最後の日常
図書室に入ると綴さんは机に向かって何かしていた。僕の持ってきた椅子の隣に置いていた自分の椅子を机の報に向けてうつ伏せ気味の姿勢を保っている。どうやら僕にまだ気付いてないようだ。
せっかくだから僕は足音を忍ばせて綴さんの隣に歩み寄る。途中で図書室の床が軋む音がしたけど、それでも綴さんに反応は無い。余程集中しているのだろう。
僕はは綴さんの右後ろにたどり着いた。電気の明かりで影が落ちないように気を使いながら後ろから覗きこむ。
……プロットかな?
綴さんはA4サイズ位の真っ白な紙に色々な図を書き殴っていた。プロットとは、小説等の物語を書く時に最初に作る設計図だと思ってくれれば良い。
最初にある程度と設定やストーリーを考えておき、それに肉付けしながら物語の展開を考える。それがプロットだ。僕も物書きの真似事をしているから分かる。
以前、同じ趣味を持つ友人擬きが居たがソイツはこう言っていた。『物語なんてキャラクターが独り歩きしてなんぼなんだからプロットなんか考えないでさっさと書いた方が良いのさ』と。まぁ、それで書けるならそれでやればよいだろう。別に僕には何も迷惑は掛からないし。
僕の考えを言わせて貰えれば、それは完全に間違いだ。プロットは設計図だと表現したが、設計図無しで何が作れるというのだろうか?
勿論、物語を考える時点で明確なゴール等無い。たどり着く目的地が無いのなら、最後にたどり着いた場所こそがゴールであり、その時点の作品こそが完成品だ。完成品を作るだけなら別にプロットは必要無いだろう。作るだけなら、ね。
プロットの役割は脇道に逸れる事や、キャラクター達に余計な動きをさせない為にも必要だと僕は思っている。いや、余計な動きをさせない為と言うと少し語弊が有るから言い直そう。『そのキャラクターにそぐわない動きをしないように』するための物だ。
例えば、正義感に溢れる人間が居るとする。頭の中で物語を考えて居るとその人物に相応しくない行動を取らせてしまう時がある。
さっき説明に使おうとしていたキャラなら、『無闇に殺戮を楽しむ』や、『仲間の過ちを正さない』だったり、『戦闘から逃げ出す』等の行動を取ると不自然に感じるだろう。勿論人間なのだからどれだけ正義感に燃えていても逃げだす時や、道を間違える時も有るだろう。だが、それに対して明確な納得のいく理由、動機が備わっていないなら問題だ。それは必ず物語の違和感になって読み味を悪くするだろう。
プロットとは、それらを未然に防ぐために有る。プロットをしっかり作り込まない作品は駄作に終わると僕は思っている。駄作だけにダサく終わる。
綴さんは少なくともプロットの重要性を理解しているのだろう。かなり深く設定を作っているようだ。
世界感の設定、人物の名前や好きな事と嫌いな事、小説の世界の宗教や文化まで書き込んでいる。物語については相当細かく考えているようだ。大元のストーリーを書いた後に矢印で沢山書き込みがしてある。かなり本気で構想を練っているのが分かる。
そうやって僕は斜め後ろから覗いていたのだが、つい鼻を鳴らしてしまった。綴さんが身体をビクッと震わせてからうつ伏せになって紙を隠しつつ、顔を赤らめながら顔だけコチラを向いた。
「びっくりしたー! 声掛けてくれれば良いのに、大分意地悪いね。女性の後ろから覗き込むなんて、あまりジェントルマンな行為じゃないよっ」
少し怒らせてしまった。眉を普段より二割増しで吊り上げつつ口をへの字に曲げて綴さんはそう主張した。僕は慌てて綴さんに謝った。
「あ、いや。ごめん。図書室に残ったまま僕の座ってた隣に居たから見られて困るような事じゃないだろうなぁくらいに思ってたから、つい…。いや、本当にごめん。別に起こらせるつもりは無かった。……ごめん」
僕が頭を掻きながら謝ると、綴さんの眉は急激に吊り下がり、慌てたように僕に謝った。
「あ、そこまで謝らないで。半分冗談だったし、私も見られたくないならこんな所で作業しなければ良いだけだったし。ね? 怒ってないからそんな困った顔しないで。ね?」
僕はそんに困った顔をしていたのだろうか。しかし、そう言いつつも綴さんの方が余程困った顔をしていると思う。そんな顔をしている綴さんを見たらつい吹き出してしまった。
「……ブフッ!」
「え? 何々? なんでいきなり吹き出してるの?」
「いや、ちがうんだよ。ごめん。……ふふ。心配してくれてる本人が一番困った顔してるもんだからついね。……ふふふ」
僕が笑っているのを見たら綴さんはいつものニパッとした笑顔に戻った。うん、やっぱりこの方がしっくり来る。……可愛い。
「まぁ、なら良かったよ。あ、私ね。見ての通り新しい小説を書いてるんだ。今度出来たら語君も見てね!」
「それは楽しみだから別にいいけど、僕じゃ大した感想も言えないよ?」
僕がそう返すと綴さんは掌を横にブンブン振りながら同じくらいの早さで一緒に首を振る。
「いやいや、大丈夫だよ。語君の感想が聞きたいだけだから、そんなに『良いアドバイスしなきゃ』って固くならないでよ」
本当に、この子は良い人なんだよな。僕はそう思った。というのも僕の女子に対するイメージはあまりよろしくないのだ。
陰口を言う、多人数で少人数の人を苛める、女性である事をしっかり理解してそれを利用して媚びを売る。……気軽に人の努力を笑って馬鹿にする。
これらが僕の女子に対する個人的なイメージだ。勿論、女子だけでなく男子であっても同じような輩は居る事も理解してはいる。それでも女子に関してはこれらのイメージがあまりに強い。
でも、綴さんにはそれらのイメージを全く抱かなかった。純粋で、優しくて、元気で、可愛いらしい。
あまりの良人振りに話し掛けられた最初の頃は、『あー、良い子アピールの女子が話し掛けて来たか』くらいにしか思っていなかったが、しばらく一緒に話していたらそんな事は考えきれなくなった。
本当に、良い人なんだ。でも、だからこそ疑問に思ってしまう。
何でそんな人が僕のところに来るのか。
「語君? ごめん、嫌だった?」
綴さんが声を掛けて来た。表情がかなり落ち込んでいる。僕の顔が無意識に険しくなっていたのかもしれない。綴さんが心配そうに僕の顔を見ていた。まん丸な目が崩れて泣きそうになっている。
「あ、違う! 違う! ごめん、ちょっと考え事してた。小説待ってるから完成したら読ませてね」
僕は出来る範囲の笑顔をしたつもりで綴さんにそう伝えた。気持ち悪い顔になってなければ良いんだけど……。
しかし、そんな心配は杞憂だったようだ。綴さんはホッとした表情をしてからいつもの笑顔に戻ってくれた。良かった。
僕は安堵しながらなんとなく壁時計で時間を確認する。午後六時。……あ、ヤバい。
「綴さん。綴さん。そろそろ帰ろうか。もう六時だよ」
「え? うわ、ホントだ。よくよく見たら外真っ暗だね」
冬場の日照時間は短い。六時を過ぎればもう真っ暗だ。校門までの道はほぼ暗くて見えなくなっているし、グラウンドを見ると野球部が片付けを始めている。
「戸締まりするからもう帰ろうか。はい、綴さんも机の上を片付けてね」
「ほいほーい。ちょっと待ってね」
そう綴さんは言うとカバンの中にプロットの紙や筆記用具を手早く詰めて戸締まりを手伝ってくれた。
僕達は二人で戸締まりを急いで終わらせて帰ろうとしていた。
この後に待ち受ける出来事によってこの何気ない日常が終わる事など想像すらも出来ないで……。




