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非日常の入り口

 僕も図書室のドアの前で電気を消す準備をして綴さんが出るのを待つ。この時僕は余計な考えが頭を過ってしまった。


 ……少し悪戯してみようか。


そんな悪戯心からだった。綴さんが出口に近づいた辺りで僕は電気を消した。


 「うわぁ、語君。性格悪……。あっ」


 「っ!」


 出口の近くまで来たから大丈夫だろうと思っての悪戯だったが、事態が悪化した。なんと綴さんがストーブのコンセントコードに右足を引っ掛けて躓いてしまった。その拍子に左足が自分の右足に引っ掛かり、完全に体制を崩して倒れてしまう。倒れる先には図書室の壁がある。


「……っ!」


 僕は手に持ったバックを投げ捨て全力で彼女の前に飛びだした。あまりの事態に精神が研ぎ澄まされているのか、時間がゆっくりに感じる。距離はそんなに離れていない。僕は死にもの狂いで手を伸ばした。


祈りが通じたのか、僕の左手は綴さんの左脇に届いた。力任せに綴さんを引き寄せる。


 ドタンッ!


 鈍い音が図書室に響いた。


 僕は腰と後頭部を思い切り打ち付けてしまったようだ。腰が痛むし、目の前がチカチカしている。少しの間思考が働かなかったが、綴さんの安否を確認するべく無理矢理目を開いた。


 「……え?……え?」


 僕が綴さんを抱き寄せる形で倒れてしまったようで、綴さんの頭が僕の喉元辺りにあった。両手を僕の胸に置いて綺麗に重なった状態で倒れていた。綴さんは状態が理解できていないのか仕切りに『え? え?』と疑問符を大量生産している。


 そして僕は状況ようやく理解し、


 「っーーーーーーーーーーー!」


 固まった。


 心臓がマズイ程に早鐘を打っている。昔、部活動をしていた時でもここまで心臓が悲鳴をあげた事はない。左手が綴さんの左脇を通って背中まで届いており、完全に抱き締めている状態だ。顔が火が出そうな程に暑い。全身から恥ずかしさのあまり熱を吹き出している。そして、この時僕が思った事はこうだ。


 女の人ってこんな柔らかいのっ!?


 心中慌てふためいているためか訳のわからない事に気が回る。これまで僕は女子と付き合った事も無ければ、手を繋いだ事もない。こんな以上事態には遭遇したことはなかった。


 なんだろうか、この抱き締めた感覚。自分が知る柔らかい物を想像してもこの抱き締め心地は思い付かない。


 程よく重味が有って、抱き締めてフワリとへこむ訳でもなく、ある程度の芯があるこの感じ。少なくとも、自分の体とは大違いだ。全くゴツゴツしていない。そしてなんだろうか、この無闇やたらに感じる幸福感。出来ればずっとこのままで居たいとすら思ってしまう。


 等と馬鹿な事を考えていたら綴さんがようやく状況を理解したのかモゾモゾと動きだした。


 それを見て僕もようやく我に帰る。


 「ごめん! 綴さん、大丈夫!?」


 抱き寄せていた左手を慌てて離し、肩に手を当てて起こそうとするも女性に無闇に触れるという事実が頭に過り、両手は宙を右往左往と泳いでいる。


 少しして綴さんが僕の胸に手を当てて体を起こした。


 「あ、いや。こ、こっちもごめんね!大丈夫、大丈夫だから!」


 そして綴さんがゆっくりと立ち上がり服を手で払う。顔は少しうつ向いており、前髪が垂れ下がっていたため表情は分からない。


 僕も慌てて立ち上がり、全力で頭を下げる。


 「綴さん、本当にごめん! 少し悪戯しようと……、痛たたた!」

 

 「っ! 語君!?」


 突然腰に痛みを感じて僕は膝を付いた。あまりの緊張感と幸福感と罪悪感で感覚が麻痺していたが、今になって打ち付けた箇所が痛み始める。


 綴さんは膝を着いた僕を心配してしゃがんで僕の顔を覗き込んだ。


 「いや、ごめん。大丈夫、ちょっと痛んだだけだか……」

 

 そこで僕は綴さんの顔と対面した。


 顔が真っ赤になっている。倒れた拍子に髪型が乱れていつも隠れている耳が露になっているが、耳も先端まで見事に赤く染まっている。それに心なしか、口元がムズムズと動き口角が上がりかけている。まるで、嬉しい気持ちを無理矢理抑えて冷静を装うとしているような。


 え。綴さん。もしかして、喜んでる……?。


 ほんの数秒僕と綴さんが顔を見合わせて固まっていた間に僕はそんな事を考えていた。


 その硬直状態は綴さんの言葉によって破られる。


 「あー、とりあえず。大丈夫そうなら帰ろ帰ろ! 早く帰らないと本当に真っ暗になっちゃうしさ!」


 そう言うと早口に捲し立てると、綴さんは急にドアの方へ振りかえって図書室から出ていく。


 今日は一体どうしたんだろうか。なんでこんな日頃起きないような事が起こるのか。僕はそんな事を思いつつ不純ながらも内心ではさっきの出来事をリフレインしていた。


 綴さんを抱き寄せた感触。すごく柔らかくて、暖かくて、なんと説明すれば良いのか、問答無用で幸せな気分に支配されるようなあの感覚。綴さんの髪から漂っていた香り。花とも違う、甘いような、なんとも言えない落ち着く香りだった。そして何より、さっきの表情。本当に、可愛いかった。


そんなトラブルを喜ぶ僕への天罰のように腰が痛み、現実に引き戻された。ズキズキと痛む。立ち上がる分には特に問題は無かったが、歩いてみると痛みが強まる。幸いにも歩けない程ではないらしい。


 「綴くん! 大丈夫ー!?」


 あまりに図書室から出てこない僕を心配してか、外から綴さんの声が聞こえる。


 「大丈夫だよ! ちょっと落とし物探してただけだから!」


 綴さんを心配させたくはない。元々は僕のつまらない悪戯心が招いた結果だ。そんな事であの優しい子が自分を責めるような事にはなってほしくない。


 僕は深呼吸して呼吸を整えると、図書室のドアにしっかり鍵を掛けて綴さんの後を追った。

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