第十六話 開花するは黒のツエ!
とぐろを巻く激流の中に巨大な影が見える。
それはクラーケン……ダイオウイカだった。赤銅色の肌はぬらぬらと光り、陽光を照り返す。コウイカのような骨があるのか、背中が楕円形に膨らんでいた。深海に生息すると聞いていたが、こんな海面近くまで来るとミミは思わなかった。その姿に恐怖より好奇が勝る。水晶の瞳を持つ巨大な軟体生物は、神秘の世界を垣間見ているような気分にさせた。
クラーケンは唸り声を発さないが、その全身から発せられる威圧感はロータスドラゴン程ではないにしろ、肌にぴりぴりと緊張感を与える。イカが通りがかったのではない。蟻地獄のように待ち構えていた。
「数年前に漁船の事故があったが、原因はあいつだ。あいつはそれ以来船を襲うことを覚えた。肉より鉄が好物らしい。だからこの付近に来る船は、武装を忘れちゃいけねぇんだ」
漁師は舵輪の近くにあるボタンをぽちっと押した。
がしゃんと船の甲板が開いて、大砲が出現する。漁船に不釣り合いな黒光りする大砲は、漁師が操作するダイヤルと連動してきりきりと照準をクラーケンに向ける。
「揺れるでよ!」
漁師がそう言った直後、どぉんと震動が船を襲う。ミミたちのいるスチームフィッシュも大きく揺れ、運転席にしがみつかなければ海に放り出されてしまうところだった。
クラーケンの体表で爆発が起きる。小爆発は空気に火薬のにおいを混じらせ、黒煙が海風に乗って揺らめいた。
「うぉう! これでこそ冒険だな! なんと前途多難なことか!」
ミミは言う。しかし、彼女自身そのスリルを楽しんでいる節があった。城の中では危険に満ちたハラハラなど、一切味わえなかったからだ。
「ミミさま!」
スチームフィッシュの後部座席に乗るロロが切羽詰まった声で言う。
「ロロ、どうした!」
「僕、実は船酔いで……」
ミミは驚いて、ぴんと耳を立てる。背中に感じるロロの気配は震えていて、今にも崩れてしまいそうだ。
「なぜ薬を持ってこなかったのだ!」
「言い出す暇がなくて……。頑張ってますけど、結構きついです……」
「予がおぬしの前に座っておる! 絶対に吐くなよ!」
「無茶です……もう死にそう……」
顔を青くするロロは、意識を保っているのもやっとといった具合だった。
砲撃されたクラーケンは、爆炎を纏いつつもゆらりと渦潮の中に立っている。大砲の一撃もさほど効いてはいないようだ。
「ちいっ! 奴の骨格は金属でできてやがるんだ!」
漁師が悔しそうに舌打ちする。
「よし、待っておれ。予が何とかしてやろう」
ミミは海に落ちないようにスチームフィッシュの操縦席から立ち、揺れる船体の上を身軽に渡って船首に立った。
「ちょうどいい。このロータスステッキの力を試してみたい。物理攻撃が効かぬのなら、魔導攻撃だ!」
ミミは背負っていたロータスステッキを手に取り、太陽にかざす。
かっと照る太陽と、黒曜石のような黒い太陽が重なり合った。ステッキの先にある黒い太陽は日光を吸収し、魔力を高めていった。オーラの総量が膨れ上がり、クラーケンも巨体をゆすって反応する。新たな脅威に身構える姿勢を取った。
ミミは祈る。海の上で使える魔法。火などは消えてしまう。船はじりじりと渦潮に近づいていく。このままでは渦に飲み込まれ、船体がバラバラになってしまうだろう。
「渦を止める!」
ミミはステッキを振り、クラーケンの周りの海水が氷るように念じた。
「海よ凍れ!」
黒い太陽から魔力が放たれる。見えない魔力は渦に乗り、海面に広がった。
瞬きをした瞬間に、海面がかちんと凍り付く。
冷気で凍ったのではない。この世の理、方程式を無視した超常的な力によって、海水が氷に変えられたのだ。その範囲はクラーケンを中心に小さな広場ができるほどだった。
渦の中心にいるクラーケンは、突然身動きが取れなくなったことに焦ったようだ。凍り付いた海面から脱出しようと、足を引き抜き、氷上に身を投げ出す。
南極のような氷の上でクラーケンは身じろぎし、のそのそと這って近づいてくる。奴には逃げるという選択肢はないらしい。自分に恥をかかせた相手を殺してやるという意思が感じられた。
「渦が止まったのはいいけどよ、これじゃ俺たちも逃げられねぇ!」
漁師が悲鳴を上げる。が、ミミは胸を張って断言した。
「大丈夫だ! ロロ、行くぞ!」
気持ち悪そうにするロロの腕を掴んで引っ張り、ミミはクラーケンに歩み寄っていった。ある程度の距離でミミは次の攻撃に移るため、身構える。
ロロは青い顔をしながらも、剣を取り切っ先をクラーケンに向けた。
クラーケンの水晶の目は無表情だが、ぶるぶると震える軟体が怒りを表している。その触手をぶうんと振りかざし、叩きつけてきた。
ミミはステッキをロロの剣に向け、唱える。
「雷よ叫べ!」
がしゃあん、と耳元でガラスが割れるような音が響き渡るとともに、目の前が一瞬白い光に包まれた。その音にクラーケンも怯む。
光りが晴れた時、ロロの剣は電気を帯びていた。刀身が纏った電気がバチバチと弾け、青白い火花が散る。クラーケンは危険を感じ、足を広げて防御を図った。足の先はシールド状になっている。
「ゆけ、ロロ!」
ミミが言うと、ロロは弾かれるように飛び出した。
「う、うわあああああっ!」
ロロが絶叫して、剣を無我夢中で振るう。稲妻の刃はじゃりんと音を立て、空間を一閃した。
クラーケンのかざした足が断ち切られる。ぼとりと足が氷上に落ち、クラーケンはじりじりと後退していくのだった。




