79.侯爵令嬢は『風の剣聖』の幼馴染のカフェに行く
教科書を受け取った後は、そのまま学院を出て王都で最近オープンしたばかりのカフェに寄り道をすることにした。
スイーツが美味しいと評判のカフェだ。
トリアとアンジェも誘ってみたのだが、二人とも用事があるらしく、今日は行けないとすまなそうにお詫びをしてくれた。次は必ず予定を合わせて行こうと約束して学院で別れたのだ。
そんなわけでクリスと少年姿に変化したレオンとともにカフェへと歩みを進めている。
「もふもふ君は何で人間姿なの? 確かペット同伴可のお店のはずだけれど」
「我をペット扱いするな。人間姿の方が食べやすいからだ」
クリスとレオンのやり取りに苦笑しながら、カフェへの地図を再確認する。
「あと少しで見えてくるはず……あ! あそこではないかしら?」
少し変わった佇まいの店が遠目にうつる。
近づくにつれて看板の文字が見えてきた。そこにはフィンダリア語のカフェという文字とヒノシマ国の言葉で『茶屋』という文字が書かれている。
「ヒノシマ国の文字ね。経営者がヒノシマ国の人なのかしら?」
店の入り口にはトージューローさんやキクノ様の着物のような布がかけられている。
「これは、暖簾というものかしら?」
実物を見るのは初めてだが、キクノ様にヒノシマ国の店の入り口には暖簾という布がかけられていると教わった。
「あ! 正確なヒノシマ国の発音だ」
店から出てきた女性がヒノシマ国の言葉でそう言うのが聞こえた。女性は黒い髪と瞳だ。長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。愛らしい顔立ちをしていて、親しみやすい雰囲気を纏っていた。
「こらっ! 彩乃! お客様に失礼だぞ」
店の奥からは男性の声が響く。こちらもヒノシマ国の言葉だ。
アヤノ? どこかで聞いたことがある。
あ! 思い出した!
「あの、失礼ですが、九条霞菊乃様をご存じでしょうか?」
ダメもとでヒノシマ国の言葉で女性に尋ねてみる。
「え! お嬢さんたちはきくのんの知り合いなの?」
きくのん? キクノ様のことかしら?
「あらためまして、わたしは七瀬じゃなかった! 八雲彩乃と申します。ひこときくのん……あ! 彦獅朗と菊乃の幼馴染で友人です」
キクノ様の知り合いということで、奥の個室に通された私たちはアヤノさんから自己紹介を受ける。
「私は……」
名乗ろうとすると、アヤノさんに止められる。
「待って! 名前を当てさせて。きくのんから貴女たちの話は聞いているわ。金髪のお嬢さんがクリス姫。この国の王女様ね」
クリスは下を向いて笑っている。たぶん、トージューローさんの愛称『ひこ』が笑いのツボに入ったのだろう。
「それで銀髪のお嬢さんがユリエ。ひこの親戚の子ね」
我慢できないというように、ぷっと噴き出すクリスだ。
「クリス」
隣に座っているクリスを肘でつつく。
「いいのよ。お嬢さんたちの年頃だとはしが転がってもおかしいのでしょう?」
『はしが転んでもおかしい年頃』とはヒノシマ国では思春期の子供のことを指す。
「それで男の子がレオン君。正体は『猫又』なのですってね」
飲んでいた緑茶をレオンがぶっと吐き出す。
「誰が『猫又』だ! 妖怪変化と一緒にするでない!」
「あははは。冗談よ。猫型の聖獣でしょう」
手をひらひらと振りながら、アヤノさんは笑う。レオンはむうと唸る。
「妖怪変化って何ですか?」
聞きなれない言葉だ。
「あやかしのことよ。こちらでいうところのアンデット系のモンスターみたいなものよ」
なるほど。アンデット系のモンスターというと、不老不死だ。そういう点では似たものがある。レオンは神様だから不老不死だものね。 え? 本当にそうなのかしら? 勝手にそう思っていたけれど、聞いたことがない。
「それにしても、キクノ様はわたくしたちのことをずいぶん詳しく話しているようね」
やっと笑いがおさまったクリスがアヤノさんに問いかける。
「ええ、クリス姫。この国でかなりお世話になったと言っていたわ」
「クリスでいいわ。反対よ。キクノ様にわたくしたちがお世話になったの」
そうなのだ。キクノ様にはものすごくお世話になった。しかも今もお世話になっている。
現在、キクノ様は完成したばかりのヒノシマ国の大使館で大使として働いている。
だが、時々タウンハウスに訪ねてきては、温室で育てている植物の様子を見てくれる。元この国の土の女神であるキクノ様は土属性の魔力を持つクリスと私にとても親切だ。
個室の扉から「失礼します」と声がかかる。先ほど奥から聞こえた声だ。
扉が開くと、男性が姿を現す。ヒノシマ国特有の黒い髪と瞳。髪は短く切りそろえている。
「八雲宗太郎と申します。彩乃の夫で彦獅朗と菊乃とは幼馴染で今も親しくさせてもらっています」
トージューローさんに負けないくらい精悍で端正な顔立ちをしている。背丈もトージューローさんと同じくらい長身だ。
「先ほどは妻が失礼をしました。お詫びに好きなだけヒノシマ菓子をご馳走させていただきます」
アヤノさんの旦那様? 先日、トージューローさんに幼馴染同士が結婚したと聞いていたが、彼らのことだったのね。
「失礼というほどではありませんので、代金はお支払いします」
「いいや。こやつは先ほど我を『猫又』呼ばわりしたのだぞ。メニュー全部を持ってこい。もちろん、そちら持ちでな」
それまで不貞腐れていたレオンがアヤノさんを指差して抗議する。
「レオン!」
向かいでふんぞり返っているレオンに注意をする。
「それは、失礼をしました。こいつは女性らしさに欠けているので」
ソータローさんはアヤノさんの頭を掴み、一緒に頭を下げる。
「旦那の方は話が分かるようだな。ん? おぬし鍛冶師か?」
「分かりますか? この茶屋の隣で鍛冶屋を営んでいます。武器の手入れや新しく武器を新調する際はぜひ当店をご利用ください」
ソータローさんは自分の店の宣伝をすると、アヤノさんを引っ張って個室を出て行った。
「もう! レオンの食いしん坊! 猫又というからには猫なのでしょう? 同じようなものじゃない」
「全然違う! いいか。猫又というのは、年を経た猫が害をなすあやかしに変化することだ。我とは正反対の存在だ!」
ぷいとそっぽを向くレオンだ。神様のくせに妙に頑固なところがある。
「ところでもふもふ君。あのソータローという人が鍛冶師だとよく分かったわね」
「手に火ぶくれの跡がいくつもあったからな。それに鋼の匂いがしたから、カマをかけてみたのだ」
レオンの観察眼は大したものだ。てっきり神眼を使って鑑定をしたのだと思っていた。
ここで気になったことをクリスに聞いてみる。
「ねえ、クリス。壇上で挨拶する時にシャルロッテの姿を見た?」
「ひととおり生徒の顔は壇上から見渡したけれど……そういえばいなかったわね」
クリスはおそろしく記憶力が良く、一度見たものは忘れない。
新入生代表の挨拶をする時に講堂にいた生徒たちへ顔を向けながら、話していた。まんべんなく全体を見渡していたから、彼女もシャルロッテの姿を探していると思ったのだ。
「シャルロッテは今年魔法学院へ入学していないのかしら?」
前世では確かに十三歳から魔法学院へ入学していたはずだ。
「全クラスのクラス分けを見ておけば、良かったわね。今年の入学生名簿を見ることができればいいのだけれど……」
クリスは思案するように腕を組む。
すると、扉の外から「失礼いたします」と声がかかり、アヤノさんがトレーいっぱいに乗せたお菓子を持って入ってくる。
一つ一つテーブルに配膳されていくお菓子を見る。どれも見たことがないようなお菓子ばかりだ。
色とりどりの花や果物の形をしたお菓子が、四角のお皿に盛りつけられている。
「わあ、きれい! これは何と言うお菓子ですか?」
「生菓子というのよ。小豆なんかの豆類を加工したものを餡というの。加工の仕方は企業秘密ね。加工した餡を着色して花や果物の形にかたどっているのよ」
フィンダリアのお菓子とはまた違った上品さだ。それに見た目が美しい。
「こちらは団子ね」
トージューローさんが好きなあんこを乗せた団子とは違い、茶色のたれがかかっている。
なんとも香ばしい匂いだ。
「あら? 醤油の匂いかしら?」
クリスが団子を手に取ると、鼻に近づけて、匂いを確認している。
「当たり! 正確には砂糖と醤油で作ったたれよ。このたれを付けて団子を焼くのよ」
運ばれてきたお菓子を早速いただくことにする。
口に含んだ団子はカリッと焼いてあるせいかもちもちとしていて、たれは甘辛くて美味しい。
「美味しい!」
「あんこを乗せた団子も絶品だけれど、これも美味しいわね」
満面の笑みで微笑むクリスの頬が団子の形にふくらんでいる。
「おい! この団子をあと十本持ってこい!」
お皿に五本乗っていた団子はあっという間になくなっていた。
クリスと私が一本食べている間にレオンが三本たいらげてしまったのだ。
「レオン、もっと味わって食べなさい」
「十分に味わっておる」
今度は生菓子に手をつけようとしているので、レオンの手をペシっと叩く。
このままだと全部レオンに食べられてしまう。
「生菓子は私が取り分けるわ」
「食べ放題だぞ。また頼めばよいではないか」
本当に代金店持ちでスイーツを食べまくる気だ。
「少しは遠慮しなさい!」
その後、食いしん坊レオンは生菓子十個、団子を十五本ペロリとたいらげた。
申し訳ないので、代金は払うと言ったのだが、八雲夫妻に丁重に断られたのだ。
また、来てくれればいいと言うので、今日のところは甘えることにしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)