健全財政論者の珍説はなろう小説と同じモノである。
言葉の定義、適用範囲を考えない珍説で、日本は衰え続けている。彼らの珍説の根本はそう言い換える事が可能だからそうであるという事に終始する。つまり『ヒール』を『ヒール』して『ヒール』するという訳だ。意味が分からない? 理解する意味も必要性も無いだろう。要するに『僕チンは正しい』という事を言い換えているのである。
例えば社会主義的という言葉を考えてみよう。コレには『統制経済的』やら『進歩的』やら、プラスとマイナスの意味がごちゃ混ぜであり、どの意味で使われているかは行間を読んで推察するしかない。ぶっちゃけ、”修飾語”に過ぎないのであり、使用者はその事象にそのような感想を抱いたという以上の意味を持たない。しかし世の中は不思議な事に、そういう”感想”を抱いたから根拠はそれだけで十分だと言い出す連中がいるのである。
彼らの行動の根拠は『我々は歴史の正しい側に存在している』というような認識であり、とどのつまり「僕は正しい」という強弁に過ぎない。その正しさをどう証すのかが問題なのだが、そんな事は問題とはしていないようだ。精々が、全く関係の無い事柄に勝手に法則性らしきモノを見つけ出し、それを全く別の分野に当て嵌めてどうの言うだけの話である。こう言うような言説がまかり通っていたのが正に、マルクス史観の世界であり、革名史観に反するという理由で遺伝子学が弾圧された事を考えれば、とても社会主義的な発想と言えるだろう。
健全財政論者の物の考え方というのは、血を抜いて病気を治そうという未開野蛮なるエセ医者の発想と同じである。彼らの脳内では『病気は悪い血があるから起きている』というのは絶対的な大前提なのである。それを証明する必要は無く、そんな気がする言葉を提示出来たらそれで十分。よって治療法は血を抜く事に終始する。血を抜いたけど病気は良くなりませんor悪くなりました、となると血の抜き方が足りないんだという話になる。死んだら、なんでもっと血を抜く決断をしなかったのかと後悔することだろう。とても患者思いの善人である。医療者の鑑であるな。
彼らの脳内に現実などというモノは存在しない。この期に及んで、無駄な公共事業~だの、公務員が多すぎる~などという人間は、問題が起きるのはそういうモノがあるから起きるのだと思っているに過ぎない。役所の窓口に行っても今や”公務員”なんていない。パソナ辺りの派遣労働者がいるだけである。いわゆる無駄な公共事業なんてモノは1990年あたりから見事に右斜め下で関連土建企業は大量倒産している。和歌山市で水道管の老朽化が原因の大規模断水が危惧されたが、和歌山市というのは人口36万規模の大都市である。そのど真ん中でそんな事が起きている。
こんな風に財政支出の必要性は明白なのだが、それで利益を得ている土建屋が~とかなんとか言い出したりするのはお定まりの反応である。結局は嫉妬心でしかない訳である。嫉妬で無いならもっと問題だ。それは要するに企業が仕事を通じて利益を挙げるという事そのものを否定しているに他ならないからである。完全に国家が生産資本を独占して配給していこうという社会主義的経済発想に他ならない。
彼らには現実なんてモノは欠片も無い。国の借金が~とか言うような人間で、量的緩和政策で日銀当座預金の金利支払いが増えて破綻する~とか言う人間は良くいるが、実際には量的緩和で増えるマクロ加算残高には金利は付かない(そればかりかマイナス金利の量的緩和まである)それと同時にマイナス金利政策やっている事についてどう思っているのか? と問うたところ、マイナス金利は銀行への税金になっている~とか返信してきた。
金利支払いで破綻するのかしないのかが問題なのだが、そんな事は関係が無いのだろうな。現状、プラス金利が付くのは2015年の1月~12月間の積み期間まで平均残高から法定準備預金額を引いた範囲で、極めて金利調節的な意味で付けられている代物だ。だいたい税金とか言っているが、実際は金庫代である。真実、日銀には準備金以上の銀行資産を保管管理する義務など無いのである。イヤなら金庫でも買ってそこにぶち込んでれば~という話だ。まぁ救いがたい事に、緊縮バカが瀉血するのを止めないから、人々は金庫を買ってでも身の回りに予備の血液を持ちたがるようになっている。世界各国でだ。
経済学的には、こんなおバカな貯金姿勢は存在せず、それ故に市場原理に任せると上手くいくという仮説なのに、その大前提をぶち壊しながら、市場原理に任せれば上手くいくとかどういう神経をしているのやら。
まぁ~ほんと、デフレというモノがどういう状態であるかというモノを少しも考えない緊縮論者の世界観にはいい加減ウンザリしてくる。彼らの世界観は常にインフレで、全てのブツ・サービスは消費されているという前提で物事を考えている。それは彼らの脳内に存在する絶対的な大前提だ。産業革命以降、先進諸国は市場を求めて植民地を広げ、宗主国以外の工業製品を買う事を禁じた経緯を考えれば、心底、封建的な経済観なのであろう。いや、そんなモノすらなく、医者をブチ殺せば全ての病気は無くなるぐらいの認識なのだろう。