定は私の存在否定だ。


 駄目な役立たずだって生きてていい。無価値だって存在していていい。


 そう思って貰わないと私が死ななきゃいけない奴になる。壮大な貰い事故だ。いい加減にしてほしい。


 そもそも私は、「最強」だの、「一位」だの名前の手前につく奴が嫌いだ。


 馬鹿みたいに転移魔法で飛んでくる。来るのが問題じゃない。速度が問題だ。転移魔法は速ければ速いほうがいいし、特に災害時の避難や討伐は速度が要求されるのは事実だ。


 でも食事に使うな。ひたすらに思う。


 だから向き不向きも強弱も、生きていていいか悪いかに関係ない。「最強」だって邪魔な時は邪魔だ。「みんなに好かれる人気者」も人を連れてくる。話題になるのはありがたい。


 でも、物には需要と供給がある。需要がありすぎても経営は破綻する。特に食事は過度な需要に答えようとすれば食中毒の危険性が高まる。清掃や殺菌消毒がおろそかになるからだ。


 何度も何度も言って、議論戦で勝った。魔力や魔法での勝負でなければ、案外どうにかなる。


 だから落ちこぼれてようが、駄目だろうが、いい。役立たずで無価値だとしても生きてていい。


「すー」


 シェリーシャちゃんの髪を拭いていると、彼女は寝息をたてはじめた。「すー」と言いながら寝る人、初めて見た。


 目を開いている時は「いつまばたきしてるの?」と不安になるくらい淡々としている雰囲気だけど、寝顔は年相応のあどけなさ全開だ。


 起きている時は、気を張っているのだろう。子供らしくいることが許されない環境だったのかもしれない。


 彼女の頭をそっとなでていれば、カーネスが私をじっと見た。


「なに」

「嫌な予感がします」

「どういうこと」

「寝取られる。逆ハーレムの気配を察知しています」

「なに逆ハーレムって」

「セイショにありました」


 頭がおかしい。


 でもカーネスもカーネスで、子供らしくいることが許されなかった。ハギの村はどう考えてもおかしかった。その反動かもしれない。


 彼が彼のままいるのは良くないだろうし、私も困るけど、ハギの村で苦しかった分、いや、それ以上に伸び伸びしてくれたらと思う。


 健全な範囲で。



 シェリーシャちゃんを一時保護し、翌朝のこと。


 私は早速、奴隷市が開かれた街の──隣町に向かった。理由は簡単、奴隷市が開かれるような街の治安に不安を覚えたからだ。そこまで距離も遠くなかったため、犯罪実績のある街より、何もないほうを選んだ。


 この町は以前訪れたことがある。漁業が盛んだったけど、近年外来種の発生により魚が満足に取れず、農業に舵を切りつつある場所だ。ただ、潮風で作物を育てられる場所が限られているため、経営が難しいらしい。潮風によって飛んでくる塩で、野菜が傷んでしまうからだ。


「聞いたか⁉ 昨日隣街で奴隷市の一斉摘発があったらしいぜ」


 そして早速、奴隷市のことが話題になっているらしい。町に入ってすぐの広場で、町民たちが話をしていた。


「聞いた聞いた、騎士団だけじゃなく、王命で魔王討伐任されてる凄腕の薬師や治癒士、獣遣いが、王命すっ飛ばして集まったんだろ?」

「ああ‼ 奴隷売り買いしてた奴らだけじゃなく、街に潜伏してた盗賊や犯罪組織を一気に殲滅したって」


 町民たちの会話を盗み聞きながら、やっぱり町を移動して良かったと安堵した。


「でも、どういう繋がりなんだろうな。それぞれ同じパーティーに入ってるわけでも、ギルドが一緒なわけでもないのに」


 パーティー。


 魔法が使える人間は、それぞれ得意な魔法や苦手な魔法があるらしく、大きな魔物を倒したりする時、お互いの弱点を補うため仲間を作るらしい。


 そしてギルドというのは、労働組合みたいなものだ。大きな組合の枠組みがあり、そこに所属しているパーティーみたいな感じで、協力し合っているようだった。


 パーティーで打ち上げ、ギルドで飲み会、みたいな感じで、所属している人々は大体仲良くしているが、仕事だけ集まり仕事が終われば解散といった仕事のみの関係のパーティーなど、様々だ。


「それでじゃないか? 皆、前のギルドとかパーティーに恵まれなかったって聞くし、気が合うんじゃ」

「なるほどねぇ、ああ、でもそいつらが元居たパーティーとかギルドってどうなってんの?」

「潰れたり解散になったりって聞いたぞ。まぁ、無理もないよな。普通に解雇するんじゃなくて、公衆の面前で追放したり、魔物の囮にしたとかって聞くし」

「あ‼ 魔物の囮で思い出した‼ ハギの村‼ 魔物の襲撃にあって壊滅状態らしい‼」


 町民の言葉に私は思わず足を止める。ハギの村はカーネスの村だ。


「カーネス」

「はい、何でしょう」


 思わずカーネスの名を呼ぶけれど、彼は平然としていた。


「魔物の襲撃に遭ったんだって」

「でしょうね」

「え、なんで元から知ってたの?」

「いや、魔物って本能で生きてるんですけど、生存戦略において余念がないので自分より強い存在は襲わないんですよ」

「ああ、聞いたことあるかもしれない。強い魔物は餌を取るために弱そうな魔物に擬態するから気を付けたほうがいいって」



 姉は魔法全般の研究をしている。色々論文を提出していて、表彰状が部屋に沢山あった。魔力が無くても姉の書いたものだから読んでいたけど、そこで読んだ。


 魔物は他の生き物の魔力を感じ取る感覚を持っていて、すごく強い魔力を感じる──いわば戦うと負ける相手には絶対近づかず、簡単に食べられる相手を細々食べて力をつけるらしい。


 魔物に詳しいお客さんから聞いたことがあるけど、魔物は人間だけ食べてるわけではなく、とりあえず自分より弱い相手を食べるそうだ。


 さらに他の生き物を食べなければ力がつかない、というわけでもなく、「戦ったりするより魔力いい感じの生き物食べるほうが効率がいいよね」「美味しいよね」という感覚だ。


 そのあたりの感覚は、「まっとうにお金稼ぐより、宝石泥棒したほうがいいよね」と想像するのが楽と聞いた。


 もちろん、宝石泥棒は犯罪だ。でも、そのほうが楽だと思う人間もいる。


 それは魔物も同じで、魔物の中では「人間襲って食べるのが楽」と考える生き物もいれば、「戦いは面倒なのでせっせと鍛錬して強くなります、食事も人間の作ったものが美味しいのでそっちで」という、普通に共存できそうな魔物もいるらしい。


 強い魔物は弱い魔物から避けられてしまい、餌にありつけないことが多く、強い魔物ほど戦いを望まないと聞いた。でも、普通に弱い魔物に擬態したり、魔力を抑えて弱く見せ狩りをする強い魔物もいるから気を付けて、とそのお客さんに教えてもらった。


 そして魔物であっても、私のように魔力なしスキルなしという馬鹿丸出しな偽装はしない。逆に怪しまれるからだ。そのお客さんは私が魔力なしスキルなしを完全に理解していて、「やっぱりバカに見えますよね」という私の言葉に苦笑しつつ、「無いことで得られるものもある」と、優しい言葉をかけてくれた。


「ハギの村が襲われたのは俺がいなくなったからでしょうね」


 カーネスは何故か私を試すような目で言った。彼の見てくれ魔法があればハギの村の人たちを助けられたかもしれない、という自責にかられているのだろうか。


 正義感があるのはいいことだけど、村の存亡を子供が背負うべきじゃない。



 まして直接殺したわけでもない、大人を助けられなかったことを子供が後悔するなんてあってはならない。子供は可能な限り、子供でいるべきだ。


「まぁ、ハギの村は子供がいていい場所じゃなかったし、そこまで気に病む必要はないよ」


 即答すると、彼は「いやぁ」と笑い出す。


「なに」

「そういう意味で言ったんじゃないんですけど」

「どういう意味?」

「いえ、店長はそのままでいてください」


 カーネスはにやにやしている。また卑猥なことを考えているのかもしれない。もう相手にするのはやめようとシェリーシャちゃんに視線をうつすと、彼女は地面を眺めていた。


 昨日より血色がいい。というか完全回復している感じがある。


 魔物に詳しいお客さんを保護した時、「自分は《なんちゃらかんちゃら》の血を引いていて《なんちゃらかんちゃら》だから回復速度も速い」みたいなことを言っていたけど、そういう性質なのだろうか。


 でも、魔物に詳しいお客さんの言っていた《なんちゃらかんちゃら》は全部おぼろげだから自信がない。


 魔力の構造が人と違うからどうのこうの言ってたけど、ほぼ魔法学校卒業した人間に対しての話かつ、昔の言葉? 妹が読んでいた古文書まじりの言葉遣いだったから意味も断片的にしか分からなくて覚えてない。


 そしてジャシンとか言っていたから、「蛇と人間両方の血を引いている方なんですね」と返したら「蛇ではない、そして神だ」と言っていたから、若干、思考の機能が弱っている可能性がある。高齢者だし。


 魔物に詳しいお客さんは月に一回転移魔法ですっ飛んでくるけど、神様ならお供え物を食べる。当然、私のお店に来ることは無い。


「シェリーシャちゃん何してるの」


 訊ねると、彼女は顔を上げた。


「殺してる」


 シェリーシャちゃん、「ん」以外に喋れたのか。ほっとしたのも束の間、疑問が浮かぶ。


 殺してる?


 彼女の足元を見ると、氷の針のようなものが突き刺さった蟻が連なっていた。


 なにこの死の道。


 これはシェリーシャちゃんがしたことなのか。唖然としていると、近くにあった蟻の巣穴から、蟻が這い出てきた。すぐに氷が割れるような音が響いて、地面から突出した氷の針が

蟻に突き刺さる。


 シェリーシャちゃんは明らかに死んでいるであろう蟻をじっと見ている。


「な、なんで、殺したの、虫嫌い?」


 虫が嫌いなのだろうか。問いかけるとシェリーシャちゃんは無言で首を横に振った。「ん」じゃなかった。


「好き、だから」

「好きすぎて殺しちゃったかぁ……」

「……」


 シェリーシャちゃんがまた首を横に振る。


「殺すの好き」

「なるほど殺すのが好きかぁ」


 どうしようか。この子の殺意の衝動。奴隷商人の罪は重い。


「これ、置いてきましょう。危ない、危なすぎる‼」


 カーネスが顔を青くする。カーネスもカーネスで危ない。危ない人間しかいない。危険人物人口密度が高すぎる。


「こういうの前から興味あったの?」

「店長そんな素人モノの導入みたいな質問してないで置いて行きましょうよ‼ 騎士団に引き渡しましょう」

「引き渡すわけにはいかないよ、っていうかいかなくなっちゃったよ」


 危険思想を持った子供を対象として、犯罪の抑止力の研究が実施されるかもしれない。


 姉が言っていたことだ。姉は「倫理的に問題がある」と懐疑的な立場だったけど、ここ最近新聞で、研究が始まっているとの記事があった。さらに、「危ない子供だから」という理由で、研究者から迫害される事例もあり、現在政治の場で活発な議論が行われている、とのことだった。


 つまりこの子は騎士団に預けると研究対象として扱われ、なおかつ迫害を受ける可能性がある。


 私は、魔力が一切ないと分かったとき、身体の隅々まで調べられた。皆悪意はなく、私の為、そしてこの世界の為に検査していたけど、楽しいことじゃない。


「……シェリーシャちゃん」

「……」

「お姉さんと一緒に行こうか」

「こういうの出来る?」


 彼女はそう言いながら蟻を殺す。カーネスは「血迷わないでください店長‼」と私にしがみついてくるけど、それを制止し私は頷く。


「大丈夫、出来るよ」



 謎の殺意衝動を持つシェリーシャちゃん。このまま騎士団に連れていくと研究をされてしまうだろう。一方で、彼女の殺意衝動をそのままにしていても、殺す対象が蟻から人間になるだけだ。


 生き物を殺すのが駄目な理由は、必然性がないに尽きる。理由なくしていいことは、楽に生きることくらいだ。


 ゆえに必然性のある殺生を探す。そう思った私は、シェリーシャちゃんを伴い海に向かった。


「じゃあシェリーシャちゃん、この絵のお魚だけ狙ってみよっか」


 私は絵本を広げ、シェリーシャちゃんに見せた。本には毒々しい色の魚が描かれている。いわゆる、外来種だ。


 外来種というのは外の世界からやってきた生き物で、種類によっては在来種を食べ尽くし、生態系を大きく崩してしまう。


 そしてこの海の場合、飼育目的で買った魚を、無責任な飼い主がここで逃がしたことで毒魚が大繁殖し、在来種が毒魚により圧倒され、漁に甚大な被害をもたらしていた。


 だから駆除が必要だけど、数も多く、国仕えの魔法士は災害や人間の犯罪者対応で手が回らない。


 ということでシェリーシャちゃんの殺意衝動を知った私は、殺意衝動の発散と外来種の駆除を一挙に行う作戦を実行した。


 シェリーシャちゃんは無言で海の毒魚を殺し始める。どうやら凍結魔法が得意らしい。氷柱で毒魚の脳天を突いて、殺し終えたら氷柱を溶かし、また魚を突いてを繰り返している。


 私たちの後方には毒魚に悩まされていた漁師さんたちがいて、シェリーシャちゃんが殺意の衝動を発散するたびに歓声が上がっていた。


「シェリーシャちゃんは氷の魔法が得意なの?」

「みず」

「お水の魔法も出来るの?」

「ん」


 シェリーシャちゃんの久しぶりの「ん」だ。彼女は頷いた後、ヒュンッと弾丸のような水の塊を打ち出し、飛び跳ねる毒魚の頭に穴を開けた。


「いいんですか、あんなに殺させて……人間狙ったりしませんか?」


 カーネスが恐々耳打ちしてくる。


「人間狙わないようにするしかないでしょ、下手に殺すの駄目だよ‼ って言っても、何でってなるじゃん。本人殺すの好きなんだから。好きなものはどうしようもないし。性癖との共生に舵切るしかないよ」

「店長……」

「それにもう、関わっちゃったし、手尽くしようない状況ならもう、そうやって生きていくだけだし、それより今後のお店のことなんだけど、町中で屋台出して他の店と競い合うよりこういう海のそばとか町の外れに屋台構えて、ちょっとお腹空いたな、って人を狙おうと思うんだよね」


 カーネスのおかげで調理に関する戦力が大幅に増強した。


 その一方、大量に調理出来たとしても、器具やお皿の洗浄が追いつかず、結果的に提供時間の短縮は思うようにできていない。


 水魔法による支援が必要だけど、幼女を働かせるわけにはいかない。洗い物があまり出ない、しばらくは食べ歩きが出来るものを売っていきたい。


「魔物の駆除代で稼ぐのどうですか。そもそも俺も駆除できますよ」

「そしたら私のいる意味なくなるじゃん。魔法使えないし。それにシェリーシャちゃんの稼いだお金はシェリーシャちゃんのこれからの成長のために使うべきでしょ」


 今私は、彼女を保護しているにすぎない。子供にお金を稼がせて、それを自分の店の経営に使うなんて絶対嫌だ。


「シェリーシャちゃんはやりたい鬱屈を晴らす、それでたまたまお金貰えたら、それはシェリーシャちゃんが今後したいことの資金にすべきだよ。シェリーシャちゃん、大きくなったら何になりたいとかある?」

「もう大きい」

「もっと大きくなれるよ」


 シェリーシャちゃんはまだ小さい。これから先自分が大人になっていく姿が想像できないのだろう。


「ね」


 シェリーシャちゃんが私を見上げる。話しかけられたのは初めてだ。可愛い。


「なあに」


 私は彼女に視線を合わせるべく腰を下した。


 昨日までぼろぼろだったのに、今はほっぺがふっくらだ。もちもちしているのが見ているだけで分かる。そして彼女は私を見ているけど、海では毒魚たちが彼女の魔法で貫かれている。器用だ。


「怖くないの、殺すの」

「そりゃ怖いよ」


 あれで貫かれたら痛そうだし。


「ならなんでさせてくれるの」

「たとえば、シェリーシャちゃんが何にも関係のない、そこの漁師のおじさんを殺したい、ってなったら、やめてほしいって止めるよ」


 私は漁師のおじさんたちに聞こえないよう、こっそり言う。


「なんで」

「そういう決まりだから」

「なんで決まってるの?」

「決まりがないとシェリーシャちゃんも、酷いことされちゃうかもしれないの。だから

皆で生きていけるように、決まりを作って、皆それを守ってるんだよ」

「皆で生きる?」

「うん。シェリーシャちゃん今、殺すの好きだけど、生き物作る……っていうのは良くない言い方だけど、育てたりするのは好き?」

「好きじゃない」

「生き物、殺すってことはいなくさせることっていうのは分かる?」

「ん」

「殺してばかりだと殺すもの、なくなっちゃうんだよ。でもこうしてシェリーシャちゃんが魚を殺せるのは、魚を生んだり、生き物を育てる生き物あってこそなんだ。シェリーシャちゃんが殺すの好きなようにね。だからこそ、お互い、ここは嫌だってところは守らなきゃいけないんだ」

「ん」

「シェリーシャちゃんは、一番、これされると嫌だと思うことは何?」

「わかんない。そのときによる」

「そっか。じゃあその時になったら教えてね」

「ん」


 シェリーシャちゃんは話をしている間にも、毒魚を殲滅している。カーネスが「なんかこの子供はしゃいでません?」というけれど、分からない。


「殺すの好きなら外来種専門狩人とかいいかもね」


 そう言って、シェリーシャちゃんの頭を撫でた瞬間のことだった、そばにいたカーネスが虚空に向かって手をかざし、爆炎を起こす。


「え、何」

「蛾が飛んできたので」

「視力どうなってんの⁉」


 頭おかしいのか視力がおかしいのか分からない。カーネスもカーネスでやっぱりおかしい。呆れていれば爆炎からものすごい勢いで黒い触手のようなものが伸びてきた。


 こちらに向かってきた蛸のような触手はすべてカーネスが焼き焦がし炭にするけれど、残った触手は海沿いの小屋や民家を貫いていく。


「……は?」


 目の前の光景に愕然としていると、爆炎の中心から露出の多い女性が現われた。彼女はその背中から無数の黒い蔦を伸ばしていて、腰や足には鱗が並んでいる。


「毒魚の親玉……? なんでこんなこと……」

「こんなこと? それはこっちの台詞よ。こちらはせっせと奴隷市で商売をしていたのに、全部計画を台無しにして……‼」


 女性はとんでもなく怒っている。大人の怒りを見せるのは子供の教育によくない。私は「聞かなくていいよ」とシェリーシャちゃんにこちら側へ向いてもらい、抱きしめるようにすると彼女の耳を塞いだ。


「ずるい‼」


 横でカーネスの絶叫が響く。いい加減にしてほしい。


「私があの人の気を逸らしてるから、漁師の人の避難をよろしく」

「嫌ですよ燃やしましょう‼ 触手なんて‼ 絶対店長になにかするでしょ‼ あの触手絶対服とか溶かしたり変な液噴出させて悪さしますよ‼ 俺は知ってる‼」

「店長命令、はやくしろ」


 カーネスは、すごい形相をしながら民家を襲う触手を焼き始めた。


 彼は炎魔法が得意。だから多分、水系を操る魔法の使い手とは相性が悪い。前に兄から聞いた。水魔法相手に炎の魔法は分が悪いと。そして触手は服を溶かすどころか民家を溶かしている。


「シェリーシャちゃんいざとなったら、魔法でカーネスのほうに飛んで行って」

「なんで」

「生きててほしいから」

「なんで」

「そのほうがいいと思うから」

「わかんない」

「私もシェリーシャちゃんがなんで殺すの楽しいか分かんないから一緒だ」


 私はシェリーシャちゃんを背に庇った。私の屍をのりこえ強く生きていってほしい。普通は目の前の人がと溶けたら心の傷になるけど、彼女は殺すことが好きだから、喜ぶかもしれない。


 どうしよう。殺しの衝動が押さえられなくなったら。いやでも今は目の前の問題を片付けるのが先だ。


「奴隷市の計画ってなんですか」


 客が荒ぶった時、すぐ謝るのも対抗するのも悪手だ。聞く姿勢を見せなきゃいけない。


「他の馬鹿な魔物と違って、私は聡明なの。わざわざ魔力の高い生き物を探して狩りをするのではなく、奴隷市やオークションを開いて、貴重な種をかしこく集めているってわけ」

「毒魚を放流して、人間が奴隷市を開くよう仕向け……?」

「毒魚の放流なんてしないわよ。なにそれ気持ち悪い」

「あ、ごめんなさい」


 濡れ衣を着せてしまった。てっきり、毒魚を放流してこのあたりの地域の経営を妨害し、人間が勝手に奴隷市を開くようにした、みたいな感じだと思ったけど悪知恵を働かせすぎた。毒魚は普通に責任感のない飼い主の都合だったようだ。


「私は魔王軍直属の幹部、竜巫女ジョセフィーヌよ。私がそんなくだらない真似するわけないじゃない」


 設定つきで名乗り始めた。たまにこういう人いる。「私は魔王軍なんちゃらかんちゃらの《なんちゃら》」と言って、食事中のお客さんに絡んでくるあれだ。


 でも、今まではこんな被害を出すことは無かった。せいぜいお客さんが呆れた調子で「やれやれ、料理が冷めないうちに戻ってくる」と言って転移魔法で迷惑な人と共に消え、本当に料理が冷めない間に戻ってくるのがいつものことだった。


 絡まれるお客さんはたいてい異世界人。飲食店あるあるに絶対入ってくると思う。異世界人絡まれがち。


 でも、私もカーネスも別に異世界からやってきたわけじゃないから、本当にただ一方的に絡まれている。いい加減にしてほしい。


「ならどうしてここで、触手を出しているのですか」

「そんなの当然よ。貴女が私の崇高な計画の場で歴戦の賢者や錬金術師たちを召喚したからでしょう⁉」


 濡れ衣だ。濡れ衣着せた結果着せられてる。


 私が呼んだのは、はみ出し者の社会不適合者だ。死にかけの奴隷を見たら助けようとする、という一応の善性保証がある日陰者集団。私と同じ。違うのはあっちは魔力があるという点くらい。


 歴戦とかつくキラキラ集団じゃない。


 というか歴戦の人々が集まってたならあの人たち死んじゃうんじゃないだろうか。常々「自分なんか」「駄目だから」が口癖になっているのに。酷いことをしてしまった。


「違いますね」

「嘘おっしゃい‼ 貴女が隠し持っているその高等術式召喚結晶は、一体なんだと言うのよ‼」


 女性が声を荒げる。


「こうとう……けっしょう、これのことですか」


 私は懐から石の詰まった巾着を取り出した。女性の反応を窺うにこれが《こうとうウンタラカンタラ》らしい。


「これは、石です」

「はぁ⁉」


 女性は怒るけれど、そう答えるしかない。これは「石」だ。お客さんたちが「いざとなったら割ってね」と言って置いて行った石。たたそれだけ。


 強盗にぶつけるのか聞いたら、「危ない時、床に、ぶつける」と念を押された。割れなければどうにもならないらしい。防犯石と呼んでいるけど私が勝手に名付けた名称だから通じないだろう。


「それより貴女、何なの、まるで魔力が体内に微塵も存在してないようだけれど……」


 女性が私を怪訝な目で見る。魔力が無くて嫌だったこと、誰かが困ってる時、あんまり役に立たないとか色々あるけど、魔王軍幹部設定で絡んでくる成人女性にここまでの目で見られるのも中々辛い。


「そりゃ無いですからね……あの、ジョセフィーヌさん、でしたっけ……」

「敵軍発見‼ 敵軍発見‼ 海上西の方角に浮上中‼ 一名、市民の生体反応有り‼ 至急至急‼」


 成人女性をなだめようとしていると、光の玉がふよふよと浮遊し始めた。前にカーネスがふざけて飛ばしていた玉より小ぶりだ。


 これは騎士団が到着した時、周囲の状況を把握するために使うものだ。


 どうやら救援がきたらしい。良かった。まだ騎士団の姿が見えないけど、待ってれば来るだろう。


「わたしをはめたのね……!」


 成人女性が唸る。はめてない。


「どこまでも私を愚弄して……‼」


 そうして成人女性が触手をこちらに向けてくる。私は咄嗟にカーネスの名前を呼んだ。


「カーネス焼け‼」


 私はシェリーシャちゃんを庇うように抱きしめる。


 私の背中がこんがり焼けてもいい。シェリーシャちゃんが大丈夫なら。いやカーネスの火力調整的に問題ないだろう。考えられる限りの最悪は、民家を溶かす液体がかかることだ。でもシェリーシャちゃんと私の体格差から考えるに、彼女を守れるはず。

「大丈夫だよシェリーシャちゃん」

「……私は、化け物だから助けなくていいのに」

「化け物でもなんでもいいから‼」


 ぎゅっと抱きしめた瞬間、彼女は私の背に手を回した。だめだ。それだとシェリーシャちゃんの手が溶けてしまう。


 なんとか幼気な命を守ろうとすると、あたりが白い光に包まれた。


 走馬灯──⁉ 死ぬ時こんな感じなのか。混乱している間にも、腕の中がひんやりしてきて、それでいて柔らかな感触に包まれる。やがて光が飛散すると──、


「え」


 私は蠱惑的な雰囲気を持つお姉さんに抱きしめられていた。熱帯地域の伝統衣装を彷彿とさせる衣装に身を包み、滑らかな肢体を露わにする彼女は神秘的な眼差しで私を見つめている。全く知らないお姉さんだけど、多分、助けてもらったようだ。


「あ、ありがとうございます…」


 お礼を言わなきゃいけないけれど、それはそれとして抱きしめていたはずのシェリーシャちゃんがどこかに行った。溶かされたのかと最悪の想像が頭をよぎるけど、彼女は私の腕の中にいて消えたわけだから触手の溶液ならば私の腕もドロドロになっているはずだ。でも私の腕の中どころか私は蠱惑的な女性に抱きしめられていて──、


「シェリーシャちゃん⁉」

「ん?」


 シェリーシャちゃんを呼ぶと、彼女の言い方にとても良く似た返答が聞こえた。でも吐息交じりの煽情的な声だ。淡々とした少女の声ではない。


「シェリーシャ……さん」

「ん」


 そう言って蠱惑的に笑うシェリーシャちゃん……シェリーシャさん。何で? 何か雰囲気違くない? 何が起きた? 急成長? 変身? 魔法で? 体質で?


 ……そういえば常連で蛇に変身できるお客さんがいる。「狩りが好きな常連がいるから、獲物になってたし最悪食材にしてたかもしれない」と言うと絶句していた。


 懐かしい。たいして思い入れも無い親が死んだ挙句《なんだかの継承》に疲れて全部ほっぽりだして来たと言っていたけど、遺産まわり放棄して新しい国を作りたいと自国に戻っていった。元気にしているだろうか。ジャシン・ナーガちゃん。


 名前がナーガで、家の名前じゃないらしい。ジャシンは中間名みたいなものと言っていた。


 じゃなくて、シェリーシャちゃんもそんな感じだったのだろうか。


「変身出来る……ですか? 弱ると、小さくなるみたいな……? た、体質?」

「趣味」


 趣味かぁ。


「大丈夫ですか!?」


 カーネスが心配そうな表情で、こちらに向かって駆けて来る。どうやら民家を襲っていた触手の対応は済んだらしい。良かった。


「うん、だいじょ──」

「大丈夫じゃないじゃないですか‼ 嘘でしょ‼ この女……店長をよくも‼ こ、こここここ公開──でこんな、対面で‼ 座ってって‼」


 安堵したのもつかの間、カーネスが絶叫した。


 カーネスは絶望的な表情で「店長が、寝取られた……」と涙をこぼした。私は今座ったままシェリーシャさんに抱きしめられている状態だ。それが嫌だったらしい。


「俺は店長が、店長が寝てる間に酷い目に合わないように、店長のそばで邪悪な気持ちを持って下半身を露出させた人間の下半身が種族問わず大爆発する魔法をかけてるのに……」

「え、怖」


 知らない間に魔法かけられてる。というかカーネスが自分にかけたほうがいいんじゃないか。


 「着衣も両想いも盲点だった……‼ クッソ……‼ いちゃらぶ百合かよおおおおおおお」


 カーネスはとうとう膝から崩れ落ちた。「無理だ」と震えている。


「お腹が痛い。気持ちも悪い」

「病気じゃないの」

「店長知ってますか、男はね、他人のものだと分かったうえで好きになった場合は、どうしようとか、困ったとか、罪悪感が出るんですよ。でも自分に分があると分かると結構、元気出る。体調不良には陥らない。でもね、好きな子が誰かのものになったと聞くとね、胃腸に全部来るんですよ。あと腕に力入らない」

「正直そのまま脱力しててほしいけど、なにもしてない。無実」


 私が否定すると、シェリーシャさんも頷いた。


「私、生みだすことに興味は無いの。貴方の関心と、私の関心は異なる」

「え、あ、そっかこの女怖い女だから、営みに興味ないんだ‼ 良かったあ‼」


 カーネスが顔を明るくした。良くは無いんだよな。


 というか魔王軍幹部とかいう成人女性は一体どうしたんだ。私はシェリーシャさんの背後を見ると、おびただしい量の氷の氷柱が轟き、海辺が氷山のようになっていた。


「あの氷山は一体」

「私の魔法」

「ああ」


 なんだシェリーシャさんの魔法か。突然、とんでもない量の氷山が出てきたら怖いけど、誰か出したものなら安心だ。


 でも、氷山の後方のあたりに黒煙の塊が浮遊している。


「あの黒煙は一体……」

「あれ俺の魔法です」

「ああ。じゃあいいや」


 でも成人女性の姿が見えない。


 というかシェリーシャちゃんが大人になったから成人女性が二人になっている。どうしたものかと考えていればカーネスが「じゃあいいや、じゃないんですよね」と眉間に皺を寄せた。


「なんで」

「だって店長に邪悪な感情を抱いて下半身を露出させると発動する魔法の結果ですよあれ。つまりあの魔王軍直属の幹部、竜巫女ジョセフィーヌとかいう三下、店長に邪悪な想いで下半身露出させたどころかあの触手あいつの下半身なんですよ。死んだほうがいいやつ」


 カーネスは早口で言う。というかその女性の姿が見えない。


「でもいなくなってない?」

「いなくなってないですよ。魔族だからかしぶといというか、店長に被害がいかないよう調整しすぎたせいで殺し損ねちゃったみたいで」


 カーネスが小爆発を起こし黒煙を吹き飛ばすと、半壊としか表現しようがない強大な蛇が現われた。体中に氷柱がが突き刺さり、炎に焼かれている。


「女性いないじゃん」

「あれがそれです」

「魔物だったんだ……‼」


 てっきり性癖に難を抱えた成人済み女性だと思ってたけど魔物だったんだ。だから騎士団がやってきたのか。


「じゃあ、逃げようか皆で」


 魔物の討伐は騎士団の役目。一般市民の私、カーネス、シェリーシャさんは避難すべきだ。騎士団の足手まといにならないように


「あれは、殺してもいいもの、じゃないの?」


 するとシェリーシャさんが私を上目遣いで見つめてきた。


「魔物は討伐したほうがいいものですけど……騎士団も出動している様子なので」


 シェリーシャさん大丈夫だろうか……。かなり大きいけど。


「なら、任せて」

 

 シェリーシャさんは蛇に向かって手をかざした。大蛇は暴れ狂いながらも身体の再生を始めている。


「再生できる感じの蛇……」

「みたいですね。俺がやってきたころは店長の爪くらいしか無かったのに、俺が取り乱している間にこんな戻ってしまって」


 え、じゃあさっき話をしている間、この蛇ずっと回復してたのか。だから静かだったんだ。


「久しぶりね、この感覚」


 シェリーシャさんの手が淡く発光し始めると、大蛇の周りに魔法陣が展開し始めた。数は……十……二十……三十は越えているかもしれない。


「大丈夫、さっき、再生していたところを見ていたから、致命傷の見立てはついているの。だから、死を迎える心の整理は、沢山出来るはずだわ」


 シェリーシャさんが微笑むと同時に、魔法陣から一斉に氷柱や水弾が大蛇に向かって放たれる。空を貫くような蛇の叫喚があたりに響く。シェリーシャさんはその様子を眺めていたあと、ふっと笑みを消した。


「飽きちゃった」

「え」

 シェリーシャさんは冷めた眼差しで、再度蛇に向かって手をかざす。

 すると蛇は一気に凍り付いたあと、硝子のように砕け散っていった。




「あああああ疲れたあああああ……」


  海辺そばの宿で、私は大きく伸びをする。カーネスとシェリーシャさんに魔物討伐をしてもらったあとのこと、騎士団の到着を待っていたけれど、中々来なかった。その為、私は手持ちの石をいくつか割り、はみ出し者の常連客のみんなに協力してもらった。


 魔法が使えない私はといえば、触手の魔物に壊された海辺の民家の修復修繕、救助や治療──をする常連のお客さんや怪我をした人々に炊き出しだ。


 常連客の中に頭がいくつもある犬連れが来ていたこと、カーネスやシェリーシャさんも魔法が使えることで料理ではなく人間の救助をお願いしていたことから、一人で屋台を営んでいた頃の地獄が蘇った形だ。


 結局、すべてが終わった後騎士団がやってきて、私は私で疲れていたため、常連客に説明を任せ、漁師のすすめのままに宿に泊まることにしたのだ。


「大丈夫ですか店長、いやらしい方向で癒しましょうか」

「寝たら回復する」

「寝たら⁉」


 カーネスが瞳孔が開いたような目で私を見る。先ほど漁師の人たちに「すごいね」と褒められ「あ、はい」と素っ気なく返していた、かしこそうな彼は何処に行ってしまったのか。


「適切な睡眠を取ったら」

「よりぐっすり眠れる方法がありますよ」

「カーネスが黙ること」

「声我慢しなきゃ駄目なやつですか⁉ 店長に声我慢してなんて言われたらもう……‼ はぁ……夢が膨らんじゃうな。我慢させられるの一番いいですよね、声出しちゃ駄目でしょ、とか言われたい。それで軽く声出して、もう、とか言われたい。ちゃんと我慢出来たらご褒美くれると提示されつつちゃんと出来なくても仕方ないなぁってご褒美もらいたいっっっ‼」


 ハギの村の罪、あまりに重い。子供に健全な教育の機会を与えなかった結果だ。


 私はカーネスから視線を外し、じっとこちらを見つめていたシェリーシャさんに声をかけた。


「私は、シェリーシャさんに重要なお話があります」

「なあに?」


 そう言うと、シェリーシャさんは私に視線を合わせた。


 彼女には大切な、それはそれは大切な話がある。


「屋台の従業員として働いてください!」


 頭を地につけんばかりに下げる。


 子供を雇うのはありえないけど大人なら別だ。冷却も出来て水も出せる。なんて優秀な人材だろう。


 完璧だ。冷水も出せるし、シェリーシャさんの出した水をカーネスが温めれば熱湯が一瞬で作れる。最高だ。大幅な時間短縮になるし、転移魔法に踊らされる日々から解放される日も近い。「転移魔法? ドンドン使ってくださいよ」と足を組みながら笑みを浮かべる日も近い!


「いいの? ……私と一緒にいて」

「勿論‼」

「飽きたら殺すかもしれないけどいいの」

「殺すのはなしで一緒に働いてください‼ 定期的に外来種の多い場所行くのでそれで我慢してくださいっっっ‼」

「殺しをやめろとは言わないの?」

「やめられるんですか?」

「いえ」

「なら、やめろとは言いませんけど……」


 なんだか微妙な沈黙が訪れる。しばらくすると、シェリーシャさんの笑い声が聞こえたような気がした。いや、聞こえてる。笑われている。


「あの、シェリーシャさん? どうされました」

「不思議だなと思って」

「不思議だと……楽しいんですか?」

「ええ、そうみたい」


 声を上げるのも辛そうなシェリーシャさん。絶対に笑いものにされているけれど、さっき「飽きた」としているよりはましだと思う。


 笑いものにされてるけど。


 いやでもこっちは大事な話をしてるんだけどな……。


「仕事に関してはいかがでしょうか……」

「ふふ、いいわ。貴女の最期まで、お手伝いしてあげる」


 シェリーシャさんの艶やかな唇が弧を描く。じゃあいいや、笑いものにされても。


「よろしくお願いします!」


 勢いのまま手を差し出す。するとシェリーシャさんは私の手をじっと見た後、また笑って私の手を握った。


「よーし! じゃあもう寝ましょうか‼ 朝になったらこの街を出ますからね‼」


 この部屋に来る前、漁師の人たちから、色々聞かれた。私とカーネス、シェリーシャさんの関係や、旅の目的とか。冒険をしていると勘違いされてすぐ否定したけど、「無粋なことは聞くんじゃない」と漁師の長のような人が察したような顔で止めて、なんだかとてつもない誤解を招いている気がしてならない。


 ややこしい事になる前に、町を出たい。


「そうですね、寝ましょうか」


 そう言ってカーネスは当然のように私の寝台に潜り込んでくる。


 私は空いている隣の寝台に入った。するとすぐに「差別だ‼」とカーネスは声を荒げる。


「差別って何が」

「その女はいいのに何で俺は駄目なんですか‼」

「え?」


 カーネスが指すほうを見ると、少女の姿をしたシェリーシャさんが私を抱き枕にするようにして眠っていた。あどけなくてかわいい。殺すのが好きな子には見えない。


「よしよし」

「俺もよしよしされたい‼ 色んな意味で‼」

「色んな意味では絶対しない」


 私はシェリーシャさん……いやシェリーシャちゃんを撫でながら寝に入る。


 今日は色々あって疲れた。でも、一人で転移魔法のお客さんをさばいていた頃より気楽だ。


 お客さんと話をしている時は楽しいけど、夜とか、ちょっとさみしかったし。


 今、私は一人じゃないんだ。


 私は穏やかな気持ちで目を閉じた。



ーーーーーーーー


 明るい朝の日差しに、心躍る生き物は多いらしい。植物に限らず、生き物は朝日を浴びて時間の感覚を取り戻し、生きていくと言うから。


 そんな朝日を受けながら、クロエが炎の邪神に向かって叫んでいる。


「カーネスッ‼ なああああああああああああんでいっつもいっつも寝台に潜り込んでくるわけ⁉ 下半身暴発魔法自分にかけてないの? っていうか自分にかけてくんない?」

「店長にですか……? あ、俺に無理やり触れないように……? なんだ店長そんな気を使わなくていいのに……俺は、両想いだったら、倫理なんて関係ないと思ってます♡」

「怖い。魔法使った後、怖いか聞いてくるけど何もしてないありのままのカーネスが一番怖いよ」

「ふふふ」

「やめろ笑うな怖い」

「いや嬉しくって」

「怖い怖い怖い本当に、言い方変える、カーネス、下半身暴発魔法自分にかけてくれない? 店長命令、カーネスがカーネスにかけて」

「何言ってるんですか? 魔法なんてなくたって俺は毎朝──」

「ああああああああああああああああああ予約が入ったあああああああああっしかも閉店ぎりぎりっ20人の宴だあああああああああああっおわりだもう」


 クロエが手持ちの高等術式召喚結晶を眺めてうなだれた。炎の邪神が笑みを浮かべながらその背を撫でている。


 魔力を持ちえない、弱くて脆い特殊な人間と、全てを焼き尽くす炎を持つ邪神。


 種族が異なる人間のことは良く分からないけれど、邪神のことは良く分かる。自分のことだから。


 この世界には、多様な種族が存在しているけれど、大きく分ければ三つに分類される。


 まず一つ目。


 人間や獣人、聖獣や精霊に妖精、簡単にくくれば、闇を必要とせず生きられる、光の群れだ。そこには海神や龍神など、神も含まれる。


 二つ目は、闇を必要とする種族。人間たちからは魔物と呼ばれ、たいてい、魔王と呼ばれる種族の長に忠誠を誓っている闇の群れだ。


 そして、なにものでもない、どこにも属せない、私たち。


 人の姿を成しながら人にならず、光の群れを殺し、闇の群れを喰らうこと出来るからだ。


 そんな私たちを、邪神と定義した人間たちがいた。光の群れは当然として、魔物より邪悪で神すら殺せる存在。だから邪神。神としての資格がないのに、神の名を持つ皮肉な存在。


 私は私が良く分からない。どうして存在するかも良く分からない。だから便宜上、そのまま受け入れている。



 そして光の群れも闇の群れも、私たち邪神の魔力を脅威とし、異端だと恐怖する。


 私はただそこに在っただけ。人に何かをしたことなんて一度も無かった。なのに人は、私を恐れる。


 だから今度は人が私に抱く偶像の通りのことをした。

 人々は死に絶え、消えた。


 初めのうちは楽しかった。全てを破壊し尽くし、人々の慟哭や、悲鳴を聞き、泣き叫ぶ姿を見ることは。けれど、それも続けるうちに飽きてしまった。


 そして私は、己の記憶を消した。


 私でいることに飽きたから。


 自分が、人ならざるものである記憶を失えば、人と同じように生活が出来る。そう思ったような気もするし、ただ単に、毎日毎日、こちらを憎悪を込めた目で見てくる人間の目にも、氷の世界も、何もかもに飽きてしまったからかもしれない。


 しかし、私は、記憶を消してしまったせいで、己の魔力の認識が甘くなり、結局どこへ行っても私は化け物と忌み嫌われ続け、いつしか人さらいに捕まり、奴隷商へと売られたようだ。


 けれど、触れるだけで殺せるはずの人間──クロエが、私に関わってきた。


 遥か昔の人間たちは皆、私を化け物と罵った。私が寝た後、家に火をつけ、私を焼き殺そうとした。


 長い月日の中、何度も、何度も、生き物たちは私を殺すことを試みる。


 でも、私は死なない。死ねない。私を殺せる生き物は、私以外に存在しない。自分に魔法をかけてみたけど、勝手に回復し始めてどうにもならない。生まれた時と比べ、魔力は減っていっている。


 微々たるもので、今なお神を殺すことは容易いけれど、きっと何百年と待てば、私は自然と死ねるはずだ。


 だからまだ、死ぬことが出来ない。


 でも、人は脆い。


 クロエは死ぬ。死んでしまうのに私を庇っていた。


 私が化け物であるかなんて、どうでもいいと言った。


 愚かな人の子。それも、人のなかでも魔力が体内に存在しない劣等種。


 なのに愉快だった。面白いと思った。久しぶりに、何百年ぶりに期待を抱いて、私はすべての記憶を取り戻した。


 何かに惹かれることが、何百年ぶりなのかもう分からないけれど。心の底が満ちていくような、沸き立つような何かを感じた。


 その昂りを、きっと炎の邪神も覚えているのだろう。しかし炎の邪神は生まれて間もない。自分がなにものかも分かっていない。分からぬまま、人の子を求めている。


 私は、炎の邪神と同じようにクロエを想っている。でもその方向性は大きく異なる。


 私は、クロエを殺してみたい。


 クロエが死ぬところが見たい。彼女の姿を見て、凍らせたらどう見えるのだろうか想像する。どんな姿で溺れるのか思い描く。


 クロエの死に顔はどんなものなのか。気になる。殺してみたい。でも、今のクロエを殺してしまうと、これから先のクロエの死に顔が見られない。


 人間は、歳を重ねるにつれ姿を変える。「衰える」「老化」というらしい。私は変化にしか見えない。老いを感じるのは人間ゆえの感性だろう。


 クロエの寝顔は、さっき見た。死に顔と寝顔は案外変わらない。今のクロエの死に顔は見たといっても過言ではない。だから、私はこれから彼女と共に在り、彼女と眺めていようと思う。


 そうしたら、きっとこの長い退屈も、そこまで苦痛じゃなくなるだろうから。


ーーーーーーー

「なんだよ、何で出せねえんだよお! おい!」

「すみませんお客様こちらは売り切れになっておりまして……」


 真昼の営業時間。私は怒りに震えるお客様に頭を下げた。お客様が神様だとは到底思えないけど、他のお客様もいる手前、一度目は下手に出ておく。


「なんで売り切れてるかって聞いてんだよ! あ? 喧嘩売ってんのか!?」


 そう言ってお客様は声を荒げる。この辺りはやれダンジョンなる、魔物が潜む洞窟みたいな場所が多い土地だ。


 ダンジョンには、魔物が集めてきた道具とか、薬草とか、魔物が魔物を倒したことで得た魔物の牙、骨があったりする。さらに魔物しか行けないような場所で取った宝石がある。


 魔法を使える人々はそれらを求めダンジョンに向かう。でも、ダンジョンは魔物の巣だ。いわば集合住宅であり、人間は他者の家に不法侵入して家財道具を狙ってくる泥棒なわけで、当然殺しにかかってくる。


 ゆえにダンジョンの中は、魔物の遺品、人間の遺品が溢れかえり、それらを狙い人が集まり、魔物も魔物で人を狙って集まってくる、窃盗殺生多発地帯だ。


 だからか、血気盛んな人間が多く揉め事も多い。


 でも、戦いの前に腹ごしらえがしたい人も同じくらい多く、そのぶん利益も見込める為、ダンジョンがあれば営業するようにしている。



「他のお客様の御迷惑になりますので……」

「俺も客だろうが! ふざけてんのかお前はあ! 馬鹿の看板ぶらさげやがって‼ 馬鹿にしてんだろ!」


 馬鹿の看板。目の前のお客様は私の能力値が見られるらしい。ダンジョンに行く人間はたいてい相手の能力が見れる。というか魔物の能力値が分からないと怖くて戦えないらしい。


 私は誰の能力値も把握できない世界にいるから良く分からないけど。


「聞いてんのかてめえ‼」


 ダンッとお客様が机を叩く。聞いてない。聞いていると疲れるから。


 私は荒れ狂うお客様に頭を下げつつ、この場にカーネスがいないことに安堵した。


 カーネスは今、ダンジョン内にスプーンを届けに行っている。お持ち帰りのお客様にスプーンを渡したものの、お客様が持っていくのを忘れたからだ。「自業自得ですよね? 届ける必要あります?」と言っていたけど、シチューを手で食べるのはきついし、カーネスがいたら絶対にこの乱暴そうなお客様を燃やし──、


「ぎゃああああああああっ」


 考えていると、客の足と膝が一瞬にして凍り付いた。


「クソが! やりやがったなてめえ! こんな店ぶっ潰してやる!」


 客は痛みにもだえ苦しみながらも、自分の足元に手をかざし、呪文を唱え足元を溶かそうとする。しかし、氷は溶ける気配が全くない。だんだんとお客様の表情が強張ってきた。


「おい! この氷なんとか……」


 そして、怒り狂う声が不自然な形で途絶えた。


 お客様の顔面は水の球体に包まれ、声どころか呼吸すら封じられている。


 じたばたともがき苦しみ、何とか苦しみを紛らわそうと自分の首をがりがりと引っ掻き始めた。この魔法、確実に──、


「シェリーシャさん⁉」

「ん」


 名前を呼ぶと、彼女はすっと私の背後から出てきた。幼児の姿の彼女は、目をぱちくりさせ、純粋無垢な眼差しをこちらに向ける。


「静かになった」

「静かにしたんですよね⁉ 今‼ シェリーシャさんが‼」

「ん」


 シェリーシャさんが頷く。彼女は実年齢的には「大人」かつ私より「年上」らしいが、大人でいると面倒らしい。


 実際、大人の姿のシェリーシャさんで接客してもらうと、変な男の人や変な女の人に口説かれ付き纏われる事案が多発していた。そして彼女の姿を変化させる魔法は、精神的にも影響があるらしく、幼児の姿のシェリーシャさんは、精神的にも幼児と変わらなくなるようだ。


 つまり、小さい子の感性のままに魔法を使うということは、大人のように加減が出来ない。


「うん、待ってそれ永遠になっちゃうんで! 一旦やめてください! 解除してください解除!」

「うるさくなる」

「むしろその方がいいですから! 永遠にお眠りになられるより百倍いいですから!」

「や」

「お願いします‼」

「や」

「じゃあ、後でダンジョン入りましょう‼ ダンジョンでいっぱい魔物倒すかたちで‼ それで我慢してください」

「ん」


 シェリーシャさんは渋々お客様に手をかざす。水が弾け氷が解けると、お客様は痙攣した後、意識を取り戻した。


 生きてた。本当に良かった。


「お、お客様……だ、大丈夫ですか……?」


 大丈夫じゃないことは分かっているが、大丈夫か聞くしかない。おそるおそるお客様の顔色を窺うと、お客様は私とシェリーシャさんを見て怯えた顔をした。


「二度と来るかこんな店!」


 お客様は屋台から逃げるように駆けていく。その様子を見届けてから振り返ると、シェリーシャさんがこちらを見て目を輝かせていた。


「ダンジョンまだ」

「ダンジョンまだです。というかお客様を、凍りつかせちゃいけないし、水の中に閉じ込めないって約束したじゃないですか!」


 私はシェリーシャさんと約束をしたのだ。お客様を凍りつかせたり水責めをしてはいけないと。


 つまるところ、このやり取りはもう四回目。


 さっきみたいな厄介なお客様が来ると、シェリーシャさんは魔法で制圧しようとする。

 

 正直相手はお客様の範疇を越えた感じもあるし、制圧すること自体はあまり構わない。


 けれど問題はその度合いだ。シェリーシャさんは煩いなら口を閉じ、暴れるなら足を凍りつかせてしまう。


 その行動は、呼吸を奪い、殺そうとしていると取られてもおかしくない行為。酷いお客様相手に魔法を使って店員が反抗する、自己防衛をすることは多々あるけれど、ここまでしてはいけない。


 凍らせるなら身体じゃなく足元だけ、水で口を封じるんじゃなくて、軽く見せるくらいと言っているものの、「危ない客だ!」と思うと、幼児体のシェリーシャさんは反射的に足を凍らせ、口を水で塞いでしまうのだ。


 でも、殺しはしてない。


 シェリーシャさんが苦しくなく生きていくことを考えると、このあたりで妥協するしかないかもしれないな、と彼女を見て思った。



「私は! いいものを! 買った!」


 ダンジョンそばでテントを立てた朝食の席。

 

 私は、カーネス、シェリーシャさんの前に立ち、あるものをかざした。


「俺との結婚式に使うブーケです?」

「……」


 狂人がはしゃぎ、シェリーシャさんが淡々とした眼差しであるものを見る。


「これで! 人を見ると! その人の持つ魔法適性が色で分かるんだって! さらに‼ 使用者の魔力に依存しない‼ 魔力が無くても‼ 分かる‼」


 あるもの……虫眼鏡は、行商から購入した革命的なアイテムだ。


 カーネス、シェリーシャさんと二人の従業員が集まり、お店の回転率も上がっている。


 けれど、料理に至るまでの下準備、食材を切ったりする作業は手作業のまま。どうしても時間がかかってしまう。


 ここは皮を剥いたり、下処理を担当する従業員が欲しい。


 食堂では、風魔法が得意な人がそれを担当していた。


 風魔法の適性は緑。適性のある人間を紹介するもよし。この虫眼鏡をかざして眼鏡が緑色になった人に働いてもらえないかお願いするもよし。求人効率がぐっと上がるアイテムなのである。


「ほら! これを見てよ、ほら!」


 とりあえず虫眼鏡をカーネスに向けると、赤く染まった。


「すごい‼ カーネス真っ赤‼ っていうか赤いな⁉ 本体全然見えないじゃん‼ 人探し使えないな⁉」


 行商人はその人の周りがぼんやり赤く染まる、と言っていた。大人数だと色が混ざるため、その部分だけ気を付けてほしいと言われたけれど、ぼんやりどころじゃない。レンズが真っ赤に染まり、ただ赤い画用紙をぺったりレンズに貼ったようになっている。


「私はどう?」


 こちらの反応に対し、それまで興味がなさそうだったシェリーシャさんが首をかしげた。


「見ますね……おおおおお青い!」


 今度はシェリーシャさんに虫眼鏡を向ける。すると虫眼鏡は青色に染まった。


 でも、透けない。人混みに向けようものなら色が混ざってどす黒くなるだけで、どこに誰がいるか分からない気がする。


「ちょっと二人、そこ立って並んでみて……うわっ」


 二人に並んでもらい、記念写真よろしく虫眼鏡を向ける。しかし突然レンズに亀裂が入り、音を立てて砕け散った。破片は粉のように舞い、きらきらと輝きを放ちながら風にさらわれ消えていく。


 虫眼鏡が、壊れた。


「嘘でしょ……。まだ買って一回しか使ってないのに……。今、私何もしてなかったよね……?」

「そうですね……」

「ん」


 二人は暗い顔をした。もうこれは、ひとつしかない。


「交換できないか、聞いてくる」

「え」

「え」


 何故かきょとんとした顔をする二人。でも、今はそれどころじゃない。


「結構高かったんだよ……これ。一度に二人見ようとしたからおかしくなったのかもしれないけど、初期不良の可能性もあるよね……?まだ、可能性あるよね……?」


 未来への投資だと思って、買ってしまった虫眼鏡。


 こんな無残な姿に……。


「いいの……? クロエは、それで」


「大丈夫です、粘ったりはしない。ちょっと聞くだけ……。変に粘ってごねたりしませんよ」


 やっぱり別の食べたくなったから変えてとか、そういう訳わかんない客の相手は疲れることを私は身に染みて分かっている。厄介な客にはならない。さりげなく聞いて、駄目なら潔く帰る。


「じゃ、行ってくる……」


 私は、ただ輪っかと化した虫眼鏡を手に、その場を後にした。





「無理だった。お金稼ぎます。明日はダンジョンに行きます」


 行商のもとへ向かい、テントに戻った私は開口一番そう言った。


 虫眼鏡の欠片をかき集め交換を求めに行くと、行商人は虫眼鏡を見て明らかに動揺していた。これは完全に初期不良だと思っていれば、「人為的に壊さないとこうはならない」「一体何をした」「何を見た」との一点張り。こちらが「ただ従業員を見ていただけ」と伝えても「化け物や魔王にでも関わってない限りありえない」と、怒られ、挙句の果てに騎士団を呼ぶと言われたので逃げてきた。


 要するに、私はお金を無駄にした。


「だッだダダダンジョンに入るんですか⁉ 外でダンジョンに向かう人間相手に商売のではなく⁉」


 私の言葉を聞いたとたん、顔を青くするカーネス。何かダンジョンにトラウマか何かがある?


「何? 暗いところが駄目とか?」

「ダダダ、ダンジョンで消耗した冒険者に食事なんてさせたら! 店長のこと好きになってしまうじゃないですかああああ!」


 がたがたと震えるカーネス。頭がおかしい。


「うわあ、絶対皆店長のこと好きになる……。嫌がる店長を無理やりダンジョンの奥深くに連れ込んで、触手系の魔物と手を組んでやらしいことをするんだ……!」

「カーネスは冒険者のことを何だと思ってるの」

「性欲でしか動かないハーレム野郎です! 本で読みました!」

「世界人口の五分の一敵に回してるよ今。夜道気を付けなよ。鈴もって歩きな今度から。隙あらば狙われるよ。すれ違いざまに切りつけられるよ」

「全員返り討ちにして燃やすんで大丈夫です!」

「出来たらいいけどダンジョンの中で活躍できる冒険者って強いんだよ。というか強いから冒険者出来てるからね、我々市民とは違うからね」


 私はカーネスをなだめつつ、そばのダンジョンの地図を取り出す。これは虫眼鏡の行商とは別の商人から買った。これで魔物が出辛い場所や、逆に危険な魔物が生息しているところが分かる。


 カーネスとシェリーシャさんは強いと思うけど、ダンジョンの中の魔物は手ごわいと聞く。魔物同士で潰し合い、蟲毒のような状態になっているらしい。


 シェリーシャさんは海で大きな魔物を倒したけど、ダンジョン内の魔物と戦えるかといったら、それは話が別問題だ。


 私は魔力が無いし、カーネスは村を出てまもない。シェリーシャさんに至っては、首に鎖が繋がれていない生活から一月経ったか経ってないか。


「ダンジョンの中で、軽くお店を開きつつ、魔物の遺品を拾ったりして、ダンジョンを出た後にどこかの街で売る、というのが今週の目標です」


 私は従業員たちに今週の売り上げ目標を宣言する。


「どんな魔物が出ても俺が燃やすのに」

「私が殺すのに」


 しかし危険を知らない従業員たちは、当然のようにそう言った。

「なんでだ」


 虫眼鏡の散財および転移魔法による大損害を取り戻すべく向かったダンジョンは、ものの見事に閑古鳥が鳴いていた。魔物はおろか人間すらいない。


「魔物も人もいないダンジョンなんて意味がない……」


 びっくりするくらい、人がいない。ダンジョンの前に立っている管理者に話を聞くと、ここ数日全く魔物が現れず、冒険者たちは訪れなくなったらしい。


 要するにここは冒険者の集うダンジョンでは無く、ただの洞穴だ。馬鹿みたいに広い穴。そして私はそこに来た馬鹿。何も無い。悲しみしかない。


「ごめんね」


 顔を引きつらせながら歩いていれば、私と手を繋いで歩いていた幼児体シェリーシャちゃんが謝罪してきた。


「どうして?」

「私たちいるせいで、魔物、いなくなっちゃうから」


 たどたどしい口調でシェリーシャちゃんが肩を落とす。


「なんか魔法使ってるの?」

「ううん。脆弱な生命は捕食者から逃れる定めだから」

「すごい難しいこと言い出したね」


 びっくりした。幼児のときは精神性も相応になる話を聞いていたけど、古文書みたいな喋り方されてびっくりした。何百年も生きた人の話の仕方だった。お客さんで古の賢者を自称する若い女の子がいたけど、その子もこんな感じだった。


「魔力が人のそれと違う、かといって、魔物からしても俺たちは異端ですからね。どうしようもないことですけど……化け物は化け物なので」

「カーネス……」


 良くない気がする。私は吐き捨てるように話すカーネスを見て思う。


「やめな。そんなこと言うの」

「店長は優しいですね。でも、事実ですよ……」

「事実も何もないわ。今すぐやめろそれ」


 私はすぐに止める。カーネスが「え」と目を丸くした。


 無限に見た。


 自分の能力を過信して、新人に絡んでズタズタにされる先輩。新人を馬鹿にしたり、よその女の子に絡んだりして注意された挙句「こんな雑魚に俺が負けるはずがない」とか言って喧嘩売って、「こんなはずが⁉」みたいなこと言って負けて、自分から居場所を無くす人。


「カーネスもシェリーシャちゃんもね、どんなに強かろうと、よそから見れば、ただの生き物なの。脆弱な生き物も捕食者も何もないの。強い、弱いで考えるのが必要な場所もあるけど、どんなに強くても戦いのない場所に行けば、その強さは意味のないものになったりするの。意味とか価値は、場所によるの。化け物みたいに強かったり化け物だったとしても、だから何ってなる場所はいっぱいあるから、特別で嬉しい、特別だから駄目だって思いすぎるのはおやめ」


 でないと、全裸にされたりする。


 カーネスと知り合う前、一人で食事をしていた男の子に絡んだ不良冒険者パーティーたちが、魔法で全裸にされた。


 男の子は被害者なのに「お騒がせしてすみません」と謝ってきて「気にしないで」とは言ったけど、全裸はやめてほしかった。店の前に全裸の男三人並ぶの、普通に営業妨害だし。


「それに、私自身カーネスとシェリーシャちゃんが化け物でもどうでもいいよ。私なんか、魔力ないし丁度いいんじゃない?」


 生まれつき魔力が高く、それでいて未熟な人間は、強すぎる魔力を放ち続ける状態になり周りに被害をもたらしてしまう、なんて勉強熱心な弟が言っていた。


 魔力が無いから良く分からないけど、強すぎる魔力に当てられ、「魔力酔い」になるらしい。熱風や冷風をあてられ続ける、といった事に近いと聞く。弟は薬師を目指していて、魔力量が違う人たちが共存できるよう、学生ながらにそういう魔力酔いを緩和させる薬の研究をしていた。


「店長……」

「なに」

「それは求婚と受け取っていいですね」

「拒否します」


 こちらの意思表示にカーネスは不思議そうな顔をした。


 なにも不思議じゃない。


 一方、シェリーシャちゃんは私の手を無言で握る。するとカーネスが腕を組んできた。

 

「ほうら、行きましょう! 暗がり! 吊り橋効果! 触れ合う手と手……重なり合う心……唇っ! 密室っ、触れあうっ、心とっ、身体っ」

「暗くて……閉じた世界……」


 シェリーシャちゃんはシェリーシャちゃんで、嬉しそうにしてる。それにしても、カーネスのはしゃぎようはなんなんだ。


「あのさ、カーネスは何でそんなに乗り気なの? ダンジョンとか冒険に憧れる素振りなんて微塵も無かったよね今まで」


「だって、無人ダンジョンですよ? 無人ダンジョンなんて完全に愛の巣でしょう! 暗闇での緊張感を恋と錯覚させている間にいやらしい魔物が出て来て、店長はいやらしい液を浴びて……。俺といい感じに、いい感じになるんですよ! そういうもんなんです!」

「ごめん何言ってんのか全然分かんないわ。っていうかたぶん無人じゃないよ」


 ダンジョンに人間がいないなんて無い。雑草一つない草原が無いのと同じ原理だ。人はお金を稼いだり強くなるためダンジョンに向かう。朝も昼も夜も絶え間なく。


「このダンジョン、クロエ以外に、人間、いない」

「シェリーシャちゃん、カーネスに合わせると変態になるよ」

「変態じゃないです‼ 俺はとっても健全です‼ 特殊性癖なんて一つも持ってないんですから」


 特殊性癖の塊が何を言ってるんだ。完全に手遅れのカーネスに呆れながら、シェリーシャちゃんに振り向く。


「シェリーシャちゃんはダンジョンどう?」


「殺しちゃいけないのがクロエだけだからたのしい」


 殺意の波動が強い。魔物が出てきたら嬉々として攻撃しそうだけど、シェリーシャちゃんの手に負えない魔物が出てくる可能性は十二分にある。周りを警戒しながら歩くと、魔物の残骸らしきものがそこかしこに散らばっていた。


 千切りだったり、みじん切りだったり。ここまで剣の腕が立てば楽しいだろうなと思うほどだ。


 もう風魔法の使い手じゃなくて、騎士とか剣士でもいいな。でもそういう人が突然料理に目覚めて下処理がしたくなるだろうか。わりと店に嫌な絡み方してくるの、昔は騎士として活躍してたおじさんが多いから、あんまりいい印象無かったけど、いいかもしれない。


「ん……?」


 ふと、壁にはなにか絵が描いてあることに気付いた。魔法学校に通っていたら何かしら理解できただろうけど、全然分からない。


「なにこれ」

「神話の絵。強い魔力に反応して、浮かぶからあんま見れないやつ」

「伝説の絵かぁ」


 シェリーシャちゃんが解説してくれた。小さい子は想像力豊かだ。殺意強いけど、子供が蟻を殺す純粋さもあるのだろう。私より年上だけど、今は女児なわけだし。


「異世界から人間が来るのは世界の均衡を保つため、みたいな感じでしょう」


 カーネスは壁に近づいていく。


「あ、こういう時何かに触ったらだめだよ。隠し扉が出てきたりするらしいから」

「隠し扉で二人きり……お互いを温めあい深まる愛……! 本に出て来たやつ! 来い!」

「季節的には寒くはならないし炎を出してもらうから」


 にやけながらベタベタと壁を触りはじめるカーネスを、壁に触らないよう道の中央に引っ張る。シェリーシャちゃんに服の裾を掴まれながら歩みを進めていくと、道の向こうに何かが立っているのが見えた。


「何あれ、看板かな」


 近付いて行くと、どうやら看板ではないらしい。人型の……銅像? でも何でこんなところに銅像が? ここで前にすごくいいことをした人を奉ってるとか?


 徐々に輪郭がはっきりと見えて来て、その銅像が騎士の格好をしていることが分かる。ダンジョンで奉られる騎士とは一体……。


「ひっ」


 あることに気付き、足を止める。


 銅像は、生きていた。


 目の前の、銅像じゃない、人。騎士……らしき人は、ぼーっと立っていて身動き一つせず、虚空を見上げている。


 何か見えているかと思ったけど、天井には何も無い。ただでこぼことしているだけだ。


 ぼーっとどこ見てんの? この騎士……。騎士を観察していると、やっぱり微動だにしない。……生きてる?


「あの、誰かとはぐれたんですか? 体調良くないんですか?」


 騎士に向かって声をかけると、ゆっくりと騎士はこちらを振り返った。

 さらさらとした短髪に、翠の瞳、まるで御伽噺に出てくる雰囲気を持った、そんな騎士。


「私は化け物だ。全て切り刻んでしまう、殺生することでしか生きていけない狂った道化」


 生きてはいた。そして全てを切り刻むという言葉。いい人材かもしれない。その言葉が、真実ならば。


 でも。


 どっかおかしいのでは。



自称、殺生することでしか生きていけない狂った道化




 こんな言葉、憑りつかれてなきゃ言えない。正気だったら言えるはずがない。何だ狂った道化って。


 何食べて生きていけば自分が狂った道化なんて言えるんだ。思えるんだ。


 懐から砕けた虫眼鏡の破片を取り出し、さりげなくかざす。破片は緑一色に変わった。




 風魔法適正、確定。


 もしかしたら道中の魔物は、この人がみじん切りにしてたり……?


「あの、もしかして魔物を斬ったのは貴方で……?」


「ああ、だから早くここから立ち去れ。近づけば、貴女のこともあの魔物のように斬ってしまうだろう」


 騎士はもっともらしいように言う。なにもかも聞かなければ、めちゃくちゃ欲しい人材だ、でも痛い。切断面も綺麗だった。でも痛い。でもみじん切りも均一だった。


「あの、貴方はどうしてここに……」


「追放された」


「追放?」


「ああ……この力は、この世界で生きていくには強すぎる。私は……化け物なんだ」


 狂ってら。


 徹頭徹尾狂ってら。


 なんだ強すぎるあまり追放って。


 聞いたことない。これあれだ。あまりにも、「アレ」だから、下手に解雇すると恨まれる可能性を考慮して、「うちでは扱いきれない」「優秀すぎる」みたいな感じで解雇されてるんだ。


 でもどうしよう。無職ならうちで働いてもらえるかもしれない。


 でもどうしよう。カーネスとか、シェリーシャさんみたいに治らない痛さかもしれない。


 カーネスはまだ子供だし、シェリーシャさんは……幼児になったり大きくなったりする反動が精神面にきている可能性がある。


 こちらの騎士の御方は……私と同い年くらいだ。いわば……手遅れの可能性がある。いやでも能力はとても優れてる。駄目元で誘ってみるか……?


 そもそも、誘って働いてくれるとは限らないし……。


 というか他の皆はどう思っているんだろう。


 昔の痛かった自分を思い出して、心を抉られているのでは。


 そう思って振り返ると、二人は特に表情もなく私を見つめていた。


「なんでしょうか」


 私は思わず敬語になる。


「いや、店長はどう思うんのかと思って、あちらの化け物」


 変な村で自分のこと化け物って言ってた年下に化け物呼ばわりされる騎士、きつすぎやしないか。


「化け物じゃ……ない可能性もあるよ」


 私は思わず否定するけど、もしかしたら本当に化け物の可能性もある。というかそのほうがいい。狂った道化よりずっといい。化け物なら「ああ人間の感性じゃないからな」で納得できる。狂った道化怖いもん。ナイフとかべろべろしてそう。べろべろナイフで切りつけてきそう。


「ばけものだよ」


 シェリーシャさんが言う。というかこの二人、なんでこんな平然としているんだろう。 特にカーネスはどうかしている。目の前の騎士とカーネスの過去の発言、「燃やす」か「斬る」かぐらいの違いしかない。


 でも、この際どうでもいい。相手は魔物ではなく意思疎通が出来る人間だ。さりげなく会話をして、どんな感じの人かみてみるか。私は騎士に声をかけた。


「あの……、狂った道化さんが化け物かそうじゃないかは置いておいてですね、ちょっとお尋ねしたいんですけども、今お仕事って何をされて……」


「!? 近付くな! 死んでしまったらどうするんだ!」


 駄目だな全然意思疎通出来ないな。


 一歩踏み出すと、大げさに飛び退き、怒鳴るように発してくる騎士。声が大きい。頭がぐわんぐわんする。


「私に近付けば、貴女の死を招く」


 騎士はそう言うけど、とてもそうは思えない。


 何なんだろうな。自分のこと、ここまで特別に思えるってすごい。でもこんな風に自分を特別扱いしていたら、いずれ「こ、この私が……新人に……負けるだと……‼」とか言いながら全裸にされたり、すごくいい道具を奪われたりする。そういう治安だから。


 新人に絡んだり一方的に戦いを求める先輩に、人権なんてない。むしろ魔力がなくてもなんとか生きていけるなか、誰かをわざわざ攻撃して自分から生きづらくしているのは、少し違うと思う。


 一方的な婚約破棄を行う令嬢令息も同じだ。お金がなく、パーティーの食事づくりの短期仕事を担っていたころ、何度も見た。


「ああ、魔力ちょっときれかけてて、へへへ」を無限にしながら、魔力があるわけだし自分を偽る必要もなさそうなのに、破棄、破棄、破棄の嵐、不思議だった。




 まぁ、事情があるのだろうけど。






 しかしながら、目の前の騎士の事情は理解できなかった。近付いたら死ぬ人が実在したら、国で隔離、管理されてる。私は魔力がないだけでめちゃくちゃ調べられたのだ。いわば受動的な状態で検査を受けた。一方、近づいたら死ぬ、というのはある種能動的な状態なわけで。


 こんな洞窟で引きこもりみたいなこと絶対出来ない。隔離されてる。しかし、目の前の騎士はずっと『そういう設定』で話し、こちらを巻き込んでくる。


「……私はこうして人の身体をしている、が、本質は紛れも無い化け物なのだ。不用意に……」


「恐れ入りますが化け物とか、そういうのもう三人目なんですよ」


 何だかもう、とても面倒になってきた。三度目だし。これが初めてとかだったらもう少し聞く持てるけど、三度目なんだよな。飽きたよ。大体の流れも分かるし。想像つく。


「自称化け物、挙手」


 丁度いいから以前痛かった二名……カーネス、シェリーシャちゃんに声をかけると、二人は素直に手を挙げた。自覚はあるんだ。自覚あったうえで騎士に化け物って言ってるんだ。怖いな。


「それでですね、そろそろこちらの質問にお答えいただきたく……現在のご職業というのは……」


「わ、私は! 全てを斬りつけ……」


「だからなんだ」


「えっ……」


「化け物とか強いとかどうでもいい。あんまり決めつけたくないけどさ、どうせ自分のこと化け物だと思って人と関わっちゃいけないとか、人に嫌われるとか思ってるんでしょ。全世界の人間に拒絶されるなんて無理だからね? 場所が悪いだけだから。変なやつが好きな奴だっているし、そもそも自覚あって切りつけてるならまだしも、人間と関わってる以上、傷つけて当然だから。自覚なく傷つけて私は人に優しい! って思ってるやつのが問題だからな?」


 もういいや。敬語いいや。絶対、人材を求めてる態度じゃないけど、騎士はあまりに切迫していて、嫌になってきた。疲れた。この流れ。一人目のカーネスはいい。少年だし。シェリーシャさんは幼児だった。


 でも騎士、私と同い年か下手すれば年上だ。


「し、しかし、私は傷つけ……騎士団の皆を苦しめ」


「なにで? 魔力酔いかなにか?」


 騎士は高い魔力が要求される。そして騎士団は結束力が命だ。


 酒で錯乱同士討ちしまくりバーサーカーか、下半身で生きすぎるあまり団員の妻や夫に手を出しまくりの色狂いでもないかぎり、退団にはならない。


 騎士の酒癖はわからないまでも、色狂いには思えない。というかできなそう。痛すぎて。


「なぜわかった…?」


 そしてどうやら当たったらしい。騎士は驚いている。魔力酔い、多分するほうだろう。させるほど強いのであれば、精鋭部隊とかに連れて行かれているはずだ。私の妹は剣の才能が有り余っており、魔法学園にいる状態で精鋭部隊入りが決定していた。


 つまり、化け物級に魔力酔いする騎士ということだ。


「皆最初は自分のこと化け物っていうけど、結局何も無いから、何も」


 事実を伝えると、面食らった顔をする。まぁ、このまま痛い話をし続けても発展しないし、現実を見てもらうか。


「あっちのカーネスは距離感狂ってるけど別にそれ以外何も無いし、シェリーシャちゃんは、生命へのあれこれが狂ってるけど、暮らしているから。屋台儲かってないから……不便はあれど、普通に私と生きてる」


「え……? 普通に?」


 やめてほしい。屋台儲かってないって部分、的確に狙ってこないでほしい。。




「それともなに? もしかして周りを切り刻む寝相とかがあるの?」


「いや」




 騎士は首を横にふる。




「そっか。それで、今のお仕事は何を?」


「し、仕事……? ……今は、ただここに在る」


「無職か。野菜とか魚、肉に触って痒くなったりすることってある?」


 無職、ということは多分冒険者でもないし、仕事は多分探しているはず。


「無いが、え、あ? い、今ど、どういう話をしているんだ?」


「屋台やってるんだけど、この辺りの魔物倒したのが貴方であれば、一緒に働いてほしい」


「一緒に…? しょ、正気か? 私は殺戮の道化なんだぞ」


 私の言葉に、騎士は本気で私の正気を疑っている素振りを見せた。いや正気を疑いたいのはこっちだ。何だよ殺戮の道化て。増えてる。進化してる。


「まぁ、さ。その魔力と殺戮の、剣? を、料理によって、生み出す力に変えてみない?」


「そんなこと…私にできるはずが」


「できるよ。絶対できる。大丈夫」


「できる、だろうか…」


 騎士はぽかんと口を開けた後、自分の持つ剣を見る。


「それに、今魔力酔い起きてないでしょ?」


「そ、そうみたいだ、な…?」


「お客さんの質は場所によって最悪になるし、不自由さもあるからいい職場とも環境とも言えないけど、ちょうどいいとは思う。うちとしては、今すぐにでも必要な人材だから考えておいてくれると嬉しい。」


「必要……」


 騎士が呟いた直後、地面が音を立てて大きく揺れ始め、轟音が響き、周囲が閃光に包まれていく。


 するといつの間にか天井は消え去り、はるか遠くに空が見えた。


 こんなに深く潜っていたのか。


 まるで大きな落とし穴に落ちたみたいだと空を見上げると、遥か地上、まるで落とし穴を仕掛け、落ちた人をあざ笑う主犯のような位置に人影が見えた。


「我が名は剣王レックス! 魔王郡直属の幹部なる者! 魔獣遣いバイラス竜巫女ジョセフィーヌの仇、取らせてもらおうか!」

「だれ」


 シェリーシャさんが首をかしげる。私もわからない。


「わからない」


「でも、魔獣遣い倒したって」


 魔獣遣い、覚えがない。常連さんの中にはお店のそばで乱闘騒ぎを起こした挙げ句、「店長が倒したってことで」「やれやれ!」とか言って逃走をはかる不届き者がいる。すると、カーネスが「ああ」とハッとした。


「ちゃちな阻害魔法使ってた馬鹿だ」


「阻害魔法?」


「はい。店長と俺が出会って間もない頃です。ほら、店長がまだ俺と両思いじゃなかったころ」


「今もだよ」


 一体何を言っているのか。呆れていれば、それは向こうも同じなのか自称剣王は「ふざけてんじゃねえぞ」と両手に剣を構えた。


「魔王軍の三柱のうち、二人を破って楽に死ねると思うんじゃねえ…ぎゃああああああああああ」


 自称剣王が何かを言いかけている途中で、カーネスが右手をかざし爆炎を放つ。どうやら見てくれ魔法ではないらしい。剣王は焦げている。


「いや最後まで聞きなって」


「貴女のお願いは、なんだって叶えて差し上げたいです。が、あの男は頭がおかしい。燃やして灰にします!」


「死んでもらわないから! 人殺しになるからね!?」


「どうしてあの男に味方するんです!? あの男のこと好きなんですか!? 何で!? 俺より!? 許しませんよ!?」


「いやその情緒不安は何処から来るの!?」


「だって! この間から幼女の味方ばっかりしてるじゃないですか! 幼女の味方、ばぁっかりするじゃないですかあ! 俺だって頭撫でてもらいたいもん! すごいねって言われたい! え…カーネス、おっきい……って言われたい!」


 自分の頭を抑えながら喚くカーネス。手に負えない。何でこんな風になってしまったのか。


「てめえら馬鹿にしてんじゃねえ! 今すぐぜんいあああああああああああああ!」


 またしても剣王は絶叫し、剣を構え直す。しかし今度は龍の形をした水流に飲み込まれ、縦横無尽に振り回されていた。


「シェリーシャちゃん!?」


「倒していいやつ。勝手に殺さないでほしい。私がしたいから」


 シェリーシャちゃんはカーネスに向かってむくれるけれど、全部だめだ。殺しはだめ。魔物討伐と訳が違う。


「捕まっちゃうから! 殺しちゃったら! 罰金と保釈金まで詰まれたらお店潰れちゃう!」


「だいじょぶ。殺さない。勝手に終わるだけ。少しずつなぶる。途中で起きなくなっちゃうかもしれないけど、その時は……運が悪かっただけ」


「いや大丈夫じゃなくない!? 賭博場で負けたおじさんと同じこと言ってるよ」


「て、てめえら……俺を馬鹿にしやがって……!」


 自称剣王はそう言って絡んでくる。カーネスは敵意をむき出しにしているし、シェリーシャちゃんは己の性癖のはけ口にしようとしている。シェリーシャちゃんに制圧を頼むと多分最悪の事態に陥るし、ここはカーネスに……、


「ねえ、カ……」


 声をかけようとして、止まる。


 カーネスは俯きながら暗い表情で笑っていた。こっわ。


「何考えてんの?」


「どうやって燃やして……、こ、この場から、逃げようと、か、考えていました!」


「いやもう言いかけたとかのレベルじゃないから。普通に全部聞かせる気あるよね!?」


「ち、違いますよお! そんなことないです!」


「いやもう考え出てるからね? 燃やそうとしてるんでしょ」


「良く分かりましたね!」


「怖いよ、そこまでして無垢を貫き通そうとする根性が怖いよ」


 カーネスを窘めていると、シェリーシャちゃんが「ずるい」と唇を尖らせた。


「わたしも、体内に水を流し込んで、その後、臓器を少しずつ凍らせて苦しめるのやりたい」


「カーネスそんなこと一言も言ってないよね!?」


「そうですよ、俺は呼吸が続くぎりぎりまで水中に閉じ込め、呼吸をさせ、閉じ込めることを三百やるのがいいと思います」


「カーネス!? そんな発想あるの? 普段死ぬほど妄想してるから!? その妄想力いやらしいことじゃなくてそっちも網羅してるの!?」


「失礼な、俺の妄想力は店長との麗らかな日々と店長に害なす不届き者への対処の2種類しかありませんよ」


「麗らか……?」


「はい。麗らか、という枠組みの下部に、関連事項として、いちゃラブ、美少女、貧乳があるだけです。あと店長が一つ結びのときは一つ結びですし、仕事み強いときは仕事、とか」


「カーネスの言ってること本当に何一つわからないけど絶対にろくなことじゃないのはわかる」


「ろくなことなんかじゃありませんよ、強いていえば…救い、でしょうか」


 カーネスはそう言うけど絶対違う。しかしシェリーシャちゃんがうなずいた。


「死は…救い、痛みや苦しみからの解放…」


 儚げに笑い宗教を開教しようとするシェリーシャちゃん。この地域では開教すると税金がいくらか安くなるけど、ダンジョンに行く前、神に祈りたい人が多い……つまるところそういう人たちを対象とした宗教営業が多く、宗教激戦区だ。おすすめできない。


「いいな……」


 この場をどうやって脱するか考えていると、後ろからぽつりと寂し気な声が聞こえる。振り返ると、騎士がこちらをじっと見ていた。


「な、なに?」


「……羨ましいと、思って」


 え、何? 頭がおかしいの? 道徳心死んでるの?


「この状況のどこが?」


「……全てだ。私は、孤独に朽ち果て、無様に散っていくのが似合いだと思っていたが、途方もなく、羨ましい」


「はぁ」


 私も、孤独に朽ち果て、とか、無様に散っていく、とか、この期に及んで言える強い心が羨ましい。冷めた目で見ていると、騎士は意を決した様子で私を見た。


「……働く件、私で良ければ、私を必要としてくれるのなら、その想いに是非とも報いたいと思う」


「え! 本当! よろしく!」


 私はすぐに騎士への見る目を変える。何言ってるか意味わかんないけど、働いてくれるなら別だ。あの切断技術を持つ従業員が入ってくれるなら、全然別、むしろ大歓迎だ! 痛いの最高! いや最高じゃないけど!


 握手をしようとすると、周囲にいくつも雷が落ちて来る。私に近い雷は、全て氷や炎で防がれていた。ありがたい。


「だから! 俺を無視するなって! 言ってんだろうがクソがあああああああああ!」


 どうやら雷は自称剣王が放ったものらしい。騎士は「どうやら剣王の模造らしいな」と、目を眇める。


「模造品?」


「ああ。この世界には、数多の神や王がいる。そのうち、剣の道にて始祖となり、雷撃において頂点となる王を──模倣している」


 怖いこと言い出した。思想が強い。


「なぜそれを……」


 駄目だ、自称剣王、のってきちゃった。


「人の身ながら邪神を司る主よ」


 そしてさらに騎士は私に設定を振ってくる。


「クロエです」


「クロエ……良い名だ。私は風の邪神ギルダ。この剣、そして忌まわしきこの力を持って、あの敵を打ち倒して見せよう!」


 痛い。けど、従業員として働いてくれるなら、まあいいか。最悪この辺りの騎士は皆こんな感じって可能性もあるし。いやない。


「いざ!」


 ギルダは剣を構えると、風が吹き荒れ始める、そして、ギルダの剣が緑色に輝き始める。


「か、風の邪神……? なぜ、人間に味方を……」


 だめだ。自称剣王が同調してる。地獄の頂上決戦が始まった。


「まぁいい……俺は誰にも負けねえ!」


 さっきまでカーネスに燃やされシェリーシャちゃんにぐちゃぐちゃにされているのさえ見なければ、主人公みたいだった。


 そして自称剣王は周囲にわざわざ雷撃をまき散らし、雷を落としながら大掛かりにこちらに接近してきた。


 けれどその雷を、騎士が風で霧散させていく。


「哀れな魔物よ……自分をおごり、私に剣を向けたこと、後悔するが良い!」


 ギルダは自称剣王に向かって駆けだすと、足元に竜巻を起こして、一気に飛び上がると、剣を振りかぶり、一気に振り下ろした。


 一瞬の斬撃音が響き、自称剣王がゆっくりと降下していく。ギルダは宙で止まっていた。空を飛べるらしい。配達もできそうだ。すごい。


「貴様の魔力の筋を斬った、最早奴に魔力は無いも同然……。穏やかに眠れ……」


 自称剣王をを見下ろしながら、呟くギルダ。


 痛いけれど、まぁ殺したりしないなら安心だ。でも、「動けないように身体の腱を切ったよ」を、「魔力の筋を切った」とか言っちゃう感覚は、やっぱり逸してるなと思う。


 そんな騎士は優雅な動作で私たちの元に降り立ち、剣を鞘に戻した。すると緑色の発光も収まっていく。


「私の力は……このように、理に反する。風の力であり、全てを斬る力……それでもいいなら……」


「あっはいはいはいはい。いいよいいよいいよ! 千切りと、みじん切り、あと皮むきもお願いするから!」


 痛いけど、即戦力だ。これは大きい。来週からでも営業規模を拡大して店を開こう。


 ほぼ無人ダンジョンに絶望したけど、今日の利益やお宝より全然いいものを見つけた。


「やー助かるよ! 今日本当、ダンジョン入ったどころか洞穴に入っただけで終わると思ってたけど、見つけて良かった! 今日からよろしく! 繰り返しになるけど、私の名前はクロエ、この店の店長! で、こっちが火力係のカーネス、水回りのシェリーシャさん!」


「私の名前はギルダだ。よろしく頼む」


「よろしく!」


 ギルダに向けて手を差し出すと、ギルダは少し目を見開いた後、私の手を握り返す。カーネスは怪訝な顔をした。


「女同士なら襲っても子供は出来ません。少しくらいならいいですけど、もうそろそろやめてください」


 最低なことを言う。


「すごいな、魔力でわかるのか」


 なぜかギルダが感心していた。


「なにが、わかるのですか」


「私は男と間違えられることが多かったから」


「へー」


 そうなのか。ギルダを眺めていると、彼女は私にひざまずきー、


「クロエ、私は騎士として、ここにあなたへの忠誠を誓おう」


 手の甲に唇をつけた。


「あああああああああああああああ!」


 カーネスが絶叫し手刀を入れる。ぎりぎりで避け手刀は私の手の甲すれすれを通過する。危ない。当たったら絶対痛かった。ぶち折られるところだった。


「あっぶな! 料理人の手に何しようとしてんの!?」


「浮気、浮気ですよ! 浮気! 酷い! うわあああああ!」


「違うから! っていうかさっきまで、同性は既成事実出来ないとか下種っぽいこと言ってたの誰? なんなのその情緒不安定」


「だって! 唇が! 手の甲に触れた! 俺まだ足の爪先しか触ってない!」


「よし分かった。テント二つ買おうこれを期に。今度からカーネスだけ別のテントで寝てな」


「嫌だ! 絶対! やだ! やだああああああああああ! 何でそんなこと出来るんですか? どうして!? 浮気したくせに! 何で何で何で何で!?」


 バタバタと暴れまわるカーネス。いやこっちの台詞だし。何で寝てる間に他人の爪先なんて触ってるの。狂ってるでしょ。もう放っておこう。


「とりあえず痛い人の拘束を……」


「大丈夫よクロエ、今始末をしているから」


 シェリーシャさんは仮面をつけた痛い人を凍らせている。けれど、いつも凍らせている感じと雰囲気が違う。


「これどれくらいで溶けるように設定してるんですか?」


「七百年……くらい?」


 こてん、と首を傾げるシェリーシャさん。それ拘束じゃない。氷葬になっちゃう。


「ちょっと短くして、二日三日程度にしてください、あと呼吸は出来る感じでお願いします」


「短すぎないかしら……? 一瞬でしょう?」


「短くないです」


「まぁ、いいわ。それでも」


 でも、すごいなシェリーシャさんの魔法。永久凍結出来ちゃうじゃん。魔法って便利。


 ふと、ギルダの方を見ると、ギルダは眩しいものを見る目でこちらを見ている。


「こんな感じだけど、よろしく」


「ああ、よろしく頼む」


 ギルダは、私の差し出した手を握り、それはそれは穏やかに笑った。




 私はどこへ行っても、異端だった。


 ここから遥か遠くの大陸、代々騎士団長を輩出する家系の中で、私は生まれた。


 強さは優秀さの証拠、尊ばれる家柄であってもなお、私の強さに家族全員が恐怖した。


 兄たち、父、師の心を殺したからだ。誰も私に勝てなかった。訓練をするたびに、相手は私を恐れ、戦う相手が消えていく。


 騎士団の入団が早まり、戦いに身を投じる環境に身を置くことになって、何か変わると思っていた。


 何も変わらなかった。


 私の強さにかなう人間はいない。どこにもいない。魔力も剣技も何もかも。戦う以上、一方的な試合になる。そうした中で、戦争が始まった。


 出征前の情報では、我が国が優勢だと聞いていた。


 しかしひとたび戦場に赴けば聞いていた状況とは全く異なっていた。


 我が軍は、壊滅的だった。相手の国は事前情報よりずっと性能のいい武器を手に、同盟国とともに戦いに身を投じていた。私の部隊が到着した段階で、ほかの部隊には戦える人間なんて数人程度、何とか怪我人が治療を受け、治癒士たちが戦いながら治療の場を守っているような惨状だった。


 だから、皆私の率いる部隊を見た時、希望だと言ってくれた。


 最後の救いだと。


 その顔を見て、私を恐怖しない人間の表情を見るのは久しぶりで、私は何とか守らなければいけないと思った。


 たとえこの身に代えてでも。皆を守りたかった。


 私は戦った。懸命に。この髪が、身が赤黒く染まってもなお、握った剣を動かすことをやめなかった。そして戦況は一変した。


 当然だ。全てを切り裂き、そしてどんなに切り裂かれても死なない兵士が居れば、どんな軍勢を相手にしても、武力なんて無いも同然。


 切りつけても切りつけても死なない化け物に勝てる人間なんて、いるわけがない。


 戦が終わって、国の脅威になったのは他ならぬ私だった。


 皆、私を恐れている。


 国があるのは、私の強さあってのもの。


 でもこれから先一生、私に恐怖し続けなければいけないのか。


 民の苦悩を間近で垣間見た私は、国を出た。


 


 放浪の旅といえば聞こえがいいかもしれないが、一人になれる場所。人に触れぬ場所を探した。そして辿り着いたのがあの洞窟。


 あの洞窟での生活は辛くない。魔物が出ては切って、その繰り返し、いつか朽ち果てるのを待つだけ。でも、誰も私にかなうことはない。


 それでもいつか、私に勝つ魔物が現れるかもしれない。


 化け物を殺すには、化け物が一番──、


「あのさ」


 私の話に、クロエが重々しい顔つきで口を開く。


 気が付けばいつの間にか空には満月が浮かんでいた。あれから、私はクロエ率いるパーティーに合流することになり、歓迎会を開いてもらった。夜も更けてきたころ勧められるがまま酒を飲み、身の上話をしてしまったが、とうとう怖がらせてしまったようだ。


 話をすべきではなかったと反省する。


「祖国、恩知らずすぎない? で、ギルダも結論早すぎじゃない? 世を捨てすぎじゃない?」


 クロエが眉間に皺を寄せながらこちらに問いかける。私はどう反応していいか分からず、ただ杯を握りしめたままクロエの顔を見つめていた。






——————————




 本当に、申し訳ないと思う。


 


 ギルダが合流し、カーネスやシェリーシャさんの分もまとめた歓迎祝いをすることになり、いい感じになってきたころ、唐突にギルダの自分語りが始まった。


 カーネスは自分語りに関する前歴があるにも関わらず、定期的に私にちょっかいをかけてくるし、シェリーシャさんは穏やかに頷いてはいたけどそれが定期的すぎて完全に聞いていない。


 だからせめて私だけはちゃんと聞こうと思って、耳を澄ませ集中していたけど、憤りが強まってきた。


 初めは、戦いの苦しみについて吐露しているのだと思った。戦争だし。結局戦争は何も生まない。だから静かに聞いていた。


 でも途中で、「私死なないんだよね、それにめっちゃ強い」みたいな自慢話は違うだろと思う。


 そのあたりから話の終着点が分からなくなって、かと思えば戦終わって「周りに配慮して国を出ました」という悲しみの話題に移行した。


 ああこれ悲しみの吐露だな、自分の中で整理しようとしているんだな、と思ったら「でも洞窟の中で色々切ってた」と、「自分つええ」いわゆる異世界からやってきた人間の言葉で言うと「俺Tueee」が始まった。


 常連客が財布を忘れたとき、「これを人質にします」「人質にしてる間読んでいてください」「汚したら殺します」と、どちらが人質とってるかわからない脅し付きで渡された大事な本、いわゆる本質の主人公がこんな感じだった。その後支払いにきた客から聞いた話によると、「無自覚で無双する」みたいなのが異世界で流行ってるらしい。


 物語で読むとわくわくする。前に常連客に誘われ劇を見たけど、楽しかった。


 でも無自覚で無双してるやつ、現実で見ると腹が立つ。頑張ってるじゃんと思う。上から目線になってしまうけどお前頑張ってるし強いんだから黙れ、という気持ちになる。この複雑な感情はいったいなんだ。恨み、嫉妬? 


 とはいえ、ここで私が憤りをぶつけたとて、待っているのは「へ?」だろう。異世界人の書く本も異世界人も、自分への称賛は絶対聞き入れない。異世界人を好きになった人間の恋の相談を聞くけど、暗闇の中で指先を触れ合わせるような、手探りの恋をしていた。要するに地獄の長期戦である。


「ギルダの望みは結局何?」


 問いかけると、ギルダは考え込み俯いた後、また顔を上げた。


「人と、一緒に……いたいのかもしれない…」


「いいよ」


 すごい短い話で終わった。すごい端的。


 私が真面目に話を聞いていた時間を返してほしい。


「クロエは優しいな。寛大な心を持っている」


 ふっと笑みをこぼすギルダ。なんだかなあ。カーネスも、シェリーシャさんもそうだけど、こういうところちょっと気になるんだよなあ。


「何か前から思ってたんだけどさあ、皆ちょろくない? 騙されるよそんなんだったら」


 そう問いかけると、周りは驚いたように目を見開き始める。なにこの一致団結。初期不良虫眼鏡の購入を知るカーネス、シェリーシャさんはまだしも、ギルダに見られるのはだいぶ心外だ。


「皆さあ、私が触ったり一緒に行こうって言うと奇人扱いしてお礼言ってくるけど、優しい人なんていっぱいいるからね。前までいた環境が、たまたまそうだっただけで。別に特別に優しく扱ってるわけじゃないから過剰にお礼言わなくていいよ」


 本当に、どうかと思う。カーネスはまだマシというか自重してほしいくらいだけど。


「大丈夫だから。全員大丈夫の集団。以上です」

 皆の顔色を窺うと、ぽかんとした後、けらけらとこちらを馬鹿にするような生暖かい目でこちらを見てくる。ギルダまでもだ。私は訳も分からず、机に置いた杯を握ると、一気にあおった。


 ちなみに酒は一切入ってない。みんなにばれないようにと祈っている。酒が一滴も飲めないことを、常連客達に「人の子は脆いな」などと無限に馬鹿にされるから。そういう時、異世界人たちは「シンソツの時、飲み会地獄だったな……」と穏やかに見てくる。転移魔法を使ってくるけれど、そういう時、異世界人たちは死んだような目をしているから、なかなか憎みきれない。










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[気になる点] 魔力が無いことを理由に、人の店で働くことに限界を感じた私が、魔力のある人を雇うなんて本末転倒だ。  しかしこのままだと借金地獄に陥る。最悪だ。「あ、うちの無能娘、借金地獄に陥っている…
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