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心の支え

空が重々しい曇に覆われている。予報によると、まだ暫くはこの曇り空が続くそうだ。何時もなら喜ばしい事ではあるが今の状況では素直に喜ぶ事も出来ない。


 集中治療室前では母が椅子に腰かけて、祈るように俯いている。集中治療室の中央には父さんが眠っており、数々の機器に囲まれ、何本ものケーブルに繋がれていた。


今日で二日目だ。時々、先生が部屋の中に入っては出て行き、父さんの様子を伺っている。


先生は『三日持てば回復の可能性がある』と言っていた。明日まで父さんが持ちこたえる事が出来れば、まだ回復の見込みがある。


母さんはその可能性を必死に信じて父さんの傍に着いている。


その隣には母方の祖母が座っており、憂いに満ちた目で母さんを見つめている。勿論、父さんの事を心配していない訳ではない。だが、祖母からしたら自分の娘が弱りきった姿になっているのは耐えられないのだろう。


僕も子どもの立場ではあるが、両親のこんな姿を見ているのだ。その気持ちも少しは理解出来るつもりだ。


父さんも、母さんも大事な家族だ。どうにかしてあげたい。でも、今の僕になにが出来る?


こうして、母さんの傍に居ることが僕の一番すべき事だろう。だが、今は別の事が気になって仕方なかった。


 昨日、突然僕の前に現れた妙な男。渡された名刺には『万丈タケル』と書いてあった。名刺と言うにはあまりに素っ気ない有り様で、中央に名前が書いてあり、その下に電話番号が書いてあるだけのメモ紙のようなものだった。


その万丈という人は僕にこう言った。


『父さんの小説が盗まれた』と。


その言葉を聞いて最近の違和感に心覚えがあり、質問を投げ掛けようとしたら忽然と消えてしまった。


あまりにも現実離れしていて、夢だったのではないかとも思ってしまうが僕のポケットに入れてある名刺がそれを否定する。


やはり、あの人にもう一度会うべきなのだろうか?


適当な事を言っていたにしてもタイミングが出来すぎている。それに、父さんの小説が盗まれたという話は聞き流せるものではない。自分の中で感じる違和感が言っている。『もう一度会え』と。


でも、この場を離れて良いのだろうか。父さんは意識を失い、母さんは心が弱りきっている。


この状況で二人の元を離れるのは正しい選択なのか? もしかしたら、父さんの死に目に会えないかもしれない。母さんが本当に参ってしまうかもしれない。


僕は家族の元に居るべきじゃないのか。母さんを守ってあげるべきじゃないのか。


僕は、どうするべきなんだ。


僕は答えを出せずにいた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ふとスマホに視線を向けると午後四時を過ぎていた。結局、僕は答えを出せないまま病院の集中治療室の前で母さんの傍に居る。


母さんと祖母は疲れて眠っているようだ。二人がお互いにもたれるように寄り掛かっている。


行くなら今のタイミングしかない。二人とも昨日からろくに眠っていなかったのだから、起こさなければもう暫くは眠っているだろう。


でも、もし僕が居ない間に起きてしまったら。もし、父さんの容態が急変してしまったら。そう考えると足が動かない。


僕は困りあぐねていた。そんな時だった。スマホのバイブ機能が作動した。


画面を確認すると、綴さんからの着信だった。僕は眠っている二人を起こさないようにソッと廊下に出てから綴さんからの電話に出た。


『語君、急にごめんね。今、大丈夫?』


「うん、大丈夫だよ。あ、昨日は戸締まり押し付けてごめんね。」


『ううん、気にしないで。学校の先生から事情は聞いたよ。……大変だね。』


「あぁ、……うん。ちょっとね」


『……そっか。……語君。あまり、無理はしないでね』


「無理なんかしてないよ。むしろ、出来る事がなくて情けないレベルだよ」


綴さんと話していて気が緩んだのか、弱音が口から出てしまった。父さんが意識を失い、母さんは精神的に疲れはてている今、自分が頑張らなくてはいけない。その思いからずっと気を張っていた僕は正直な所かなり心が折れかけていた。


自分が出来る事、してあげられる事が何も無くて。自分の無力さをこれ程痛感したのは初めてだった。所詮、僕はただの子どもに過ぎなかったのだ。


情けない。悔しい。情けない。悔しい。


そんな考えばかりが頭の中を回っていた。


そんな時に綴さんから電話が来て、僕は溜め込んだ物を吐き出したくなってしまったのだろう。カッコ悪いとは分かっていても、もう我慢が出来なかった。


その後、僕は溜め込んだ弱音を綴さんに吐き出し続けていた。誰かに愚痴る行為は自分の中にある毒を相手に擦り付ける行為でしかない。愚痴る本人は毒を吐き出してすっきりするかもしれないが、愚痴られる相手は毒を全て被る羽目になる。


僕の中では愚痴る行為は紛れもなく、相手に重い負担を掛ける情けない事だ。話す相手を苦しめる事になる。


それなのに、綴さんはずっと話を聞いてくれていた。こんな弱音、聞かされる相手にとっては毒にしかならないのに。相手にストレスを掛けてるだけなのに。それでも僕は話さずにはいられなかった。そして、綴さんは静かに僕の毒を吸ってくれていた。


それから数分程経っただろうか、僕の口から出るものが全て出終わった頃に綴さんは静かに言った。


『語君。少しは楽になった?』


「綴さん。本当にありがとう。……スッキリした」


僕は心の底からそう答えた。頭の中を満たしていた暗い感情は全部抜け出た。弱い心も吐き出し尽くした。今は霧が晴れたように頭の中が清みきっている。


『良かった』


綴さんは優しい声でそう言ってくれた。ここまで弱い所をさらけ出したのだ。もう、最後まで話してしまおう。


「綴さん、最後にもう一つ相談があるんだけど」


僕は昨日会った人の事について、綴さんに全てを話した。

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