嵐の前の静けさ
「語君。なんか物語の主人公みたいな体験しちゃってるね」
「言われてみれば、僕もそう思う……」
「『事実は小説より奇なり』とは言うけど。あまりに奇怪過ぎるね。それはさておき。私がもし語君の立場なら、多分行かないかな」
「……そっか」
僕は綴さんに昨日の事を全て話した。
不審な男から父さんの小説の事について声を掛けられ、詳しい話を聞きたいなら連絡するように言われた事。僕自身もその話について違和感を感じていて、興味がある事。そして、僕個人としてはもう一度会って話しをしてみたいという事。
綴さんも半ば半信半疑だったけど、話を最後まで聞いてくれて意見も言ってくれた。
やはり、綴さんとしてはあの男の人に会いに行くのは反対のようだ。
「語君が言うように、お父さんが事故に会ったのを知っていて、尚且つ語君の事を知っていたって事を考えると適当な出鱈目を言っていたようにも思えないね。……でも、あまりにも怪し過ぎるよ。事故が起きた家族を狙って詐欺とか誘拐を働こうとしているって可能性もなくはないし、状況が悪すぎる。客観的に判断するなら、お母さんの為にもソコを離れないのが一番良いと私は思うよ。」
「うん、僕もそう思う……」
語さんの言う通りだ。普通に考えたらここで家族の元を離れて、何処の馬の骨とも知れない不審人物に会う選択肢を選ぶのは馬鹿のする事だろう。
家族が死にかけているのに、心を痛めているのに、それを放っておいて何処かに行くなんて馬鹿げている。
でも……
「でも、語くんはどうして行きたいんだね」
綴さんは僕に質問ではなく確信を持ってそう告げてた。
そうだ。僕は馬鹿な事だと分かっていても確認せずにはいられなかった。
朝から感じていた強い違和感と苛立ち。それの答えをあの万丈という男の人は持っているかもしれない。そう思うと動かずにはいられなかった。
「……行ってきたら?」
綴さんは静かにそう言った。
「! ……良いのかな?」
「どうしても行きたいんでしょ? なら行っても良いと思うよ。もしかしたら、後から後悔するかもしれないし、自分の望んだ答えが返ってこないかもしれないね。でも、やらないで後悔するのはずっと気になっちゃうと思う。何年経っても振り返って後悔するよりは良いと思うの。……多分だけどね」
多分という言葉とは裏腹に綴さんの声音からはハッキリとした意思を感じた。もしかしたら、昔やらずに後悔した事があったのかもしれない。その時の自分と僕を重ねたのだろうか。
でも、綴さんの言葉は今の僕にとって一番欲しい言葉だった。
「……ありがとう。綴さん」
「気にしなくて良いよ。その代わりお願いなんだけど」
「何?」
「経過は私に定期的に連絡して欲しいの。万が一、語君に何か有った時は、私が家族なり警察なりに知らせるから。……お願いだから一人では動かないで」
綴さんの声音からは明らかに不安や恐れのような感情が読みとれた。僕が綴さんの立場なら、こんな後押しは出来ないと思う。万が一、何か有った時に後押しした責任について責められる事を考えてしまうと思う。
多分だけど、綴さんはそれを踏まえて僕を送り出そうとしてくれていると思う。
本当に、良い子なんだ。
「……心配させてごめん。約束する」
その後、詳しい連絡条件等を話し合ってから綴さんとの電話を終えた。現在時刻は三十分ほど経過して、午後四時半になっている。早速だが行動を開始しよう。
僕は集中治療室の父さんを一瞥し、心の中で応援の言葉を送ってから綴さんと話し合った計画を実行し始めた。
母のスマホに『晩御飯を買いに行ってくる』とメールを予め送信しておく。こうすれば母が起きた時にメールが返って来るはずだ。それを目安に引き上げるタイミングを探ろう。
とは言え、午後六時から七時までの間位には帰って来ないといけない。それ以上遅くなると流石に不自然だ。
メールを送り終えたら病院内のナースステーションに向かう。窓口の人に『母さん達を起こさないであげて下さい』と声を掛けておく。出来れば僕が帰って来るまで眠ってくれていた方が都合は良い。
病院内でやることは終わった。僕は万丈という男の人に電話を掛けるべく病院を後にした。
空は重く濁った雲が空を覆っている。今にも零れそうな湿った空気の中、僕は走り出した。




