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父の思い

 定価的に心電図の甲高い音が鳴り響く集中治療室の前で僕と母さんは立っていた。母さんはガラス張りの壁の前で表情も虚ろに一点だけを見つめていた。


集中治療室の中央。沢山の機器とコードに繋がれた人物。……僕の父さんだ。


当たり前なのかもしれないが、全く動かない。心電図の音が無ければ死んでいるのか生きているのかすら分からない。あそこで寝ているのが自分の父さんだとは思えない、思いたくなかった。


 母さんのメールを読んだ僕は真っ先に家に帰り、母さんの状態を確認した。あまりのショックに判断力が著しく喪失しているようだ。話していても狼狽えるばかりで会話が成立しなかった。それでもなんとか落ち着かせて、病院の名前と場所を聞き出してタクシーを呼ぶことが出来た。そして現在に至る。


病院の集中治療室に通された時は僕も立ち眩みしそうになってしまった。そんな中、警察と病院の先生から色々な話をされた。


父さんを轢いた運転手は『突然飛び出して来たから避ける事が出来なかった』と話しているらしい。警察もその証言を信じたようだった。


母さんから最近の出来事や今朝のニュース様子を聞いて、父さんが自殺目的で車に飛び出したと考えたらしい。


そして何より、父さんの容態だ。病院の先生の話しでは『ここ数日が山だ』と言っていた。なんでも『三日持ちこたえてくれればなんとかなる』のだそうだ。……でも、かなり難しいのだろう。先生の表情は曇っていた。


とにかく、母さんをどうにかしないと。精神的に弱り切っている状態だ。正直、何をするか分からない。まずは家に帰して安静にさせなければ。


僕は父さんを見つめ続ける母さんにソッと声を掛けた。


「母さん。今日は帰って休もう」


母さんの反応は無い。


「母さん。こんな所で辛い思いをし続ける事が父さんの望む事に思えるかい?」


母さんは俯いて体を震わせている。


「今日は帰ろう。しっかり準備して明日から父さんをしっかり見守ろうよ。ね?」


俯いたままだったが、母さんは確かに頷いた。僕は母さんの肩に手を当てて集中治療室の出口に向かわせた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 僕は病院の外に出てからスマホでタクシーを呼び、母さんを先に家に帰らせた。一人で帰らせるのは心配ではあったけど、母方の祖母が家で待ってくれているから大丈夫だろう。


そして僕は夕飯のお弁当を買いに向かっていた。流石に夕飯を作る気力は母さんにも僕にも無い。辺りは薄暗くなり始めており、人影が少しずつ減り始めていた。


大規模チェーン店の弁当を購入した僕は足早に家に向かっていた。早く帰らないと今度は母さんが僕の事を心配し始めてしまう。今は出来るだけ母さんの心労をどうにかしないと。


 僕は急いで家に帰るべく近道をする事にした。大通りを逸れて小道に入り、自宅まで出来るだけ一直線に向かって行く。


僕は時間を見る為にスマホをポケットから取り出して画面を確認した。午後七時を少し回っている。母さんと別れて一時間程経過している。もしかしたら心配し始めているかもしれない。念のためメールを送信しておこう。


僕はそう思ってメールのアプリを開いた。そして、ふと思い出した。学校でスマホのメールを見た時に二件受信していたのだった。


おそらく母さんからのメールだろうが念のため見ておこう。そう思った僕は受信メールを確認した。そして驚いた。メールは父さんから送られた物だったのだ。


 僕は慌てて父さんから送られたメールを開き、内容を確認する。そして僕はメールの内容に衝撃を受けた。


だが、その時だった。


「やぁ。こんばんは」


電柱の物陰からヌルリと僕の前に見知らぬ人物が現れて声を掛けてきた。


「今はお急ぎかな? ちょっと君のお父さんの事で話があるんだけどね。少し時間を貰えるとおじさん助かるなぁ」


「……誰ですか」


僕は目の前の不審者を警戒しつつ後ろに目線を配る。もし誘拐目的のような連中なら仲間が居てもおかしくはない。幸い、後ろには誰も居ないようだ。


僕は後方の安全を確認してから突然現れた不審な人物の様子を伺った。幸いにも街頭が近くにあるため姿ははっきりと確認できる。


 身長はかなり高い。僕の二回りは高いだろう。体格もそこまで良いわけでもないが悪くもない。僕との体格差は歴然としている。最悪、殴り倒してでも逃げる事を優先しようと思ったけど部が悪そうだ。


外見の印象としては、不健康そうというか、身なりにあまり頓着のない様が見てとれる。


黒の革ジャンは乾燥してひび割れが目立つし、髪は自分で適当に切ったのだろうか。茶色の髪は乱雑に切り取ったようでボサボサだ。履いているジーンズも色褪せが激しく、買い換え時期を大きく過ぎているだろう。


だが、それらの外見を忘れさせるように、こちらを眺める目は僕に警戒を強いらせてくる。


目力がある訳でもない。けど、タレ目寄りの気だるげな目がなんとも言えない威圧感を帯びていた。昔していた柔道の試合でもこれだけの威圧感を感じた事は無い。


 興奮か、それとも怯えか。小刻みに震える体に活を入れて僕は目の前の男に質問をぶつける。


「僕は貴方の事を知りませんし、ゆっくりお話しが出来るような余裕も有りません。申し訳ないですが失礼させて頂いてもよろしいですかね? 急いでるんです」


口調は極力丁寧に話しているつもりだが、僕の声音は自覚できる程に敵意を剥き出しにしていた。


しかし、当の男はどこ吹く風と言わんばかりに軽い調子で話し掛けてくる。


「あぁ、すまんね。ちょっと怪しかったかな? そんなに警戒しないで貰いたいねぇ。別にとって食う訳でも、拉致るつもりも無いからさ」


無害をアピールするつもりだろうか、両手てをヒラヒラとさせて何も持っていない事を示してくる。


「キミのお父さん。自殺しようと自分から車に飛び込んだらしいね。容態はどうなんだい?」


「っ!」


僕はその男の一言に我を忘れた。


「黙れ! アンタは僕の父さんの何を知っててそんな分かった風な口を効いてんだ!」


震えていた体は怒りで治まり、自分でもいつ殴り掛かるか分からなかった。まるで自分の体じゃないかのように勝手に口が言葉を発している。


「僕の父さんは少し辛い思いをしたくらいで自殺しようとなんかしない! 次そんな事を口走ってみろ、死んでもアンタをぶちのめしてやる!!」


僕の頭の中ではさっき見たメールが浮かんでいた。父さんのメールにはこう書いてあったのだ。


『綴。今朝は父さんの情けない姿を見せてしまってすまなかった。だが、心配しないで欲しい。父さんはこれしきの事でいつまでも落ち込むようなメンタルをしていない。いつも、お前に言い聞かせている通りだ』


僕が小説を書き始めた頃から父さんがいつも僕に言っていた言葉でメールは締められていた。


『苦難も悲しみも、笑い飛ばして全部ネタにしてこそ一流の小説家だ。父さんはこんな事ではへこたれない。次は必ず良い作品を書いてみせるぞ!』


そうだ、そうだったのだ。メールを見るまでもなく、父さんが自殺なんてするはずがなかったのだ。


僕の父さんは何時だってそうだった。どんな経験も、どんなに苦しい時でも、弱音も吐かずに笑って言っていた。『良いネタが出来た』と。


今回の挫折だって直ぐに立ち直るに決まっていたのだ。それを僕が信じてあげれなかった事が今は一番腹立たしかった。


今の僕はその腹立たしさを目の前の男にぶつけているだけなのかもしれない。でも、僕の父さんを軽々しく侮辱したこの人は許せない!


僕は身を乗り出して正に殴り掛かる寸前だった。だが、その時だった。


目の前男が当然頭を深々と下げたのだ。


僕の頭に登っていた血が急激に下がる。そして男はその姿勢のままにこう言った。


「いや、すまなかった。軽はずみな事を口にしたようだ。この通りだ、謝罪しよう。そして一先ず話しだけでも聞いて貰いたい」


今までの威圧感や軽い調子は消え失せて、誠心誠意の謝罪の言葉を僕に投げ掛けていた。


その言葉に偽りが無いのは何故か確信できてしまった。


「とりあえず、キミがお急ぎなのは承知した。なら一先ずはコレだけ渡しておこう」


そう言うと男は革ジャンのポケットから小さな箱を取り出して紙切れを差し出して来た。どうやら名刺のようだ。


でも、僕はソレを受け取らなかった。万が一、近寄った拍子に何かされたら抵抗が出来ない。先程の様子から悪い人ではないと思いたいが、今の状況が状況だ。母さんの為にも、何がなんでも僕に有事があるわけにはいかない。


「大した警戒心だ。うちの連中もそのくらいあると良いんだがね」


身構える僕の様子を見て男は僕が直接受けとる意志が無いのを察したようだ。手に持つ名刺をソッと地面に置いた。


「重ねて先程の失言について謝罪しよう。すまなかったね。だが、一先ずコレだけは伝えておかなければならない」


男の目に力が篭る。


「キミの父さんが書いた小説が盗まれた。詳しく知りたいなら名刺の番号に連絡してくれ。……以上だ」


「……父さんの小説が、……盗まれた?」


その一言で朝のニュースを見た時の違和感が頭を過る。


「まさかそれって!」


自分の中の違和感を男に聞こうとした時にはもう男は居なかった。いつの間にか、忽然と姿を消していた。


僕はそれに唖然としつつ、思い出したように地面の名刺を手に取る。


万丈 タケル


名前を確認して僕は名刺をポケットに入れた。気になる話しだけど、今は母さんの元に早く帰ってあげないといけない。


僕は母さんにメールを送り、無事を知らせてから家に向かって走りはじめた。


手に持つ弁当はとっくに冷えきっていた。

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