広がる波紋
「では、間違いないのだね?」
ある施設に設けられた一室に白衣の研究者らしき者達が慎重な面持ちで集まり会議を行っている。先の発言はこの一室、いや、この極秘裏に組織された集団の長を務める者の発言だ。
疑問を投げ掛けられた研究部門の最高責任者である解沢暦は深く頷き、男性にしては多少華奢な指先でプロジェクターを操作しつつ手元の資料に目を向け答えた。
「はい。昨日のおよそ午前零時を境に『紙片』による改変反応が見受けられました。その後、改変が行われた書物についてリサーチを開始し、過去の事例を踏まえて対象を絞って捜索したところ、改変対象書物並びに『紙片』の所有者を特定致しました」
「仕事が素早くて良い。では、改変された書物と『紙片』の所有者について説明してくれたまえ」
「承知致しました。では、改変された書物からご説明いたします。今回、改変された書物は『キミは苦難と祝福の中で産まれた』という小説です。二日程前に販売が開始され、爆発的な人気を博しております。作家は加藤作蔵という小説家であり、過去に執筆した小説の分類としてはホラーをメインに活動をしていました。さて、この一言でこの場の多くの方が既にお察しと思われますが、先程の小説は加藤作蔵氏の作品ではありません」
「では、また『改変盗作』というわけだな。全く、近年の小説家にも困ったものだ。他人の作品を盗んで発表して何になるというのか……」
「仰る通りです。全くもって嘆かわしい」
どこか投げやりな雰囲気を持って暦は同意を示す。幾度となく似たような事案に関わり嫌気がさしているのか、それとも別の理由なのかはその表情から読み取る事は出来ない。
「そして、今回の改変についてですが『紙片』が複数使用されている可能性が非常に高く、『召喚』が行われていると見て間違いないと思われます」
暦のその言葉を聞いて室内はざわめき始めた。
しかし、暦はそんな事など知らぬと言わんばかりにパソコンを操作し、本日の早朝に放送されたニュース番組の動画を表示した。そこにはアナウンサーとテレビ取材を受けている小説家、加藤作蔵の姿が写し出されている。
「本日の午前七時二十三分頃テレビニュースにて、小説家である加藤作蔵氏へのインタビューが放送されました。現在プロジェクターにて映している動画がその小説家へのインタビューです。そして、こちらをご覧下さい。」
研究員は動画を停止し表示されている一部分、加藤作蔵の背後に映る存在に向けて画面を拡大した。
「これは、犬? いや、狼か。無論この狼は一般の者には見えていないという認識でよいかね?」
暦はナイフのように鋭い切れ長の目を細め、軽く頷きつつ答える。
「局長の仰る通りです。こちらに映っている狼らしき存在は『紙片』を触れた者にしか認識されておりません。『紙片』を利用して呼び出された存在、又は呼び出された存在による能力と考えられます」
「では、調査を待たずして『コードキュアー』に出て貰う他ないな」
「はい。ですが合わせてご報告がございます。本件の会議が開始される直前にこちらへ報告が回ったのですが、『コードキュアー』の一人が修正活動中に何者かに敗退し消失しました。『紙片』についても奪われたようです。」
会場が今まで以上にざわめき立つ。しかし、そのざわめきを切り裂くように一人の男がプロジェクターの前へと歩み出ていく。
「はいはい。一先ず皆さん静かにしましょうねぇ。会議は静かに聞くもんですわ」
身長はかなり高く、日本人の平均身長を二回り程越えているだろう。だが、その背丈と比較すると細身のシルエットがプロジェクターの光を受けて会議室の壁に写し出される。
適当な長さで切り落とされた茶髪、バイク乗りが着ているような黒一色の飾り気が全く無い革ジャンに色褪せしたジーンズという着こなしがこの男の精神性を表しているようだ。投げやりなような、耐久性や機能性のみに着目して選ばれた服装である。
しかし、服装とは対象的に男の顔は疲れた雰囲気を放ちつつも整った外見をしていた。
目は切れ長で鋭さを感じさせつつも目尻は下がり、紳士的な落ち着きを醸し出す。鼻筋も整っており、口元には微笑を湛えている。もし、痩せこけた頬が健康さを取り戻し目から漂う哀愁を感じさせる疲れがなければ他人からの印象は全く違っていただろう。
男は会場の思い雰囲気などどこ吹く風と言わんばかりの軽い調子で話す。
「俺が直接動きましょう。これ以上同士が減っちまうと俺の休みに響くんでね。」
「それは助かります、万丈さん。貴方なら間違いは無いでしょう。なにより、貴方の『コードキュアー』の能力は非常に汎用性に富んでいる。事前情報が少ない今、求められるのはその現場での適応力です。今回の案件において、貴方以上の適任は現状存在しませんからね」
「まぁ、そもそも人員が残り僅かだ。出し惜しみしてる場合じゃ無ぇでしょうよ」
暦の言葉に苦々しく返しながら万丈は会議室の出口に向かって歩きだす。
「それでは、本件については『コードキュアー』パーソナルネーム『アリス』及び鳴瀬万丈氏に一任するとし、此度の緊急会議は終了とする。解散!」
万丈のマイペースな行動にも慣れたものと言わんばかりに局長が会議の〆の号令をかける。その号令を合図に会議室に集まっていた者達は解散を始めた。
それを尻目に万丈は既に会議室を抜け、施設内の廊下を一人足早に進んでいた。
「今回ばかりは俺が動かないと話にならねぇんだよ。なにやら、今回の騒動は今までのソレとは違うみたいだからな……」
不穏な空気を嗅ぎ付けた万丈はそう独白し、歯を噛みしめつつ狼めいた狂暴な雰囲気を放っていた。
向かう先は改変を受けた小説家の家。物部氏の自宅だ。本来は会議を待たずに出発したかったが、『紙片』所有者への組織からの縛りは強いためやむを得ない。
「妙な事にならなきゃいいが……」
今までの『改変盗作』の事案から予想される事態を想像しつつ万丈は更に足を早めた。




