78.侯爵令嬢は王太子にもふ神様をもふらせる
声の主に気づくと、令嬢方は慌てて一斉にカーテシーをする。
「王太子殿下! 申し訳ございません!」
「学院では礼をとる必要はない。顔をあげよ」
少し厳しい声で王太子殿下は令嬢方に注意をする。令嬢方はおそるおそる顔を上げたが、視線が下を向いていた。
さらに王太子殿下の後ろからお兄様が現れる。お兄様と王太子殿下は友人なのだ。
「表面上だけれどね」というのはお兄様の言葉。
どうやら、王太子殿下とお兄様は最初から事の成り行きを見守っていたようだ。
助け舟は嬉しいが、これからアデリーヌ様に事あるごとに目をつけられるだろう。面倒だ。
私を背に庇うようにお兄様は令嬢方の前に立つ。
「失礼いたします、令嬢方。僕はグランドール侯爵の長男でジークフリート・ユーリ・グランドールと申します。学院では生徒会会計を務めております。我が家の聖獣については生徒会長より許可をいただいておりますが、何か?」
お兄様が優雅に紳士の礼をとり微笑むと、令嬢方の頬が赤く染まる。
子供の頃の天使のような容姿の面影を残しつつ、素敵な貴公子となったお兄様は令嬢方にもてる。
「グランドール侯爵家の聖獣については王宮への出入りも許可している」
そして王太子殿下が有無を言わせないというように畳みかける。
王太子殿下がちらっとレオンを見た瞬間、わずかに口元が緩んだのを私は見逃さなかった。
これは王太子殿下に紹介する時に間違いなくレオンはもふられるだろう。レオンもそう感じたのか、体をびくっと震わせる。
「カトリオナ様、申し訳ございませんでした」
アデリーヌ様とご友人方は私に謝罪をすると、すばやく反対側の席に去っていった。
「久しぶりだね、リオ。いや、カトリオナ嬢。元気そうで何よりだ」
「王太子殿下もご健勝の様子で何よりでございます」
スカートの裾をつまみ、略式の挨拶をする。学院内では身分を問わないので、挨拶はこれで十分だろう。
「学院内では敬称はいらないよ。名前で呼んでくれて構わない」
「承知いたしました。リチャード様」
「ところで肩に乗っているのが、グランドール侯爵家の聖獣だね? 名前は何というのかな?」
王太子殿下の隠された手がちらっと見える。案の定、わきわきしている。
「レオンと申します」
「レオン? グランドール侯爵家の親戚のレオンと同じ名前なのだね」
レオンという名前はありふれているので、問題はないだろう。雄々しい獅子にちなんで男性に付ける名前だからだ。
「少しだけ撫でてもいいかな?」
もふもふ好きな王太子殿下の目はレオンに釘付けだ。
「構いません。どうぞ」
王太子殿下が満面の笑みでレオンを撫でようとした時、レオンが「シャー!」と威嚇をする。
「こらっ! レオン! 申し訳ございません」
慌ててレオンの頭を小突くと、王太子殿下にお詫びをいれる。
「いや。構わないよ。先ほどアッシュベリー侯爵家の聖獣にもつつかれたところだ。わたしは聖獣に好かれない性質なのかもしれないな」
かなり気落ちしたようだ。王太子殿下の頭がガクンと下がっている。
「ホークは姉にしか懐かないのです。気にすることはありませんわ」
「ありがとう、アンジェリカ嬢」
すかさずフォローを入れるアンジェに、王太子殿下は顔を上げ苦笑する。
アッシュベリー侯爵家の聖獣は白い鷹で名前をホークという。本性は白いグリフォンらしい。アンジェの話によると、ホークは姉のマルグリット様にしか懐かないとのことだ。
ちなみに今年の生徒会長はマルグリット様だ。
「少し緊張しているのだと思います。レオンは普段は人懐こいのです」
肩に乗っているレオンをがしっと掴むと、腕に抱き毛並みを撫でながら念話を送る。
『社交辞令よ、レオン。ちょっとで構わないから王太子殿下に撫でられなさい!』
『断る! なぜ我が王太子の小僧に媚を売らねばならぬ』
『今日の帰りにカフェに寄ろうと思っていたのよ。最近できたばかりの評判の店でスイーツが美味しいのですって。レオンがそういう態度だと諦めないといけないかしら。ああ、残念!』
『何!? 美味いスイーツの店だと? うっ! 分かった。少しだけだぞ』
スイーツでレオンを懐柔する作戦は成功だ。レオンは食いしん坊だから、絶対飛びつくと思ったのだ。
「よしよし。落ち着いたわね、レオン。さあ、撫でてやってくださいませ、リチャード様」
「よいのか?」
目の前にレオンを差し出すと、王太子殿下はレオンの毛並みをそっと撫でる。
「もふもふだな。良い毛並みだ。大切にされておるのだな」
レオンをもふる王太子殿下の端正な顔が緩みきっている。レオンの顔は見えないが、思い切り不機嫌な顔をしているのだろう。尻尾が逆立っている。
「リック、そろそろ入学式が始まるよ。持ち場に戻らないと」
「そうだな。もふらせてくれてありがとう、カトリオナ嬢。時間をとらせてすまなかったね。ヴィクトリア嬢、アンジェリカ嬢。これで失礼するよ」
私たちに対して軽く頭を下げると、お兄様と王太子殿下は連れ立って壇上へ向かっていった。
「私たちも席に着きましょう。ちょうど前の方に三つ席が空いているわ」
トリアとアンジェを促し、前の席へ向かっていった。
そういえば前世ではアデリーヌ様に絡まれていたのはシャルロッテだった。周りを見渡すがシャルロッテの姿はなかった。
◇◇◇
「そんなことがあったの? お兄様はお気の毒ね。もふもふが好きなのに嫌われているのね」
入学式は滞りなく終わり、新入生はそれぞれ教室に帰ってきた。私は教室の隅の席でクリスと歓談中だ。
クリスの新入生代表の挨拶は堂々としていて立派だった。盛大な拍手で講堂が埋め尽くされたほどだ。
私はアデリーヌ様に絡まれたことと、王太子殿下がレオンをもふった経緯などをクリスに語った。
私たち以外の生徒は好きな席に座って、親交を深めているようだ。貴族にとって魔法学院は将来社交界にデビューするための練習場のようなものだ。商家や裕福な庶民の子は有力な貴族とのコネを作るよう親に教育されている。最初に学ぶ社会の場だ。
ちらちらとレオンを見ている女子生徒もいるのだが、王女であるクリスと一緒にいるため話しかけづらいようだ。
今は担当教師が教室にくるのを待っている最中だ。
「それはそうと、どんな先生が担当教師になるのかしら?」
魔法学院の教師は魔法院所属だ。クラスの担当教師とは別にそれぞれの属性の魔法の講義をしてくれたり、実技訓練を担当してくれる教師がいる。
まもなく、扉が勢いよく開けられたかと思うと、見知った顔が入ってきた。教壇に上がるとその人物は名乗りをあげる。
「このクラスを受け持つことになった桐十院彦獅朗だ」
なんと! このクラスの担当教師はトージューローさんだった。名前を聞いた途端に、教室がざわつく。
そういえば、今年から魔法学院の教師として招かれたと言っていた。
「『風の剣聖』様だ!」
「え!? あの方が『風魔法』を纏った剣を使い、剣術大会で優勝したという伝説の剣聖様?」
トージューローさんは、着物の上に魔法学院支給のローブを羽織っている。
「トージューローが担任なの?」
クリスが机に頬杖をついて呆れた顔をしている。
「はい! そこ! 教師に対して呼び捨てはやめろ。先生と呼べ」
「は~い。トージューロー先生」
間延びした返事をしながら手を挙げるクリスだ。
「トージューイン先生だ!」
クリスに抗議するようにトージューローさんがなおも言い募る。
「トージュー先生?」
「ヒコジー先生?」
かつてのクリスとマリーと同じような反応をする生徒たちだ。トージューローさんの名前は難しい。そもそもヒノシマ国の名前は発音しにくいのだ。
「よ~し! 分かった! トージューロー先生でいい」
あ。諦めた。既視感を覚える私だった。机の上に乗せたレオンに目をやると、肩を震わせている。笑いを堪えているようだ。
「今から一ヶ月後に行うオリエンテーションのしおりを配るから、よく読んでおけ。今日は各自教科書を受け取ったら自由時間だ。自宅に帰るもよし。学院を散策するもよしだ」
魔法学院では入学後、オリエンテーションがある。新しい環境に慣れるために学院内にある寮に泊まるのだ。一年生全員と有志の先輩方で魔法の勉強をしたり、レクリエーションを楽しんだりする。
しおりをパラパラとめくり、内容を読む。オリエンテーションの期間は一週間だ。魔法の座学や模擬訓練、学習内容の日程が書いてある。
問題は最終日の内容だ。
「「「Sクラスとの魔法戦!?」」」
何人かの声が重なる。それは驚くだろう。私も驚いた。前世とは全然内容が違う。
「ちょっと! トージューロー……先生。魔法戦って何!?」
クリスがトージューローさんに抗議をする。
「実力差のことか? それなら心配しなくてもいい。何人か教師とSクラスまたはAクラスの上級生を組み込んで実力差を同じにする。危険性は極めて低い」
魔法戦は仲間との連携が学べるし、魔法訓練も兼ねることができる。とトージューローさんは説明する。
相変わらず容赦がない人だ。トージューローさんは私とクリスの剣の師匠なのだが、それはもう厳しい。
納得がいかないという生徒もいるだろうと思ったが、腕自慢をしたい生徒は楽しみだと言っている。抗議をした当のクリスはというと、ワクワクしているようだ。
私も楽しみだが、ある程度、手加減が必要かもしれないという余計な心配をしている。
「明日、各自自己紹介をしてもらいながら、魔法属性判定も行う。攻撃が得意な属性と支援が得意な属性で担当を分ける。ということで今日は解散!」
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)