86.侯爵令嬢はオリエンテーション一日目を終える
オリエンテーション一日目のカリキュラムを終えると、寮にあてがわれた自分の部屋へ帰る。
部屋に入るとマリーが笑顔で出迎えてくれた。
「ただいま、マリー。あ~疲れた!」
私は部屋に入るなり、ベッドにダイブする。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お疲れ様でした。お食事の前にお風呂に入りますか?」
「ううん。お風呂は食事の後にするわ。お茶を淹れてくれる?」
「かしこまりました。お疲れのご様子ですから、ハーブティーをお淹れいたしますね」
ティーポットを持ち、給湯室へ行こうとするマリーを呼び止める。
「マリー、いつものように魔法を使ってアイスティーを淹れてくれればいいのよ」
「いいえ。お嬢様はお疲れのご様子。そういう時は温かいお茶がよろしいです。それに給湯室は情報収集の場ですから」
情報収集が主な目的だろうな。ここには他の三人が連れてきた侍女もいるから。
給湯室に行くマリーを見送ってから、ひとりごちる。
「マリーは諜報に長けてきたわね。まるで忍びの者みたい」
「元々、素質があったのだろう」
独り言に答えてくれたのは、レオンだ。
「ねえ、レオン。魔法戦の内容がどんなものか想像がつく?」
「さてな。だが、実戦に近いものかもしれぬぞ」
「ドラゴンと戦った時のような?」
三年前、ドラゴンと戦った時のことを思い出す。
あの時、私は一度死にかけた。
マリオンさんの魂の記憶のことでレオンと気まずくなるし、思い出しただけで自己嫌悪に陥る。
「ドラゴンと戦うことの方が稀だ。だが、対人戦はモンスターと戦うよりも遥かに難しいぞ」
「分かっているわ」
ベッドに顔を突っ伏す。マリーがハーブティーを持ってくるまでしばらくそうしていた。
食事は寮の一階にある食堂で食べることになっている。
ビュッフェスタイルなので、好きなものをお皿に載せて、設置されたテーブル席で食べるのだ。私は一番上座のテーブル席に座っている。レオンは部屋に置いてきた。食堂へはさすがに聖獣は連れてこられないのだ。衛生上の面で……。
この学院は身分に関係なく平等にという校則があるにも関わらず、ヒエラルキーは存在する。スクールカーストというやつだ。
上座しかテーブル席が空いていなかったのだ。大方アデリーヌ様の仕業だろう。
「カリキュラムを終えた後、トージューロー先生に手合わせを願ったのだけれど」
アンジェは宣言どおり、トージューローさんと手合わせをしたらしい。
「どうだったの?」
結果が気になる私は身を乗り出す。
「負けたわ。一太刀が重くて手が痺れてしまったの」
しゅんと項垂れるアンジェだ。
「トージューローが相手なら仕方ないわよ。何太刀か打ち合えただけでもすごいわ」
「でも、クリスとリオはトージューロー先生の弟子なのでしょう? 一度くらい勝てたことがあるのではないの?」
私はクリスと顔を見合わせる。
「それがね」
「一度も勝てたことがないのよ」
女子供相手だろうとトージューローさんは容赦がない。いつだって全力だ。
「二人がかりでも勝てなかったわ。気にすることないわよ、アンジェ」
「トージューローに勝てる相手は今のところいない……いた!」
クリスが思い出したと言わんばかりに小さく叫ぶ。そういえばいた。キクノ様だ。
「え! 誰? ジークフリート様?」
これにはトリアが食いついてきた。
実は今お兄様とトリアの婚約話が両家であがっている。気になっているのだろう。
「お兄様も勝てたことがないのよ。ほら! 今日Aクラスの特別講師をしてくれたキクノ先生よ」
残念ながら、お兄様も今までトージューローさんに勝ったことがない。
「ヒノシマ国の方よね。ちらっとお見かけしたわ。たおやかな女性という感じだけれど、トージューロー先生より強いの?」
アンジェの瞳がきらきらと輝いている。今度はキクノ様に勝負を挑むつもりだろうか?
「キクノ先生は強いわよ。何といっても……」
「あたくしがどうかしましたか?」
私たちの後ろにはトレーを持ったキクノ様が立っていた。
「キクノさ……先生。大使館に帰ったのでは?」
キクノ様と言いかけてしまった。
「オリエンテーションの間はこちらに泊まります」
「大使館のお仕事は大丈夫なのですか?」
「補佐をしている者たちが優秀ですので、大丈夫です」
どこかで聞いたセリフだ。
「相席よろしいですか?」
「どうぞ」
これは余計なことを口走らないようにという抑制だろうか?
アデリーヌ様がこちらをちらっと見たが、相席者がキクノ様ということを確認したようだ。これが他の生徒だったら、すかさず文句を言いにくるのだろうな。
あまりキクノ様を挑発するようなことはやめてほしい。この方はこの国の元土の女神様だからね。ヒエラルキーとか関係ないから。
「それであたくしがどうかしましたか?」
「キクノ先生でよろしいですか? トージューロー先生よりお強いと聞きました」
キクノ様が話題を蒸し返してきた。それに答えたのはアンジェだ。
「クリスとユリエのご友人ですか? 九条霞菊乃です。キクノと呼んでいただいて構いません」
「ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません。アンジェリカ・アッシュベリーと申します」
学院内では家名を名乗る必要がない。ファーストネームと姓だけでいいのだ。
「ヴィクトリア・ヴィリアーベルクと申します」
トリアが消え入りそうな声でキクノ様に名乗る。相変わらず、初対面の相手は苦手なようだ。
「お二人ともSクラスの生徒ですね。明日の最初の講義はあたくしが担当します。よろしくお願いしますね」
Sクラスも魔法訓練所で今日のあの講義を受けるのだろうか?
「はい。よろしくお願いいたします。それでキクノ先生はトージューロー先生より強いのですか?」
「稽古での勝負は五分五分ですが、実戦となれば桐十院先生の方が強いでしょうね」
それから、キクノ様とアンジェはトージューローさんの話で盛り上がっていた。トリアは相槌を打つだけ。
クリスと私は苦笑しながら、キクノ様とアンジェの会話を聞いていた。
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