絶対に外に出ない引きこもり令嬢を、カウンセリング得意な公爵令息は絶対に外に出したい
公爵家の長男で、跡取りであるリーベル・バクスターは男爵家当主ニコライ・クラウンの悩みを聞いていた。
「なるほど、娘さんが引きこもりになってしまったと……」
「そうなのです」
「原因は?」
「私がいけなかったのです。娘は内気で人見知りなのですが、私が無理に社交界にデビューをさせたらやはり馴染めず……」
「部屋に閉じこもってしまったと」
ニコライはうなずく。
「分かりました、ニコライ卿。このカウンセリングに定評のあるリーベルにお任せ下さい」
金髪で深緑色の瞳を持つリーベルは、その美丈夫といえる外見に相応しい穏やかな笑みを浮かべた。
***
ニコライに連れられ、クラウン家の邸宅にやってきたリーベル。
「まずは娘さんの部屋を確認させて下さい」
「こちらです」
ニコライが案内した一階の部屋は固くドアが閉じられていた。
「この中に娘さんが……。そういえば名前は?」
「モニカです。モニカ・クラウンと申します」
「分かりました。この私がモニカ嬢を絶対に外に出してみせましょう」
リーベルがドアの前に立つ。
ノックをする。反応はない。
「私は公爵家のリーベル・バクスターと申す者。モニカ嬢、ここを開けてくれないか」
返事はない。
「君と話をしたいんだ」
返事はない。
「ドアを開けて欲しい」
返事はない。
こんな調子でリーベルはドアに話しかけ続けるが――
「……帰って」
やっと返ってきたのはこの一言だけだった。これ以後、言葉が返ってくることはなかった。
ニコライが頭を下げる。
「申し訳ありません。我が娘が無礼を……」
「いえいえ、しかしこれは手強い。取り付く島もないとはまさにこのことですね」
「おっしゃる通りで……」
「ならば次の手に移りましょう」
「次の手とは?」
「モニカ嬢の好物はなんですか?」
リーベルのこの問いにニコライはトマトスープと答える。
「なるほど、トマトスープ……でしたらすぐにそれを用意しましょう」
……
よく煮込んだトマトスープを用意したリーベルは、ドアの前からその湯気が部屋の中に入るよう扇いだ。
ニコライはどういう作戦かを悟る。
「これはまさか……」
「ええ、大好物で釣ろう作戦です。このまま部屋に匂いを送り込めば、きっとモニカ嬢はたまらず出てくるはず……」
モニカも三食は取っているが、ドアの前に食事を置いておくといつの間にか空になっているという有様で、決して姿を見せることはない。
果たしてこれで出てくるのだろうか。
すると、部屋の中から鼻を鳴らす音が聞こえてきた。明らかに匂いに反応している。足音が近づいてくる。
このままいけばドアを開けて――
「かかった!」
リーベルがつい口を滑らせてしまう。
中から「危うく引っかかるところだったわ」とモニカの声がする。足音から、部屋の奥に引っ込んでしまったことが分かる。
あと少しだったのに……とニコライはリーベルを睨みつけた。
「面目ありません……」
……
リーベルが次の作戦に移る。
「ニコライ卿、どんな人間でも緊急事態になれば部屋の外に飛び出すものです」
「まあ、確かに」
「というわけで、次の作戦を実行します」
リーベルは大きく息を吸い込むと、
「火事だーっ! 火事だーっ!」
叫び始めた。
呆気に取られるニコライ。
「火事だーっ! 火事だーっ!」
リーベルは叫び続ける。
「ひょっとして……これが次の作戦ですか?」
「そうです。火事だーっ! 火事だーっ! 火事だーっ!」
しかし、モニカは無反応。
「火事ではダメか。ならば……地震だーっ! 地震だーっ!」
「全く揺れてないのですが……」
「雷だーっ! 雷だーっ!」
「仮に本当に落雷があったとしても、むしろ外に出ませんよね」
「親父だーっ! 親父だーっ!」
「私が親父です」とニコライ。
災害を連呼して驚かせて外に出す作戦も失敗に終わった。
……
リーベルの次の作戦は――
「思わず外に出てみたくなるようなものを叫びましょう」
「例えば?」ニコライが尋ねる。
リーベルは突如、あさっての方向を指さす。
「あ、UFO!」
ニコライはまさかこれが作戦なのか、と絶句する。
「あ、イエティ!」
「……」
「あ、チュパカブラ!」
「……」
「あ、スカイフィッシュ!」
「……やめときましょう、リーベル殿。私でも引っかかりませんよ」
「この作戦もダメか……」
ちなみに“スカイフィッシュ”に対し部屋の中のモニカが反応したことに、二人とも気づかなかった。
……
リーベルがより一層真剣な表情になる。
「こうなったら邪道な手段を使いましょう」
「ほう……」
邪道というフレーズにニコライも息を飲む。今までの方法は邪道じゃなかったのか、という言葉も飲み込む。
「これを使います」
リーベルは長めの糸とコインをくっつけた道具を取り出した。
「なんですかな、これは?」
「催眠術の道具です。これをモニカ嬢の目の前で振り子のように揺らし、催眠術をかければ引きこもりをやめさせることもたやすい」
「なるほど。ところで、これをどうやって引きこもっているモニカの目の前で揺らすのです?」
「……」
リーベルは無言のまま催眠術道具を投げ捨てた。
……
数々の作戦が失敗に終わったリーベルは悩んだ末、ニコライに最後の手段を申し出る。
「ニコライ卿、こうなったら家を壊しましょう」
「家を……!?」
目を丸くするニコライ。
「ええ、家を壊せば、モニカ嬢も外に出ざるをえないでしょう」
「そりゃもちろんそうですけど……」
「ご安心下さい。壊した家は我がバクスター家がきちんと建て直しますから」
「そういう問題ではない気がしますが……」
いくら公爵家跡取りの言葉といえども、ニコライは難色を示す。
「こんな言葉があります、ニコライ卿」
「え?」
「『真のカウンセリングとは破壊から始まる』と……」
どことなく含蓄のある言葉に、ニコライは唸る。
「いったいどなたの言葉なのですかな?」
「私です」
「お前かよ!」
つい声を荒げてしまった。
しかし、リーベルの表情は真剣そのものであり、ニコライ自身モニカを外に出すあてもない。
もはや、すがるしかなかった。この自称“カウンセリングに定評のある男”に。
「分かりました……やって下さい!」
「御意」
貴族らしく一礼すると、リーベルはすぐさま準備に取り掛かった。
まもなく魔力で稼働する重機が大量に投入される。
バクスター家は名門であり、財力も権力も王国トップクラスなだけのことはある。
鉄の化け物のような重機たちは、轟音を上げながら、クラウン家の屋敷を破壊していく。
この世の終わりのような光景だった。リーベルは満足げに、ニコライはどうにでもなれといった表情で、この破壊劇を眺めていた。
やがて、破壊は終わった。
クラウン家の邸宅は、モニカの部屋を残して瓦礫の山となった。その瓦礫も撤去され、ちょうどモニカの部屋から壁だけ取っ払ったような状態となった。
しかし、モニカの姿は見えない。
「なるほど、ベッドの下か……」
リーベルは、モニカはベッドの下に潜り込んだと推測する。
「つまり、このベッドを取り払えば、彼女は外に出るということになる!」
最後の仕上げとばかりに、リーベルはベッドを持ち上げた。
「カウンセリング大成功!」
傍で見ていたニコライも「どこがカウンセリングだ」と思いつつ、久しぶりに娘の姿を見られると胸をおどらせる。
しかし――
「……いない!?」
モニカはいなかった。が、答えはすぐに判明した。
「この穴の中か!」
ベッドの下には穴が掘られていた。追い詰められたモニカは床に穴を掘り、地中へと逃げ込んだのだ。
これにはリーベルもニコライも驚嘆してしまう。
リーベルは覚悟を決める。
「こうなったら根競べだな。よろしいモニカ嬢、私は地上で君を待つ! 君が出てくるまでな! 勝負だ!」
カウンセリングは破壊を経て、ついに根競べに突入した。
穴のそばで体育座りをして、リーベルはモニカが出てくるのを待つ。
当然腹も減るし、喉も渇く。ニコライがなにか差し入れしようとするが、リーベルはそれを拒否した。
「ニコライ卿、差し入れは受け取れません。私はモニカ嬢のために散々無茶をしてしまった。ここは正々堂々、補給なしで彼女を待ち続けます」
別に何かルールを設けたわけではないのだが、リーベルとしては食事や水分補給をするのは矜持に反するらしい。ニコライは黙って従った。
リーベルは飲まず食わずでモニカを待ち続けた。
一日が経過した。
二日が経過した。
三日、四日……ついに七日が経った。
リーベルはかろうじて呼吸はしているという風情で、もはや限界だった。
ニコライがたまらずギブアップを促す。
「リーベル殿、もういい! 公爵家の大事な跡取りであるあなたが娘のためにそこまでする必要はないのです! おそらく娘は長年の引きこもり生活で燃費が相当よくなっている……あなたに勝ち目はない!」
「……」
リーベルは動こうとはしない。
だが、彼も己の限界を感じたのか、口を開く。
「モニカ嬢……穴の中で聞いてくれ……」
リーベルは穴の中にいるであろうモニカに語りかけた。
「この勝負、君の勝ちだ……私はまもなく死ぬだろう……。だが、後悔はしていない……。私はやりたくてやったのだから……。君の家はきちんと建て直すから、それだけは安心して欲しい……」
穴の中から返事はない。
「最後に……一つ君に言いたい。聞いてくれ……」
リーベルは言った。
「好きだ」
さらに続ける。
「私は姿を見たこともない君を……絶対に外に出ない君を……いつしか好きになってた。惚れてしまったんだ……。だから、こんな無茶をしてしまった……。君は尊敬に値する女性だ……人生の最後に、君に出会えてよかった……」
言葉を絞り出し、リーベルは力尽きようとする。
すると――
「ホント!?」
穴の中から何者かが飛び出してきた。
モニカだ。
ウェーブがかった黒髪を持ち、水色のドレスを着た令嬢が、ついに姿を現した。
土まみれではあるが、長らく引きこもっていたと思えないほど、肌は瑞々しく、体も痩せ細っているということはない。
父ニコライのいうように、極度の引きこもり生活で体の燃費がよくなっていたのだろう。
「君が……モニカか……」
「そうです! 私、男の人にそんなこと言われるの初めてで……!」
モニカは涙ぐんでいる。
かつて社交デビューに失敗し、引きこもってしまったモニカ。
だから嬉しかった。男に「好きだ」と言われることが。
一方、初めてモニカの姿を見たリーベルもまた――
「美しい……」
土にまみれたモニカが彼の目には――
「まるで、大地の女神のようだ……」
「リーベル様!」
リーベルの名前を覚えていたモニカは、彼の名を呼び抱き締める。
「お父様、早くお医者様を!」
「うむ!」
ただちに医者が駆けつけ栄養補給がなされ、リーベルは一命を取り留めることができた。
また、破壊し尽くされたクラウン邸も新しく建設された。
なお元の邸宅より大きめに建ててもらえたので、ニコライはほくほく顔をしていた。
体力が回復した後もリーベルのモニカに対する気持ちは変わらず、それどころか増幅しており、二人はすぐにいい仲になった。
たちまち婚約がなされ、正式な婚姻を結ぶこととなった。
***
リーベルとモニカ夫妻は、仲睦まじく生活をした。
しかし、困ったこともあった。
「さあ、今日は二人で一緒にいられるから、外に行きましょう!」
「外に……? こんな天気で……?」
外は大雨が降っており、たとえ傘を差しても、ずぶ濡れになる未来が見える。
「いいじゃない! だって私、お外の楽しさに目覚めちゃったんだもの!」
引きこもり令嬢は、今までの反動からかすっかり外出が大好きになってしまったのである。
雨天で外出などたまったものではないが、モニカの女神を思わせる笑顔には敵わない。
リーベルもずぶ濡れになる覚悟を決める。
「分かったよ。二人で水もしたたるいい夫婦になるのも悪くないね」
おわり
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