悪役令嬢は元婚約者と泥棒猫の子孫に転生した
伯爵令嬢リーシア・アルゲント、享年十九。
そう、私は死んだ。
はずだ。
しかし、現在私の視界に映るのは見知らぬ天井。
意識がハッキリとせず、朦朧としているが、ここが修道院でない事はわかる。
周囲を確認しようと体を起こそうとする。何故か体が自由に動かない。そもそも手足に違和感がある。
違和感の正体を確かめようと自分の手を顔の前に持ってきて驚愕した。
(何これ……小さい……赤ちゃんの手?)
どこからどうみても十九歳の手には見えない。
混乱していると、視界が歪み、赤子の泣き声が聞こた。それが自分の声だと認識するのに時間がかかった。
泣き止もうとするが、体がいう事をきかない。
「どうしたのかしら……」
見知らぬ女性二人が目の前に現れた。その服装からして、どこかの使用人だというのが分かる。
「いつもは不気味な程に大人しいのに」
「さっきミルクもあげたし、おしめも替えたし、何かしら……?」
恰幅の良い女性が私を抱き上げ背中を擦ってくれた。『私』は特に何も感じなかったが、何故か勝手に『体』が反応して泣き止んだ。
「泣き止んだわ」
すぐさまに私をベッドに戻した。
「人恋しいのかしら」
小柄な女性が「やっぱり最低限のお世話だけでは駄目なのよ」と呟く。
「じゃあ、貴方、この子に愛情持って接する事ができるの?」
「嫌よ。ただでさえ、いつ呪いがうつるかと怯えながら世話してるのに」
(え、呪いって何)
「鑑定ではこの子も母親も呪われてないって結果がでてるわよ」
「でも、この子の母親も、祖父母も曾祖父母も皆、早死によ?むしろ鑑定で呪いじゃないと確定しているのが怖いわ。魔術的な呪いとかじゃなくて、もっと恐ろしいモノなのよ、『リーシア・アルゲントの呪い』は」
(私の名前……?どういう事……?)
「それにしても、何でこんな名前を付けたのかしら」
「本当にねえ、『リーシアの呪い』を受けた家系の娘にリリシアなんて、リーシアに近い名前……」
そう言って、女性二人が私の顔を覗き込む。
(?、私の事なの?)
「こんな子の乳母だなんて知ってたら引き受けなかったのに」
恰幅の良い女性が深い溜息を吐いた。
「貴方は授乳期間が終わったら辞めれるでしょ。私は使用人契約期間が終わる迄ずっとこの子の面倒みなきゃいけないかもしれないのよ」
女性二人の私を見下ろす視線がとてつもなく冷たい。
(今どういう状況か理解できてないけど、私の体は赤ちゃん……よね?よくここまで冷たい視線を赤ちゃんに向けられるわね……)
どうやら私は生まれ変わったのようだ。そんなのはお話の中だけの事と思っていたけど、現に私は赤子の体になっている。
先ほどの女性の会話から察するに、この体の私の名前はリーシアではなく、リリシアらしい。という事は赤子に逆戻りしたわけではない。そして、現在の私は『リーシア・アルゲントの呪い』を受けているらしい。
(生まれ変わったら前世の自分に呪われてるってどういう状況!?第一私は呪ってない!いえ、もしかしたら同姓同名の私じゃないリーシアさんの呪いかも……でも呪われてる事に変わりは無いのかしら。生まれ変わるなら、もっと普通の環境が良かったわ……)
酷く陰鬱になり、目を閉じる。
そのまま、私の意識はぼんやりと融けていった。
◆
アルゲント伯爵家には双子の姉妹がいた。
姉のミーシア、妹のリーシア。
ミーシアは平凡な娘とみなされる一方、リーシアは一を聞いて十を知る才媛だった。聡明で、何でもそつなくこなし、八歳にして素養のあった精霊術に纏わる全ての学問を修めた。
そしてその類稀なる才能を知った王家からリーシアに婚約の打診が来る。
王太子には既に婚約者がいた為、第二王子の婚約者となった。
しかし、リーシアは何の前触れも無く死亡した。
苦しんだ形跡が一切なく、毒物も検出されず、呪いの痕跡も無い正真正銘の突然死。
アルゲント伯爵は頭を抱えた。
伯爵領はここ数年不作に悩まされており、伯爵家の負債は膨れ上がっていた。それに加え、リーシアの才能を伸ばす為の教育費も縁戚の侯爵家から借金している。
没落待ったなしの伯爵家を王家は援助してくれた。
いずれ第二王子妃となるリーシアの生家の没落を防ぐ目的と、精霊術師である王がリーシアの将来を期待しているという個人的理由からだった。
おかげで何とか持ち直す機会が訪れた伯爵家。
そう、全てはリーシアが居たからこそ。
リーシアが死んだとなれば、王家から援助の返還を求められるだろう。
だが、援助で首の皮一枚繋がっていたといえる伯爵家は返還が不可能と知っていた。
そこで、アルゲント伯爵はとんでもない事を思いつく。
死んだのは『ミーシア』とする事。
つまり双子の入れ替わり。
当然、ミーシアは拒否した。
妹と同じく精霊術の素養はあるが、優秀な妹に成り代わるなど無理だと。
アルゲント伯爵はミーシアに言い聞かせた。
「このままだと我が伯爵家は没落する。ならばやるだけやってもいいだろう。お前が死ぬ気で精霊術を学べば良い事だ。
神童も時が過ぎれば只の人と言うではないか。今後リーシアとなったお前が以前に比べて落ちぶれても、そう思われるだけだ。
お前達は双子なのだから、一番お互いの事を知っているはずだ。リーシアとして振舞うなど簡単だろう。家族でもお前達を見分けるのは難しかったのだから騙し通せるさ。第二王子もリーシアとは一度しかお会いしていないから、違和感すら抱かないだろう。何とかなる。
それとも、お前は没落して、その日の糧さえ得られない生活に耐えられるのか?家族が不幸になってもいいのか?お前さえ努力すれば最悪の事態を回避できるかもしれないのだぞ」
後半は脅しともいえる。
父にこう言われればミーシアは頷く事しか出来なかった。
今迄貴族として最低限の教育を受けていただけだった彼女は屋敷に閉じ込められ、淑女教育と精霊術に関する学問を徹底的に叩き込まれる。泣いても喚いても許されず、体罰すら受けた。
一年半の時間を要したが、何とかミーシアはリーシアに近づけた。元々、妹の陰で目立たなかったが、姉である彼女もそれなりに才能はあったのだ。
すっかりやつれた彼女だが、周囲には「リーシアは最愛の姉ミーシアを亡くした事で塞ぎ込んでいる」と説明していた為、問題なかった。
一年半ぶりにリーシアと対面した第二王子は彼女をとても気遣った。
自分に努力する事を強いた親の労りよりも、純粋に目の前のやつれた人間を気遣う優しさに彼女は心が和らぐのを感じ、厳しい一年半も、自分を、『ミーシア』を殺してまで『リーシア』となった事も、優しい彼と添い遂げる為に必要だったのだ、そう思い込むと少し楽になった。
数年後、彼女はすっかり『リーシア』になっていた。
父が言っていた通り、「幼い頃は神童だったが。現在は人より少し優秀なだけだ」と評されたが、優秀であるのは間違いないので、王家から婚約破棄も援助の返還も求められなかった。
リーシアはこのまま第二王子妃となるはずだった。
彼女の運命が変わり始めたのは貴族学院入学から。
リーシアと第二王子が入学式終了後、並んで談笑しながら門へと向かっていた時、目の前で珍しい桃色の髪をした女性が転ぶ。
第二王子は背後に居る侍従の制止も聞かずに、女性へ近寄り手を差し伸べて立ち上がらせ、一時停止した。
不思議に思ったリーシアが近づくと、第二王子は慌てて手を離し、女性も慌てて小走りに駆けて行った。
第二王子の顔を覗き込んでリーシアは気が付いた。
第二王子はたったいま、恋に落ちたのだと。
瞳は潤み、頬は紅潮し、誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべる第二王子。
第二王子とは上手くいっているとリーシアは思っていた。しかし、斯様な視線をリーシアは一度も向けられた事が無い。
婚約者として礼は尽くしてくれていたが、本当にそれだけだったのだと知った。
◆
再び私の意識が形を成し始めて、明瞭になったのは五歳になってから。
三歳までは夢の中にいるような曖昧な状態だったが、再び徐々に前世を思い出し「私はリーシアだった」と五歳を迎える頃にそう完全に認識出来た。
そして、三歳までの記憶を整理して発覚した事だが、『リーシアの呪い』は私の前世『リーシア・アルゲント』の呪いで確定。使用人達が、幼子には理解できないだろうと、好き勝手に私の目の前で会話していた内容から分かった。
リーシア・アルゲントは第二王子グラナリーゲルに婚約破棄された恨みから死ぬ間際に悪魔と契約し、元婚約者の第二王子と男爵令嬢マリエラに呪いをかけた、という事になっている。
その結果、二人とも早死にし、子孫も皆早死にしているという。
そして今の私は『リーシアの呪い』を受けている子供。
つまり、元婚約者グラン様とマリエラさんの子孫。
(……確かにグラン様とマリエラさんに恨みは多少あるけど、呪ってやろうなんて思って死んだ訳じゃない)
私が自殺した切欠といえるのはこの二人で間違いないが、それより大きな原因は私が修道院に入る理由を作った当時友だと思っていた令嬢達と言える。
◆
「リーシア・アルゲント、君との婚約は破棄させてもらう」
賑やかだった貴族学院の卒業パーティは、第二王子グラン様のこの一言で静まり返った。
壁際に佇んでいた私を、一段高くなっている会場の中央からグラン様が睨み付ける。その傍には怯えた顔の男爵令嬢マリエラさん。
目の前の人達がサッと引き、壁際から中央までの道が開く。周囲の人の無言の圧力を感じたので、仕方なく中央へ近づく。
「グラン様、婚約破棄と言われましても、王家と我が伯爵家の取り決めですので、私に仰られましても……」
あくまで冷静に対応する私にグラン殿下の視線にこめられた冷気が強まる。少しだけ胸がチクりとしたが、学院での三年間で彼への気持ちは冷めているので平気だ。
「父上には後で私から報告する。それより、何故君と婚約破棄するか、だ」
(浮気ですよね。婚約者の私を差し置いてマリエラさんとばかり親交を深めていましたよね)
私はグラン様に近づくマリエラさんに注意していたが、彼女は怯えつつもグラン様とはそういう仲では無いと言い張って負けん気の強そうな目で私を睨んだ。小動物のように愛らしくも、弱くは無く、強い意志を持つ彼女にグラン様は惹かれたのだろうか、こういう方が好みなのね、と不愉快に感じたのは事実。しかし、彼女から悪意は感じられない為、私を悪者にして婚約者の座から蹴落とすような事はしないと高を括っていたが……。
「君は私の友人であるマリエラに度々嫌がらせをしていたそうだな」
ああ、やはり放置すべきでなかったのか、無実の罪を着せられるようだ。
「私はマリエラさんに婚約者のいる殿方に近づきすぎるのは良くないと、再三注意はしていました。それだけです。それが嫌がらせに該当すると言うのであれば……」
「嘘を吐くな!」
私の言葉を遮るグラン様。
「君が友人達に指示してマリエラに危害を加たり、私物を隠したり破損させたりした証拠も証言もある」
グラン様の侍従が私に近づき、書類の束を向ける。
「……」
無言でそれを受け取り、サッと目を通す。そこには盗んだ物、破損した物のリストや人混みで後ろから突き飛ばされるなどの危害を加えられた時の怪我の診断書、私の友人達がそれらを行ったという目撃証言、……そして、友人達本人の、全ては私から指示を受けたという、供述書と署名。
(だから、今日話しかけてもみんな余所余所しかったのね)
頭の中は自分でも驚くほど落ち着いていて、何故か最初にそんな事を思った。
「これで、否定はできないだろう」
勝ち誇るでもなく、淡々とした口調でグラン様が言った。
「いえ、私は指示していません。私はこの件と無関係です」
「貴様……!」
グラン様がついに私を君ではなく貴様と呼ぶ。
「その様子では、もう、グラン様は何を言っても私を信じないでしょう。婚約破棄は私も賛成したします」
優しいと思っていたけれど、学院での数年、婚約者を蔑ろにしてきた上に、冷静さを欠き頭に血が上りやすい男とよく分かった。貴方なぞこちらこそ御免だという想いを込めて発言する。
「しかし、濡れ衣を着せられたままではいられません。そちらについては家族に相談し、対応いたします」
それを聞いて遠くにいる元友人達が動揺したのが目の端に映った。
「好きにしろ、どうせ貴様が指示したのは間違いないのだから!」
グラン様が吠えたが、私は無視して会場を後にした。
夜遅く帰宅した父に報告する。
何故か、既に話は伝わっていた。
私は濡れ衣だがグラン様との仲が修復不可能に思えるので婚約破棄の申し出は受け入れたいと言うと父も頷いた。
「お前のおかげで我が伯爵家は何とか立て直せた。王家から援助の返還を求められても猶予があれば何とかなるだろう」
何となく予想はしていたのだが、直接父から聞いて安心した。
「私が濡れ衣を着せられた事についてなのですが……」
そう切り出すと父は辛そうな顔になる。
「……お前の友人に公爵令嬢が居ただろう」
「ええ……まさか……」
父はその公爵家に呼び出されていたのだ。
元友人の公爵令嬢の婚約に支障があっては困ると、公爵は仰られていたと。
公爵令嬢はあくまで仕方なく脅されて友人の指示に従ったのだと、そういう事にしたいという。
「私一人に泥を被れと言うのですか」
父が私に頭を下げた。
「すまない、だが相手は公爵だ。私達はどうする事もできない。公爵には返せない借りもあるのだ。お前は修道院へ送る事になる。本当にすまない、我が伯爵家の為に己を犠牲にしたお前に強いて良い事では無い、それは分かっている」
「私は、私を、『ミーシア』を殺してまで……」
その言葉を聞いて父が私を抱きしめた。
「すまない……王家と公爵家はお前を厳しい修道院へ送れと言うだろう。だが、それだけは阻止してみせる。比較的戒律の緩やかな修道院を探し、そこで穏やかに過ごせるよう配慮するから……」
これから私は世間から何といわれるか、巷で流行りの小説や劇に登場する、所謂『悪役令嬢』だ。
婚約者である第二王子の想い人に嫉妬し、排除しようとした悪女。そんな汚名を背負って穏やかに過ごせるものか。
修道院に送られて一年が過ぎようとしていた。
戒律の緩やかな修道院といえども、その生活は貴族として過ごしてきた私には辛いものだった。
ある日、塀の近くで掃除していると会話が聞こえ始めた。この修道院は町外れにあるが、前の道は近くの森に入る者がよく通るのだ。
「……第二王……爵令嬢……妊娠……」
それを聞いた瞬間、私は塀に耳を押し付けていた。
「ああ、あの去年にあった断罪劇の」
「まだ王子妃教育も済んでないのに股開くとは、新しい婚約者とはいえ流石下級貴族の令嬢だな」
「はっはっは!他人の婚約者寝取る女だからな」
少々、下品で気分が悪くなるが、私は続きを待った。
「本当に第二王子の子か怪しいな」
「それについては、本当らしいぞ。第二王子自身が我慢できず無理矢理関係を迫ったと白状して、王様にしこたま怒られたらしい。それでも懲りずに第二王子と男爵令嬢は人目も憚らずイチャついてるってよ」
与えられた狭い個室に戻り、私は呆としていた。
(……グラン様とマリエラさんは子供を授かったのね、そしてこれからも幸せな日々を過ごす。でも私は死ぬまでこの修道院で)
頭の中で何かがプツンと音を立てて切れた。
そして、首を吊った。
◆
前世死ぬ間際を思い出して私はふるふる震える。
(もうあんな最期は嫌だわ……)
今世は穏やかに終えたい。
だが、今世は周りに母も父も居ない孤独な幼子。
まず、己が置かれている状況について調べなければ。
赤子の頃少しだけ意識が浮上した時に居た小柄な使用人はまだ私の世話をしている。恭しい態度で接してくれるが、情は一切感じない。名前も教えて貰えない。
館には他に数名の使用人が居るが、一番接触する機会が多いのは彼女なので、彼女に私の事を聞いてみる。
「ねえ、私なんでこのお家にいるの?」
「ここはエウラル公爵邸の敷地にある別館です。貴方の母君は公爵家の養子でした。未婚のまま貴方を生んでお亡くなりになったので、公爵家が貴方を養育する事になったようです」
エウラル公爵家。
私の前世にも存在した公爵家だ。当時では先代王の妹が降嫁した家だったはずだ。
そして、ここは別館。つまり敷地内に本館があるという事。そこには公爵家の方達がいるはず。しかし、一度もこちらに現れたことは無い。
養子が未婚で産んだ子の為、家族として受け入れるのは抵抗があり、厄介者といった所か。ああ、それよりも使用人と同じく『リーシアの呪い』を恐れているのかもしれない。
「お母さんの家族はいないの?」
「母君の実の両親は既にお亡くなりです。現当主の公爵様が貴方の母君の義理の兄に当たります」
(なるほど、私は公爵家当主の義理の妹の子、つまり書類上は姪になるのかしら。血縁上は伯父と姪じゃないけど、一応王家の血筋だから血の繋がりはあるはず)
「私のお父さんは?」
「不明です」
(よく公爵家で育てて貰えてるわね……普通は孤児院行きが妥当だと思うけど)
もうひとつ気になるのは、前世で死んでからどれ程の時間が経っているのだろうか。
これについては家庭教師から教えて貰えた。
現在はクスタス歴375年。
私が死んだのは332年だったのでつまり。
(43年……)
前世の父や母は生きていても高齢だ。アルゲント伯爵家は兄が継ぐ予定だったが、どうなっているだろう。
家庭教師に王国の歴史についておおまかには聞けたが、それだけでも「五歳児が何故歴史を」と不信がられたのでそれ以上は聞けなかった。
私はこの館から出る事を禁じられている。
館内はくまなく探索したが、書斎などはみつからず、情報が手に入らない。お手上げだ。
脱走という案が思い浮かぶが、体は五歳だ。それをするにしても現在の治安を知っておかなければ不安が大きい。
今できる事は夜中に敷地内を少しづつ探索して本館に忍び込み、書斎等を探す方法くらいだ。
(そうと決まれば、早速今夜から始めましょう。夜に備えてお昼寝しなきゃ)
◆
使用人も寝た時間帯。
私は、そろりと別館の裏口から脱出に成功。
(この体で土を踏むのは初めてだわ)
なんとなく懐かしくなり、その場で軽く足踏みしてしまう。何だか楽しくなってきて屈んで土や草に触れようとした所でハッとする。
(こんな事してる場合じゃなかったわ。でも何故か幼子の様な行動をしてしまうのよね)
館で過ごしている時も前世十九と今世五を足した二十四歳とは思えない行動を度々とってしまっている。ぬいぐるみを持ち歩いたり、食べ物を選り好みしたり等。
(二十四歳としては恥ずかしい筈なのに、恥ずかしさすら感じ無いのも不思議)
肉体年齢は間違いなく五歳なので体に精神が影響されているのかもしれない。
(それはさておき、探索よ)
しばらく進むと、明かりの点いていない建物が目に入ったので慎重にそこを目指す。
私が住む別館より小さいが物置にしては立派な建物だ。扉に顔を近づけると鼻腔が感知したのは図書館を想起させる香り。
(これ、もしかして書庫かしら、いえ、公爵家なら敷地内に図書館があっても不思議じゃない)
今すぐ入りたい。だが当然、扉は閉まっていた。
(うう、何とかして忍び込みたい、昼間に開いていたら忍び込めるかしら、でも昼間に脱走は難しそう……)
そんな事をぐるぐる考えていると背後から薄っすらと明かりを感じてビクりと飛び上がった。急いで近場の植木に隠れる。
こっそり様子を伺うと着飾った婦人が護衛と侍従らしき人を連れて歩いている。
(もしかして公爵夫人?夜会帰りかしら)
ここで見つかると不味い。落ち着いて、冷静にここで待機すればバレないはずだ。彼女達が去るのを待とう。
だが、五歳児の体はいう事を聞かず、今すぐこの場を去ろうと後ずさりする。
(駄目よ、音を立てたら……わかってるのに今すぐこの場から逃げたくてしょうがない……体が勝手に……)
ザリ、と靴底と土が擦れる音が妙に響いた。
「誰だ!」
護衛が声を上げる。私は身が竦み上がり、停止してしまう。
その間に護衛はどんどんこちらへ近づいてきて。
「子供?」
見つかってしまった。
婦人もこちらへ来て、
「使用人の子かしら、駄目よ。こんな時間に……」
そこで発言が止まり、彼女の眼が見開かれる。そして金切り声を上げる。
「レティシャ……!この顔立ち、髪の色、瞳の色!レティシャの子供……!何でこんな所に居るの、顔も見たくないのに!別館から出さないようにあれ程っ……!」
婦人は興奮して意識を失い、その場に倒れた。
「誰か!奥様が!」
侍女が大声で叫ぶと、遠くから人の声が聞こえ始める。
私はこの場から立ち去ろうとするが、やはり体がいう事を聞かない。
すぐに他の使用人やら警備の者やらがやってきて、私は別館へ連行された。
そして、その後数年間、私は別館から出る事が出来なかった。
◆
五年。
私に対する監視が緩まるまで五年を要した。
あの夜倒れたのはやはり公爵夫人で、彼女は今の私を生んだ母レティシャを嫌悪しており、その娘である私を公爵家で養育する事に反対している人物だった。
公爵夫人は体が弱いのにヒステリー持ちで、何かあるとすぐに倒れるらしい。
そんな訳で、あの後公爵夫人は私を視界に入れるのも嫌だと癇癪を起して、私を別館から出さない様にきつく命じ、私に監視を付けたのだった。
しかし、五年間一切脱走する素振りを見せずに大人しくしたお陰で、最近は監視が緩んでいる。
(長かった、五年……)
ちなみにこの五年間で前世私が死んでからの出来事は色々知る事が出来た。五歳児が家庭教師に聞くにしては不自然な内容も十歳になれば違和感は持たれない。
よく考えれば年齢を重ねれば知る機会もあるのだから、五歳の時にそれ程焦って知る必要も無かったのだが、やはり体に精神が影響され、五歳児として欲求に素直だったのだと思う。
前世の家族の事についてはまだ知れていないが、その次に知りたかった治安については分かった。
前世よりも今世の治安は良いらしい。
特に今、私が居る場所、つまり公爵邸のある首都は女子一人が夜に歩いても問題ない程だという。スラムも無くなり、代わりに大規模な救貧院や施療院が格段に増えているとか。
現在から二十年程前に国立魔導研究所で発明された画期的魔導兵器で周辺諸国を制圧して属国にしたので、この国は潤っているらしい。前世で存在ていた小国がいくつか地図から消えたのも知った。
(物騒な話だけど、国が豊かで治安が良いのは有難いわ)
そう、私は脱走して、一人で生きていこうと決意していた。
この屋敷にいると公爵夫人が死ぬまで別館から出られないかもしれないのだ。
逆に言うと別館にさえいれば衣食住は保証されているが、この十年とても退屈だった。この生活が一生続くなんて耐えられない。
何度も使用人に「平民として一人で生きていきたい」と公爵様に伝えて欲しいと頼んだが、返事は無い。ならば脱走しか手は無い。
例え、いくら厳しかろうとも自由に生きる。
それは前世では出来なかった事だ。
本当のリーシアが死んで、父が私にリーシアになれと言ったあの時、父に言ってやれば良かった。
「没落しても、その日の糧さえ得るのに苦労しても、ミーシアを殺してまでリーシアになるなど御免だ」と。
そうすれば私は第二王子に婚約破棄されて修道院で自殺する事も無かった。
死後も世間で悪役令嬢として名を残す事も無かった。
(『リーシアの呪い』かぁ……)
私が幼子の頃の使用人たちの会話から、「グラン様とマリエラさんとその子孫は短命」と「私と母は鑑定で呪われてないという結果が出ている」という情報は得ているがそれ以上は知らない。
そもそも、呪いなんて本当に存在するのだろうか。勿論私は呪っていない。皆、偶然早死にしただけではないのか。そう思いたいが、そう断言できる判断材料も無い。
詳しく知りたいが、使用人にも家庭教師にもこの話題は切り出せない。
ただでさえ五年前の脱走以降、使用人達の私に対する冷たさが増したのに『リーシアの呪い』について触れようものならどうなる事やら。
(ん?どうせ脱走するなら、今後の事なんて考えなくてもいいじゃない)
何故思いつかなかったのだろう。いや、私は薄々感じている。
今世の私は頭の出来が良くないと。
非常に認めたくないが、十年、正しくは意識が完全に戻った五歳からの五年間、この体と付き合ってきて何となく実感し始めている。
(ああ、でも今まで大人しくしてきた私が突然妙な事を聞いたら何か良くない事を考えている兆候と捉えられるかも)
思い付いた時点でこれを気づかないとは、やはり今の私はどこか抜けている。
(前世は賢かったなんて断言できないけど、今の私よりは優秀だった気がする……)
鏡の前に立つと、白金色の髪と浅い海色の瞳を持つ少女が映る。
白磁の様な肌、ほんのり桃色の柔らかそうな頬、少し垂れ気味の大きな眼、小さい唇。
(知的とは言い難い外見……でも容姿は整ってるのよね……)
幸運な事にグラン様にもマリエラさんにも似ていない。もし似ていたらと思うとぞっとする。
しかし、彼らの血を引いているという事実は変わらない。
(未だに複雑な気持ちが整理できてないけど、生まれ変わったのだから前世の様な最期は回避したいわ)
その為にはまず公爵邸から出なければ……鑑定では呪われていないと結果が出ているとはいえ、私が短命で無いと言い切るには不安が残る。もし短命ならば、別館に閉じ込められたまま死を迎えたくはない。
このまま過ごしても何も進展しないならば、失敗に終わっても行動すべきなのだ。
◆
実に五年ぶりに私の足は土を踏んだ。
五年前に脱走した時よりも夜が深い時間帯。今私は別館の庭木の木陰に居る。
(この時間ならば夜会帰りの公爵夫人に出くわす事は無い、見つかるとしても警備……)
自作した小さな肩掛け鞄には鋏と厨房から少しづつくすねた乾燥果物やナッツ。平民の暮らしに何が必要かは分からないのでとりあえず武器になりそうな物と食べ物を用意した。
さて、これからどうするかというと裏門を目指す。
裏門に早朝、食材を運ぶ馬車が訪れると厨房で聞いたことがある。
裏門の傍に身を潜め、馬車が門を通る時こっそり外へ出る作戦だ。
何度か夜明けに起きて、物音がする方向を確認したので、裏門のある方角は分かった。
慎重にそちらの方角へ進む。
(あれが裏門ね……!)
隠れながら小一時間を掛けてようやく、それらしき場所に着いた。
後は、どこかに隠れて機を伺うだけだ。
丁度良く高く積まれた沢山の木箱があったので、その陰に隠れる。
その時、複数人の足音が聞こえた。
(今は五歳児の頃とは違う、落ち着いてこの場に待機できる)
息を潜めて足音が遠ざかるのを待つ。
しかし、詰まれた木箱の少し手前で足音は停止した。
(お願いだから早く通り過ぎて……)
「……ハルフィス様」
「ああ、分かった」
それは少年の声だった。
(こんな夜中に何してるのかしら、まあ私も人の事言えないけ)
思考はそこで無理矢理中断させられた。突然、背後から誰かに腕を掴んで捻り上げられ、地面に押さえつけられたのだ。
「……刺客か?」
頭上から、先ほどの少年とは違う、これまた少年の声。
その冷たい声音に体が強張る。
「ルアト捕まえたか」
「ああ」
私は木箱の陰から引きずり出される。
「子供じゃないか、使用人の子か?腕を放してやれ」
「最近は子供を使う組織も多いといいますから、油断はできません」
刺客では無いと言おうとするが、体が怯えきっていて声がでない。
押さえつけられているので顔を上げられないが、この場に居るのは少年三人の様だ。私を押さえつけている少年が私から鞄を剥ぎ取り、残りの二人の方へ投げた。
「……鋏と、大量の果物とナッツ……」
「ほら、これだけ大量の日持ちする食糧。多分、家出しようとしたのだろう」
少年が私の体をあちこち触って確認する。
「武器も隠し持っていないな」
「だから、放してやれ」
そこでやっと私は解放された。
まだ地面にへたりこんでいる私に、少年が近づいてきて手を差し伸べる。
「君、大丈夫かい、私の侍従がすまない事をし……」
私が顔を上げると少年の発言が途中で途切れる。
(あ、この顔……)
少年の表情に激しい既視感を覚える。
それは、前世の貴族学院の入学式の日。
初めてグラン様がマリエラさんを目にしたあの時の。
人が恋に落ちた瞬間の表情。
(もしかして、私に……?)
流石似てなくても、その外見で第二王子を一目惚れさせたマリエラさんの子孫なだけあるな、などと思った。
◆
結論から言うと、私の脱走は失敗に終わった。
あの後、少年達が、特に私に一目惚れしたであろう少年が私の家出を見逃すはずも無く
「家出は良くない、家族と話し合うべき」と言って、使用人居住区まで送ってくれた。
ちなみに少年たちは天体観測していて偶然裏門の近くを通ったらしい。普段は夜に出歩く事はないとか。
五年前は夜会帰りの公爵夫人に遭遇したし、今世の私の運はあまりよくない。いや、前世も運が良いとはいえなかった。
私に惚れた少年はハルフィス・エウラルという名で、公爵家の嫡男だった。
彼は使用人の家庭問題を改善するのも主たる公爵家の務めと言い出し、私の家はどこかと訊いた。
当然、使用人居住区に私の家は無い。
やんわり断ったのだが、彼はしつこく親は誰だと問い詰める。
当然、家族は居ない。
しどろもどろしている私にハルフィスの侍従二人がやはり刺客ではと疑い始めて、捕縛しようとするので白状してしまった。「私は別館でお世話になっているリリシアです」と。
という訳で、別館に連れ戻された。
そして夜が明けて、現在、午後。
私の目の前にはハルフィス・エウラルが居る。彼はお菓子が沢山並べられたテーブルを挟んだ向かいで微笑んでいる。
昨夜はよく分からなかったが、彼は陽光に当たると美しく輝く灰青の髪と紫水晶のような瞳を持つ端正な顔立ちの少年だった。前世でもこれほど整った顔の子供は見たことが無い。前世で精霊をも魅了すると謳われたグラン様さえ霞むほどだ。
年は現在の私と同じ十歳だという。落ち着いた物腰で同い年とは思えない。
「どうしたの、お菓子は嫌いかな?」
「いえ……」
お菓子はとても有難い、五年前の脱走失敗以降、私の食事はとても質素にされていた。お菓子など一か月に一度あるか無いかだ。いますぐ食べたい。が、どうしても手が出ない。
彼は私と私の母を嫌悪するあの公爵夫人の息子だ。ただでさえ公爵夫人に脱走を試みた事がバレると不味いというのに、更に息子がこの別館に訪れたと知ったらどう思うか。
行動を起こさねば何も変わらないとは言ったが、これは予想外で不安が心を支配する。食べ物など喉を通らない。
「あの……公爵夫人は……」
「ああ、それなら心配無い。母が付けた監視には暇を出したし、君が脱走を試みた事も報告しないよ」
いつも居る監視がいないと思ったら。随分と行動が早い。
「そうではなくて……」
「僕が君に会いに来た理由かい?やはり昨夜言った通り、家出しようとする子を放って置けないからだよ。使用人でなくとも公爵家で養育している子供の家出を見逃すわけにはいかない。何か家出したい理由があるのだろう。相談に乗るよ。まあ、想像は付くが……」
(素直に気になるので近づきたい、とは言わないのね、ふふふ、それらしい理由で誤魔化してる。子供だわ可愛い。でも貴方と仲良くすると公爵夫人の逆鱗に触れそうだから……)
「申し出は有難いのですが、公爵様にここから出て平民になりたいと伝えて貰っても許可が貰えないのです。だから、家出というか、脱走しようとしたのです。もし良ければ公爵様に私が脱走しようとした事を報告してもらえませんか。今後については公爵様と話し合い出来たらと思います」
彼は笑顔だが少し頬が動いた気がした。
「既に父に伝えているのか……分かった、僕が父と話し合うよ」
「いえ、私が直接……」
「母は君の事を疎んでいるから、君は直接父に会わない方が良いと思う」
(嫌悪している女の娘に息子が惚れて近づくほうが怒るのでは……)
そう思うが、私に惚れてますよね?とは口にしづらい。
「それで、やはり君は今の生活が嫌で平民になりたいのかな」
「はい、衣食住の世話になっておきながら勝手な事だとは思うのですが、別館から出ない様に命じられていて自由が無く……」
「それなら、僕に任せて欲しい。君が今後普通に生活できるよう取り計らうよ」
「……先程の発言を取り消します。母が公爵家の養子だったとはいえ、他人である私が公爵家のお世話になり続けるのは良くない、そう思います。ここまで育てて頂いた恩は返せませんが、ここを出て平民になり、これ以上迷惑が掛からないようにする事はできます」
それを聞いた彼がにこりと微笑む。
「他人では無いよ。君と僕は間違いなく血縁関係にある。君の母は僕の父の従妹なんだ」
(え、私がグラン様の子孫でエウラル公爵家が王妹の子孫だから血縁はあるのは確かだけど、それより近かったの?)
「従妹の子供が孤児になったから引き取って下さったのですね」
「それだけでは無い様だけどね……」
「え?」
それには答えずに彼は居住まいを直した。
「今まで、君を放置してすまなかったね。君の生活について気を配るべきだったし、ハトコだというのに何の交流も無かった。これからは是非親交を深めていけたらと思うよ」
「いえ、ハトコなんてかなり遠いですから。ほぼ他人です。他人。私のことは気にしないで下さい」
「…………先程から君は僕を遠ざけようとしてないかい」
ぎくり。
「……公爵夫人は息子である貴方が私を気にかける事を良く思わないはずです。五年前に私を見ただけで気を失われました。それほど私を嫌悪しているのでしょう」
「ああ、そういう事か。母は少々ヒステリック過ぎるんだ。気にしなくて良いよ。好きなだけ倒れたらいいのさ、あんな女」
彼はあまり母親が好きでは無い様だ。
「ですが、お母様の為に私に近づくべきでは無いと思います」
「……君、僕の母を気遣っているフリをして、その実自分の事しか考えていないだろう。僕、そういう目をしている人はすぐ分かるんだ」
ぎくぎくり。
そう、私は公爵夫人に関係なく、彼とお近づきになりたくない。
何故なら、グラン様と同じ表情をしていた彼に関わりたくないのだ。
婚約者を蔑ろにしてしまう程の激しい熱情の籠った瞳。前世、蔑ろにされた側の私としては受け入れ難い。
「僕はそんなに君に嫌われる様な事をしたかな……」
シュンと俯く彼は年相応で、こちらが悪いことをした気持ちになる。いや、確かに前世に縛られて人の好意を拒絶する私が悪いのかもしれないが。
「あ、そうか僕の侍従のルアトが君を強く押さえつけたから……僕を怖がっても仕方がないか」
そう言って斜め後ろに待機している少年を少し睨むハルフィス。ルアトと呼ばれた侍従は気まずそうに視線を逸らす。
「いえ、怖がってはいませんよ」
「やっぱり、今まで放置してきたのに何を今更って、怒ってる?」
更にシュンとして俯きがちにこちらを伺う様は私の庇護欲を刺激した。
今すぐ抱きしめて、「そうじゃないよ、お姉さんが悪かったね。ごめんね、よしよし」と慰めてあげたい。
(うう、別に幼い少年が好きという訳では無い……!無いけれども、この感情は何……!)
そうだ、この子に婚約者がいないなら、グラン様と同じ熱情とは言えない。それならば、この子の淡い初恋?に付き合ってあげても良いかもしれない。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、ハルフィス様に婚約者はいらっしゃいますか?」
「?、ああ、うん。六歳の頃に父上が決めた婚約者がいるよ」
(あぁー!これは、良くないわ!この子と関わるのは止めましょう)
「非常に申し上げにくいのですが、ハルフィス様は私に好意を持ってらっしゃいますね?」
「なっ……」
彼の顔が瞬時に赤く染まり、何か言おうとしては口を開いては閉じを繰り返して慌てている。
(耳まで真っ赤だわ。何て分かり易いの。可愛いわ……はっ、そうではなくて)
「否定しない、ということは合っていますね?」
「…………ああ、昨夜、君の顔を始めて間近で見て心奪われたのは確かだ……」
(おや、あっさり認めたわね。子供だから素直になれずに認めないかと思ったけど。これなら話が早いわ)
「ならば、言いたいことは分かるでしょう?」
「……だが、婚約は父が決めた事だ。僕が誰と親しくなろうと、誰を想おうと僕の自由だ」
ハルフィスの瞳は真っ直ぐに私を見詰めている。その視線に籠る熱から逃げるように私は席を立ち、ハルフィスの隣へ移動する。
そして彼の手を取って、優しく彼の眼を見詰めて諭すように語り掛ける。
「六歳で婚約という事は、この四年間お相手と交流はあったでしょう。その時、婚約者様は貴方にどう接してこられましたか?」
「別に普通だよ」
「貴方と良い関係を築こうとしてはいませんでしたか?」
「……」
この沈黙は肯定だろう。
「所詮は親の決めた婚約、それはお相手も同じなのです。それでも婚約者様は貴方と……」
「分かってる、そんな事は!」
私の言葉を遮って大きな声を上げた彼はハッとして、謝る。
「すまない、いきなり大声を出して。だが……僕だけ婚約に縛られて心に自由が無いなんてずるいじゃないか」
「ずるい?」
意味がわからずこてんと首を傾げてしまう。
「姉から聞いた話だが、どうも父は君の母に懸想していたらしい」
「はい?」
「僕の父は当時婚約者だった僕の母を差し置いて、君の母で父にとっては従妹で義妹となるレティシャにばかり構っていたらしい」
(え、公爵夫人は前世の私のような状況に置かれていたの)
「結婚後も妊娠した母を気遣うことは無く、家出して帰って来た時に妊娠していたレティシャの傍に寄り添っていたと」
(ひぃ、私の前世より悲惨では?)
「その様子から、家出は父との子を身籠った事を隠すためのカモフラージュと言われているらしい」
「ちょっと待って下さい!その話が本当なら貴方と私はきょうだいではありませんか」
「それについては魔力鑑定で否定されている」
「そ、そうなんですか」
確かに、個人の持つ特有の魔力の波長を測定する事で親子であるか判別する鑑定魔術はある。前世では出来たばかりの魔術だったが、今世では普及しているのだろうか。
「つまり疑われる程に父とレティシャは仲が良かったという事だ、母が婚約者であった時も、妻となってからも。それなのに、そんな父が決めた婚約に僕だけ従うというのも可笑しな話だろう?」
確かに、言いたい事は分かる。それで、先程の「ずるい」発言か。
「しかし、それとこれとは話が別です。それは貴方のお相手には関係が無いのです」
「……要は婚約者がいるから君は僕を拒絶するんだね。なら婚約解消すれば良いだけだ。幼い子供の婚約者がころころ変わるのはよくある事だ」
(それは私の前世の時代もそうでしたけど……)
「幸いまだ僕も向こうも十歳だ。婚約解消しても向こうに痛手は少ない。少しの迷惑料で応じて貰えるだろう」
「その前に公爵様が貴方の意見を聞きますか?」
「レティシャの名を出せば父は何も言えない筈だよ」
可愛い顔をしていながら、何とも嫌な子供である。
私は少し息を吐いて自分の席に戻った。
「……今回話をして、君が外見とは少し違う中身をしているのがよく分かったよ」
「あら、幻滅させてしまいましたか?」
にやりと笑って返す。
「いや、余計に君に興味がわいたよ」
(ええ……)
「ふわふわした天使の様な雰囲気なのに脱走しようする行動力があって、でもやはり少し計画が無謀で抜けている所もある。そして、別館で閉じ込められて育った筈なのに妙に大人びている。何だか不思議な子だね」
それは前世持ちのせいだろう。前世の人格と今世の体が生み出すちぐはぐ感だ。
「婚約は解消してみせるから、今後も君に会いに別館を訪れてもいいかな……?」
少し不安気な少年の瞳に胸が痛むが、ここは断らねば。
「おそらく公爵様が家の益になるようにと考えた婚約を解消してまで、私に会う価値はありませんのでお断りいたします」
「僕の婚約は公爵家に不利益にならない事を第一条件に相手を選んだようだから、解消しても問題は少ないと思うけど」
(何かもう面倒になってきたわ……)
「……ならばお好きに」
聞くやいなやパァと明るい表情をする少年。私よりも貴方の笑顔が天使なのだが。
(うっ可愛い……こんな子に好意を向けられるのは悪い気はしない。けど素直に喜べない)
私の母が妻帯者の公爵様に懸想されていた話。
私が婚約者のいる少年に一目惚れされた件。
そして、現在の私の先祖マリエラさんが前世の私の婚約者のグラン様を射止めた事実。
(何なの……マリエラさんの一族は他人の男を寝取る業でも背負っているの?)
短命という偶然で片付けられる可能性のある『リーシアの呪い』よりも、こちらの方が余程呪いとは言えないだろうか。
私は二つの呪いを受けた今世の行く末を憂い、深い深い溜息を吐いた。
◆
この後リリシアは、
可愛い少年だと思っていたハルフィスが成長して大人の男性になっていくのに動揺したり、最初は冷たく突き放してくる公爵様がデレて溺愛してくるのにドン引きしたり、まるで前世の自分な公爵夫人の苦しみを理解して和解したり、呪いについて詳しく調べるために超常現象研究会に所属したり、自分が生まれ変わった理由を知ったり、前世で裏切った元友人たちの末路を含む呪いの真実を解き明かしたり、『リーシア・アルゲント』の汚名を払拭しようとしたりで、
それなりに濃い人生を送ったのだった。
前世よりも幸せとは言い切れず、苦悩もあったが、リリシアが前世のような虚しい最期を迎える事は無かった。
お読みくださりありがとうございました。連載する予定でしたが書いてて疲れたので短編として投稿しました。
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