89.侯爵令嬢はダンジョンに潜る(前編)
前後編に分かれます。
後は自分たちに任せて森を出ろというシルフィ様たちを見送って、私たちは森を後にした。
ロンに言われたことを念話でレオンに伝える。
トージューローさんとキクノ様にも伝えたいのだが、王太子殿下がいるので伝える術がない。そのこともレオンに伝える。
『それは任せておけ。キクノには我から伝えておこう。彦獅朗にはキクノが伝える術を持っておるはずだ』
とりあえずは学院に戻っていろいろとやることがある。
日が落ちて夜の帳が下りた頃、わたしは動きやすい服を着てこっそりと寮を抜け出す。
アリバイ作りはマリーに頼んだので、完璧だ。
学院内の温室前でトージューローさんとキクノ様と待ち合わせの約束をしている。あそこはクリスと私以外は立入できない。誰にも知られない待ち合わせ場所にはピッタリだ。
「お待たせしました」
すでに温室前に来ていたトージューローさんとキクノ様に声をかける。鍵を取り出し、温室内に入った。
トージューローさんとキクノ様も私の後に続く。
「ここから転移するのか?」
「ダンジョンまではそれほど距離はありません。三人であれば転移できると思います」
正確には三人と一匹だ。
ダンジョンから帰ってきた私は急いで温室に行き、転移魔法陣を書いていたのだ。入口側の魔法陣を……。
出口側になるダンジョンにはリュウに頼んで、魔法陣を敷いてもらった。
「時間がありません。二人とも私に捕まってください」
トージューローさんとキクノ様は頷きあうと、私の肩に手を置く。レオンは私の肩に貼り付いているので、大丈夫だろう。
転移魔法陣に魔力をこめると光り、浮遊感とともにダンジョンの入り口に転移する。
「うえ! 転移って気持ち悪いな」
トージューローさんが嘔吐しそうになっている。無理もない。私も慣れるまでに時間がかかった。
転移魔法陣は役目を果たすと消えた。私の今の魔力では魔法陣をずっと保てないのだ。
「彦獅朗、今すぐ吐き気を止めないと置いていきますよ」
毒舌ながらもキクノ様はトージューローさんの背中をさすってあげている。優しいな。
私はダンジョンの入り口に入ると、指先に光を灯す。
ダンジョンの入り口の隅に光る転移魔法陣があった。
「転移魔法陣を見つけました。行けますか?」
ダンジョンの外にいるトージューローさんとキクノ様に声をかける。
「また、あの浮遊感に襲われるのか」
トージューローさんがげっそりとしている。
ダンジョンの入り口にロンが敷いてくれた転移魔法陣は、それほど浮遊感に襲われることがなかった。トージューローさんはまたもや吐き気をもよおしていたようだけれど。
三半規管が敏感なのかしら?
「よう。来たな」
光を灯すと後ろから声をかけられる。バリトンのいい声。ロンだ。
「はい。ここはどこですか?」
「ダンジョンの休憩所だ。ダンジョンには必ずこういった場所があるのだ」
本で読んだことがある。ダンジョンにはモンスターが近寄らないスポットがあると。
冒険者たちは休憩スポットと呼んでいる。
「何階層なのだ?」
私の肩からレオンがロンに声をかける。
「その猫、もしかして森の神か?」
「そうだ。久しいな、ロン」
黒いフードを外したロンを指に灯した光でよく観察する。
黒い髪に金色の瞳? 光っている。光の加減なのか肌が褐色に見える。冒険者らしい精悍な顔立ちだ。整っているが、どこか爬虫類を思わせる冷たい視線に射抜かれると、ぞくりと肌が粟立つ。
「そちらの黒髪の女性は土の神だな。だが、人間の匂いがする。なぜだ?」
「神から人間に転生したからです」
キクノ様が不機嫌そうに答える。
ロンはレオンとキクノ様を知っているようだ。レオンとキクノ様もロンを知っているようだった。
「ユリエ!」
遅れて休憩スポットにやってきたシルフィ様が私に抱き着いてくる。
「シルフィ様、ここは何階層なのですか?」
「え~と……何階層になる? ロン」
階層を数えていないらしいシルフィ様がロンに話をふる。
「四十九階層だ。どうやら次の五十階層が最下層になるようだな」
ダンジョンの前で別れてから、数時間しか経っていないはずだ。
たった数時間で四十九階層まで攻略したのだろうか?
ここはそんな簡単なダンジョンなの?
「簡単ではないな。そこそこ強いモンスターがいたからな」
「あ! すみません。声に出ていましたか?」
また私の悪い癖が出た。たまに心の声が漏れだしてしまうのだ。
「構わない。シルフィの言うとおり、美しい魂の持ち主だ」
私の魂については、神様たちをはじめ、シルフィ様までが美しいという。私の魂はどういう形をしているのだろう?
「その……お腹は空いていませんか?」
私は空間からおにぎりを取り出す。
「おにぎり!」
シルフィ様がおにぎりに飛びつく。
私が転移魔法陣を書いている間、マリーがいろいろと準備をしてくれたのだ。
私はそれを片っ端から空間に放り込んできた。
「わざわざ準備してくれたのか?」
ロンの冷たい視線が一瞬だけ優しく緩んだ。
「ユリエ、食べてもいいか?」
シルフィ様の後ろで尻尾がぶんぶん揺れているのが見える。幻覚ではなく、ドラゴンの尻尾がはみ出していた。
「どうぞ。召し上がってください」
その言葉が合図だと言わんばかりにおにぎりを両手に持って、かぶりつくシルフィ様とレオンだ。一口が大きい。あっという間に数が減っていく。
クリスたちの分は別に確保しておこう。
クリスたちは大丈夫かしら? お弁当と飲み物を携帯していたとはいえ、今は夜だ。あれから時間がかなり経過している。きっとお腹が空いているに違いない。
食事を終えてから、シルフィ様とロンは階層主を倒しに行った。
「ねえ、レオン。ロン……様とは知り合いなの?」
「前に話したシルフィの番だ」
番ということは、ロンはシルフィ様の旦那様なのね。
「もしかして、ロン様もドラゴンなの?」
「リュウと同じ種族だ」
リュウと同じ種族ということは、彼も竜神族だ。神様に対して呼び捨ては失礼ね。これからはロン様と呼ぶことにしよう。
『空間魔法』や『転移魔法』を得意とする種族だとリュウが話してくれた。どうりで高度な『転移魔法』が使えるはずだ。
「レオンとキクノ様はロン様と知り合いなのね」
「知り合いというか、昔シルフィとともに一度会ったことがあるだけだ」
ぷいとそっぽを向くレオン。キクノ様もロン様と話すときに不機嫌そうだったし、何かあったのかもしれない。
とりあえず今はこれ以上突っ込むのはやめておこう。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)