第一章 月光花 旅路
「純粋な人間ってのは、どうしてそうも意思を確立できるのか、俺には全くもって理解できない謎なんだよなあ」
運転席の彼は、ふとそう言ってみる。
助手席で、先程から本を読んでいる青年へと喋りかけているようだ。が、読書に集中しているのか、助手席の青年は答えない。
山道を駆け登り、林道をかき分けて、折りたたみ式の屋根がついている軍用車両は進んでいる。ガタガタと車が上下に揺れる中、運転席の男は必死にハンドルを握っていた。
「なあ、おいデヴィル。聞いてんのか? 人の話」
「…………」
デヴィルと呼ばれた助手席の青年は、未だ本から視線を背けずにいた。
おとなしめに流した黒髪に、黒のYシャツに黒のパンツ。そして上には黒のロングコートを羽織っている。幼い顔立ちをしているが、文字を収めている瞳には、物事を見通しているかのような暗く鋭い輝きがあった。
「ったく、人が話してる時ぐらい、眼の一つも見れねえのか。これだから最近のガキは……」
悪路を捌きながら、ちらりと横目で見るが、デヴィルには依然として反応がない。まるで感覚器官に異常をきたしているかのようだ。
あくまでもだんまりを決め込むデヴィルに、ちっ、と舌を打つ運転席の男。
赤いロングの髪に赤のレザージャケット、青いジーンズをはいた運転席の男。
彼の名は――
「ブラッド」
デヴィルはいきなり運転席の男の名前を呼んだ。
ブラッドは振り向き、
「なんだよ。人が呼んでる時はうんともすんとも言わねえでさ。俺はお前の召使いかっての」
と悪態をついた。
「視界が悪いな」
ブラッドの言うことは無視。
デヴィルは未だに本を見たままで言った。
「ああ。本当にこの道であってんのかよ? お前ぇ……さては違う道教えやがったな? その本がキリのいいところで終わるように、とかわけのわからん理屈思いついて――」
「――曲がれ」
「は? 曲がれったってお前、両側は木ばっかでこの先に曲がり角らしきもんはねえぞ」
デヴィルの言うとおり視界の悪い森林地帯に延びる道を、ブラッドは眺めながら言った。
「いや、今すぐ曲がった方がいい。でなければ……死ぬぞ」
予想外の言葉を受けて再び振り向くブラッドに、ようやく顔を上げたデヴィルが目を合わせた。こうして見てみると、その瞳に渦巻く闇に呑み込まれてしまいそうなほどの深い暗さに、改めて思い知らされる。
それからも危機迫る語調なのに対し、ひどく冷静な口調で、デヴィルは告げる。
「エンジンでもハンドルでもいい、今すぐどちらかを切れ。さもないと落ちるぞ」
落ちる――?
はっと気付くと、ブラッドは前方を見た。
ジープの厚いフロントガラスの向こう側、数十メートル先にあるものを、彼は見た。
いや、あるのではない、そこにはなかった。
なにも――なかったのだ。
道が途切れていた。
進路が寸断されていたのだった。
「やべえ!!」
ブラッドは必死にブレーキを踏みつけてハンドルを切った。
このでこぼこの山道をハイスピードで駆け上っていたのだ、ちょっとやそっとでは止まらない。ブラッドは持ち前のテクニックを用い、高速のジープで地面にタイヤを擦らせた。
あと十数メートル――
ブラッドは若干意識を飛ばしかけながらも、なんとか腕と脚に精一杯の力を込めた。
ガガーッと地面をひっかくジープは、方向を変えてスライドしていく。だがまだ止まらない。彼はやれるだけのことをやった。あとは、神に祈ることしかできなかった。
「おいおい頼むぜ! こんな所でこんなやつと一緒に死んでられるかっての!」
「僕もお前との心中はごめんだ」
至極冷静な声で本心を語るデヴィル。
「黙れ元凶!!」
なおも回転を続けて進行するジープ。
あと数メートル――
「おいおいおいぃぃぃいいいいいい!!」
「ぐぅッ!」
手足に渾身の力を込めながら叫ぶブラッドに、助手席には、あまりの危険な状況に、ついに表情を強張らせたデヴィルの姿があった。
相当量の遠心力に苛まれつつも唸りを上げるジープは、やっと、その動きを停止した。
あと、数センチのところだった――
ジープは道なき虚空を背に構え、危機的状況をすんでのところで回避していた。
心なしか、車体は少し傾いているようにも見える。
「はぁ~……ったく、おいおい、後輪が落ちかかってるじゃねえかよ。もっと早く宣告……警告しろよな。一歩間違えりゃ転落死だぞ」
「ふぅ。ハンドルを回すだけの動作を間違うバカが、この世のどこにいるって言うんだ。それとも、お前はその程度のことも平然とミスしてのけるのか? それはバカを越してただの肉だぞ」
冷静な、淡々とした声で罵倒するデヴィル。
カチン、とブラッドは青筋を立てた。
「お前なあ、人を家畜みたいに扱うんじゃねえ」
「食肉に例えたつもりはなかったけどね。それとも、そっちの方が自分に合ってるとそれとなく感じてたのか?」
「どこまで人を小バカにしやがる、この全身黒人間! 葬式男!」
「滓」
「……こ、この怠慢者! 少しは運転しやがれ!」
「屑」
「ば、バーカバーカ!」
「く――」
「ああもう! わかったよ! わかったからそれ以上、最上の殺し文句で罵るのはやめてくれ! 『く』の後になにが言いたいのかも気にはなるけど!」
デヴィルの一つ一つの言葉が心に刺さり、あまりにも大きいダメージを負ったブラッド。眼元には薄く潤んだ膜が張っているようだった。
デヴィルはそんな相棒を憐れんでか、少し口調を整えて労った。
「まあ落ち着け、あまり大声を出すな。さもないと、どっかのバカが僕らを見てるかもよ」
「……はぁ?」
「何言ってんだお前……」と、ブラッドの言葉はそこで途切れた。近くの茂みから、ガサガサと葉の擦れる音が聞こえたのだった。
風の仕業にしては小うるさい。
獣の仕業にしては荒くはない。
ならば――
「誰だ!」
「やぁ――!」
ブラッドの豪勢に乗り、茂みからは三人の男が勢い込んで現れた。
三人とも、商業や農業で食い繋いでいるような純潔な風貌はしていない。一人は口周りに無精髭を生やし、一人は服をボロボロにしながらも平気で着こなし、また他の一人は安っぽい、ちょっと力を加えれば折れそうなナイフを構えている。
「誰だお前ら」
三人の侘しい格好に哀憐を感じたのか、ブラッドは気分を落としたような声で言った。
その問いに彼らのリーダらしき人物、髭の男が口火を切った。
「山賊だ。あんちゃんたちよう、わりぃがその車、こっちに渡してくんねえか」
「ついでに有り金と金品も忘れねえようにな」
「服も一応置いてってくんな」
三者三様、同じ内容を要求してきた。まあとりあえず、身体だけ持ってさっさと去れ――そう言うことらしい。
しかし、ブラッドは愉快そうに口元を歪めて、
「参ったおじさんたちだね」
「身分の低い格好してるのに、お高い物言いだな」
デヴィルも呆れているようだった。
そのおじさんたちは、にじり寄るようにしてジープの周囲につく。一人は前方へ通せんぼでもするかのように立って、残り二人は崖から落ちかかった後輪の両サイドに位置した。
にやにやと気味の悪い笑みを浮かべて寄る山賊たち。
「レディに囲まれるのならともかく、こんなおっさん三人と仲良くお喋りなんて、俺はごめんだね。どうするよデヴィルくん」
「レディに囲まれた試しがあるのか?」
「あぁ? ふざけ腐れよ。俺のテクを侮るなかれ。なんせ、五秒で二十人の女性を口説いたんだからな」
「食べたい物を選べなくて全部皿にとるデブと、どう違うんだ?」
「喧嘩売ってんのか」
「啖呵切ってんだよ」
「一緒だろうが」
「一緒だけどね」
「無視してんじゃねー!」
二人の言い合いを見かねて、髭の男が叫んだ。いい加減に待ちあぐねたようだった。
「で、本気でどうするよ、デヴィル」
「知らない。僕は寝るよ。あとは好きにしてくれ」
デヴィルは、リクライニングできるよう改造したジープの背もたれを倒した。空に向けた彼の顔には開いた本が置かれ、黒の青年は既に寝入っているご様子だ。
――暢気だな。
ブラッドが思うのも無理はないだろう。
腰を据えているというか、肝が据わっているというか。
「ったく、どうしようもなく使えねえ相棒だぜ」
毒づくブラッドは、微笑んでいた。
エンジンをかけたままのジープが、唸りを上げる。その騒音に驚いたのは、ジープのすぐ近くまで歩み寄っていた山賊たちだった。
回り始めたタイヤが削る地面は砂塵を起こし、山賊たちに襲いかかった。塞がる視界。耳を塞ぎたくなる轟音。
ジープはまるで睡眠を妨害された獣ののように吠えた。
「ほいじゃま、行きますか!」
ブラッドの掛け声と共に、ジープは発車――前方にいた山賊目掛けて突進する。
「な! わ、わー!」
ジープは森の中を再び走り始め、髭の男を――轢き飛ばした。
あっさりと。
ごく簡単に。
だが常識だった――
そりゃ飛ぶだろう。
初速で当たったためか、ジープの走行軌道上から追い出された山賊は無事だった。
「な! おい待てクソヤロー!」
悔しがるおっさんたちを尻目に、二人の青年は、緑茂る山の奥へと消えて行った。
はい、NOTEです。
以前、「夢幻のセレナーデ」というタイトルで連載していたこのお話ですが、少々都合があったために、今回、改訂編として再度連載させていただきました。
前回の「夢幻のセレナーデ」と、根本は同じなので、以前の話を読んでいただいた方にも、混乱せずに読めるものとなっていると思います。
慣れない三人称と言うことで、つたない文章表現となるでしょうが、これからよろしくお願いします。
感想や評価、これからどんどん募集しますので、どうかよろしくです!