温もり
災害で廃墟と化した町の大通りを三頭の狼が駆けてくる。そのうちの一匹はさっき逃げた狼だろうか。
僕に手酷くやられた事を根にでも持っていたのだろうか。今度は仲間を連れてやって来たという事だろう。
体の血がかなりの量を抜けてしまったせいか、自分の置かれている状況を他人事のように考えてしまっている僕がいた。
いや、多分自暴自棄になってるだけなのかもしれない。ここ数日の間に大切なモノをなくし過ぎたせいだろう。
数日前とは百八十度違う世界。当たり前の幸せ。当たり前の喜び。当たり前の生活。
そんな『当たり前』が僕の前から次々と消えていく。
父親の健康も、家族の団欒も。そして自分の命も、大切な友達まで奪われそうになっている。
僕は自分が下敷きにしてしまっている綴さんの様子を確認するべく耳をすませた。
「どうしよう、どうしよう……。狼に私が勝てるわけない。逃げるしかない。でも、語くんはどうすれば……。私じゃ、背負えるわけない、それどころか歩けるはずもない。どうしよう、どうしよう……」
綴さんは、小声をするべきか一生懸命に考えているようだ。無意識のうちに考えていることが口からこぼれている。
時折、鼻を啜る音も聞こえてくる。そして、僕の頭に零れた何かは涙だろうか。
それが分かった途端、僕の胸が強く締め付けられた。
中学校に通っていたあの日のように、僕はまた守ってあげれないまま終わるのか。助けを求められているのに、何も出来ないまま終わるのか。
それだけは。どんな目にあったとしても、それだけは御免だ。
僕は両手を地面に付けて力の限り体を起こした。体が石で出来ているみたいだ。どうしようもなく体を動かすのが重い。
「……語くん?」
突然動き出した僕に驚いたのだろうか。綴さんが僕の名前を呼んだ。
「……ごめんね。……こんな、事に。んっ……。巻き込んで……」
返事を返す事すら容易ではなかった。一言話す度に腹部が痛み、体に力を混める程に痛みが増した。
ようやく立ち上がれた頃には狼達は距離をかなり縮めていた。狼達の息遣いすらも微かに聞こえてくる。
そして、十メートル程の距離まで接近してきた狼達は一匹を残して二手に別れた。三角形に僕と綴さんを囲い、ジワジワと近寄って来ている。
正面に位置取っていたのは僕が辛うじて追い払った、先程の逃げた狼だった。
僕の被害妄想に違いないが、さっき僕が追い払った狼が僕を嘲笑っているように見えてきた。
それに反して、まるで枯れ葉のように体がフラフラと軽い。
指先一つで押されただけでも倒れてしまいそうだ。でも最後に一つ、やり遂げなくてはならない。
僕は体のバランスを必死になって保ちながら、休み休み綴さんに言った。
「はぁ、はぁ……、綴さん……。どうにか二匹までなら、……抑えてみせるから。……ふぅー。……その間に必死に逃げて」
「語くん、無理だよ……。置いていけるわけないっ」
「それでも、……これしか無い。……お願いだから、死んでも後悔するような……。はぁ、はぁ。……そんな気持ちだけは、二度と味わわせないで」
「ねぇ、無駄でも良いから。一緒に逃げよう? ね? 語くん、お願いだから……」
その言葉と共に、僕の背中の服を綴さんが握り締めた。背中から震える手の振動が伝わってくる。
「そんな余裕は……、もう僕にはないよ。残りは全部、アイツらの足止めに使う……」
狼達は空気が読めないようだ。僕達が話している間にもゆっくりと距離を縮めて来ていた。
「語く……」
「はぁー……。……行くよ!」
僕は息を整えた後に叫んだ。綴さんの手を取って後方へ走り出す。
その瞬間、身体中から味わった事の無い痛みが吹き出してきた。
どうせ数十秒も持たないんだ。少しの間だけ持てば良い。
僕は息を止めて痛みを我慢しつつ、目の前の狼に向かって全力の前蹴りを鼻先に放った。
横に飛び退いて避けられてしまったけど、これでも良い。僕は右手で掴んでいる綴さんの腕を振り回し、狼の包囲網の外側へ走らせた。
横に飛び退いた狼は直ぐ様僕に襲いかかり、もう殆ど動かない左手に食い付いて来た。残りの二匹もがら空きになった僕の背中に飛びかかり、思い思いに牙をめり込ませて来る。
想像していた中で一番望んでいた事態だ。
左手に食い付いている狼の前足を足払いで払い、倒れた狼の首に両足を絡ませる。そのまま後ろ向きに倒れ、右手で手近な狼の後ろ足を全力で掴んだ。運の良い事に、背中の下には最後の狼が下敷きになっているようだ。ジタバタを暴れながら脇腹に牙立てている。
「綴さん走って!!」
僕は綴さんの方を見て叫んだ。しかし、予想外の出来事が起きていた。
「ああああああああ!!」
綴さんは逃げるどころか手に持っていたバックを両手で持ち、僕の方へ走って来た。
そして、僕が右手で抑えている狼に目掛けて思い切りバックを振り下ろした。
狼は痛みに顔を歪めながら暴れ始めた。必死に力を込めていたけど流石に限界だった。僕の力が抜けた瞬間に狼達は僕達から距離を取り、一番最初の状態に戻ってしまった。
「あ、あ……。痛い、痛い……」
無理に無理を重ねた反動が来た。もう僕は動く事すら出来なくなってしまった。そんな僕を心配して綴さんが僕の身体に手を添えた。
「なんで、逃げ……。なか……」
「語くん、ごめん! 私には無理っ!! 見捨てて逃げるなんて絶対出来ない!!」
綴さんは大粒の涙をボロボロと溢しながら僕に謝った。そして狼から僕を隠すように抱き締める。
その様子を見て、好機と判断したのだろう。狼達が一斉に地面を蹴って跳躍し、僕達二人に襲いかかった。
とうとう、本当に死ぬ時が来てしまったようだ。僕は狼から目線を外し、綴さんを眺めた。
本気で僕を守ろうとしてくれているのだろう。両手を僕の背中に回し、僕の顔を抱き寄せている。
逃げずに戻って来た時には正直愕然としたけど、本当はとても嬉しかった。そして、正直な所今も幸せな気分に浸っている。
僕が命懸けで守ろうと思った友達は、それに値するだけの人だったのだ。僕の目に狂いは無かった。
他人の為にこれだけ一生懸命になれる良い人の為に死ぬのなら、それはそれで良い終わり方だったのかもしれない。
僕は綴さんの暖かさを感じながら、これから襲い来る更なる苦痛を受け入れるべく目を閉じた。




